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覇王伝説  作者: ふくだ えりこ
7/17

覇王伝説7


 豊真が慶国に派遣した兵士から、事の次第を聞いたのは戦に出る前の日であった。


 出陣の前に海煌の心を乱してはいけないと、この事は豊真の胸の内に秘め、出陣した。

 だが、戦の間中、玉蘭の秘密が心より離れなかった。


 何故、あの様な嘘をつかせたのか、その理由ばかりを考えていた。

 もし、海煌の妃になるのが嫌であったからなら、玉蘭に惚れこんでいる海煌がどれほど傷つくかを思うと、この事を海煌に告げるべきかどうかを悩みに悩んでいた。


 そこに、玉蘭誘拐事件が発生し、豊真の心は大きく乱れた。


 慶国王が来た日、玉蘭が義悌の事を聞いたのが気になったのだ。

 もしや、もしやすると、玉蘭が義悌に惹かれたのでは……と思ったのだ。

 年から考えれば、海煌よりも義悌に惹かれるのも不思議ではない。つまりは誘拐ではなく、駆け落ちに近いのでは……と。


 それが海煌が考えた策だと知らされ、ほっとするやら腹が立つやらで、つい、余計なことを口走ってしまったのである。


 直接、二人だけで話しがしたいと言うので、あの様な芝居までしたのであるが、どうなるかと心配で部屋の前を離れられずにいたら、いきなり部屋から玉蘭を連れて出て来たかと思うと、蘇芳の部屋まで引きずるように連れて行き、慶国に連れて帰れと言う怒鳴り声を聞いて、全身に水を浴びせられた気になった。


 やはり、何も言わずに妾妃を娶らせた方が良かったかと。


 部屋の扉を勢いよく閉め、ズンズンと自分の部屋へと帰って行く海煌に、

「よ、よろしいのですか!? まことに、玉蘭様を慶国にお帰しになられるのですか?」

と、後を追いつつ問うた。

「あ? ああ」


 海煌からの返事は、実に短かった。


「何があられたかはわかりませぬが、もう少しお話合いをなされては……」

 取り成す様に言う豊真に、

「必要ない! それよか、じいさんに頼みがある」

と言ってきた。




「何……考えてんだ! あの馬鹿王はぁ!!」


 閉ざされた扉に向かって蘇芳は叫び、海煌の後を追おうとしたのだが、玉蘭が前に回り込んで来た。


「やめて、蘇芳! 私が、私が悪いのです! あの方を騙していた私が!」

「玉蘭様」

「あの方を騙して……大きく傷つけてしまった……。あの方を責めないで、お願い」


 頬に伝う涙を拭う事もせず、懇願してくる玉蘭に、

「ですが……。いきなり連れて帰れと言われて、はいそうですかとお連れするわけには……。勇輝王に何と話せばいいのですか、俺は」

と、戸惑い気味に言った。

「あ……。だけど! だけど、あの方を責めるような事は……」

「わかりました。とにかく、一度話をお聞きしに参ります。それでいいですね」

 諭すように言われ、玉蘭はゆっくりと身を引いた。


 蘇芳が出て行った扉を見つめ、玉蘭は床に座り込んだまましばらくの間茫然としていた。



”女官でも、婢女でも構いませぬ! ここに置いて下さいまし!”


 この言葉は、あの庵に初めて海煌が訪れた時に言うつもりであった言葉だった。


 妃としての務めを果たせぬ身となった限りは、離縁されても致し方がないが、国に帰る場所がある身ではないので、この国に置いておいて欲しいと……。


 だがその事を言う前に、海煌が自分で毒を飲んだのではと問われ、慌てた。

 その理由が、顔も見た事がない男の元に嫁ぐことを嫌がっての事では、と言われ、少し安心すると共に、海煌の優しさを知った。


 けれど本当の理由を言ったとて、信じて貰えるはずもないと、自分で毒を飲む理由などないと言うしかなかった。

 あの時、婚儀の準備を整える嬉しそうな姉達の姿を羨ましいと思って見ていたと言ったのは、半分本音であった。

 この地でたった一人の「巫女」として生きねばならないとの覚悟は持っていても、やはり心のどこかで普通の女として生きたいと思う心もあった。


 誰かの元に嫁ぎ、妻と呼ばれ、愛されてみたいと。


 それが出来ぬ身体となったと言ってしまった限り、離縁されるのはやむなきこと。

 「巫女」として生きるのが我が務めと、先の言葉を言おうとしたのだが、

”おまえは、俺の女ぼ……妃だ! 一生な!”

