月と猿・1
異世界での事件も一段落し、帰還に向けて準備します。
クーデターの前後の様子、王宮での展開が語られます。
新書「月と猿」1
酒宴は、味方全体で盛り上がった。「戦勝祝い」(ラスボスはまだだが、楽園城の件は、一段落した事になるため)も兼ねている。
ここでは、飲酒可能年齢は、人族は二十歳(法律があるのは、帝国領の中心地域だけだったが)、魔族は種族により平均寿命が違うため、独自の計算方法で定められていた。ジェイデア達のように、人族に近い種族は、概ね十五歳を基準にしていた。
ジェイデア達は問題ないが、俺達の場合、全員人族とすると、このワールドの基準に合わせたら、飲めるのは俺だけだった。
コーデラもラッシルも十五歳だったが、ここの基準に従い、シェード、ミルファ、グラナドはソーダ水とジュースを飲んでいた。
グラナドは、始まる前に、俺とシェードに、
「とにかく、ミルファには一滴も飲ませないようにな。」
と念を押した。
「ラールさんにきつく止められてるから、自分から飲みたがる事はないと思うが、魔族は、相手が人族でも、子供以外には、薦めてくる所があるから、一応な。」
これにシェードが、
「酒豪の娘、と言っていたから、ちょっとくらいなら。」
と言ったが、グラナドが極めて真面目な様子で、
「飲ませたいなら、騎士と魔法官を最低十人揃えて、周囲を囲んでからでないと、無理だ。」
と言ったため、
「そ、そうか。」
と答え、言うことを聞いた。
二人はミルファの両隣に陣取り、イシュマエルとトパジェンと飲んでいた。グラナド達に合わせたのか、彼等も最初の一杯だけしか、酒は飲まなかった。ただ、イシュマエルは病み上がり、トパジェンは、もともとあまり飲まないらしい。反対に、ジェイデア、グロリア、そしてセレナイトは、料理より杯を薦めていた。セレナイトは黙々と、ジェイデアは優雅にグラスを傾ける。グロリアは陽気に、二人のグラスが空になると、すかさず注いだりしていた。
料理は、食材が限られていて、量も宴席のわりには控え目だったが、調理方法に工夫がしてあり、とても美味しい物だった。ここは酒は名産らしく、水と同じくらい豊富だ、とサニディンが言っていた。
「まあ、お前とアリョンシャと、三人で飲めないのは、残念だがな。」
庭に拡大した宴席、催しの始まったストーンサークルの陰、サニディンと二人で飲んでいた。楽器の音が大きかったので、話し声が聞こえるレベルの所を探したら、サニディンがいた。だから、今は二人だ。
「そういや、いつだったか、月を見ながら飲んでて、アリョンシャが、『月と言えば兎だよね。』と言ってたな。模様が兎に見える、と言うんだが、賛同者は半分くらいだったな。ヘイヤントに来てから、そういう話は良く聞いていたが、ヘクトルだったか、『月と言えば、猿じゃないか?水面に映った月を取ろうとする絵があるし。』と言った。
いくら猿でも、そんな事はしないだろう、月に向かって木登りでもする方が自然じゃないか、と思ったが、猿には、月は水に映ってるだけで、実体は空にあるとは、分からなかったんだな。」
サニディンは、月を見上げて、また手酌で一杯飲んだ。
「本当にいいのか?」
俺は、改めて聞いてみた。ガディオスなら、むしろ勇者に選ばれてもおかしくない人物だ。だから、守護者に、というのはわかる。しかし、彼の家族の事は気になる。
「それは、もう、大丈夫だ。前に一度戻った時、実は確認した。妻と娘達、義母はウーズにいたから、皆、無事だった。姉はターカム、妹はシノイ、田舎住まいだから、これも無事だった。店は魔法院の近くだったから、従兄弟夫婦の無事は確認はしていないが…仕入れで留守、と聞いていたから、恐らく。」
