魔王に育てられた勇者の復讐は
人間と魔物。両者の国が絶えず争いを繰り返す世界。私はその間で育てられた人間の勇者だった。父さんも、人間のみんなも、優しくしてくれた魔物。皆が平和に暮らせるようにと願い、戦う事を義務付けられた人間だった。
だから、私は魔物たちの王を倒すために城へ走った。
一人、姿見の前で立ち尽くす魔王に剣を向け、平和を目指すためにその魔王に剣を突き立てた。
そして――、
「俺を倒せるほど強くなれ。そう言っただろう……」
自分の握った鉄の剣の先から滴る水滴が落ちる音が響いていた。
いや、落ちる水音は、私の頬から。だろうか。
すぐ目の前。吐息がかかるほど近く魔王――人の形を模した、魔物たちが仕える王が、人間と同じ赤い血を流しているはずだ。
彼に突き立てた剣を握る腕には間違いなく肉と皮を破った感触と、首元に吹き込まれる細い吐息で事実が頭に流れ込んできて震えてしまう。
「どうした、勇者よ」
そう呼びかけられてハッとしてしまう。
自分のやったことを理解したからか腕が震えていて、目の前の光景を信じられなかった。固まってしまった拳を開くことが出来ず、突き立った剣が抜ける気配も無かった。
でも、抜いてしまったら魔王は――いや、この人は死んでしまう。
――それは、だめ。だって、この人は……!
話そうと思った手が離れない。どうして、今すぐにうごかないとこの人が死んでしまう。何とか手を離そうともがいていると、目の前の人影が動居た気配がして、息が止まる。
ああ、私はきっと怒られる。
きゅっと目を閉じて、その時を待っていると、冷たい――否、温かい何かを手に重ねられ、目を開けると、彼の手が私の手に重なっていた。
「……手を、離すがいい勇者よ」
気が緩んで話してしまいそうだった手に活を入れる。いや、駄目だ。今離せばきっとこの人は自分で剣を抜いてしまう。それは魔王の命を奪う事にもなってしまう。出来るだけ、今、この瞬間だけは勇者である私もそれは避けたかった。
「あっ、はあ! はっ……はっ! はぁ、な、なんで……」
「強くなれ、と。言った。やはり、まだまだだったな、勇者よ」
「どうして……貴方は、悪い人だったの? 私を拾って、助けて、育ててくれた、貴方が……」
「ふっ、そうだ、と言ったらお前は納得して俺を殺してくれるのか?」
「あ、貴方が……魔王が、皆の仇というのなら、討ちましょう。私は、そのために生まれてきたのです、魔王様。それは、貴方そう言いました」
「そうだ。勇者よ。お前はそのために私が育てた。それでいい」
「っ……良くなんて!!」
「口を慎め、勇者。お前は魔王を打ち取り、世界を救う。そうだろう?」
「……はい。そのために私は今の今まで生きてきました。貴方に……」
頬に手が伸ばされ、体がビクリと震えてしまう。警戒していなかったわけではない。だって、この人は私程度ではとても手が出せないほど強い人だったはずなのだ。
だって、この人は……。
頬に添えられ手が上にあげられ、自然と顔もそちらを向いてしまう。魔王と呼ばれた男の背後には、私が突き立てた剣に魔王と共に貫かれた姿見が合った。
姿見には、一人の女が映っていた。長い髪が腰まで伸び、悲しそうにしている女――私の、涙に濡れた無表情が映り込み、ひび割れていた。
そして、私が剣で貫いた相手。私を、故郷から送り出した時に見た、たった一人の家族の顔。
たった一人の家族がふっと笑い、頬に添えられていた手が落ちた。
「……美しく育ったな。勇者ではなく、姫にするべきだったか」
「パパ……。っ、魔王、様……」
そうだ、この人は、孤児で、ぼろぼろになって捨てられていた私を育ててくれた、育ての親で、師匠で……厳しくも優しい人だったはずだ。
落ち込んだ時は甘いお菓子をくれた。泣いた時は理由を聞いて励ましてくれた。寂しい夜は、寝てしまうまでたくさんのお話をしてくれた。
なのに、どうしてこの人は魔王と呼ばれているのだろう。
どうして、この人は私に殺されなければいけないのだろう。どうして、私が生きなければいけないのだろう。
「ふっ、泣くんじゃない。育て方を間違えたか。勇者であるお前が、私を父と呼ぶなど在ってはならないことだ」
「泣いてなんか、いません」
「嘘は、昔から下手だった。いや、教えなかったから、か。おかげで、正直者になったものよ」
「嘘をつくなと、言いつけられましたから」