あまりにも鮮やかな笑顔でこう言われ、それ以上何も言えなくなってしまった。



 ……………………幸せ…………だった……。


 少しでも早く会いたいと言うように、急ぎ足で部屋に近付いて来る足音が聞こえてくるのが。

 ”玉蘭、居るか!”

 と、扉を開けると同時に、満面の笑みで聞いてくる声が。


 素直で優しく、温かい眼差しで見つめて来てくれる。

 夫婦の契りを交わせずとも、妻になれたような気がして、生まれて初めて、幸せで心が満たされていた。


 けれど、その優しい海煌を騙している事に、心苦しさも膨らんで行っていた。


 …………これで……いいのかもしれない……。


 玉蘭がそう思った時、部屋の扉が開き、蘇芳が入って来た。


「あの、意固地の頑固頭が! 何言っても聞きやしない!」


 入って来ると同時にそう叫ぶ蘇芳に、玉蘭はうっすらと微笑んだ。


「あの方は、一度言ったら、何を言おうと変えられぬお方です。…………余程の事がない限り…………」


 その余程の事を、自分はしたのだ。

 もう、海煌を騙さずにすむ……。

 それだけが、救いであった。


「玉蘭様……。今宵は、この部屋でお休みいただけますか。私は、玉蘭様を慶国にお連れする準備を整えてまいりますので」

「ごめんなさい。戦で疲れているのに、余計な仕事を増やしてしまって……」

「いえ……。では、明日からは長旅となりましょう。ごゆっくりお休みください」

 一礼すると、蘇芳は再び部屋を出て行った。



 翌朝、まだ夜も明けきらぬ時刻に、玉蘭はひっそりと新蘭国の王宮を後にした。

 見送る者もなく、ひっそりと……。


 蘇芳はゆっくりとした旅程を組み、慶国の王都へと玉蘭を連れ帰った。

 長く新蘭国で苦しい思いを抱えて生きて来た、玉蘭の疲れを癒す為でもあったが、他の目的もあった。


 王都に着いて、玉蘭を連れて行ったのは王宮ではなく、王宮近くの大きな屋敷であった。

 そこは、玉蘭の母が生前に、身分を問わず才ある者達を集めて、色々な事を教えていた屋敷だった。

 ここに蘇芳を紛れ込ませて、隣国の目を眩ませたのである。


 蘇芳にしてみても、第二の故郷のような所であるが、ここに玉蘭を連れて行ったのは、王の妹が嫁ぎ先から帰されたと言う体面の悪さを慮っての事であった。


 玉蘭が居た頃はまだ使われていたが、玉蘭が嫁ぐと同時に閉鎖されていた。

 そこを住めるようにする為と、人気のない屋敷に明かりが灯っているのは不審を招くと、再び子供達を集めて教育する準備をする時間を設ける為、勇輝王と連絡を取りながら、ゆっくりと旅をしてきたのである。


