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後日談2

 一枚の便箋を持つ細く白い指。皺がつかないように、優しい手つきで広げられる。指先が動いて文字を追う。丁寧に文章を読み進めているようだ。

 が。

 その指先は突然止まる。便箋を持つ手が小刻みに震え出し、グシャっと力任せに握った。


「来たわ、とうとう来やがったわっ!! キュリーー、キュリーーーッ!!」


 ガタッ! 勢いをつけてイスから立ち上がるのは、カタリナ。心底嬉しそうに口元を緩めているが、その目は並々ならぬ闘志が燃えていた。


「おめでとうございます。どちらのご子息でしたか?」


 壁際に寄っていた侍女キュリーが進み出る。はいはい、と適当に相槌を打ち、予め用意していた質問をした。


「バルタマン子爵の次男坊だったわ」


「……寄親が同じではないですか。敵対すると色々まずいのでは?」


 待ちにまった人物から来た手紙。その人物は派閥が同じの子爵家だった。本来なら手を取り合い、協力し合うのが順当な付き合い方だろう。

 たしなめる言い方で声をかけたが、カタリナは我慢の限界だ。怒りに任せ、机に両手を叩きつけて叫ぶ。


「まずいも何もないわよっ!! お姉様が、あのバカ王家憲兵に良いように触られたのよ。抵抗もできず、ひたすら耐えなければいけなかったっ……屈辱にまみれたのよ!! 絶対に復讐してやる。去勢して、二度と女性に触れられなくなるほどにっ!!」


 ダダルク邸に潜入した時、イスだと勘違いしてくれたあの王家憲兵のことだ。イス発注の手紙が来たら、密かに制裁を与えて欲しいと頼まれていた。

 だが、その様子は度が過ぎている。キュリーの表情が曇った。


「十四歳子女の口から聞きたくない言葉ばかりですね。そっちに驚いてしまいますよ」


 教育不足だったのかしら、と顎に手を添えて首を傾げた。目の前で凶悪に表情を歪めるカタリナは、高笑いをしている。

 止むまで待っていると、今度は机に置いてあったメモ帳に走り書きをした。メモ帳から破り取り、キュリーに力強く差し出す。


「お父様かお母様に至急連絡してちょうだい」


「喜んで」


 笑顔で頷く。一応、両親にお伺いを立てる冷静さは持ち合わせていたらしい。よくできました! と、小さな子を褒める温かい目をしていた。


 ◇


 執務室を出たキュリー。メモ帳を懐へしまうと、廊下を進んでいく。すると、すぐにリースの姿が正面に見えてきた。二人の視線が合うと、リースは向きを変えてキュリーと並んで歩き出す。


「お疲れ様です、キュリー。カタリナお嬢様はどうされたのですか?」


「お疲れ様、リース。例の件の男から手紙が届いたのよ」


「それはそれは。カタリナお嬢様もお喜びでしたでしょう」


 リースはカタリナの叫び声を聞き、駆けつけてくれたようだ。専属侍女は話す時間を作り、姉妹の情報を共有していた。

 例の件についてはリースも聞き及んでおり、後で報告しようと考える。すると、キュリーが大きなため息を吐いて愚痴を零し始める。


「休暇を取ってから、異様なはりきりようよね。他の侍女たちも毎日忙しいわ。ひと月、ふた月っと丸まる休むと思ってたら、数日に分けて小刻みに休むのよ! 全く信じらんない。貴族なら貴族らしく休んで欲しいわ!」


