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短編・童話集

幼年期が終わる日

 昔は空を飛べたんだ。そうしようと思えばさ。

 でも、いまじゃもう出来なくなった。

 どうしてかというと、たぶん、ぼくらの幼年期が終わってしまったからだ。


 ホヤという海棲生物を知っているかい?

 見た目は石のようなやつだけど、中身は食べられて、案外美味しい。

 そのホヤは、石のような形の成体になるまでは海中を自由に泳げる。まだ泳げる頃のホヤは魚のような姿をしている。

 けれど、幼生時の終わりに岩石に付着し、それっきり、自由な行動は不可能になる。


 きっとぼくらも同じ様なものさ。

 生きていくためには、他の人間と同じようになるしかなかったんだ。

 飛べるのはいいことだけど、他の人間はたぶん、そのことを嫌うからね。

 迫害されるに違いないんだよ。彼らは、自分だけはそんなことしない、と思っているかもしれないけどね。

 でも信用ならない。今ではぼくたちもそうだけど、人間は弱いから。


 もう会っていないけれど、空を飛んでいた頃は仲間がいた。

 みんな同じ市に住んでいた。十数人はいたかな。

 ぼくらは主に夜、空を飛んだ。

 不思議なものでね、飛んでいる間は眠くならなかった。

 ただ気持ちがよくてね、上空からの眺めを楽しんでいた。風を切る感じとかさ。


 自分がいつから空を飛びはじめたのかよく覚えていないけれど、一週間もすると、同じ様に飛ぶことの出来る子どもたちがいることに気がついた。

 みんな同年代、年齢でいえば一つ二つの違いしかなかった。

 言葉を交わさずとも、互いに何をしているのかはわかった。

 ぼくらは自由を楽しんでいたんだ。


 やがてぼくらは一緒に飛ぶようになった。

 たまにどこかの公園に降り立ち、話をした。

 飛ぶのをやめてしまうと眠気が襲ってきたけれど、それでもお互いに仲良くなるのに夢中だった。

 知らない顔ばかりだったし、普通の友達にはいえない感覚を理解しあうのはすごく気持ちのいいことだった。

 彼らとは夜以外には決して会わなかった。でも、本当にぼくらは仲間だった。


 だけど、空を飛ぶ力を失うときがやってきた。思春期を迎える前の頃だったかな。

 はじめは、仲間のうちの一人の姿が急に見えなくなった。

 彼はどうしたんだろう。気になったけれど、その頃は携帯電話もなかったし、家の電話番号は知らなかったし、確かめようがなかった。

 結局それ以来、彼の姿は一度も見ていない。


 次に減った仲間は、ちょうど双子だった。

 彼女たちの片方が減り、もう片方はまだ飛べて、仲間に語った。

 姉は突然飛べなくなったんだ、と。どうしてかはわからない。そしてわたしもそうなるかもしれない。

 事実、そうだった。一週間後、妹の方もいなくなった。


 ぼくらは恐れた。

 慌てて、今まではそんなことしていなかったけれど、お互いの住んでいる場所と電話番号を教えあった。

 飛べなくなるということは、仲間から永遠に離れてしまうことだ。

 ぼくらはそうやって互いにいつでも会えるようにして、仲間とのつながりを保ったつもりだったけれど、結局は無駄だった。

 人間関係というのは、共通点がなくちゃだめなんだね。


 そしてまた仲間が一人減り、二人減り、……最後はぼくだけが残った。

 そのぼくの力も消えうせようとしていた。

 明日飛べなくなるのか、それとも今日なのか。不安な毎日が続いた。


 その頃、慌てて作った連絡網を通じて、ぼくらは夜に集まった。

 飛べなくなった分、外に出るのは大変だったけれど、市内の公園で会合を開いた。


 みんな、どこかよそよそしかった。飛べなくなってしまうと、互いがまるで他人のように思えたんだな。

 不思議な気分だった。あんなに感覚を一つにして、交流していた仲間だったのに。


 まだぼくは飛ぶことが出来るはずだった。

 かつての感覚を思い出させようと、みんなを持ち上げて飛んでみようとした。

 飛んでいるときのぼくらにとって、重さはあまり関係ない。

 みんなで手をつなぎ、そしてぼくが飛ぼうとさえすれば、みんなで一緒に空中へ浮かべるはずだった。

 だが、それはもう出来なかった。

 ぼくの力も、その日、消えうせてしまったんだ。どこかへ。


 その試みが失敗した後、しらけたように誰かがいった。

 もう帰ろうぜ、遅くなったし。明日があるんだから。

 ぼくらはしぶしぶうなずきあった。


 だがそのとき、ぼくらの中でも一番幼かった子がいった。

「もう一度、ためそうよ。今度はみんなで。一人に頼ったりしないでさ」

「無理だよ。さっきもだめだったんだ」とぼくが言った。

 そうだよな、と誰かが同調した。しかし、その子は引き下がらなかった。

「じゃあ、ぼくが飛ぶ。みんな、お願い。これが最後になるかもしれないから。ぼくを飛ばしてちょうだい」


 その言葉には真剣さがこもっていた。

 みんな、仕方がないな、という風に彼を囲んで輪を作った。

 いままで誰も、他人を飛ばした経験はなかった。

 だけど、ぼくらは試してみた。


 そしてふわりと、彼は浮かんだ。

 ぼくらはじっとそれを見ていた。いつしか、みんなで再び手を繋ぎあっていた。

 そしてぼくは、自分の手を最初に空に浮かんだ幼い彼に伸ばした。

 二つの手が結び合わさると、ぼくらはみんなで、共に浮かんだ。


 ぼくにとっては失ったばかりのものだったのに、その力には懐かしさすら覚えた。

 浮かんでいられたのは十数秒だった。

 地上に降り立ったとき、みんな涙を流していた。

 わかっていたのだ。もう二度と飛ぶことはない、と。


 最後に、「じゃあな」と口々に言い合ってぼくらは別れた。互いに背を向けて。

 もうあの仲間たちと会うことはないだろうと思っていた。実際、そうなった。


 それがぼくらの、幼年期が終わる日だった。

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