彼はホプラスと同じ、複合体の戦災孤児だ。「店」は、妻の実家の飲食店の事だが、義父が亡くなり、義母が体の具合が悪くなったため、妻の従兄弟が継いだ。この事については、義母と妻、従兄弟との間でもめたそうだ。ガディオス一家は、王都の郊外に自宅を持っていて、店に住んでいた訳ではないが、妻にとっては「自分の実家」になる。だが、義父と彼の兄との間には、彼らの両親が亡くなった時に、相続でもめた経緯があり、さらに、その兄が亡くなった時も、田舎の農場の相続をどうするかでもめていた。結局、店は従兄弟に譲渡、隣接する家屋は貸家扱いにして、家賃を義母が受けとるようにした。
クーデターの二ヶ月前、上の娘から、
「夫の実家の出資で、新しい保養施設が出来る。優先的に入れて貰えるが、どうか。」
と打診があった。このため、下見もかねて、ガディオス以外の家族は、上の娘の嫁ぎ先のウーズに、揃って滞在していた。
「長期滞在になるから、と、殆ど引っ越しみたいな乗りだったな。交代で俺の面倒は見に来てくれた。あの週は、俺も王都を開ける事になるし、戻ったら直接ウーズに行くから、と、一人で過ごした。ちと寂しかったが、それが幸いした。
妻は、下の娘のリナに、婿を取って、店を継がせたかったんだが、あの子は、上のミナと違って、物凄く内気で。料理は得意なんだが、店向きじゃない。何より、本人にその気がないのに、無理に婿を取らせるのは、駄目だろ。その事では、ミナも俺と同意件だった。
ミナの夫は、茶園の跡取りだ。結婚する時に、義父母は、『婿に来れない、店を告げない』と言うことで、最初は反対していた。彼が当主の実の子供じゃなく、養子だったのも引っ掛かっていたらしい。親戚ではあるんだがな。
妻は反対はしなかったが、気乗りはしなかったみたいだ。当主は女性で、独身のため、身内の子を養子にしていたんだが、どうも、未婚で、子供がいない、というのが、気になったらしい。俺にはその辺の理屈はわからんが。
彼女は、ガディナ様やシスカーシアさんの昔馴染みで、俺は大体の人柄は聞いて知ってたんだが、妻は知らなかったからな。おっとりした、穏やかな人だよ。シスカーシアさんが、うちまで、わざわざ話に来てくれた。
普通、娘が嫁に行くときは、父親が反対するもんだが、最初、賛成していたのは俺だけだった。まあ、実際、義母も妻も、ウーズの風土は気に入っていた。俺の故郷に、少し似てるかな。よく覚えてないが。
ウーズより先に、陛下をラズーパーリにお送りして、帰路にある、姉と妹の家に、先に寄った。遠くから見ただけだったが。忙しそうに、避難民の世話をしていたよ。
ウーズに行ったのはそれからだ。ヘイヤントに反テスパンが集まっていると噂だったから。最終的にそこに行く予定だった。姿も変わっているし、これも遠くから確認するだけのつもりだった。
だが、どうしても直接会いたくなった。しかし、上流の婦人の家に、いきなり見知らぬ男が尋ねて行き、会わせてくれ、と言っても、通らないだろ。セレナイトが返してくれた品の中から、結婚の時に、妻からもらった、指輪を使った。手紙を添えて、
『情報収集に雇われていた者です。他の品もお渡ししたい。』
