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サリア、いきまーす!

「失礼いたします、サリア様」


 侍従が近づいてお辞儀をした。灰青色の長髪を赤い紐で清潔にまとめ、見つめる藍色の瞳は優しげだ。


「風邪を召されませぬよう、こちらをお使いください」


「ありがとう、クライム」


 白いカーディガンを差し出し、ワンピースだけのサリアを気遣う。肌寒くはないが、薄着なのが気がかりなのだろう。

 心遣いに笑顔で頷くサリア。カーディガンをクライムが広げ、袖を通そうとした時。


「クライム、それは僕が羽織っていたものじゃないか。サリア嬢には失礼だ。代わりのものお貸ししてくれ」


 エリオットが抗議の声を上げた。

 頬はこけ、目元にはうっすらと影が出来ている。上質な白い布地の袖から覗く手首は、不健康に細い。艶のあった金髪の髪質は衰え、輝きを失っていた。


 今の姿は、誰もが目を背けたくなるほどだ。それでもサリアの表情は明るいものだ。


「それには及びません。エリオット様がお着になられていたものならば、上質なのは間違いありません。私にも合うことでしょう」


「んー……でも、それは朝に着ていたものだから」


 恋人でもないのに、異性が着ていた服を貸すのは気が引けた。渋り顔をして止めさせようとする、が。


「クライム、お願いね」


 強引に事を運ぶ。サリアはエリオットに背を向け、クライムが背後に回りカーディガンを再び広げる。


(あああぁぁぁああぁぁっっっ!! エリオット様が朝に着たカーディガンンンンンンッッッ!!)


 カーディガンの感触を確かめるように、ゆっくりと腕を通していく。誰にも見られない表情は恍惚の境地に達する。それどころか、歓喜で体が震えだしてきた。

 温かく柔らかい生地。肌を優しく撫でる上質な毛の感触。まるでエリオットのようだ、と妄想が止まらない。いいや、これはエリオットだ。今エリオットが体を包んでくれて――――――


「サリア様、いかがでしょうか」


「……えっ、えぇ! だ、大丈夫です」


 クライムの声で現実に戻ってきた。自分の世界に入り過ぎていたようだ。危ないと内心冷や汗をかく。


「今日こそ……決めてください」


 クライムの小さなささやく声。

 了解を得た。サリアは真剣な表情で小さく頷く。


 サリアがエリオットに恋をしている事。

 カバンに入り、隠れて会いに行っている事。

 それらは両家当主、承知の上だ。


 コンナート家はサリアの恋を泣く泣く応援。ダダルク家はエリオットに想い人ができることを望んでいる。未来に希望を持ち、次期当主としての自覚を芽生えさせたかった。双方の意見が一致し、内密で訪れていることを許す。


 ダダルク家の中で知っているのは当主、執事長、侍女長、クライムのみ。継母であるミーティア夫人には秘密。知れば己の立場を利用して、邪魔をしてくるからだ。

 当主はエリオットを守りたかった。それは、エリオットの生みの母親、前夫人のセリアの願いでもあった。


 エリオットが五歳の時に亡くなり、数か月後にミーティアが嫁いできた。セリアが亡くなった心の傷も癒えないまま翌年、ダダルク家第二子として弟ヨハンが生まれた。


 次期当主に我が子、ヨハンを。いつしか夫人はそればかり言うようになる。

 しかし、ダダルク家当主イーガの意見は違う。ミーティアの渇望を曖昧に退け、エリオットに継がせたかった。でも、決断出来ずにもいた。原因はエリオットの体が弱いこと。


 サリアは傍にあったイスに座り、笑顔で話し始める。


「体調が良さそうで安心しました。イーガ様にもいい報告ができそうです」


「……父上はどうしているだろうか?」


「とても忙しく大陸中を駆け回っているそうですよ。首都モリスを中心として、東西南北を鉄道で繋ぐ大きな国家事業ですもの。これが成功するか否かで、国の行く末が決まってしまうといっても過言ではないでしょう」


