ひそめいた声
「はっはっはっ! 素晴らしい気迫だったね。私の入る余地が一切なかったよ、サリア嬢」
慌ただしい室内に愉快な笑い声が響いた。ずっと様子を見ていた、ジャンドリクだ。出入りする白と黒の憲兵たちを避けながら、サリアに近づいていく。協力してくれた好敵手を前にして、サリアは落ち着いた様子でお辞儀をした。
「ご協力ありがとうございました。後日、礼状をしたためさせていただきます」
「なんと! それは楽しみにしているよ。なにせ君からの直筆の手紙は初めてだから、とても嬉しい。額縁にでも飾っておくよ」
「うふふ、冗談がお上手で」
「はっはっはっ! 礼は君の体の不思議を調査することにしようか。どうだい、これから時間とれるかい?」
サラサラ金髪ヘアーをかき上げて、ウィンクをしたジャンドリク。本音が混じる上級貴族のお願いだ。サリアは笑顔が強めた。
「生憎、これよりワーグマー司法顧問とご一緒に一度司法省に赴かねばなりません。申し訳ございませんが、礼状をしたためさせていただきます」
「それは残念だ!」
遠回しに上級貴族のお願いをかわした。司法省を理由に出されては、ジャンドリクも笑うしかない。その笑い声は、騒がしい室内にうるさく響いた。
◇
あの後、ミーティア夫人は半狂乱になってしまう。それを連行するのは第一憲兵ではない。王家憲兵の手により、連れていかれてしまった。統一王の庇護下にいたせいもあり、王家主体で身柄を拘束したようだ。
これには第一憲兵隊長であるロイドは、複雑な心境を抱く。関連している不正と一緒に、洗いざらい調べ尽くすつもりだった。その出鼻をくじかれ、思うような捜査ができない状況になる。
第一憲兵が介入できるのは今日まで。残された時間はわずか。一分も無駄にしないため、すでにダダルク邸捜索を開始していた。
一方で王家憲兵は擁護する対象がいなくなり、早々に引き上げる準備を始めている。ダダルク邸のことは、我関せずといった様子だ。変わり身が異常に早い。
その異常さにはサリアも愚痴を零す。
「統一王の影響下でしか権勢を振る場がないのは、致命的ですね」
廊下を進みながら呟いた。去っていく王家憲兵の姿を横目で見ながら、溜め息を押し殺す。並んで歩いていたジャンドリクは話しかけてきたことに驚きつつも、目を細めて答える。
「……貴族の中で求心力が落ちているからね。以前ほどの影響力はないだろう。が、それでも蔑ろにすれば痛い目に合うのはこちらだ」
「終戦のために祭り上げられた存在の寿命、ですか」
「君も本当の原因が分かっているんじゃないか?」
青い目がサリアを見抜こうと見つめてきた。普段お調子者のジャンドリクの裏の顔だ。サリアは呑まれないように、にこりと微笑み返す。
「戦争を望む声が聞こえる中、王制派も抑え込むのに必死なのでしょう。モルクティルク家は戦争賛成派ですし。夫人の事件を利用するつもりでしょうね」
終戦のきっかけを作った統一王。始めは人々から称えられていたが、時代の変化に存在意義が弱まる。
時代に合わない制度のまま、国家運営を続けてしまったのだ。そのせいで運営は上向かず、貴族の没落をいくつも招いていた。又それは庶民の生活にも直結し、大陸中の活気に死相が見え始める。
王政派は求心力が衰え始めたことを感じた。
そして、国の命運をかけた鉄道の国家事業を推進。それが後にモリスの内乱を引き起こすことになろうとは、その時は誰も思いつかなかっただろう。
国家事業に陰りが見え始めると、貴族は過去の栄光を思い出す。戦前の物が売れた時代。戦争が生む富の手軽さは、いつの時代も人の欲を刺激した。
今回、王家憲兵が強引に権勢を振るってきた理由。夫人が無実であれば、擁護して戦争賛成派を宥め。有罪であれば、責めるネタとして戦争賛成派を粛正しようと目論んでいた。
どちらにしろ、夫人を利用するために王家憲兵が出てきたことになる。
軽い世話話をするようにジャンドリクは笑う。
「謀反までして身を切り、終戦に一役かったルメネリオ侯爵家としては耳の痛い話だよ。今回ばかりは王政派に頑張って貰いたいね。今も東に狙われている身としてはね」
「こちらの上も二つに別れていますし。各々、切実なのでしょう」
「ほう、君の上が一枚岩じゃないところが素敵だ。もっとこみいった情報を教えてもらえたら嬉しいけど?」
明らかに目の色を変え、笑みを深めた。対してサリアも同じように微笑みを向ける。
「所詮は小間使いですから、これ以上は。詳しい話はお祖父様まで、お願いします」
「ふふ、巻き込もうなんて。全く怖いね、ラインハーツの血筋は。でも、潰されるくらいならこちら側に来て欲しいね。手筈は整えるよ」
少し声をひそめて伝えた。遅かった二人の歩みが、完全に止まる。