と伝言したら、すぐに会えた。義母は具合が悪いらしく、薬で眠っている、と聞いた。ミナの夫は、あちこち休む間もなく動いていて、その日はいなかった。妻と娘の他、当主の婦人と、魔法官の男性が、二人立ち会った。親子の魔法官で、息子は宮廷魔術師になったばかりの若い男だ。父親の方は宮廷魔術師では無かったが、ウーズで事業をしていて、王都には頻繁に来ていた。エスカーより二期上に当たるらしい。仕事が茶園関係だったとは知らなかったがウーズで事業、というと、お茶だろうしな。店には、二人揃って、何度か来ていた。
俺は踏ん切りを付けるつもりで、お前の形見の鞘と、陛下から頂いたコンパスを渡した。妻は、鞘は覚えておらず、指輪も『よく似ているが、違う。』と言いはっていた。忘れたわけではもちろんなく、認めたくなかったんだろう。そういう所があった。だが、コンパスまで見ると、流石に気丈には振る舞えず、取り乱して、一瞬、そのまま倒れて死んでしまうかと思った。
俺は自分の状況も忘れて、妻を落ち着かせたが、奥に連れていこうとしたら、
「後はこちらで。」と、親父の魔法官に止められた。結局、奥に連れていったのは、彼らだった。
リナは泣きじゃくり、当主の婦人が支えていた。ミナが、母の『非礼』を謝り、礼を言ってから、
『でも、最後は、はっきりとは、わからないのですね。』
と言った。『死』を伝えに来たのだが、俺は、つい、そうです、と言ってしまった。
ミナとは、しばらく話したが、おそらく、今後の憂いは無さそうだった。別れ際に、
『ペンダントが見付かったら、貴方が持っていて下さい。』
と言われたよ。
あの子は、妙に勘の良い所があった。妻は自分に似たと言ってたが、どっちかというと、俺の母方の叔母に似たかな。故人だし、殆ど覚えてないが。アリョンシャは、俺に似た、と言っていた。
結婚の時に、妻が、店をつがないなら、せめて騎士と、と言ったんだが、
『お父様の事は大好き。尊敬してるけど、騎士の奥さんにはなれない、と思うわ。』
…まあ、俺も、部下や後輩には会わせないようにしてたしな。大変なのはわかってるから。」
ガディオスは、一息つくと、少し寂しそうに、だが、暖かく笑った。
「あ、だが、お前は別な。実は、今だから言うが、俺の妹は、お前の事を好きだったみたいだ。」
意外な話題転換に、グラスを滑らせそうになった。
「まだまだお子様だったころだよ。任命式で会ってるだろ。『お前の容姿じゃ、勝負にならんから、諦めろ。』と言ったら、しばらく口を聞いて貰えなかった。冗談の積もりだったが、思春期にこれは、冗談ではなく暴言だった、と、後から気付いて、許してくれるまで謝り続けた。姉にも絞られた。
後で妻達にその話をしたら、妻と娘達にも絞られた。義父でさえ、『幾つになっても、女にそれは禁句だよ。』だったなあ。」
確かに、言われても、ホプラスは困るだけだったろう。だが、容姿の問題ではない。
「容姿の、問題じゃないもんな。」
俺の思考を、ガディオスが口に出した。
「俺とお前では、意味が違うが、良い方に廻り合い、共に過ごせたのは、『類い稀なる幸福』というやつだったな。これから先、もし何百年生きる事が出来ても、もう、二度とない。それくらい、得難い廻り合わせだった。」
ガディオスは、月を見上げていた。今の彼の目は、月の満ち欠けを、儚く映し、柔らかく輝いている。
今まで担当した中には、月が七つあるワールドがあった。ここと向こうは、月は一つだ。最初は寂しい空だと思ったが、今は違う。
グラスの琥珀色に、月が映っていた。俺は、飲まずに、脇に置いた。
俺もホプラスも、水に映った月は、望まなかった。
「なんだ、苦手なのか、麦酒。」
神妙に月を見ていたはずだが、思いがけない問いに、「えっ」と声を上げた。
「ここのは、あまり癖がないから、いけるかと思ったんだが。」
