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月の輪・5

新書「月の輪」5


翡翠のようなその人は、こんな時でも、優雅に微笑んでいた。


  ※ ※ ※ ※ ※


正面から衝撃を受けて、俺は吹き飛んだ。高い悲鳴が聞こえる。遠退く意識に、魔法の詠唱が、歌声になって響いた。


  ※ ※ ※ ※ ※


ジェイデアには、俺とシェードが付いていった。取り合わせが妙だが、イシュマエルやセレナイトがいると警戒される。俺の代わりにサニディンの方が適当な気がしたが、セレナイト曰く「ラズーリは有名人だから、効果があるだろう。」

何の有名人かは、あえて聞かなかった。


拘束魔法はシェードも使えるが、グラナドの方が慣れている。しかし、グラナドは今回はシェードが適任だ、と推した。

サヅレウスがグラナドの名を出したかどうか解らないが、話していたら、確かに警戒が強くなるかもしれない。

残りは三手に別れて、警察の宿舎の回りに詰める。

セレナイトとグラナド、サニディンとミルファ。前者は隣室にこっそり待機する。後者は飛び道具チームと裏手に回る。イシュマエルはグロリア、アントンとルビナを始め、まとまった人数で、目立つように警官達と正面にいた。

イシュマエルは、決まってしまえば、文句は言わなかった。俺は気をきかせたつもりで、

「リアルガーと二人きりにはしないようにするよ。」

と言ったが、

「その点は心配していない。ジェイデアが本気を出したら、リアルガー程度には勝てる。」

と返事が来た。リアルガーは新人とは言え、一応守護者なので、イシュマエルの答えは楽観的な気がした。悲観的になるよりはましだが。

アントンと話す機会が少しあったので、さりげなく聞いてみたが、イシュマエルは、元々、冷静な質で、魔法院にいた時から、それで有名だった、と答えが帰ってきた。

「まあ、相手が相手ですから、今回は。いつもよりはイラついているかも知れません。」

彼は、俺がリアルガーをよく知っていると思っていて、「わかるでしょう」と付け加えた。

主にセレナイトから聞いたリアルガー像は、真面目で融通が聞かず、そのため思い込みが激しく、視野が狭い人物、である。ただ、悪い方向ではあるが、決断力と行動力はある。計画性もある所から見ると、見込みと将来性のある新人だったのだろう。

セレナイトから、同情しないように、と念を押されていた。さすがにもう同情はしないが、残念に思う気持ちはあった。


宿舎には「飛び込み」だったが、ドルワイトスの上司にあたる責任者は、あっさり許可をくれた。教主の女性オディアネの兄にあたる、アクアロという男性と、前からキャンプを仕切っていたウォタイスという男性が、今後についてずっと口論している。勢いは収まっているが、同じ部屋で長く話し込んでいて、時々声が高くなるたびに、警備の警官が緊張していた。

リアルガーはオディアネと「続き部屋」(警察の管理する宿舎ではあるが、社会的地位のあるものを拘束するために作られていたらしい)に入れられ、オディアネには女性の警官が同室で付き添っていた。

リアルガーは続き部屋に、一人でいた。男性の警官が二人、同室している、と聞いていたが、その時は二人はいなかった。

最初はオディアネが「主犯」とされていたらしいが、今、もめて険悪なのはアクアロとウォタイスなので、彼等をより問題視しているようだ。

俺たちから見れば、リアルガーが逃げないことは分かっているが、彼はともかく、教主であるオディアネの警備にしては、薄く思えた。

俺たちが部屋に入った時、続き部屋から女性警官が顔を出し、オディアネは休む所だ、と、言った。ジェイデアは、用があるのはリアルガーだから、と、連れてこようか、と言った彼女に、それには及ばない、と、部屋に引き取らせた。

リアルガーは、人族の屈強な剣士、と聞いていた。確かに背はあったが、逆立つオレンジ色の髪を除くと、実寸は俺よりやや低い。体格はがっしりとして筋肉質だ。にも関わらず、顔立ちには幼さが残る。

彼は、本当に嬉しそうな顔をして、

「来てくれたんですね。」

と、ジェイデアだけを見て言った。ジェイデアは、笑顔だったが、

「目、どうかしたのか?」

と一瞬、真面目に問いかけていた。左目の瞼が、言われてみれば僅かに腫れて赤い。目の色は、薄いグレーだが、セレナイトからは青と聞いていた。昼と夜で色が変わるタイプなのだろうか。

