慢性的に自殺する惑星
慢性的に自殺する惑星 和久井志絆
1
「あぁ、暇だから自殺すっか」
中村健、美咲夫妻の十男坊、中村清十郎は欠伸しながらそう言った。
「そうか」
健はそれだけ言って、リビングからペットボトルを持って出ていく清十郎を止めなかった。
「兄貴って今いくつだっけ?」
「たしか45だよ。たしかね」
十ニ男と六女の会話だ。
「結婚もできないで暇なのも仕方ねぇか」
毒か。ペットボトルだけ持っていったということは。まだまだ楽しいことはたくさんあるのに、それすらももう空しいだけか。兄さん。
2714年大目本協盟国。平和な国。
特徴は四季の移ろい。これだけは太古の昔から変わらない。桜吹雪、照りつける陽、純白の粉雪。だが荒れ果てた城はもう生まれない。その上に望月は輝き続けようとも。栄枯盛衰の波は静まったのだ。
この国だけではない。医学が発展し、全ての人類は平均して110歳ぐらいまでは健康に生きられるようになった。芸術もスポーツも栄え、人々はみな活き活きと互いを思い合い生きるようになって久しい。
2444年、第三次世界大戦終結がこの星の変革期だった。
全ての憎しみを、虚しく思った。世界中の人が、自分たちの犯してきた罪を悔いた。
全ての武器は捨て去られた。代わりに自然を大切にしよう、動物たちを大切にしようという声が世界中から上がった。それがすごく自然な流れであったから人の歴史というのは面白いと学者たちは嬉しそうに笑った。
みんなが明るい温かい恋をするようなり適齢期で結婚する男女の割合が増えた。女性が出産しやすい社会の仕組みが戦後30年ほどで完成し、夫婦は心置きなく愛のあるセックスを楽しみ、まるで一介の動物に戻ったかのように子どもをたくさん生んだ。
だが、ここで問題が起きた。人工が増えすぎた。農業や漁業も格段に進歩を遂げていたが、それでも食糧不足は避けられず、深刻な社会問題になっていった。
以下、2507年に行われた国連会議の様子だ。
「えぇと、まずは私から発言いいですか?」
「遠慮することないですよ。アメリカさん。むしろ先陣を切ってくれてありがとう」
「どうも、では。単刀直入に申し上げて人は少しずつ死ぬ必要があります。火星移住計画はもう300年はかかることを考慮しても、ですね」
アメリカ代表が紳士的に語る。参加者はみな真剣に話に聞き入り頷いている。
「しかし、そうなると誰が犠牲になるかで必ず議論がおこるでしょう。人間の心情として、そういうことなら私が犠牲になります、いや、俺だ、ダメだよ、僕だって人様のためになりたい。と、言い出すのが目に浮かびます」
ロシア代表は語る。もちろんみんな彼の言うことは正論だと感じている。
「お手上げと言いたいですよ。いっそくじ引きがいい」
「それは当然、運良く当たった人が死ぬんですよね」
「聞くまでもないでしょう。世のため人のために死ねる。これ以上の幸せを望んだら神様でも怒りますよ。違うな。そういう考えは良くないよと教え諭すでしょうね」
しばらく静寂が広がった。次に口を開いたのはブラキリオ、旧ブラジルだ。
「昨年からの自殺推奨デー。なんか無駄にちょっとずつ死んでる印象で国家的な問題の、なんの解決にもなっていない気がします」
「しかし、自分が死んだら悲しむ人がいるかもしれないと考えるのも無理はない。私だってそうですから」
「例えば、私が親ならきっと悲しむほうを選びますね。この世界のために死を選んでくれた子どもを誇りに思いたい気持ちを捨てます」
しばし静寂が続いた。
「発言しますね。目本です。私の娘の一人が小学校で教員をやっているんです。彼女の話を聞いて私はもう涙が止まらなかった。いい意味でなのか悪い意味でなのか。あぁ、私にはわからない」
2
「そう昔、この国ではセンソーっていうのをやっていてね」
「先生! センソーってなんですか?」
「ユウキ君、積極的なのはいいことだけど人の話は最後まで聞こうね。これから先生がちゃんと説明するから」
「はーい」
それから先生は戦争について時に恐ろしく、時に物悲しく、情緒豊かに語った。子どもたちは表情を失うほどに真剣に聞き入った。
「わぁぁぁぁ!!!」
とある女の子が火がついたように泣き出した。
「どうして! どうしてそんな酷いことをするの? 同じ人間同士で殺し合うなんて! たくさん自然も家も壊して! 信じられない!」
最後に「もうイヤ!」と叫んで教室を飛び出した。
「アカリちゃん!」
他の子どもたちも連鎖するように泣き出した。それだけならマシだった。突然、引き出しからナイフを取り出す者もいた。
「ケイゴ君!」
止める間もなかった。一思いに喉を突いてケイゴは、死んだ。
ショックで子どもたちはバタバタと倒れ保健室に運ばれた。その日の放課後、自ら死を選んだ者の数7名。
