あのクソババァァァアっ!!
呆れた顔をしてカタリナがため息を吐く。
「またエスカレー男爵家から婚約打診の手紙が来てるわ。また三通……」
机の上で頬杖をつきながら、並べられた手紙を見つめる。うんざり、といった様子だ。そこで侍女キュリーは景気づけだと言わんばかりに、前向き発言をする。
「もしかしたら、先日サリアお嬢様がおっしゃられていた運命の相手かもしれませんよ」
「はっ! まさか、そんな訳があるわけないわよ」
皮肉交じりに鼻で笑った。恋に溺れる姉とは違い、カタリナには恋の思春期は訪れていないようだ。
キュリーは生暖かい目を向け、ため息交じりに呟く。
「カタリナお嬢様には夢がありませんね」
「……うるさいわね。堅実と言って欲し――――」
「カタリナッ!! カタリナァァァァァァアアアアアァァッ!!」
大音量の叫び声が突如として聞こえた。どこから――――窓の外から。
声を聞いたカタリナは頭を抱え、キュリーは何も言わずにテラスへ続くガラス扉を開く。開くとさらに大きな声で名を呼ばれ、とてもうるさい。
ダン! と、机を両手で叩いて立ち上がるカタリナ。力を込めドスドスと床を踏みつけて、テラスへと出ていく。そして、大きく息を吸い込むと。
「うるさーーーーーいっ!!」
二階のテラスから抗議の返答を叫んだ。声は邸宅内に響き渡り、庭に植えられた木々の間からは小鳥が驚いて逃げ出す始末。
邸宅の門の傍にいたサリアを見つけると、息を整え再び叫ぶ。
「そこで叫ばないで、私の執務室まで来て下さい!」
「…………すぐ、参ります!!」
言葉の意味を理解する知性は残っていたようだ。強く頷いた姿が二階のテラスからでも良く見え、令嬢とは思えぬ速さで邸宅に入って行く姿も見えた。
その姿を確認したカタリナは大きくため息を吐く。頭を抱えて振り返ると、キュリーがにこやかな笑顔を向けてイスの背を掴んでいた。
「さぁ、どうぞお座りください。早く座らないと、すぐに来てしまいますよ」
「……今日は絶対に激しいヤツだわ」
足取り重く、嫌々そうに椅子にゆっくりと腰かける。と、遠くから聞こえ始める激しい足音。だんだんと大きくなり、それは叫び声となる。
「カタリナァ!!」
キュリーが扉を開ける前に、蹴破って乱入してきたサリア。令嬢のかけらも残っていない行動や姿を前に、二人は心の中で戦慄した。
空色のワンピースはしわくちゃで、擦れて破れているところがある。緩く結ったはずの三つ編みは半分崩れ、顔や首筋に張りついていた。
そして、その表情。鋭い眼光は殺気立ち、睨むものを食い殺しそうだ。野性味あふれる形相で、ぎりぎりと奥歯を噛み締めていた。
サリアの顔がうつむき、今度は両手で頭を強く掴んだ。聞こえるのは、地の底から吐き出る唸り声。腕が震え、足が震え、体が大きく震え出す。溜めに溜めて、凄味のある顔を上げ、絶叫が放たれる。
「あんのぉぉっ、クソババアァァがぁぁ!! 毎度毎度邪魔してきたあげく! あげくにぃぃっ!!」
「ねぇ、キュリー。リースを呼んで」
「呼ばなくても来るでしょう」
冷静なサリア対処のやり取りがなされた。二人はとりあえず、落ち着くまで見守ることにした。
目の前のサリアは乱れた髪を、さらに振り回す。激しい怒りで顔面を真っ赤に染めながら、叫び続けていた。それは鬼のような形相だ。無作為に怨念を撒き散らしている姿は、鬼気迫るもの。普段の儚げな印象は一掃している。
「あああぁぁああぁぁっ!! 許さない、絶対に許さない!! 例え、統一王があのババァを擁護しても、私は絶対に許さない!!」
恨みを零しても、直接手を出さない理性は残っていた。それでも、血肉が煮えたぎる怒りは止まらない。
少し慣れてきた二人はそれを呑気に眺めていた。
「今日は一段と凄いわねぇ」
「恋の病、というものですね。恐ろしい呪いです」
「お姉様の呪いを早く解いてくださらないかしら」
目の前で繰り広げられる、サリア芝居。鬼気迫る激しさは観劇よりも見応えがある。今も「エリオット様ああぁぁ!!」と、すがるように泣き叫ぶ。その姿は圧巻と言えよう。
もし、恋に破れて誰とも結婚しなかったら、劇団員に推薦したらいいだろうか。そんなことをカタリナが考えていると、開け放たれた扉から侍女リースが現れた。この状況を目の前にしても冷静のまま、綺麗なお辞儀をする。
「サリアお嬢様、お帰りなさいませ」
「憎いぃ、憎いぃぃ!! あのババァさえいなければ、いなければあぁぁ!!」
「お嬢様、まずは身なりを整え、体の疲れを癒してください。話し合いはその後、いたしましょう。今のままでは、皆が心配してしまいますよ」
息をするように怨念を撒き散らすサリアなのに、リースの声はわずかに残った良心に届く。「さぁ、行きましょう」と、リースが背を押すと素直にサリアは従った。鬼の形相で恨みを漏らしながら、リースが誘導するまま部屋からいなくなった。
遠ざかるサリアの怨念。いつまで経っても途切れない怨念を聞きながら、二人はほっと胸を撫で下ろす。
「リースがいて良かったわね」
「昔から、ですから。あんなお嬢様でも三年前までは次期コンナート家夫人として、ずっと尽力していましたし」
「エリオット様と会う時間を取りながらね」