リアルガーは、

「大したことはありません。」

と笑顔だ。右の目元から鼻にかけても、薄赤い筋が見える。笑うとわかった。

「来てくれたんですね。来てくれると思ってました。」

繰り返しながら微笑む。一歩近づいて来たが、ジェイデアは、俺とシェードを指し示しながら、軽く避けた。

「シェード君は、会議で会ってるね。こちらは、ラズライト・ユノルピス。君の方が、良く知っているかもしれないが。」

リアルガーは、俺を見た。それから、シェードをじっと見て、ふたたび俺を見ていた。

「彼等は、事故で飛ばされてきたが、元の世界には帰らず、こちらに居ることにした。」

ジェイデアのこの発言に、シェードは、

「え?!」

と言った。俺も驚いたが、直ぐに状況を悟った。

横を向いて、リアルガーに顔の右半分だけ向ける。正面になるシェードに対し、左目を閉じて見せた。そして、

「黙っていて御免。君の喜ぶ顔を見たかったから。」

言いながら、適任とはこういう意味か、と、脱力しながら納得した。シェードはキョトンとしていたが、悟りはしたらしく、「え」「あ」「俺も」と、何か言おうと努力していた。

リアルガーは、顔を輝かせ、ああ、やっぱり、そうですよね、と言った。続いて、

「自然の運命には、誰も逆らえない。それがエレメントを統べる全能者の意志です。

貴女が正しい選択をしてくれたのを嬉しく思います。」

と捲し立てた。

ジェイデア本人は、そう言うことは言っておらず、ただ会いに来ただけなのだが、リアルガーの中では、違う話になってしまったようだ。

ここまであっさりだと拍子抜けするが、現在は、彼の味方はオディアネ位しかいない。そういう状況が、かえって都合のよい解釈を促しているようだ。

リアルガーは、ジェイデアの手を引き、奥に連れていこうとした。俺は止めたが、「二人は続き部屋へ。」と言われた。シェードが、

「続き部屋にはオディアネさん達が。」

と言ったので、彼女と女性の警官の存在を思いだし、続き部屋のドアを見た。

中から、人が飛び出してきた。ほとんど白髪のような銀髪に、青い大きな目をしている。小柄な女性だ。少女という年ではないが、まだ若い女性だ。レイーラくらいだろう。マントではなく、ゆったりした部屋着を着ている。「外国語」で早口で喋りながら、リアルガーに詰め寄ろうとしているが、女性警官に止められていた。

コーデラ語が通じているため、飛ばされたとはいえ、言語に不自由することはなかった。言語体系が同じだと思っていたのだが、彼女の話す言葉は、解らなかった。守護者の俺には、ワールドで使用する標準的な言語は総て解るし、派生した物であれば、暫く聞いていれば、パターンが判別出来る。だが、どれとも異なる。強いて言えば、響きだけは、南のヒンダ語に似ているか。

シェードは、

「何て言ってるんだ?」

と俺に聞いたが、リアルガーは、

「大したことはありません。煩くて眠れない、と。スワリス語の方言で。」

と、ジェイデアに答えた。彼女は、

「では場所を変えて。」

と落ち着いて言ったが、途端に、オディアネは、

「お願い、止めて下さい。」

と、コーデラ語でしゃべった。今度はジェイデアに向かおうとするが、リアルガーが、間に入り、突き飛ばした。オディアネは転んだ。警官は、助け起こさずに、部屋を駆け出した。応援を呼ぶことにしたらしい。シェードが直ぐに間に入り、

「おい、何をするんだ。女相手に。」

と言った。

「静かにしてくれ、と言っただけですよ。」

と、リアルガーは、オディアネを突き飛ばした様子とはうって代わり、礼儀正しく微笑んだ。そして、

「さあ、それを渡して。もう、君には必要ないだろう。解ってくれるね。」

と、床のオディアネに手を差し出した。彼女は、何か手に握っている。俺は嫌な予感がし、オディアネを助け起こし、ついでに持っているものを受け取ろうとしたが、彼女は、自分で立ち上がり、シェードの肩をつかんで、後退りした。彼は、いきなり背後から引かれて、少しバランスを崩した。だが、リアルガーが、「危ない!」と逆に引っ張ったため、四対一になる。

オディアネは、シェードを離した後、手の何かを、口に持っていく。リアルガーが顔色を変え、怒鳴り、彼女に飛びかかる。

俺は剣を抜いたが、盾を先に出すべきだった、と、一瞬後悔した。だが、ジェイデアの声が歌うように響き、俺とシェード、背後の扉(廊下に通じる)をヴェールのような盾が守る。