 姉妹の約束は果たされた。長期休暇ではなく、数日間の休みを何回かに分けて姉妹は楽しんでいる。おかげで気力が衰えず、姉妹は家の仕事に全力で当たっているようだった。

 生き急ぎすぎだと怒るキュリーの態度に、リースは穏やかに言葉を返す。


「お嬢様方は貴族の常識が一部欠けておりますからね」


「本当よね。もっと楽にしていいと思うわよ。そういう時期じゃない、あの年頃だと。私の頃なんて……野暮よね」


 感情のまま話し出した。が、何かを思い出したように言葉を止めて、気まずそうに目を伏せる。

 横目で見ていたリースはゆっくりと首を横に振った。


「誰だってすぐには考えを変えることはできませんよ」


「……あんたは変わった、わよ」


「キュリーも同じでしょう?」


 立ち止まり、視線を合わせる。何か言いたげな視線をお互いに向けていると、先にキュリーが口を開く。


「ところで、そちらのサリアお嬢様は?」


「ゲルハルト様におこずかいをせびりに行ったようです」


「お、おこずかい!? 何に使うのよ!?」


 聞き慣れない言葉に驚き、思わず大声を上げた。対してリースは冷静に受け答えをする。


「それは分かりません。でも、持っていて損はないですよ」


「いや、そうだけど……本当にここは常識外だわ」


 頭を抱え、横に振った。盛大な溜め息を吐く姿を見て、リースが微笑みながら指摘する。


「……笑ってますよ?」


「うっさいわね。私が忙しいのよ。先行くわよ」


「はい、お付き合い下さってありがとうございます」


 話を無理矢理切り上げ、そそくさとその場から離れていく。その後ろ姿をリースは軽くお辞儀をして見送った。

 周りに誰もいなくなると、リースは楽しそうに口元を緩めて呟く。


「サリアお嬢様、今度は何をして下さるのかしら」


 ◇


「お嬢っ、今度は何をするんですか!?」


 室内の扉の前で、ボルグは叫んだ。その顔は少しだけ怯えているように見える。

 一方、サリアは部屋の中央に設置されたソファーで寛いでいた。ボルグの訴えに動じる様子はない。用意された紅茶を一口飲むと、当然のように言い切る。


「おこづかいをせびりに来ただけですよ」


「おこずかいって、お金じゃなかったですよね!?」


「えぇ、人脈です」


「そこから可笑しいんですって!!」


 精一杯の突っ込みが続いたが、サリアは全く相手にしていない。


 二人はゲルハルトへの面会を終え、応接室で待機していた。ボルグ一人だけが状況についていけないと頭を抱え、サリアは黙って待っている。

 理由を欲している様子のボルグ。サリアはため息をつき、簡単な説明をする。


「未来のダダルク伯爵夫人ですからね。今のうちに交遊関係の見直しや、新たな人脈作りに忙しいのです」


 自慢げに鼻息を荒くして、左手に光る指輪を見せつける。その顔は幸せそうに緩み、夢と希望であふれていた。

 そんな幸せオーラに当てられ、気力を根こそぎ奪われていくボルグ。最後の抵抗に、一つの事実を突きつける。


「……まだ正式に婚約決まってませんよね?」


 二人の間だけで交わされた口約束の婚約だ。正式に婚約したわけではない。鋭い指摘はサリアの表情を一変させた。表情が凍りつき、思考が止まってしまっている。そのせいか、口が半開きになっていた。

 数十秒の後、はっと我に返ったサリアは慌てて弁明を始める。


「な、何を言うの。……そ、外堀から埋めて。そ、そう! 嫌と言わせないような環境作りも大切ですよ! 間接的に私がどれだけ好きということを伝えるためにはっ」


「……今更自信がない、と?」


 言い訳に聞こえて、おそるおそる尋ねた。図星をつかれたサリア。気まずそうに口ごもり、そっぽを向く。紅茶を持つ手が微かに震えている。


「……エリオット様は結構人気があるんです。悪い虫が寄らないようにしなければ」


「はぁ……」


 つまりどういうことだろう?

 ボルグは不思議そうに首を傾げた。腕組をして考えてみるが、やっぱり分からない。分からないので考えることを放置し、違う話題を出す。


「ところで、俺はなぜ呼ばれたのでしょう?」


「しばらく、お祖父様のところで出稼ぎをします。その同伴です」


「で、出稼ぎ!?」


 聞き慣れない言葉を耳にして、声を上げてしまった。それに自分が同伴に呼ばれたと聞き、嫌な予感がして顔色が悪くなる。

 驚き固まったボルグを見て、説明不足を痛感した。コホン、と一つ咳ばらいをしてサリアは話し始める。


「はっきり言いますと、少しやり過ぎな捜査だったと怒られまして。その責任を取り、諜報活動を主な仕事内容としてお祖父様公認の下で働くことになりました。それにいい情報を入手すれば、ダダルク家のためになる人物を紹介してくれる約束もしました。それがおこづかいです」