 当主は六か月前から長期不在だ。携わっていた鉄道開通の公共事業に問題が発覚したためだ。解決には当主自ら国土を転々としなければいけない。


 当主がいなくなると、夫人はエリオットの冷遇を強めた。全ての交流を絶たせて、邸宅の者たちを脅し、今の軟禁状態を作り出した。

 代わりにサリアが外部への連絡手段になる。イーガにエリオットのことを、エリオットにイーガのことを報告していた。


 元凶は夫人だ。重荷を背負わないといけないのは、ダダルク家だと思っている。だが実際はサリアに苦労を強いてしまっていた。

 エリオットは申し訳なささから、苦悶の表情を浮かべる。


「こんな真似をさせてしまって、本当に申し訳ないよ」


「何をおっしゃっているのですか。私はすすすっ好きでっ、あっああぁっ会いに来ているのです」


 大丈夫だとぎこちなく頷く。終始、笑顔を絶やさないが、どうしても緊張で言葉を詰まらせてしまう。

 たったそれだけの言葉なのに、エリオットの曇った心は晴れ渡る。少しずつ顔に笑みを作り、心に余裕が生まれた。


「うん……本当にありがとう。お茶会でも夜会でも、サリア嬢にはいつも助けてもらってばかりだよ」


「ふふっ、私が優秀なじょっ女性、と分かって下さいました? ももっ、もしっ……宜しければ、こここっ、こんこんっ、こぉお婚約っのぉ、契りを交わしましょうっ!!」


 告白をする。

 心の中で叫びながら、言葉を詰まらせながらも精一杯の気持ちを伝えた。口元が不自然にヒクつく。

 だが、不自然さが裏目に出てしまう。


「はははっ! サリア嬢の冗談はいつも面白いなぁ。では、宜しくお願いします……婚約者殿」


「あっひいっぃいいいん!!」


 笑いながらのその返答は、良く効いた。綺麗なお辞儀つきで言われれば、サリアは一瞬で夢心地になる。エリオットが世界で一番の王子様に見えてしまっていた。

 意識は天上へ昇る天使のように、高く飛び上がった。簡単に言うと失神しそうになる。


 子息や令嬢の集まりにエリオットがいれば、必ずサリアがいた。お茶会の席では必ず隣同士。夜会では必ず一番に踊る。

 コンナート家が培った人脈を全力で活用。情報収集をし、危険な人物が近寄ってきたら全力で威嚇。また、エリオットに好意的な令嬢には真正面から挑み、負かせてきた。


 それでも未だに告白できない。婚約など夢のまた夢だ。


「サ、サリア様っ。お戻り下さい」


「はっ!? ……も、申し訳ありません」


 嬉しさで天井を仰ぎ見て、動かなくなったサリア。クライムの慌てる声でようやく現世へと舞い戻る。


(私としたことが……今日こそ決めるって言ったんだわ!)


 妹に約束した。クライムに応援された。数ヶ月前から機会はあった筈なのに、関係は変わらない。


(ずっとずっと、この時を待っていたのよ)


 一目会った時から恋して八年。八年で育った恋心はいつの間にか周りに知られて、秘密ではなくなった。初めは恥ずかしかったが、今では心強い味方だ。沢山の人に見守れながら、恋心は真っ直ぐに育った。


(今日こそ、しっかりと気持ちを伝えるのよ!)


 決意すればするほど、決意が揺れるのはなぜだろう。気持ちを伝えなければ、先へと進めないのに……それが怖い。今のままが一番幸せではないかと、考えてしまう。

 誰も傷付かない。それが一番の幸せ。


(でも、今まで頑張ってきたのは……全て気持ちを伝えるため、なのよ)


 弱気な自分が、ずっと内側から引っ張り続ける。こっちは誰も傷付かない、幸せだよ……と。変わらない幸せはいつまでも幸せだ。でも、それ以上にはならない。ただ、幸せなだけで終わる。

 欲しかったのは、ただの幸せではない。それ以上の幸せだ。


(例え、断られたってっ! 何度でも、何度でも!!)


 何度も何度も、心の中で自分に言い聞かせる。飽きるほどに言い聞かせて、心を奮い立たせる。


「どうしたの? 面白くない返答だったかなぁ」


 突然舞い降りた、愛おしい天のお導き。その手が優しくサリアの手を包む。


「もしかして、今日のカバンの入り方が悪かったのかな? 体は大丈夫かい? 今度、僕が入ってサリア嬢に所へ行くよ」


 視線を向けると、背に虹色に輝く後光を背負った神がいた。そんな神が人差し指を口元に充てて、悪戯っぽく笑う。


「勿論、今度こそ二人きりの秘密で」


 二人きり。甘美な言葉にどんどん気持ちが膨れて―――――


(あぁ、駄目よ! でもでも、二人きりっ二人きりっ!! しかも、しかも……秘密!!)


 我慢が、我慢が―――――


「まぁ! 素晴らしいですわ!」


 手をパンッと叩き、歓喜の声を上げた。


「でしたら、エリオット様がお入り出来るカバンを製作させますわ」


「それは、最新のチャック付きのカバンかい?」


「えぇ、えぇ! 勿論です。早速デザインしませんと。クライム、紙とペンをお持ちになって!」


 二人の会話は思わぬ方向へ弾み、和気藹々といった雰囲気を作り出す。そんな二人を他所にクライムは―――――


(あぁ、神よ! 何故、貴方はサリア様の前に降臨されてしまうのでしょうか!!)


 天を見上げ、顔を両手で覆っていた。


(この時ばかりは、神を……エリオット様を恨みます!)


 サリアは頑張った。それはもう、周りからの期待を一心に背負いながら。ダダルク家の将来をかけても、逃げない。決してめげることのなく、弱音を吐くことなく。好き、の気持ちを真っ直ぐに貫いて。


「クライム、サリア嬢がお待ちだ。早く持ってきてはくれないか?」


「うぅ、た……只今」


 悲観の海に沈むことも出来ない。エリオットの要求は断れないクライム。肩を落としながら、その場を離れる。ちらりと恨めしそうな視線を向けると……


「この手が新しいカバンを作ったんだね。僕にもその力、分けてほしいな」


「ふふっ、はい! いくらでも差し上げます」


 お互いに柔らかく慈愛に溢れた笑顔を浮かべていた。エリオットはサリアの手を握り、サリアは嬉しすぎて全身が小刻みに震えていた。

 クライムはため息を吐きながら、心の中で決意をした。


 自分からエリオットに真実を伝えようと。


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