コンナート家の頼もしき人々
「お嬢様。サリアお嬢様」
誰かの呼ぶ声にサリアは我に返った。
視界に意識が通り、ようやくリースの存在を認識する。薄暗い廊下に浮かぶランプの灯り。それに照らされる呆れた顔。
「帰ってきてから、一体どうされたのですか?」
「どうって……」
辺りを見渡す。月明かりが淡く照らす廊下だ。自身を見下ろす。湯上がりのラフな格好をしている。今はリースに連れられて、自室に戻る途中。
強く頷く。
「いつも通りね」
「いつも通りではないので、申し上げております。帰宅してからいつにもまして可笑しいですよ。ダダルク邸で何かあったのですか?」
矢継ぎ早な質問。サリアはゆっくりと考え、整理して思い出す。そして、徐々に赤く染まる頬に手を添えた。恥ずかしげに眉を寄せ、少し俯く。
可笑しい様子を見て、リースの脳裏に嫌な予感がよぎった。
「着替えでも盗み見たんですか?」
「そ、そんなことまだしてないわよ!!」
「……そうですか、失礼いたしました」
リースは言葉を慎み、軽くお辞儀をした。が、物言いたげな視線をサリアにぶつける。
強気な態度に、たじたじになるサリア。身を縮め、う~っと唸り声を上げた。ちらりと様子を窺うが、態度は変わらない。
「あ、あのね……」
「はい」
意を決して言おうとするが、恥ずかしくて中々言葉にできない。リースは微動だにせずに根気強く待っている。
世話しなく行ったり来たりを繰り返すと、ピタリと止まりリースに駆け寄る。
「み、耳かして……」
口元に手を添え、震える声で訴えかける。
状況についていけずリースは返答できなかったが、そんな雰囲気を出さずにゆっくりと耳を傾けた。表情の変化に乏しいリースだったが、次第に驚きの色が濃くなる。
一通り話し終えると、ぎこちない動きで離れた。そこで改めて祝福の言葉をかける。
「おめでとうございます。これでダダルク伯爵様との約束は守れそうですね」
「……えぇ」
「後はしっかりと気持ちを確認することですね」
「うぅ……」
もじもじ、ちらちら。
何かを訴えたい様子だが、生憎リースには分からない。サリアの決心がつくまで、根気強く黙って待ち続ける。
「リースは……」
「はい、なんでしょう」
「コンナート家次期夫人から降りた私に……ついてきても大丈夫なの?」
心配げに尋ねた言葉。リースは少しだけ目を開いて驚く。
戦後の統一国には没落する貴族が数多く存在した。リースもその内の一つ、元西の国伯爵家の令嬢だった。
いつの日にか貴族に戻れる日を夢見て、評判のいい新興貴族の次期夫人候補であるサリアの専属侍女になる。見初められる場が増えれば、そんな下心があった。
だが。
「まぁ、正直に申しまして……どうでも良くなりました」
ふぅ、と溜まった息を吐いた。心底どうでもいいと、首を振る。
「……でも」
「お嬢様のお傍は、様々な仕事を任せられるのでやりがいはありますよ。それに――――――」
ランプと月明かりで照らされたリースの顔。優しく細められた目が真っすぐにサリアを見つめる。口は柔らかく開いて、想いを言葉で紡ぐ。
「今のお嬢様が生き生きとされているのを拝見して、昔に固執する自分が馬鹿馬鹿しくなりました」
ふわり、月光と灯りを受けて微笑みが花開く。
久しぶりに見た、麗しい微笑み。呆然とサリアが見惚れていると、スッと表情が引き締まった、
「ダダルク家に嫁入りして頂ければ、やりがいはもっと増えるんですけどね」
「ががが、頑張るわよ! 身命を賭してでも!」
「それは言い過ぎですよ」
結局、すぐにいつも通りの二人に戻ってしまった。
そのまま廊下を進み、自室へ戻って行く。と、廊下の先で扉が開き、一人の侍女が出てくる。侍女はこちらに気づき、少し足早に近づいてきた。
「サリアお嬢様! 今すぐカタリナお嬢様のお部屋に来ていただけませんか?」
「えぇ、大丈夫だけど。どうしたの?」
「カタリナお嬢様が、毒の手がかりを見つけたんです!」
闇を切り裂く、一筋の光明。
サリアは駆け出した。カタリナの執務室の前まで来ると、勢い良く扉を開ける。
「カタリナ!!」
眩い室内に視界が眩んだ。徐々に鮮明になると、奥の机に山積みにされた紙が目に入る。視点を動かすと、カタリナを見つけた。3人がけのソファーに仰向けに寝転がり、目元にはタオルが置かれている。
「あーーー、疲れた」