さっき取ったばかりのグラスで、飲んでないが、色の濃いワインだと思っていた。改めて見ると、琥珀色なのはガラスで、中の酒は透明なようだ。清酒みたいだが、元が麦なら、蒸留酒だろうか。
月にかざしてみる。はっきりしないので、食堂の方を向き、灯りに透かして見た。丸い照明が月より月らしく見える。
「『グラスを満月に翳すと、運命が見える』って、諺があるらしい。トパジェンから聞いたよ。」
グラスの向こう、琥珀色を透かして、人影が現れた。グラスを避け、直接見る。
グラナドだった。一人だ。
「ああ、探してたんだ。」
と、彼は言った。
「俺を?」
「そうだが…。そんなに意外か?」
彼は、俺の驚きに、不思議そうに尋ねた。続いて、
「二人一緒か。丁度良かった。」
と言った。ああ、ガディオスにもか。急に緊張が溶けた俺は、グラスを一気に半分開けた。魔法耐性で酔いにくいため、普段から殆ど飲まないが、ガディオスの言った通り、癖のない麦酒だった。少しだけ、ベリーか何かの甘い香りがしたが、味に甘味はない。
「邪魔して悪いが、どうしても、一緒に、聞いておきたい事があるんだ。」
グラナドは、俺の側により、ガディオスを見つめた。ガディオスは、ああ、そうですよね、と、言ってから、座り直した。
「陛下の事ですね。」
傍らで、グラナドが、小さく、だが、はっきりと、頷いていた。
ガディオスは、月を背にして、俺達に向かい合った。一度、グラスに映った月に目を向けてから、ゆっくり話し始めた。
※ ※ ※ ※ ※
クーデターがなければ、、ルーミは、祭典出席のため、王都より南東にある、イシアの古い神殿に向かう予定でいた。祭典は三年に一度行われるもので、普段は王族は出席しない。だが、その年は、十回毎の、つまり三十年に一度の「大式典」に当たっていた。さらに、前回の祭典は、イシア地方に集中した、豪雨による被害のため、直前に中止になっていた。
このため、ルーミは国王自らの出席を決めた。
クラリサッシャ姫も、主任神官の筆頭としての出席が決まっていた。ザンドナイス公は毎回出ていたし、復興担当であったため、先に向かっていた。レアディージナ姫は、公務は免除されていたが、イシア地方は、「教育費」として、神官以外の未婚の王女に捧げられた街なので、体調が良ければ出席したい、と希望していた。カオスト公とイスタサラビナ姫は、王都で留守を守る予定だったが、当時は領地にいたカオスト公は、現地でのトラブル対応の都合で、帰都が遅れていた。
クロイテスは、王女二人と、神殿から、イシアに向かうため、途中のトビアの宿場にいた。ガディオスは、カオスト公が到着したら、ルーミとイシアに向かう予定で、王宮にいた。アリョンシャは、グラナドが魔法院の試験中のため、魔法院にいた。
だが、カオスト公が予定より遅れたため、ルーミの一行は、先に出発しようとしていた。しかし、直前に、イスタサラビナ姫から、「息子の事で、相談したい事がある。」と書状が来て、半日、出発を送らせた。
イスタサラビナ姫は、息子の教育で、カオスト公と、何回かもめていた。一回、離婚寸前まで行った事があり、ルーミが中に入り、収めた。それ以来、表立ってもめる事はなかったが、当時はイスタサラビナ姫が息子にあまり構わなくなり、カオスト公はさりげなく、息子の「次の王位継承権」を主張し始めていた。
イスタサラビナ姫は、どうやら息子エクストロスの王位には反対のようで、相談はその事だろう、と思われた。
「姫は王族にしては風変わりな面がある方でしたからね。書状を送るよりは、いきなりやってくるタイプでしたが、陛下と入れ違いになるのをさけたのだろう、と、その時は、疑問には思いませんでした。」
