カバン入りの私をお受け取り下さい
馬車を連れ、グレイはハルマンと中央部付近にやって来た。目の前には空に続く高い壁。首を痛めるほど見上げると、ポツリと呟く。
「ここまできたの初めてです」
「首都モリス名物の天上壁だ。戦乱を生き抜くために、堅牢な壁を築いたそうだ」
二人は歩いて進み、馬車が後を追う。ゆっくりと列を進む間、首都の外からやってきたグレイに簡単に説明していた。
視界一杯に広がる壁には、整えられた大きな岩が幾重にも積み重ねられている。その圧迫感は凄まじく、山のようだ。
今まで外部の壁しか見たことのないグレイは感嘆とする。
「外部の壁とは比べようもないですね」
「大陸の中央に位置している場所だからな。奪い合いが苛烈だったらしいぞ。奪われないために、こんなものを作ったんだろう。今じゃ庶民と貴族を隔てる、権力の壁って皮肉られている」
「権力の壁……」
その言葉で不意に思い出す、アレ。振り向いて馬車を見た。移動中もサリアは馬車の中、カバンの中だ。
中央部にいるべき人物がどうして、こんな真似をしているのか。グレイは理解できずにいた。
「ほら、憲兵のところまで行くぞ。通行証を見せれば、荷物検査なしに中に入れる」
ハルマンの急かす声に、駆け足で近づく。
庶民が住む外部と貴族が住む中央部。二つを結ぶ大通りは、今日も大勢の馬車と人が行き交う。馬車が四台並んで通れるほど大通りは広く、止まることなく流れている。
グレイは辺りを見渡しながら、馬車と一緒に列を進んだ。その先にあるのは、開け放たれた大門。そこでは緑色の軍服を着た憲兵が、通行証の確認をしているのが見えた。
「監理官の信頼って厚いんですね。通行証だけで通り抜けられるのが、すごいです。他の街では荷物検査していますよね」
「何かあった時に全責任を負う立場だからな。だから、私たちもその信頼に答えねばならない」
首都にもなると、行き交う物量は他の都市部では比べようもないほど多い。通行に時間をかけては、渋滞になり様々な所で支障が出てしまうだろう。それを解決できただけでも、監理官と通行証の存在はありがたい。
ここでハルマンは監理官について、説明を始めた。
「監理官は、中央部への物流を管理し監視する立場だ。貴族と販売者の双方を監視している。不正はないか、偽造はしていないか、危険物はないか。あとは斡旋とかもしているぞ。そんな感じで、多岐にわたる管理やら監視をして下さっているわけだ」
「でも、コンナート子爵家は普通の監理官では行わないこともしているんですよね」
「あぁ、そうだな。市井に赴き、経営や商品開発に口出しをしている。はじめは反発もあったが、結果がついてきた。お陰で発展した販売者が数多くいて、信頼が厚い監理官だな」
貴族という立場でも、庶民に寄り添い導く。その姿勢で傘下に入った販売者たちの信頼を勝ち取り、結果としてコンナート家は監理官の中でも繁盛した。
話しを聞いたグレイは関心し、サリアを気にするように馬車に振り向く。
「命令だけで終わらないなんて。……貴族っぽくないですね」
「まぁ、だからお前もしっかりサリアお嬢様を支えてやってくれよ」
グレイの肩に重く手を乗せて叩く。重圧は苦しいが、嫌だとは思わない。
列は進み、とうとうケートス商店の番が来た。
「じゃ、後はお前に託す。気をつけろよ、中の奴らは見下す連中ばかりだからな」
通行証をグレイに手渡し、ハルマンは列の横に逸れた。
グレイは権力の壁をもう一度見上げ、一呼吸をする。心を強く持ち、緑軍服の憲兵に歩み寄って行った。
◇
「いつもお世話になっています。ケートス商店です」
ニコリ、と笑うグレイ。
その肩には一つの黒革のカバンがかけられている。もちろん、アレ入りのソレだ。
「あー、前にハルマンが言ってた甥子はお前か。若いのにもう跡継ぎ業務かよ。いいよなー、良いところ坊っちゃんは。楽でよー」