 懐かしくもある屋敷に帰り、玉蘭は少し安堵の息を吐いたが、「巫女」であった母との思い出も多く、その役目を果たせず帰ってきた事への負い目もまた感じていた。


「長い間、ご苦労だったね、玉蘭」


 兄の勇輝王に出迎えられ、玉蘭は深々と頭を下げた。


「兄上様にご無理を申し、新蘭国に参らせて頂きながら、このような事になり、お詫びの言葉もございません。誠に申し訳ございません」


 勇輝王は少し困った顔をしながら、

「おまえは「巫女」の役目を果たそうとしただけだ。まぁ、世の中、うまく行くことの方が少ないからね。もう、自分を責める事はおやめ、玉蘭」

そう、慰めの言葉を掛けた。


「兄上様……」

「明日か明後日には、ここに子供達がやって来よう。少々うるさいかもしれないが、賑やかな方が、おまえも気が紛れよう」

「はい……」

「離れの方に、信の置ける者達を集めておいた。あちらの方には行かぬように子供達や、教えに来る者達にも言い渡してある故、気兼ねなく、旅と新蘭での疲れを癒すといい」

「何から何まで……お気遣い感謝いたします」

「おまえが……健やかに居てくれればそれでよい。では、ゆるりと休め」

 そう言って立ち上がり掛けた勇輝に、

「兄上様! 少々お待ちを!」

と、玉蘭が呼び止めた。


「ん? なんだね?」

「「覇王」様のお傍に居られぬものとなりました限りは……次の「巫女」を産むが我が務めと思うております。どなたか……良き方は居られませぬでしょうか……?」

「次の……?」

「はい」

「ん~~~。まだ子が産めぬ年になるまで間があろう」

「ですが……!」

「玉蘭……。確かにおまえは「巫女」ではあるが。この私、慶国王 慶 勇輝の妹でもあるのだよ。王妹の子の父親が、誰でも良いとはいかぬのでね」

「左様でございますが……」

「言うたように、子が出来ぬ年までまだある。誰か良い者がおらぬか、心掛けていよう程に。それでよいかな?」

「……はい……」



 勇輝が言ったように、次の日から元気な子供達の声が屋敷に響くようになった。


 屋敷は、幾つかの棟に分かれ、それぞれの棟で違う事を教えていた。

 剣術、弓術、体術などの武術。

 琴や笛、舞などの楽術。

 そして、学問を主に、様々な専門分野の知識を教える所と。


 遠い地方から来た子供達には、寝泊まりする場所も与えられていた。


 皆が集合できる一番大きな棟から、離れへと伸びる廊下の途中に扉が設えられ、そこから先は誰もが出入り禁止となっていた。

 中には、勇輝王が愛人を囲っているのでは、と言う噂をする者も居たが、勇輝王の愛妻家ぶりは有名で、その噂はすぐに立ち消えになった。


 玉蘭は、離れから出る事もなく、また訪れる者もほとんどなく、お付きの侍女達は居たが、ほとんど一人で過ごしていた。

 新蘭国でも、あの庵から出る事はなかったが、毎日のように海煌が来てくれていた。

”玉蘭、居るか!”

の賑やかな声と共に。


 蘇芳が時折り、子供達に剣術や体術を教えに来た時に寄って、取り留めもない世間話や笑い話をしてくれたが、それも間遠くなりつつあった。

 蘇芳とて、色々と用事があるだろう……と思っていた頃、ふらりと蘇芳がやって来た。


「ご無沙汰してしまい、申し訳ありません、玉蘭様」

「いいえ。来てくれてありがとう、蘇芳。あなたも忙しいでしょうに」

「実は……そうなんですよねぇ」

「ま……ホホ……」

「それで……まこと、暫くこちらに伺えそうにないので、今日はその御挨拶に参りました」

「まぁ、そうですか。…………戦に出るのではないのですよね?」

 不安そうに問う玉蘭に、蘇芳は苦い顔をした。

「この地で、どこも戦をしていない時がどれだけありましたかねぇ」

「戦に出るのですか!? 何処との!?」

「さて、何処になりますやら」

「え……!?」

「少々、ややこしくなっておりまして、どの国がどうするのか。戦になるかならぬか、今のところ不明な国が多いもので」

「そうなのですか……。ここに居ては、外の事がほとんどわからなくて……」

「玉蘭様は、ここでゆるりと過ごされておられればよろしいのですよ」

「…………そう……ね。「巫女」として「覇王」様の傍に居られぬならば……普通の女御と同じ……。戦える術を何も持っておりませぬもの。後は、邪魔にならぬようにするだけね……」


 「巫女」として、「覇王」や四神を探す旅をする必要もない。

 皆、何処に居るかわかっている。わかっていながら、傍に居れず、何の力にもなれぬのが辛かった。何のために「巫女」に生まれたのかと。


「そうして下さい。では、どうかお元気で」

「あ、あの、蘇芳!」

「なんでしょう?」

「あの……その……新蘭……国も……何処かと戦を……?」

「…………してますよ。て言うか、あそこが一番してるかも……?」

「え……!? あ、あの……」

「そうそう、海煌王が先の戦で負傷されたみたいです」

「え!? 海煌様が!? そ、それで」

「助かられたようですがね」

「助かられた……て、そんな酷いお怪我をなされたのですか!?」


 真っ青になって問う玉蘭に、蘇芳は口をへの字に曲げ、

「せっかく、玉蘭様が新蘭国に無理をなさっていかれたのに、「巫女」は要らないだの、「覇王」にはならないだのと突っぱねて、国を出されたバチが当たったんですよ。神罰に、天罰です」