結果的に杜撰な授業をしてしまった教師は一ヶ月の停職処分を受けた。
「平和教育は本当に難しいと何度言えばわかるんだ。そもそも、もう必要ないのだから」
武本和紀は憤慨した。会議は終わり、先輩後輩でホテルへの帰路についている場面だ。
「まぁ、今さら怒っても仕方ない。ただでさえ多子化が進んでどれだけ死んでもらっても足りないくらいだしな」
「カズさん、すいません」
「謝ることじゃねえさ」
武本は腹が減っていた。後輩の城戸もだ。会議の間もグーグー鳴ってた。場が和むから悪いことでは決してないのだが。
武本は死ねない。「死ぬわけにはいかない」とかそういう意味ではない。不老不死だ。
サラッと言ってしまえるくらい、もう何百年も前から周知の事実だ。
十七歳。武本の、五百年以上前に死んだ一人娘の享年だ。当時、彼女よりもさらに年下だった不良グループから性的暴行を受け、死んだ。
それは今の時代には説明の仕様がない悪行だ。どんな言葉を使って事細かに解説しても誰もピンとこない。それに類することさえ現代人はするはずもないのだ。
暴力とか不条理とか残酷とかとっくに死語になってしまった。
武本だけが違った。憎しみと喪失感だけが心に残ってしまった。独特なものというのは環境が変わっても変化しない傾向がある。そんな傾向、法則が不思議な反応を見せた。武本は何も変化しなくなった。
「ウシ丼でいいか?」
「いいですね。最近食ってないな」
牛を殺さなくても人工で牛肉を作れるようになった。名前は苦肉の策だ。
食物連鎖の環が止まってしまうと危惧する声も多かったがすぐに解決案が生み出された。複雑な話になるので省くが。
「美味い料理が次々に発明される。飽きることがない。俺がガキ、なんて言い方はダメだな。子どもの頃はそこらの虫でも捕まえて食べたもんだが」
「エスカルゴとかですか。美味しいですよね」
「そういう意味じゃな……あ、いや、そうだな」
仲睦しげなカップル、幸せそうな家族、楽しそうなスポーツ青年たち。
生まれ落ちた瞬間からこの一時まで、不幸を知らない。いつ死んでも「生まれてきてよかった」と思えるから、いつしかこの星の住人は「気軽に死ぬ」ようになった。
武本だけなんだ。今でも命を簡単に捨ててはいけないと考えているのは。
3
ーひかりちゃん、私のぶんまで、元気に生きてねー
ーいや、みつきちゃん、行かないで、いや、いゃぁぁぁぁ!ー
その日も涼しい夜だった。地球温暖化の問題はとうに解決し、8月下旬と言えばもうすごしやすい気温になる季節だった。
それでも、武本は今日もうなされて目を覚ました。定期的に見る昔の夢だ。
大の仲良しだった広瀬光希が、不治の病で死んだ時、自分にとって1番大切な存在だった愛娘、光がどれほど泣いたか。思い出すだけで胸が潰れそうになる。
それでも、その悲しみを受け入れて光は強い娘に育ってくれた。
ー私はどんなに辛くても絶対死なない。光希ちゃんと約束したもん。命を粗末にするやつは絶対許さないー
普段は物静かな光がニュースや新聞で自殺や殺人の話を目にするたびに憤慨した。自分もだいぶ悪人面である武本ですら、臆してしまうほどの剣幕で。
ホテルの冷蔵庫を開けて缶ビールを飲む。いつまでも変わらない美味さー武本が好きな響きなのだが、もうそれも失われてしまった。新製品が出るたびにさらにさらに美味くなってしまう。
「あぁ、畜生!」
一声、叫びながらベッドに身を投げる。
俺は何をどうしたいんだ。武本は自分に問う。
悩みというのは「なんとかしなければ」という気持ちがあって初めて悩みと呼べる。結局のところ「今のままでいい」と思っているならそれは悩みではない。
このままでいいんだ。結局そこに落ち着くんだ。なのにこのもどかしいやるせない気持ちはなんと名付ければいい。
ブーブー。
隣の城戸の部屋から連絡があった。もう夜とは言えない時間になっていたが、十分非常識な時間だ。よっぽど緊急の連絡だろうか。
「嫁さんが、死んだって」
なんの修飾語もつける必要がないほどに、特徴のない口調で言った。
「そうか。なんでだ?」
「遺書、一応残ってたって警察の人から聞きました。なんとなく死にたくなったから死にます。ショウちゃん、今までありがとう。最後にキスマークがついてたそうです」
「そうか。御愁傷様だな」
城戸翔一はまだ新婚さんだ。2年半付き合った彼女とは武本は結婚式の時に1度会っただけだがなかなかの美人だった。
「気持ちのほうはどうだ? 落ち着いてるか?」
「ひとしきり泣きました。でもそれだけですね。僕も死にます。今までお世話になりました」
「待て」
もううんざりだ。近しい人間が次から次へと死を選んでしまう。
「城戸よ。お前、神様っていると思うか?」
