それぞれの想い
「では、エリオット様。来週も参ります。ご健勝でありますように」
微笑みを浮かべたサリア。おしとやかに礼を取ってから、カバンの中に入っていった。結果はいつも通り、変わらない。クライムは残念な気持ちを押し殺し、サリアを裏口まで送り届けに部屋を出た。
少し時間を置き、クライムが戻ってくる。一歩一歩、エリオットに近づきながら決意を固めていく。心の中でサリアに謝罪し、気持ちを落ち着かせるために深呼吸をした。
「エリオット様、お加減はいかがですか?」
「ん……少し休んだら良くなったよ。世話をかけたね、クライム」
「とんでもございません」
クライムがいない間に仮眠を取っていたエリオット。ゆっくりと起き上がるが、少し顔色が悪くなっている。楽しそうに話していたのだ、体力が底に近いのだろう。
優れない体調を確認したクライムとしては、このまま休ませたいと思ってしまった。先程の決意が揺らぎそうになる。駄目だ、ここで折れたら繰り返す。自身を励まし、手を強く握りしめて口を開く。
「……エリオット様、申し訳ありません。お話があるのですが」
声を絞り出した。苦悶の表情など浮かべたくはないが、気持ちが追いつかない。クライムの気持ちを察したのだろう、エリオットは頷いた。
「……話って何かな?」
「サリア様のことでございます」
「あぁ、今日も有意義な時間を過ごさせて貰ったよ。サリア嬢にはいつか恩返しがしたいな」
サリアの名を聞き、表情を綻ばせる。一日のほとんどを部屋で過ごしているエリオット。サリアの来訪を、いつも心待ちにしているのは間違いない。しかし、分かりきったことを聞きたい訳ではない。
「そういうことではございません」
表情を引き締め、意を決する。
「エリオット様はサリア様のことを、どう思っていらっしゃるのでしょうか」
「……クライム、それは」
「異性として好きなのでしょうか」
エリオットは驚き、目を見開いた。そして、気だるそうに体を寝台に沈ませる。表情からは笑みが消え、苦悶で眉間に皺が寄った。
「どうして、そんなことを聞くんだい?」
「それは、あまりにもサリア様がお可哀想だからです」
「お可哀想って……幸せそうだったじゃないか。見ていなかったの?」
エリオットは不思議そうに首を傾げた。
サリアを想いを身近で感じているクライム。分かってくれなくて、歯がゆくなる。強く胸の奥を痛めた。耐えるように奥歯を噛み締め、とうとう訴えてしまう。
「エリオット様、貴方のことがずっと前から好きなのですよ!」
本来ならこんなことを言える立場ではない。見守っていくのが最良なのだが、黙ってはいられなかった。
「……そうか」
エリオットの顔から表情が抜け落ちた。何を今さら、と言わんばかりだ。その態度にクライムから血の気が抜ける。
「そうかって、エリオット様。気付いていらっしゃって……」
「僕にどうしろっていうんだ」
今までにない力強い視線がクライムを射抜く。なのに、言葉に宿るのは絶望。
エリオットは細くなった手の甲を見つめる。骨や血管が浮かび、まるで老人のようだ。不健康な白い肌に艶やハリはない。体が死に向かっている、と嫌でも感じる。見たくもない手を毎日見ていた。
こんな手で一体何ができるのか。こんな手で誰を守れるというのだろうか?
失笑する顔は、未来への希望を見ていない。
「僕はこのザマだよ。長生きは出来ないし、もしかしたら明日死ぬかもしれない。彼女のために僕が出来ることは、少しでも楽しい時間を過ごして貰うこと」
「そんなことはっ!!」
「僕は彼女の思い出だけに残れば良い」
死を意味する言葉に、クライムの目に涙が溢れる。それでもエリオットは口を閉じない。
「例え長生きできたとしても、こんな状態で誰を守れると思う。大切にしたいと願う人に、迷惑しか――」
「エリオット様はサリア様のことを、好きではないのですか!?」
言葉を遮り、堪らずに問いただす。その目は疑心に満ち、本心をあぶり出そうとしていた。エリオットの態度が演技だと思っているからだ。
睨みつけるような視線がエリオットに向く。黙って見上げたエリオットは一度唇を噛み締めた後、吐き捨てるように伝える。
「……いつ死ぬか分からない僕が? 悪いけど、考えたことはないよ」
冗談じゃない、と皮肉交じりに失笑した。それからクライムに背を向け、寝具にくるまる。
「今度はっきり断ろう。それが彼女のためになる」
「エリオット様……嘘ですよね」
そう言ってエリオットは目を閉じた。背後から痛いほど感じるクライムの視線を見て見ぬ振りをして。
でも、どうして胸が苦しくなるのか……理解したくない。弱弱しく寝具を握り締め、ボソリと呟く。
「……何もしてあげられないんだ」