爆発音がして、部屋は煙に満ちていた。廊下側は、しっかりガードされている。警官達が廊下にいたが、守られている範囲が狭いので、中には入ってこない。

「おい、大丈夫か。」

隣室にいたはずのグラナドの声が、前から聞こえる。セレナイトの声がして、煙はほぼ消えた。

この部屋には大きな窓はないはずだが、外側の壁には穴が開いていた。爆発には火の気がなかったが、壁と共に、部屋の中にあった物も飛び出している。リアルガーとオディアネはいない。セレナイトは外にいるようだが、グラナドは穴から中に入ってきた。

「いきなり窓が飛ぶとは思わなかった。廊下がごった返してるから、都合がいいと言えばいいが。ちょっと立ち位置がずれてたら、俺達も。」

とグラナドは言った。ジェイデアは、優雅な動作で盾を解除した。

「センスのない窓だと思ったけど、吹き飛ばすほどじゃないのにね。」

シェードが、我に帰り、

「あいつら、どうなった。外に吹き飛んだのか。」

と言い、窓に飛んでいった。ここは一階で、地面に叩きつけられる心配はないが、港の事件が思い浮かんだ俺は、シェードに遅れじと、窓から外に出た。

地面に何か引きずったような跡があり、窓の残骸が散乱している。オディアネが着ていた薄いガウンの布地が、一部引っ掛かっていた。

広場があり、警官隊と共に、セレナイトの姿が見える。リアルガーは地面に倒れているように見えたが、近づくと、イシュマエルが地面に座り込み、グロリアが支えていた。彼女は、俺達を見ると、

「素手で止めたから。」

と言った。俺は回復をかけようとしたが、イシュマエル自身が、

「魔法でガードはしたから、怪我はない。」

と言った。

背後から、詠唱が聞こえた。グラナドではなく、ジェイデアだった。

「なんだ、怪我はないと言ったろ。あっちを見てやれよ。」

「冷やさないと、いけないだろう。」

ついでに頭もな、と彼女が言う。翡翠のようなその人は、こんな時でも、優雅に微笑んでいた。イシュマエルは、悪いな、と呟いた。

俺は「あっち」を見た。

セレナイトが、剣を抜き、座り込んでいるリアルガーの、喉元に突きつけている。

「それ以上、何か言うことがあるか。」

と言っていた。リアルガーは黙っていた。

人目があるので、なるべく特殊な術は使わない方針にしていた。だから上手くリアルガーだけ離す予定だった。拘束して、超越界との連絡が完全回復したら連れ帰る手はずだが、肉体を停止させれば、強制的に回収される。ただ、今の状態では、上手くシステムに乗るかは解らない。

「跳ねるのは、止しとけ。」

とグラナドが言い、拘束魔法をかけようとした。

リアルガーは、急に立ち上がり、走り出した。セレナイトは首に当たらないように剣を少し引いた。その隙をついて、素早くジェイデアに駆け寄った。俺とシェードで、止める形になった。

「なんで、そいつが、ここにいるんです。」

彼はイシュマエルを指した。当のイシュマエルは、さらりと

「俺は護衛官だ。居て当たり前だ。」

と言ってのけた。暫しの沈黙のうち、リアルガーは暴れだした。取り押さえつつ、拘束魔法を、とグラナドの方を見たが、彼は、何時の間にか裏手から来ていたサニディンとミルファと話している。ミルファが、興奮したように。だが小声で、何かを指差しながら、話していた。サニディンとグラナドはその方を見ていた。セレナイトの後ろ姿が見える。

何か灰色の物が地面にある。セレナイトの他、ルビナとアントン、あとは数人が、囲んでもめているようだ。暴れるリアルガーの肩越しで上手く見えないが、セレナイトが飛び退き、ルビナが叫び、ミルファが武器を構えるのが見えた。

「下がれ!」

セレナイトが剣を、空中に向けた。他の者が下がる中、俺とサニディンは、剣を取って、駆け付ける。灰色の何かが、竜巻のように巻き始める。

「縁を、縁を狙って!」

リアルガーが叫んでいる。縁も何も、竜巻形の中心を横から狙える訳がない。だが、見極めようとした瞬間。


正面から衝撃を受けて、俺は吹き飛んだ。高い悲鳴が聞こえる。遠退く意識に、魔法の詠唱が、歌声になって響いた。


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