「えっ、お嬢はお嬢様じゃ……」


 新興貴族の中でもコンナート家は一目を置かれる存在だ。長女という立場だというのに、諜報活動をすることにボルグの素朴な疑問が止まらない。

 素朴な目で疑問を訴えかけると、ばつが悪そうな顔をして言い訳を始める。


「……しっかり成果を出せば、ラインハーツ伯爵家やその関係先で大々的に婚約を認めて貰えるのです。家と家を繋ぐには、周りの同意も必要不可欠で。逆にそれがなければ、異議を唱えて場を乱す人もいるのですが。これはとても大事なことで、あっ!! エリオット様にはその、秘密で……」


「二人の間に高い障害の壁でもあるんですか?」


「よ、用心に用心を重ねてっ!!」


 明らかに過剰ともいえる外堀を埋める活動に、ボルグはさっぱり理解できない。必死に言い訳をする姿は見ていて面白いが。

 そこでふと、始めの疑問が湧いてくる。


「それで今は何を待っているんですかい?」


「カバン持ちを紹介して下ったので、その方を待ってます。配置替えに、少々時間がかかっているようです」


「憲兵を荷物持ちですか……さすがお嬢」


 貴族らしい高慢なところもあるのか、とボルグは戦慄しつつも内心ホッとした。

 しかし、それは次の言葉で見事に打ち壊される。


「はい。私のカバン持ちだったグレイは商会の仕事で忙しいですし」


「そっちかぁ……」


 貴族らしくない手段をまだ使う気でいることに、ボルグは本気で戦慄する。そして、それに付き合わせられる自身を心の中で嘆いた。


 その時、部屋を叩く音がする。


「私だ。ロイドだ」


 聞き慣れた声。ボルグが慌てて扉を開ける。そこには軍服姿ではない、私服姿のロイドがいた。


 どうしてロイド一人なのか、カバン持ちはどこにいるのか。二人の疑問が視線に乗って、ロイドに突き刺さる。

 視線を感じ取ったロイドは、流れるような動作で敬礼をして口を開く。


「カバン持ちのロイドだ。ミーティア元夫人が統一王に告発する機会を与えてしまった責任を取り、隊長の任から一時的に降りることになった。よろしく頼む」


「ひぇっ!?」


「叔父様……」


 心なしかロイドの顔がこけていて、目元には隈が出来ていた。あの後からずっと激務だったのだろう。

 そんなことよりもロイドがカバン持ちと聞き、ボルグはさらに戦慄した。

 サリアは痛ましい姿に心を打たれ、心配な視線を向ける。少しでも元気になって欲しい。サリアはロイドに近づき、手を両手で優しく握る。


「小さい頃の約束が果たされましたね。安心しました」


「あぁ、全くもってその通り。今日は素晴らしい日だ」


 一緒に憲兵組織で働く。ロイドとの約束が果たされ、二人は心からの喜びを、手を取り合って分かち合う。

 だが、一人取り残されているボルグ。


「えっ、そこなのぉ……」


 一般人に堕ちた身。この貴族籍の二人に付き従わなくてはいけない、そんな重圧に負けそうになっていた。


 仲良く手を握りながら、にこやかに話し合う二人。そんな二人を見ていると、ボルグの重圧も少しは軽くなる。心の中で覚悟を決めると、この状況が面白可笑しいと感じ始めた。


「なんだかんだいっても、お嬢は楽しそうですね。生き生きしてますよ」


 自然と零れた言葉に、サリアは振り向く。一瞬目を伏せるが、すぐに視線を上げて微笑んだ。


「……そうね。色々あったけど、今は昔より楽しいわ」


 その言葉にどれだけの思いが詰まっていたかは、サリアにしか分からない。

 ボルグは満足げに頷いた。明るく楽しそうな様子を見ていて、釣られてしまったのだろうか。それもまた、ボルグにしか分からない。


「して、カバンに入れる荷物はどこだろうか?」


 そうだった、と自分の役目を思い出したロイド。カバン持ちとは如何なる物を運ぶ役目だろう。その目には責任感にあふれる、真っすぐな目をしていた。


 サリアは一度ロイドから離れ、座っていたソファーに近づく。持ってきていたレザースーツ入りの黒革のカバンを持ち、再度ロイドの前に立った。


「はい。ここにおります」


 満面の笑みを浮かべ、自らが荷物だと宣言した。






 軟体令嬢は婚約成立を目指して、カバンに隠れている。


ご愛読ありがとうございました。

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