ガディオスだけ、一足先に出た。そう多い人数ではなかったが、ザンドナイス公が途中のエステアまで、自ら迎えに来ているためだ。遅れると伝えて、直ぐに取って返す予定だった。後はモーザン大隊長に任せてきた。最初は、使いにモーザンを出し、ガディオスが残る予定だったが、ビトリオという若い騎士が、
「ザンドナイス公には、副団長の方が良いのでは。」
と進言した。カオスト公への催促の使いは、バルドン大隊長だったので、同等のモーザンが適任だと思ったが、今回は、ザンドナイス公から出向いてくれている。一理あるので、その意見を採用した。
だが、エステアの手前で、ザンドナイス公から、
「途中のシーマスで、イスタサラビナ姫に会った。出席の連絡は聞いていないが、そのままイシアに向かって頂いた。」
と連絡があった。イシアは、もともとイスタサラビナ姫に捧げられていて、彼女が結婚した時に、慣習により、レアディージナ姫に捧げられた。出席する事には問題はない。姫には気まぐれな面があったので、気が変わったのかと思った。しかし、国王との約束を無視するだろうか、と、不審に思った。そこで、彼は引き返す決心をした。
そして、予感は当たった。
王都に戻る道で、早馬に会った。ビトリオだった。彼は、テスパンの反乱を伝えにきた。彼は、努めて冷静に、王宮と魔法院が襲われて、陛下は自分が出た時は無事だったが、見た事のない術のせいで、魔法がほとんど通じない、と言った。彼は風魔法使いだが、転送魔法を使わず、馬で駆けてきたのは、そのためだった。
ガディオスはビトリオをザンドナイス公の元に、自らは王都に取って返した。部隊は連れていったが、道中、避難民でごった返していたため、一部を誘導に裂いた。
王都では、街のあちこちに仕掛けられた、改造型のシアン式連射装置と、どこから連れてきたのか、酷く狂暴な山犬が走り回り、惨憺たる有り様だった。だが、ビトリオが言うよりは、攻撃魔法は多少効き、魔法剣も使えた。しかし、部下の転送魔法や、ガディオスの探知魔法は、使えなかった。
なんとか王宮にたどり着いたが、大隊長本人の姿はなく、彼の部下が三人、王宮入り口付近で戦っていた。
敵は寄せ集めで、平常時なら、苦戦するほどの物ではないが、大隊長ともはぐれ、バラバラになってしまった若い騎士達は、回復の余裕なく、傷だらけだった。
だが、ガディオスの姿を見て、奮い立った。勢いで、入り口の敵を片付け、国王の執務室を目指した。
回廊には、剣で戦った跡が生々しく、切られた者がたくさんいた。息のある者を見つけ、
「王はテスパン伯と戦いながら、広間に向かった。」
と聞きだした。
「…広間に飛び込んで、真っ先に目にしたのは、倒れている陛下でした。別れた時は、薄いブルーのマントをお召しになっていましたが…。
剣を、胸に受けてた。マントは、真っ赤だった。」
ガディオスは、少し言葉を切った。グラナドが肩を震わせる。倒れてしまうかと思い、支えたが、
「大丈夫だ。」
と、短く答える。
「…テスパン伯と、奴が集めていた、ごろつきのガキが数人、怒鳴り合いになっていました。
『使えない』とか、『聞いてない』とか、『おしまいだ』とか。後からセレナイトに聞いた話と合わせると、『成り代わる』つもりだったのかもしれません。
だが、奴等の心づもりなんか、どうでもいい。
俺は、剣を振り回して、突っ込んだ。せめて、テスパンを道連れにしたかった。もう少し、と言うところで…。
なんと言うか、『弾き飛ばされた』、かな?