「いるもなにも、あれは例え話でしょう? 良い人でいると良いことがあるよ。だから良い人でいましょうっていうことを神様を例えにして表現してるだけです」
「まぁ、そりゃそうだ。悪いことをすると悪いことが起こるぞってのを鬼や悪魔や閻魔様を引き合いに出して警告するのと同じだ」
「何が言いたいんです? 僕もう死にたいんですけど」
東の空に日が昇ろうとしていた。死ぬには不似合いだ。
「神様に会いにいかないか?」
4
この場所に来るのはひさしぶりだった。あれから、城戸が自殺するのを一旦保留にさせてから、四日後に二人は帰国した。そのさらに三日後、武本は死ぬまでの時間を漫画など読んで潰していた城戸を家から引っ張り出した。別にイヤな顔はしなかったが、どこに連れて行かれるのかさっぱり見当がつかないようだった。
自然公園のような場所だ。もっとも武本が目指しているのはにぎやかな中心部ではなく滅多に人が立ち寄らないような場所なのだが。
「どこまで行くんです? あんまり奥まで行くと係の人に注意されますよ」
「もうすぐだよ。会わせたい人がいるんだ。いや、俺はもう人だと思ってないけどな」
洞穴のような場所についた。城戸は少し臆する。
「ここに入るんですか?」
「大丈夫だよ」
さほど歩かなかった。もっと奥深いダンジョンを想像していた。
一人の老人が座していた。
「ようカッチャン。また来たのか?」
「またって。半年ぶりですよ」
老人はクククと不気味に嗤った。城戸はなにがなんだかわからなかった。
「城戸、神の見えざる手って知ってるか?」
唐突に武本が問うた。老人は胡座をかいたまま、城戸を興味があるのかないのかわからない目で見ていた。
「知ってますよ。アダム・スミスですよね」
「そうだ。だが、あれは経済の話だ。この人はもっとヤベェぞ。命を統べる神様だ」
「命を?」
そこで今まではゆったりとしていた武本の表情と居住まいが急に緊張感を帯びた。
「ジンさん、こいつは死なせないつもりなんですね。どうしてですか?」
「特に理由はねぇさ」
「それじゃ納得できません」
「しろ。納得。面倒くせぇ」
ジン、と呼ばれた老人を城戸は胡散臭げに眺め回した。上から下まですっぽりと茶色い布で覆われている。みすぼらしい。
「神内さんだ。俺はジンさんて呼んでるけどたまにふざけて神様って呼んでる。拍子抜けしたか?」
「本当に神様がいるとは思ってませんよ。こんなところに人間がいるだけで十分に不思議ですけどね」
城戸は大学を出るとすぐに海外を飛び回り働くようになった。むしろ武本よりもエリート組である。
それでも、生に執着することはない。安楽に死ねる薬もとうの昔に開発されてそれで何万人何億人と自ら死を選んでいる。
そんな世界でどういう人間が長生きするかというと、特に法則性はない。運や巡り合せの問題、ただ死ぬきっかけないというだけだ。
と、城戸は思っていた。武本もだ。神内に会うまでは。
「そこの兄ちゃんよ。人生が上手く行く秘訣はサイコロをどれだけたくさん振るかだって話聞いたことねぇか?」
「よく言われますね。とにかく自分でチャンスをたくさん作ることだって」
「だがな、長生きの秘訣は逆なんだ。とにかく何もしねぇでアホみたいにフラフラ生きてるやつが長生きする」
「まぁ、わかる気がします」
神内は長いキセルで煙を燻らした。どんな銘柄だ。ものすごい量の煙で城戸は噎せてしまった。
「そこの兄ちゃんよ」
「城戸といいます」
「城戸ちゃんよ。死にてぇって言うなら止めやしねえけど、一応言っとく。俺は生きるってことは楽しいことだと思ってるぜ」
「僕だってつまらないから死ぬわけじゃありません。奥さんが死んで悲しいから死ぬんです」
「悲しそうな面してねぇけどな」
「散々泣いてもう落ち着いているというだけです」
「だったらいいじゃねぇか。女なんてこれから先にもたぁくさん出会えるぜ」
「しつこい人ですね。僕が死んだってあなたになんの損失もないでしょう」
「あぁ、城戸。あんまりきつい口調になるな。ジンさんは怒らせると怖い」
喧嘩になりそうだったので武本が一旦止めた。
「カズさん、僕はなんのために連れてこられたんです? 自殺を引き止めるためですか?」
「もっと重要なことを教えるためだ」
武本はチラリと神内のほうを見やった。神内は目を伏せた。
「また戦争が始まる」
神内が呟いた言葉でその場の空気が凍りつく。
「今なんと言いました? 戦争? あり得ないでしょう」
「第四次世界大戦だ。ここんとこ毎晩夢に見る」
「夢ですよ。ただの」
軽くあしらう城戸だったが、武本はどうやら真剣に聞いている。
「カッチャンは信頼できるから話した。でもそれだけじゃ止められねぇ。一人でも多く協力者が必要なんだ」
「悪いですけど、信じませんよ。それに僕はもう死ぬんです。この世界がどうなろうと関係なー」
グブッ!