少しだけ不機嫌そうにカタリナは言った。それをキュリーは微笑ましく見つめる。
厳しい教育の日々の中で、カタリナはサリアの存在を原動力に。サリアも同じであったが、その原動力に一つの恋がいつの間にか加わっていた。
「なんだか、悔しいわ」
呟いたその顔は子供のように拗ねた顔。傍にいたキュリーは見えないように笑っていた。
その後、リースに良いように扱われたサリア。風呂、飯、マッサージ。至れり尽くせりで、結局泥のように眠った。
◇
翌朝、朝食を取り終えた姉妹はカタリナの自室に集まった。お互いの侍女を従え、重苦しい雰囲気だ。向かい合わせの褐色のソファーに座り、真剣な顔つきをしている。昨日の鬼気迫るサリアは消え去り、そこには儚げな一人の令嬢がいた。
「まず、これから話すことは偽りなき真実です。私一人の妄想ではないことを誓いましょう」
そうでないと困る。カタリナは強く頷き、黙って聞きに入る。
「昨日、エリオット様の体調が悪化し、私は早めに退出いたしました」
しれっと始めから嘘をつく。サリアの中ではそうであったかもしれないが、誓いなんてあったもんじゃない。
とても真剣な表情で言うものだから、誰もが信じてしまう。サリアも何事もなかったかのように話を進める。
「退出後、廊下でミーティア夫人と久しぶりに出会いました。以前であれば、嫌味を言うだけで終わっていました。ですが、今回は明らかにエリオット様の死を意識する言動をしています」
「コンナート家とのやり取りで、夫人の不快感に限界がきた。とは、理解は出来ます」
「えぇ、これに関しては私の不徳のいたすところだと痛感します。ですが、問題はその後でした」
少し低い声で、声量を落として語る。その目には一段と力がこもる。
「いつもの場所で待機していた時、料理長のルーベルトが言っていました。夫人の指示で、エリオット様に毒を盛っていることを」
瞬間、空気が重くなった。普段冷静な侍女二人の表情が明らかに変化した。そして、カタリナは驚愕した表情を浮かべ、堰を切ったように声を上げる。
「そんなこと、できるはずがありません! 市井からの仕入れは全て、監理官が精査し管理しています。もし、毒を持ち込んで何か起きれば、監理官も罪を被ることに。市井の者たちは貴族とのパイプ役である監理官を一番に恐れ、納入先の貴族の頼みなんて聞くはずありません!」
「独自の入手経路があるのか、何かに紛れさせて持ち込んでいるのかは分かりません。ですが、これは絶対に見過ごせません。監理官の役目を仰せつかったコンナート家としてこの話を見逃せば、冤罪を擦りつけられる可能性もあります。何よりも信頼に関わる、重要な案件です」
首都モリスには統一王がいる。統一王に接することになるのは、一部の上級貴族のみ。大陸の戦乱を静めた尊い御身を守るため、首都独自の法が作られた。
危険物が統一王に接する貴族に手渡されないよう、物流を監視する役職を作る。それが、監理官だ。
市井の販売店を徹底に精査、管理し。時には罰することもできる。又、貴族が権力を利用して危険物を市井から手に入れられないように監視をしている。そして、販売店や貴族への斡旋業務もその内の一つだ。
「今、ダダルク家と契約している販売元の監理官。我がコンナート家と」
「夫人の実家である、モルクティルク伯爵家ですね」
監理官は販売店ごとに違う。監理官への信頼で販売店を選ぶ家もいれば、家の都合で販売店と契約する家もある。ダダルク家には信頼で選ばれたコンナート家傘下の販売店と、夫人独断で選ばれたモルクティルク家傘下の販売店と契約していた。
それは、まるで――――――
「完全に嵌めようとしているわねっ! 私達だけで解決していい案件ではありません、お姉様!」
声を張り上げて、カタリナは立ち上がった。
モルクティルク家より納入された危険物が、コンナート家から納入されたように改ざんされてしまったら。毒でエリオットが死に、コンナート家から毒が納入された記録が見つかれば。コンナート家は終わる。
それができる立ち位置に夫人はいる。
そんな危うい状況にいるのに、サリアはとても落ち着いていた。
「落ち着きなさい。冷静でいなければ、相手に足元をすくわれます。まだ、真実が見えていないのに決めつけるのは早計です」
言葉のブーメランがグッサグサ、とサリアに刺さる。が、誰も気にしない。気にしたら話が進まないからだ。全く気にしていない素振りのまま、話を進める。
「ですが、悠長にしていれば状況は悪くなる一方なのは確かでしょう」
「早くお父様とお母様にお知らせしましょう」
カタリナの言葉に、サリアは首を横に振った。一体何を考えいるのか、誰にも分らない。状況が一気に好転する奇策でも持ち合わせているのだろうか。期待のこもる視線がサリアに集中する。
注目を受けたサリア、その右手が優雅に上がる。上がり切る前に拳を作り、今度は親指を立てた。
そして、それを――――――
「私が寝首を掻きます」
親指で首を切る動作をした。その目は暗黒面に陥り、態度は一瞬にして豹変する。
「あのクソババァァァアっ!! 絶対、絶対にダダルク家から生きて出ていけると思わないでよおぉぉっ!!」
立ち上がり、怨念を天井に向かって放った。サリアの恨みはとても深い。