…後は、セレナイトに助けられるまで、ほとんど記憶がない。
その後の話は、彼女から聞きました。」
語り終えたガディオスは、グラスを手に取ったが、飲まずに一瞥し、また脇に置いた。グラナドは、柱の台座に腰を降ろしていた。最初は立っていたが、先程の下りの時に、座らせた。俺は脇に立っていた。
三人とも、しばらく無言だった。
「ありがとう、ガディオス。」
グラナドが言った。
「…私が戻った時は、陛下は火葬にされていました。私は、運んだだけです。それしかできなかった。」
「火葬は、もともと陛下の、父様の希望だった。火魔法使いだったから、と思っていたが、今考えてみると、ラズーパーリに、一部でも、納めて欲しかったからなんだと思う。
お前は、父様の望んだ形で、然るべき場所に連れていってくれたよ。」
「殿下…。」
ガディオスの目には、涙が浮かんでいた。
《勇者ルミナトゥス・セレニス。彼の意思により、生まれ育った土地に、総てを分かち合った、幼馴染みと共に眠る。》
ルーミの墓碑銘が過る。
ラズーパーリの教会の跡地、ホプラスと共に過ごした、想い出の丘。埋葬しても、彼等は、そこに眠り続ける訳ではない。だが、自由な意思で最期の場所を選ぶのは、自分の人生を全うした者の権利だ。
ルーミが本当はどうしたかったのか、確認する手段はない。だが、俺は「確信」していた。
月の見守る中、俺達は、ただ静かにお互いを見ていた。
やがて、ガディオスは、杯をゆっくり、月に向かって、差し上げた。運命が見える、先程聞いた諺を思い出した。
遠くに、男女混じった陽気な笑い声が聞こえる。拍手が響き、その中から、女性が一人近づいてきて、
「夜光酒が出ますよ。お好きでしょう、サニディンさん。」
と、声をかけてきた。
「そりゃ、いただかなきゃ。」
ガディオスは、サニディンに戻り、
「二人も、是非。」
と一言残し、半ば女性に引っ張られつつも、後について行った。
「俺は今日は飲めないんだが。」
とグラナドが小声で言った。
「ちょっとくらいなら、いいんじゃないか?君、割りと好きだろ。ミルファに聞いたよ。子供の頃、厨房からワインを持ち出して、一緒に飲んだんだって?」
「…あれは、俺の人生で、最大の選択ミスの一つだ。」
それから、少し、他愛もない会話を続けていた。今しがた聞いたばかりの話から、グラナドに改めて確認したい事はあるが、何とは無しに、別の話題を選んでいた。
ふと、会話が途切れる。余興で歌が始まり、拍手の音で会話が聞きづらくなり、「え、今、なんて?」と聞き返したのが始まりだった。
《愛しい愛しい貴女の瞳…》
余興の歌声、伸びの良い高い男声が、妙に響いている。もう騒がしくは無かったが、話しやすいように、お互いの距離を詰めた。
《僕の愛した貴女の瞳…》
間近になった、グラナドの顔、さっきまで飲んでいた酒のような、琥珀色の瞳。月と俺を映している。
「ラズーリ…?」
《僕の名を呟く貴女の唇…》
瞳は閉じ、お互い、どちらともなく、微かに触れた瞬間。
《愛しい愛しい貴女の唇
愛しい愛しい貴女の瞳
僕の愛した、緑の瞳。》
冷たい歌詞に、急に頭が冷える。歌い手が最高音を響かせ、
《冷たく閉じられ
もう僕を映さない…》
と悲壮なクライマックスを歌い終え、歌は終わり、拍手喝采が始まった時には、グラナドは、俺の腕をすり抜けていた。
ためらいか驚きか、大きく見開いた、琥珀の瞳。月ではなく、俺を映している。
自然、俺の手は、彼に伸びた。
手を伸ばして、それから、どうする。そんな考えが浮かんだにも関わらず。
「おおい、大変だ!ミルファが…。」
シェードが叫びながら、走ってきた。
「飲んじまった。夜光酒をジュースと間違って。」
グロリアもいて、
「一杯だけだから、そう慌てなくても。」
と口添えた。グラナドは、
「一杯が二杯、二杯が三杯になる前に、止めるんだ。」
と言いながら、戻る。
「夜光酒ってのはどんな酒なんだ?」
「なんか、きらきらして、綺麗な酒だよ。花が添えてあって…」
「強いかどうかだ。」
「夜光華の実で作ったお酒よ。そのままだと強いけど、ミルファが飲んだのは、八割はソーダのやつだから…。」
三人は、口々に小走りだ。
俺は、グラナドの背中を追った。
途中に振り返った月は、高く静かに照り映えていた。