グレイと対峙するのは、料理長ルーベルト。尊大な態度の大柄な男。邸宅の壁に寄りかかりながら、煙草をふかしていた。態度も悪いが、口も悪い。
本来ならば、同じような立場だ。だが、内部にいると貴族に次ぐ地位にいる……と思い込む者がでてくる。そのせいで、外部の者を見下していた。楽しみは、悪態をついた時の相手の反応。精神的疲労のはけ口にしていた。
そんな、ルーベルトの態度を間近で受けたグレイは表情を崩さない。
「有り難いことに、楽させて頂いております。実力で内部にいらっしゃるルーベルト殿に比べると、僕は所詮小物ですよ」
「けっ! 良く回る口だな」
口調に気をつけて、おだて上げた。ルーベルトは悪態をつきつつも嫌な顔をせず、にやにやと笑う。正解だったようだ。
内心ホッとしたグレイ。しかし、ルーベルトはカバンを見ると明らかに怪訝な表情を浮かべる。厄介なモノと思っていそうだ。ここで機嫌が悪くなるのは避けたい。グレイは下手に出る。
「宜しければ、中へ運ばせて頂きますが……どうでしょう?」
「あー、そうして貰おうか。……おい! こいつをいつもの場所まで案内して、見張れ!」
「は、はい! ただいま!」
厨房の中から慌てて駆け出してくる少年。頭を何度も下げながら、厨房の奥へ案内する。
少年の後を追うが、グレイの足並みはゆっくりだ。カバンに入っているサリアに振動を与えないようにしている。
人がまばらな厨房を抜けると――――――
「すいません。この辺りに置いて下さい」
「えっ。ここ、ですか?」
少年から驚きの言葉を聞いた。グレイは驚愕した表情を隠さず向けて、確かめる。すると、少年は申し訳なさそうに頭を下げた。
「す、すいません。でも、いつもこの辺りに置いて貰っているので」
「ですが、いくらなんでも……」
「だ、大丈夫です! 邸宅の者はこのカバンに絶対手を出しませんので!」
少年が案内した場所は、厨房を出た直ぐ近く。ただの廊下の上だ。
大丈夫だ、と声を上げる少年を信じたい。でも、正直こんな所に大事なお嬢様を置きたくはない。動揺して何もできないでいると、少年はさらに言葉を続ける。
「あ、あの! すぐにエリオット様の侍従が来ると思うので! だだ、大丈夫です!」
「……分かりました。ここに置かせて頂きます」
申し訳ございません、お嬢様。
心の中で謝罪して、カバンをゆっくり床の上に置く。後ろ髪が引かれる思いだ。立ち去る時、一度振り向きカバンを見つめた。
例え少し変なお嬢様でも、一人で置いていくことに罪悪感が込み上げる。胸の奥が痛い。強い憤りを押さえつけ、グレイは去っていった。
誰もいない廊下。聞こえるのは、厨房からの雑音だけ。
カバンは決して動くことなく、そこにあり続ける。
遠くから近づいてくる足音がする。決して急ぐことなく、ゆっくりとした歩調。それはカバンに近づき、丁寧な動作でカバンを肩にかける。
その人は何も言葉を発することなく、その場を立ち去った。
◇
「エリオット様。カバンをお届けに参りました」
ゆっくりと開かれる扉。先程の侍従がカバンを肩に、室内へと入ってくる。進む方向には一つの大きな寝台。高く積まれたクッションを背に、エリオットは体を起こしていた。
「失礼致します」
寝台の傍には、急ごしらえで置かれた毛の長いカーペットがある。そこに優しくカバンを置き、侍従が少し離れた。
一呼吸の後、優しい声が降り注ぐ。
「いらっしゃい、サリア嬢」
直ぐにカバンのチャックが開けられた。
気後れすることもなく、中からサリアが澄まし顔で立ち上がる。ワンピースの皺を片手でほろい、少し乱れた髪の毛を整える。
身だしなみを整えたサリア。ワンピースの裾を掴み、膝を曲げ、顔に微笑みを浮かべた。
「ごきげんよう、エリオット様」
二人の奇妙な交流が始まる。