「道中、つらくなかったか」
「何度も、人間に救っていただきました。魔物にも。どちらも、困った私を助ける方はいらっしゃるのですね」
「はっ、お人好しも居たもんだ」
「はい。オークのおじさまも。スライムの兄さんも。ワニの果物屋さんも。皆お人好しですから。私を勇者だと言った村の人たちも、王様も」
「そうか。ならよかったではないか」
「顔は良い王子様に求婚もされてしまいました。お前が必要だと」
「あの男は、手が、早いな。元々の、許嫁、いるだろうに」
「全部、知っていたのですか。お父様が魔王だったことも。私が勇者であることも」
「ああ。人間の王も、王子も。私がそうであると薄々気付いていたようだがな。だが、止められなかっただろうとも。魔力を操れぬただの人間では何もできぬ。魔力を持つ勇者、お前以外には……」
彼と話すたびに次々と思い出があふれ、手元から零れ落ちていく。
幸せになるはずだった、あの日々が零れ落ちて、私はお父様にに騙され続けていたのだと
お父様との日々が、全てお父様を倒すためだけの日々だったかと思うと、酷く無意味なものだったように思えるし、ここまで倒してきた魔物や人も、何のためにしんでいったというのだろう。
私は、何のために……。
「……どうして。どうして、私を――勇者を育てたのですか。家を出る前、育てている途中、拾った時。その時に殺せばよかっただけの事なのに」
「情が、うつってしまっただけだ」
「それだけで! それだけで私をここまで育て上げたとでもいうんですか! お父様を殺して、世界が平和になって。そんなわけが………!」
「父親とは、そういうものだと、私は習った。例え、自分を殺すであろう者になろうとも、未来ある若者に託すために育てる。君に出会うまで必要だと感じたことなどなかったが、悪くはなかった」
「それは貴方の言い分です! 貴方の我が儘です! 私は、私は貴方が不幸にならないように生きて! それで……!」
「哀れだな、勇者よ。あれほどの人を見、あれほどの経験を積んでなお、お前は自分の為に生きられぬのだな」
「なら、どうしろと! 私は人間の平和の為に今の今まで努力を研鑽を積んできたのです! 今更全てを投げ捨てられ、どうしろと!」
「お前の為に生きろ」
「私の、為……?」
「やりたいことをやりなさい。生憎、私は魔王だ。思いつくのは破壊や、統治だけだ。それは教えた。だが、お前は人間も見たはず。作ることも、解放することも学んだはず。好きなことをすればいい。復讐でも、なんでも……」
「ふく、しゅう……」
私のやりたい事。
私を勇者だと知って行かせた人間。私を勇者だと知って育てた魔王。全てを知って放置していた全て。
黒く、悲しい感情が胸に湧き上がって、頬から零れ落ちた。
ああ、私は、なんて恐ろしいことを考えるのだろう。
彼らに復讐をしたいだなんて。彼らに報いを求めるなんて。今まで私の事を騙していたツケを払わせようだなんて。
これでは、勇者ではないではないか。まるで、そう……まるで……。
涙が流れたままの頬を無理やり動かし、ぎこちない笑みを浮かべて見せる。
「分かり、ました」
「な、に?」
「復讐します、魔王様。私は、貴方の思い通りに生きてなんてやりません。これは、貴方への復讐です」
「どうする、つもりだ」
「私は――――」
その言葉を紡ぐと、彼――魔王でもあったお父様は瞳を丸くし、ふっと微笑んだ。
「やはり……。育て方を間違えたな……」
「いいえ。貴方は魔王だった。そういう事です」
「それは……見事な復讐だ。勇者らしい」
「ええ、私は勇者でしたから。ごめんなさい、お父様」
お父様に謝り、震えていたはずの手にもう片方の手を重ねる。もう、震えてなんていられない。
これからは、魔王と人間への復讐をしなければならないのだから。
重ねられたお父様の手と突き立った剣から手を離し、お父様が持っていた魔王の証でもある槍に手を伸ばす。
私が、やりたかったこと。これは私のすべてを騙したお父様と、私の事を人として見なかった人間たちへの復讐だ。
槍に手をかけると魔王の間が開き、多くの魔物がなだれ込んでくるのが見えた。
見ていてください。お父様。
「私は新たな王だ。我が父でもあった王に代わり復讐を果たす。付いてくるものは居るか!」
これは、貴方と私の存在を別離させた全てへの復讐です。