と、プイッと横を向いた。


「そんな……!」

「お陰で、こっちがどれだけ忙しくなったか!」

「え?」

「まだ、玉蘭様を帰されたことは公になっていませんからね。同盟もそのまま。で、勇輝王もあれやこれやと、色々な国との交渉に行っていて、こちらに顔を出せないくらいか、国にも居られない状態が続いてますからね」

「そう……なの……。私……何も知らなくて……」

「知らなくてもいいんですよ、玉蘭様は。あ、これ言ったの、内緒でお願いしますね。黙ってろって言われてたんで」

「そ……そう……」

「あ、それじゃ、本当にもうこれで。遅れたら、どやされるんで」

「気を付けてね! 無理は、無理は絶対にしないで!」

「ええ! 必ず、玉蘭様にもう一度会いに来ます! その時を楽しみにしていて下さい!」

「ええ! ええ……! 必ず、必ずよ、蘇芳!」

「はい」



 そう笑顔で言って去って行った蘇芳は、一年以上経っても玉蘭の元に訪れる事はなかった。


 時が止まったようなこの離れで、木々や花々の移ろいだけが、玉蘭に時の流れを教えてくれていた。


 だからか、庭に出て過ごす時が多くなっていた。


 時々音がはずれる琴や笛の音。

 剣術や体術の気合いを入れる声。

 休み時間にはしゃぐ子供達の笑い声。


 そんなものも庭に出ればよく聞こえ、玉蘭の心を癒し慰めてくれていた。


 だが、今日はその声がとんと聞こえてこない。

 静寂が、離れの庭まで包んでいた。


「今日は……随分静かだこと……」


 独り言のように玉蘭が呟くと、侍女の一人が、

「ああ、今日は静かでございましょう? 十日程、子供達に休みを与えられたそうにございますよ」

と、それを聞きつけて言った。

「休み……?」

「はい。親元を離れて参っている者もおりますれば、たまには親に会いに帰してやっても良かろうと、陛下の仰せだとか」

「兄の……。兄上は今、国に居られるのですか」

「その様でございますねぇ。何やらお忙しそうに、国を離れられることが多うございましたが、ここの所お国に居られるようになられましてございます」

「そう……それは良かったこと」

「はい。今日明日にでも、こちらにお越しなられると、伝え聞いております」

「兄上が、こちらに?」

「お久し振りにございますねぇ」

「そうね」


 一年近く、勇輝もこちらには顔を見せなかった。

 蘇芳はどうしているのか、兄が来たら聞こうと思ったが、聞くのも恐いような気がする玉蘭であった。


 勇輝が離れに顔を見せたのは、翌々日の事であった。


 久し振りに見る兄は、旅をする事が多かったからか、日に焼けて逞しさを増したように思えた。

 どちらかと言うと、武よりも文に優れ、王宮の中で執務を取っている事の方が多かった勇輝であった。


「長く顔を見に来られなくてすまなかったね、玉蘭」

「とんでもございません。兄上のお陰で、こうして穏やかに過ごさせて頂いておりました。私の方こそ、何のお役にも立てませず、申し訳ございませんでした。随分と、お忙しかったと伺っております」

