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未来を願う

 コンコン


 室内の壁際にいた侍女長が、音の鳴った扉に顔を向けた。神妙な面持ちをして近寄り、扉越しに声をかける。


「はい、どちら様でしょう」


「ジャンドリク様とサリアお嬢様がいらっしゃいました!!」


 上ずった侍女の叫び声だ。侍女長は驚き、慌てて扉を開ける。


「た、大変失礼しました!! 是非お入り下さいませ!!」


 二人の姿を確認すると、勢いに任せたお辞儀をして中へと誘導する。


 侍女長の普段の姿を知るサリアはその様子に驚き、何度か瞬きをした。それからジャンドリクに視線を向け、伺いを立てる。返答は苦笑い。軽く頷き、サリアに対応を任せた。


「……エリオット様が復調されていなければ、この場は挨拶だけで辞退させて頂きたいのですが」


「いえいえいえいえっ! 是非ともジャンドリク様とサリアお嬢様には、エリオット様のお近くにいて頂きたく!! えぇ、えぇ! 邸宅の者たちは、この日をどれだけ待ちわびたでしょう!!」


「あ、ありがとうございます。では、お言葉に甘えましょう」


 いつも感情を押し殺し、ミーティア夫人につき従っていた侍女長。だが、今はどうだ。信じられないほどの覇気をまとっている。

 さぁさぁ! と、ほとばしる眼力が二人に絡みついて離さない。室内に向けて力強く伸ばされた手が、二人の背中を強く押す。


 室内に進み出ると――――――


「皆さん、最大の感謝の言葉を捧げましょう!!」


「「「この度はダダルク家を救って下さり、心より感謝申し上げます!! ご恩は一生忘れません!!」」」


 侍女長のかけ声が室内に響く。すると壁際に寄っていたダダルク家の使用人たちが一斉に声を上げ、綺麗に揃ったお辞儀をする。かつては物静かで、悲壮感が漂っていた。それが霧のように消え去り、温かな太陽の光が輝いているようだ。


 本来の姿に戻ったのだろう。二人は嬉しそうに口元を緩め、気恥ずかしく遠慮がちに笑う。


「皆様も救われたようで、力を尽くしたかいがありました」


「そうだね。僕はおこぼれに預かっただけだよ。称えられるべきは、サリア嬢だ」


 軽く言葉をかけ、今一度ダダルク家の使用人たちをねぎらった。それだけで使用人たちから嬉しい、とすすり泣く声が聞こえてくる。

 思ったよりも大げさな歓迎だ。内心困り果てているところに、追い打ちをかけるべく登場する人物がいる。ハンカチで顔を覆った従者クライムだ。おぼつかない足取りで近づいてきた。


「ありがっとう、ございっますぅ!! 伏して、伏してっ感謝を申し上げますっ!!」


 そう言って本当に倒れ、床の上で号泣を始めてしまった。おいおいおい、と泣き始めると使用人たちが同調してしまう。すすり泣きがどんどん大きくなり、号泣合唱へと発展してしまった。とてもうるさい。


 さて、どうしよう。

 サリアが気が遠くなる意識の中で考えていると、ようやく部屋の主が声を上げる。


「み、皆……恥ずかしいからやめてくれ」


 エリオットが起き上がり、寝台の端に腰かけて頭を抱えている。すぐそばにはヨハンもいる。が、初めて見聞きする使用人たちの態度に無表情で怯えていた。

 声は届くのだが、歓喜の渦はそう簡単には止まない。逆に刺激してしまい、音量が上がってしまった。


 平常心のサリアとエリオットが途方に暮れる。この面倒くさい状況に立ち上がるのが、ジャンドリクだ。


「エリオット君! 先ほどは挨拶できなくて申し訳なかった! 思った以上に死相が出ていて心配したぞ!」


「……ジャン殿」


 バッと手を広げて、ツカツカとエリオットに近づく。久しぶりに対話する友人を前にして、エリオットは心底安心したように顔を緩めた。そんなエリオットを真正面から抱きしめ、背中を強く二回叩く。


「ゴホッ!」


「おっと、すまない! だが、苦しいというのは生きている証拠だ! それを確認できただけでも、いい収穫だったよ! 君も生きているようで良かった! では、邪魔者は消えるとしよう!」


 早口でペラペラと喋り、ヨハンの頭をグチャグチャに撫でた。その後、すぐに体をひるがえして手を振る。


「また会おう、幸運な男よ! さぁ、皆も一緒に行くぞ!」


 泣き声を裂くように声を上げた。始めからこれが狙いだった、とあからさまな態度で示す。


 その分かりやすさのおかげで、使用人たちはようやく動きだす。歓喜で崩れそうになる体を引きずりながら、部屋を後にしていった。

 その中でクライムだけは物理的に引きずられていく。いなくなった場所には、しっかりとシミだけが残っていた。


 あっという間に室内は閑散とする。

 寝台に腰かけるエリオット。髪がもみくちゃなまま固まったヨハン。距離を開けて立ち尽くすサリア。この三人だけが残された。


 離れていく泣き声のせいで、静けさが際立つ。突然残されても何を言えばいいのか、誰も分からない。泣き声が聞こえなくなった時、小さく咳き込んだエリオット。ちらり、とサリアに視線を向けて口を開く。