一歩前に出たジャンドリクは変わらない笑顔を浮かべ、サリアを見つめた。周りには行き交う憲兵もいなくなっている。が、二人はすぐには動かない。
時間にして数十秒の出来事だ。先に動いたのは、サリア。隣を通り過ぎ、ボソリと呟いた。
「分権派がいる、ということが分かっただけで十分です」
「……君のそういうところも魅力的だね」
大げさに髪をかき上げ、後ろへ流す。優雅にターンをすると、サリアにつかず離れず後を追う。
行先は、あの後体調不良で倒れたエリオットがいる部屋。夫人がいなくなると同時に、執事長と侍女長に連れて行かれてしまっていた。内緒話も終わり、ようやく行きたかった場所へ行けるようになる。
しかし、エリオットへの面会はまたも遅れてしまう。
「ジャンドリク」
部屋の手前。廊下に仁王立ちしていたのは、マクスウェルだ。厳しい顔つきで睨み、ジャンドリクの存在に怒りを感じているようだった。
「おやおや、無二の親友のマクスウェル君じゃないか! どうしたんだい、お別れの抱擁が欲しかったのかい?」
手をバッと広げて、にこやかに言い寄るジャンドリク。すると、嫌そうに顔をしかめて手のひらを前に出す。
「ふざけないでくれ。一言、忠告をしにきただけだ」
黒い軍帽から覗く赤い目が鋭くなる。
「統一王はルメネリオの功績を忘れてはいない。貴殿はこちら側であることを、ゆめゆめ忘れないことだ」
「何を言うと思ったらそんなことか、つまらない。現に私は統一王のために動いていたじゃないか。今回の件も戦争賛成派を叩く、素晴らしいネタを用意できたんだからね」
「功績は十分だ、後は統一王に従ってもらえればいい」
功績を上げるということは、その貴族の影響力が増すことを意味する。表向き王政派であるルメネリオ侯爵家の影響力が強くなれば、統一王の求心力がさらに弱まってしまう。
マクスウェルはそれを危惧していた。王政派を支える、アーレンス侯爵家の嫡子として。
人を魅了する容姿に対し、中身が堅物なマクスウェル。対して容姿や中身も軟派なジャンドリク。対照的な侯爵家の青年子息。何かにつけてお互いに衝突していた。
一通り気がすんだのか、今度はサリアに視線を移す。
「サリア・コンナート嬢。一つ宜しいでしょうか」
「はい、なんでしょう」
極上の愛想笑いを返し、首をかしげてみせた。
「色々と言いたいことはあるが、貴女も己の立場を忘れぬよう肝に命じてほしい。統一王は寛大だが、それは時と場合による。私的なことは慎むように」
「ご忠告感謝いたします。以後、気をつけます」
にこやかな表情を崩さず、ワンピースの裾を広げてお辞儀をした。それから姿勢を正して顔を上げると、そこには麗しい顔で微笑むマクスウェルがいた。
思わず笑顔が固まり、動けなくなるサリア。その間に距離を詰めて近づいてきた。
「お手並み拝見しました。素晴らしい感性と知性をお持ちのようで、感服いたしました」
流れるような動作で手を取り、腰を曲げる。そして、触れるだけの口づけを手に落とした。
「貴女の勇気と行動に、敬意と羨望を」
ゆっくりと上げた顔。赤目が物柔らかに細められ、称えた微笑みは美麗。真っすぐ見つめくる。一方、サリアは表情一つ動かせない。
名残惜しそうに手がゆっくりと離れていく。
「それでは、またお会いできる日を楽しみにしています」
軽く一礼をして、マクスウェルはその場を立ち去った。残されたサリアもお辞儀をして、姿が見えなくなるまでずっと見つめる。
が。
いなくなった途端。口づけされた手を、ジャンドリクの服で激しく拭い始めた。
「えっ、ちょっと……やめてよ」
「うふふ、面倒な出会いのきっかけを下さったお礼ですわ」
ジャンドリクは本気で嫌そうに眉を寄せ、服を取り戻そうと引っ張る。だが、ここ一番で力を発揮するサリアには抗えない。
満足するまで拭ったサリアは影のある笑顔を向けて、様々な怒りをぶつける。困ったジャンドリクは、こちらも仕返しとばかりに小言をいう。
「出会いの良し悪しは、その後にどんなつき合い方をするかだよ。サリア嬢」
「……あれは、政治的な意味合いでの下心ある発言です」
経験の差はあきらかで、その言葉の説得力に負け思わず顔を逸らしてしまった。してやられてしまったのだ。
少しだけふくれ面をしながら、逃げるようにエリオットの部屋を目指して歩き始める。やれやれ、と後ろでジャンドリクが髪をかき上げた。
「あ、一ついい忘れたことがありました」
先に行ったサリアが思い出したように声を上げた。くるりと向き返り、先ほどとは違う真剣な表情をしていた。
今度は何をいうのか。興味津々なジャンドリクの耳に、聞き慣れない言葉が聞こえてくる。
「エリオット様のこと、今後とも宜しくおつき合い下さいませ」
「え、あぁ……うん?」
らしくない言葉に首を傾げた。