一瞬、何が起きたのかわからなかった。城戸の口から大量の吐血。
「だから、ジンさんを怒らせるなっつったろ」
「ゲホッ! ゴホッ! ガハッ! あっつ……」
唖然とする城戸に神内はさらに畳み掛ける。
「ニ日。あとニ日で目本に爆弾が落ちる。理由は知らん。食い止める術も知らん。それから一週間で世界中が焼け野原だ」
「ちょっと、ゲホッ! 待ってください。唐突すぎます」
にわかには信じられないのも無理はない。だが、歴史上、人間の想像を越える出来事など珍しくもない。
「悪魔が降臨する。人類は戦うしかない」
城戸は最後に一番大きく吐血した。
5
二日後、神内の予告通りのことが起きた。ゲームで例えるならラスボスとしか思えない姿の怪物が宇宙の果てからやってきた。言葉は話さなかった。ただ悶え苦しむように空の上で暴れ続けた。
「撃ち落としますか?」
「もう少し待て」
武本たちはあの後すぐに国連に連絡を取り、やってくる敵に備えた。
神内はこう言っていた。
悪魔の正体はこの惑星が誕生してから現在までに果てていった命の、悲しみや苦しみの集合体。それが憎しみの塊となってあの世から来襲するという。
「本当だとしたら恐ろしいことですけど、あの苦しみようはどういうことです?」
「俺に聞かれてもわからん」
「自分たちの醜い感情がここまで美しく立ち直ってくれた世界を台無しにしてしまうことに、葛藤している」
不意に後ろから声がして武本も城戸も驚き振り返る。そこにいたのは神内だった。
「本当の楽園はいったいどこにあるんだろうなぁ」
地上のほうが騒がしくなってきていた。あまりに醜い怪物の姿に、ショックからその場で倒れてしまう者も多い。
「ここで撃ち殺したら市街地に被害が出る。海上までワープさせよう」
現代の科学ならそれは造作もないことだった。その情景は世界中で生中継された。それがよくなかった。
世界中の人々が涙を流した。痛みを知る優しい人間にしかできないこと。その怪物の苦しむ姿に人々は長い長い人類の歴史を垣間見た。
なぜ我々は殺し合ってきたのか。生きるべきか、死ぬべきか。それは幸せな迷いなんだ。
もうこれ以上は、良心が潰れそうで耐えられない。
人類は「悪魔」を撃ち落とした。それはかつての「人類」と言ってよかったのかもしれない。
6
しばらく、あまりピンとこないくらい長くもない短くもない時間が過ぎた。再びの、そして最後の国連が開かれていた。
城戸はトイレに行くふりをして外に出て海を眺めていた。
数時間前、武本が身を投げた海。不老不死と言っても老衰や病気では死なないというだけ。溺死ならできるかもしれないと信じて。
今頃、天国で大好きな光ちゃんに再会できていることを祈る。
城戸はタバコを海に捨てた。最後の最後で環境汚染。もう人類はなにも悪いことをしていないのに。
「あまりにも幸せすぎて俺たちはもう何も見えなくなっていたんだな」
「結局、我々はなんのために生きればいいのか」
「なんのために子孫を残し栄枯盛衰を繰り返してきたのか」
「もう、終わりにしませんか? 他の、こんなふうに、言葉も複雑な思考も持たず無邪気に生きる動植物のためにも」
それから数時間、会議は続き、一つの案が採択された。
みんな自殺しよう。焦ることはない。期間は今年の三月の間一ヶ月間、もうすぐで春が来る優しい季節。
批判は起こらなかった。約束の三月を迎えると世界中の人たちはそれぞれのやり方で、それぞれの想いを胸に現世に別れを告げた。
たとえ今がどんなに明るく幸せな時代でも、永遠に続くことなどない。その度に一喜一憂することに我々は疲れたんだ。
もうプラスもマイナスもいらない。
こうして夢と希望に満ち足りた平和な世界で、人類は心安らかに絶滅した。
完