「いつまでも恩人を立たせるわけにもいかない。サリア嬢、どうかこちらに来てもらえないだろうか?」


「……はい、喜んで」


 控えめに微笑んで近づいていく。すると、ヨハンが隣にあったイスを指差した。無表情でも期待に満ちた目している。どうやら近くに座って欲しいそうだ。

 くすり、とサリアは笑った。


「そんなに時間取れませんが、座らせて頂きますね」


 ヨハンのグチャグチャにされた髪を手ぐしで直し、ゆっくりとイスに腰かける。隣にはヨハン、正面にはエリオット。ようやく一息ついたところで、サリアは優しく目を細める。


「こうしてゆっくり対面できたのは、あの時以来ですね」


 しみじみと思い、懐かしむように呟いた。安堵しているように見えるが、その表情はどこか影を感じさせる。いつも通りのようで、違う。

 そんな微かな変化をエリオットは見逃さない。


「全てサリア嬢のおかげだ。いくら感謝しても、この気持ちは枯れない。今日は時間がないかもしれないけど、後日ゆっくりと話し合う場を必ず設けようと思う」


 今までとは違い、積極的に働きかけてすぐに約束を取りつける。以前のらりくらり、としていたのが嘘のようだ。

 それにサリアは素直に喜ぶ。


「とてもありがたいことです。是非、場を設けて頂ければ嬉しいです」


 微笑んで感謝をした。……それだけだ。あきらかにいつもとは違う。

 一線を引いて踏み込むことはない姿勢に、エリオットの中で言いようもない不安がこみ上げた。問いただしたい気持ちをぐっと堪え、会話を続けようとする。


「そうか、なら――――――」


「ヨハン様はこの後どうされるのですか?」


 突然の話題転換。

 エリオットは口を噤んでしまった。少し驚いた顔をして、目を見開く。目の前には変わらずの微笑みを浮かべるサリアがいる。表情は変わらない、そう変わらないのだ。エリオットの中で一気に不安が膨らんだ。


 不安を置き去りにして、話は進んでしまう。


「……私はどうしたらいいでしょう」


 相変わらず無表情のままで、ヨハンは視線を落とした。こちらも不安げな様子で、目が揺れ動いている。流石にこれは無視できない。エリオットは寝台から降りると、ヨハンの前で膝をついて顔を見上げた。優しく目を細め、ゆっくりとした口調で伝える。


「ここにいていいんだよ」


「……ですが、母上は連れて行かれました。きっと裁かれるのでしょう? なら、私は罪人の血を引いた子で」


「それを言うなら、僕だって同じさ」


 ヨハンが言おうとしていたことを遮り、首を横に振る。両手を取り、自らの手で慈しむように握った。


「今まで兄として振舞えなかったことを許して欲しい」


「それは、母上が……」


「いいや、違う。ミーティア夫人のせいじゃない。僕が歩み寄ろうとしなかったから、ヨハンを孤独にしてしまったんだ。本当にすまないと思っている」


 握る手に力を込め、強い希望で輝く目を向けた。


「遅いかもしれないけど……これからヨハンの兄として、やり直してもいいだろうか?」


 未来に絶望しか見いだせなかったエリオットはいなくなった。残されたヨハンと手を取り合い、ダダルク家を背負っていこう。未来を共に生きていくことを望んでいる。


 改めて見る兄の姿を、ヨハンは呆然と見つめた。今まで夫人の後ろで眺めていただけ。手の届かなかった、血を半分だけ分けた兄。今は手が届く距離、目の前にいる。


 それだけでヨハンの心の中に安心が生まれた。表情は変わらないが、自然と目から涙が零れる。震える口で必死に思いを伝える。


「お願い、します……兄上」


 精一杯の勇気を出しても、少し他人行儀なセリフだ。苦笑いするエリオット。少しでも緊張を解すため、腰を上げて少し小さな体を包み込んだ。


「名を呼んでくれないか、ヨハン」


「……エリオット、お兄様っ」


 ようやく動き出した兄弟の時間。

 しっかりと抱きとめた腕の中で、遠慮がちに伸ばされた腕がエリオットを掴む。確認しあった温もりは、どこまでも優しく二人の心を癒した。


 いつの間にか席を立っていたサリア、離れて見守る。扉に手をかけた状態で振り返り、微笑んで二人を眺めていた。


(本当に良かった。これで――――――)


 音を立てないように扉を開け、その姿は室内から消え去った。


 ◇


「ほっほっほっ、意外と早かったね。もういいのかな?」


「はい。お時間取らせてしまい申し訳ありません、ワーグマー様」


 玄関前で待たせていた馬車。その中で、ワーグマーが待機していた。穏やかに語りかけると、サリアは馬車の外から微笑みを返して謝罪を示す。


「本当に今度こそ大丈夫なんですね、お姉様」


 サリアの隣には、いつの間にか応援に来ていたカタリナがいた。どうやら心配で駆けつけていたようだ。気遣いを感じ、カタリナの頭を優しく撫でる。


「心配しなくても大丈夫よ。約束、取りつけてあるから」


「そんなこと言っても、簡単には信じられません。……本当に本当でしょうね!」


 しつこいくらいに問い詰める。でも頭を撫でられ、どんどん怒りが沈下していく。複雑な表情になりながらも、精一杯睨んで答えを聞こうとした。


「……えぇ、本当よ」


 少し言葉に詰まった後、ふっきれたような満面の笑みを浮かべた。今まで微かに見えていた影が一切見当たらない、清々しい笑顔だ。

 突然の変わりように、カタリナは不思議だとに首を傾げた。


「お姉様?」


「カタリナ、私ね」


 一度目を閉じ、俯く。

 何を言おうとしているのか心配になり、カタリナは顔を覗き込んだ。


 サリアは一つ大きく深呼吸をして、顔を上げる。

 その表情は晴れやかで、悩み一つない笑顔をしていた。


「エリオット様のこと、諦めようって決めたの」


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