「そうだねぇ」

 勇輝は、ちょっと苦笑いのような笑みを浮かべた。

「この一年で、一生分働かされた気がするよ」

「まぁ。本当に大変でございましたのですね」

「大変じゃなかったとは、口が裂けても言えないが……。これからは楽になりそうだから、良しとしようかと思っているよ」

「それはようございました。…………あの……」

「ん?」


 玉蘭は聞こうか聞かないでおこうか、しばらく悩んでから、

「蘇芳は……どうしておるのでしょう……?」

と、思い切って聞いてみた。

「蘇芳……? 元気にしているようだよ」

 元気だと言う言葉を聞いて、ほっと胸を撫で下ろしたが、

「ようだよ……?」

が気になって、聞き返した。

「今、この国を離れているのでね」

「国を……?」

「うむ。明日か明後日くらいに、こちらに来られるやもしれぬが。奥方と一緒に」

「奥方!? 蘇芳が結婚したのでございますか!?」

「あれも、もう結婚してもおかしくない年だろう」

「それは、そうでございますが……。どなたを娶ったのでございますか?」

「おまえも良く知っている者だよ。ほら、小さな頃から仲の良かった叔父上の娘御の青麗だ」

「まぁ! 青麗にございますか? 叔父上様が良くお許しになられましたこと」


 元琴国の王族と言えど、「元」であるから、地で一番の大国となった慶国の王族である娘を嫁に等やれるか、が口癖であった。


「今の蘇芳なら、反対のしようがないからねぇ」

「今の……。随分と大きな手柄を立てたのでございましょうか」

「ん。中々頑張ってくれたよ。そのお陰で手に入れた地位に、苦労しているみたいだけどねぇ。ま、青麗が付いているから、大丈夫だろうけれど」


 この兄の言葉に、クスリと玉蘭が微笑んだ。

「そうでございますね。子供の頃から、お尻を叩かれておりましたものねぇ」

「今も、せっせと叩いているだろうねぇ」


 二人で顔を見合わせ、ひとしきり笑い合ってから、勇輝が何かを思いついたように笑いやめ、真剣な表情を作った。

「奥方と言えば……。新蘭国の海煌王が、妃をお迎えになられるようだよ」


 一瞬、心の蔵が止まるかと玉蘭は思った。


「あ……そ、そうでございますか……」


 何時かは、いつかは来る時だ、と玉蘭は自分に言い聞かせ、

「それは、お目出度い事にございますれば……」

と、震える手をぎゅっと握りしめ、どうにか笑顔を作って囁くように言った。


 その様子をじっと見つめ、勇輝は何やら逡巡するような間を置いて、

「おっと、いけない。用事を思い出した。すまないが、これで失礼しよう。明日、また来るよ」

と言いつつ、腰を上げかける勇輝に、

「兄上様! あのお話はどうなっておりましょう!?」

と、玉蘭が叫ぶように問い掛けた。

「あの話?」

「……次の……「巫女」の話しにございます……」

「ああ、そうだね……」

 勇輝はまた、何か考え込むように視線を揺らめかしてから、

「ん! それも明日解決しよう」

と、大きく頷いた。

「明日……」

「だから、もう少し、見目を整えておくといい。それでは、侍女と間違えられるやもしれぬぞ」

「あ……さ、左様でございますね……」


 誰も訪れる事のない日々に、いつしか身をかまう事もなくなり、髪も軽くしか結わず、身なりも動きやすい物になっていた。


「では、明日」

「はい」


 一礼して兄を見送り、玉蘭は暫くの間、椅子に座ったまま身じろぎもせずにいた。


 頭の中では、必死に明日着る衣裳を何にしようかと考えていた。

 「巫女」の父になる者とは、玉蘭の夫になる。

 妻にしてもいいと思って貰えるようにしなければと、必死にその事だけを考えるようにしていたのだが、手の甲に何か触れるのを感じてふと見ると、それは温かな水であった。


 その時、自分が泣いている事に初めて気が付いた。


 泣いたとて、どうしようもない。

 泣き止まなければ、と思うのに、涙は後から後から溢れ出て来て、止まらなかった。



 翌日、玉蘭は泣き腫らした目を隠すように念入りに化粧を施し、昨日のうちに兄から届いた豪華な衣装を身に着け、流行の髪型に結いあげた髪に簪を幾本も指して、王の妹に相応しい姿で、兄の訪れを待った。


 だが、侍女が案内して来たのは、一人の若者だけであった。


「あなたは……」

「勇輝王より、こちらに参るように仰せつかって参りました」

「そう……ですか」


 その若者は、王宮の女達の間でいつも騒がれていた者であった。

 自分には関係のない事と、取り合ってこなかった玉蘭であったが、今日ここに来たのならば、兄が選んだ自分の相手なのだろう。


「ずっと、玉蘭様とお話したかったのです。相変わらずお美しいですね」

「はぁ……」


 男と話す事がそうなかった玉蘭には、こんな時どう返事をすればいいのかわからず、戸惑い気味に笑顔を作った。


 海煌との時は……と思い掛け……首を振って、若者の方を見やった時、廊下を勢いよくこちらに走って来る足音が聞こえて来た。


「おや? 子供が誰か残っていたのかな? それとも早めに帰って来たか」


 それでも、この離れには入って来れないはずだと、玉蘭も首を傾げていると、

「玉蘭! 居るか!」

と、勢いよく扉が開かれると同時に、その足音の主が叫んできた。


「海……煌……様?」



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