薄く開けた目は潤み、一粒の涙となって寝具を濡らす。
◇
窓から差し込む斜陽が廊下は眩しく照らす。舞い上がる埃が光の粒に見えるほど、その夕景は鮮やかな焔に包まれているようだ。
物寂しいたたずまい。そこに賑やかな足音が響く。軽やかでいて律動的。今の廊下には似つかわしくない。一直線に扉へと向かい、煢然たる邸宅の雰囲気を一掃する。
「カタリナァアア!!」
空気を裂かんばかりの金切り声。次の瞬間には、扉が開け放たれる音が響いた。そこにいるのは仁王立ちしたサリアだ。
「カナリナ、聞いて下さい! 今日は、エリオット様と大事なお約束を交わしたのです!」
中にいた、カタリナと侍女キュリーが驚いた表情で見つめる。
そんな二人など目に入っていないサリア。手を広げてくるくると回りながら、部屋の中へ入ってきた。ピタリと止まり、今度は幸せそうに胸の前で手を組む。恍惚な表情をこれでもか、と宙に振り撒き続けた。
「あ、あぁ…お姉様、お帰りになられていたのですね」
カタリナは引きつった口元をそのままに、なんとか言葉を絞り出した。物理的に声はうるさくなくなったが、間接的に表情がうるさくなった。そんな姉の奇行はいつまで経っても慣れない。
キュリーは静かにお辞儀をして、部屋の隅へと移動する。その姿は「面倒なので巻き込まないで下さい」と訴えかけているようだが、決して口にはしない。
残されたカタリナはせっせと机の上を片づけて、椅子に深く腰かけ直す。
「えーっと、お姉様」
「はぁぁっ……まさか、そんな! あぁ、エリオット様!!」
未だ妄想の中で踊り狂っていた。
一体何を妄想しているのか、考えたくもない。一つ大きなため息を吐いて、ちらりとキュリーを見た。だが、視線すら合わせず、侍女の役目だと言わんばかりに静観に徹する。
この侍女と姉は……と、内心怒り心頭にもなる。だが、ぐっと堪えてカタリナは話しかける。
「お姉様、お帰り下さい」
「……えっ!? な、なんてことをいうのカタリナ。私の報告を聞かずに一日を終えてしまうなんて」
「では、何があったか簡潔に教えてくださいますか?」
たった一言で恋愛脳状態のサリアが戻ってきた。焦りながら説得をしようとするが、説得にはなっていない。恋愛脳に染まっている間、思考がずれている証拠だ。
しばらく無言で見つめ合った後、ようやくサリアは語り出す。
「エリオット様に合う、カバン作りをする約束をしましたわ!」
「……意味が分かりません」
「ですから! エリオット様が内密にお越しになるのです。その手助けとして、カバンをお一つ差し上げようと」
どうだ。と、言わんばかりに自信げに胸を張った。相変わらず訳の分からない自信だ。気をしっかり持ってないと、流されてしまいそうになる。
カタリナは少し痛む頭を押さえながら、話を整理する。
「それは、あれですか。エリオット様がカバンに入って、内密に我が邸宅を訪ねて来ると」
「いいえ、違います」
あれ、間違っていたのか?
不思議そうに顔を上げると、サリアは上品な微笑みを浮かべた。
思わず見惚れて――――――
「私を訪ねてくるのです」
「そんな訂正いりませんから! その前に馬鹿げた提案をしないでください、お姉様!」
まともに考えていた時間が馬鹿らしくなる。この姉は、本当にどうしようもない。心の中で吐き捨てるように呟く。
しかし、ここではっと気づく。本題を見逃していることに気がついた。一つ咳払いをして、カタリナは微笑みを浮かべる。
「……それでお姉様。お約束してくださった件、どうなりましたでしょうか?」
「えっ」
「今日はビシッとバシッと決めて下さると、おっしゃいましたよね?」
今度はサリアが驚く番だった。カタリナの意味深な笑みに、ゆっくりとした口調がとてもわざとらしい。口元と目元は笑っているように見えるが、目の奥が酷く暗い。どす黒い。
じりっと背中から冷や汗が浮き出る。体は恐怖で硬直して、少し震えた。強迫観念に囚われそうになりながらも、喉から声を絞り出す。
「あ、あのね…カタリナ。告白は……しようと、したのよ?」
えへっ、と首を傾げてわざとらしい笑みを浮かべた。
「そうですか、分かりました」
カタリナには通用しない。音もなく椅子から立ち上がると、ゆっくりと距離を詰めた。その圧迫感たるや歴戦の軍人の如し。
対抗するサリアの心臓は激しく脈打ち、呼吸は苦しくなる。意識が散漫になるなか、両手がぎゅっと握られた。
はっ、と我に戻ったサリア。恐る恐る目線を下げると――――――
「おねぇちゃん、カタリナのおはなしきいてくれるかな?」
おめめがまんまるな、かわいいかたりなちゃんだ。
うわめづかいで、かわいらしくおねがいしてきたの。
ことわるふんいきではありませんでした。