珍しくはしたない恰好で愚痴を零す。重々しく体を起こし、タオルを取った。
「お姉様、とりあえず座って頂けますか?」
「えぇ、えぇ!」
向かいのソファーを指し示す。サリアは歓喜の声を上げながら、世話しない動きで浅く座る。自然と前のめりになり、その時を待つ。
カタリナは向い合わせに座った。表情を引き締め、話し始める。
「黒にはダダルク邸を押さえられてしまったけど、外部に目を向ける機会に恵まれたのは幸運でした」
「なら、外部から毒の動きが分かったのですか?」
カタリナは少し残念そうに首を横に振る。侍女に指示をして紙の束を持ってこさせた。重々しい紙の束がテーブルの上に置かれる。
サリアは束を手に取ると、一枚一枚めくりながら内容を確認する。
「これは、飲食物の納入品目と……ダダルク邸のレシピ帳ですか?」
「はい。エリオット様がいつも体調を崩されるのが食事中、または食事後と伺っていました。なので、洗いざらい調べておりました」
カタリナはダダルク邸介入に合わせ、原因となっている飲食物について調べていた。各々から資料を取り寄せ、ダダルク邸のレシピ帳もグレイを使って手に入れる。
サリアが十分に資料に目を通した頃合いを見計らい、神妙な面持ちで口を開く。
「とある二種類の資料を見比べて、一つだけ不可解な存在がありました」
「……怪しい食べ物?」
「怪しい食べ物は入っていません。ですが、納入品目の中になかったものが、レシピ帳には書かれています」
正解の見つからない気の遠くなるような作業を、根気強く続けた結果だ。黙々と進めてやっと見つけた不可解な点を、カタリナが見過ごすはずはない。
サリアはもう一度資料を見比べる。野菜、果物、肉、魚、乳製品。項目を追っていた目と指が止まる。
加工品の品目だ。レシピには書かれていたのに、納入された記録がなかった。目を見開いて驚く。
「まさか、この中に?」
「まだ、決定づけるには確証はありません。ですが、聞いてみる価値はあるでしょう。明日、謎が解けるかもしれません」
それは必ずしも加工されて納入されるものでもない。料理人が作ろうと考え、手間暇をかければ作れる品物だ。
だが、それを裏づける過剰な数値が結果として出ている。サリアはその項目を見て、険しい表情を浮かべた。
「……ケートス商店」
「普通に商売しているだけですよ。……ですがお姉様、これをお持ちになって下さい」
結論を下すのは早計だ。カタリナは再度首を振り、一つの封筒を差し出した。手に取り確認すると、コンナート家の封蝋。それに加え、子爵直筆の名入り。
「お父様、お母様にも報告済みです。後は、私たちの判断に任せるとおっしゃっていました」
「そう……分かったわ」
深く呼吸をして心を落ち着かせ、決意が満ちる目をして頷く。
「ここまでしてくれてありがとう。この件は私が預かるわ」
「……なら、大丈夫そうですね。お姉様ならきっと良きようにしてくださいますもの」
カタリナは微笑み浮かべて体の力を抜いた。安心したせいで緊張の糸が途切れ、ソファーに倒れ込む。それからゆっくりとした動作で目頭を押さえ、唸る。
「あーー、でもまた忙しくなりそうですね。人づき合いはお姉様に任せます」
「ふふっ、苦手なところは克服した方がいいわよ。この件が片づいたら、お父様とお母様に休暇を申請しないといけないわね」
外回りはサリアが得意とし、内に籠る作業はカタリナが得意だ。その弊害か、カタリナは余り人づき合いが得意ではない。久々に甘える妹を見たサリアも緊張を解し、表情を綻ばせて笑った。
そんな中、休暇という言葉にカタリナは反応する。
「……二人でどこかにお出かけ?」
「カタリナの希望を聞きましょう」
物欲しそうな視線に、間もおかずに返答した。やった、と小さな声が聞こえてサリアは満足そうに笑う。
「あ、そういえば」
たった今、思い出したかのようにカタリナが起き上がる。
「丁度良く仕上がったから、と明日ボルグが来るらしいです。好きなように使えってお祖父様から言伝が届きました」
「まぁ、そうなの。丁度力業が欲しかったところです。流石お祖父様ですわ」
最近見ていなかったのは、ベルハルトがボルグに何やら仕込んでいたせいだった。二人は少し薄い反応を示すと、久々な姉妹の交流に勤しんだ。
夜更けの一室。温かな灯りは消えず、可愛らしい笑い声が部屋の隙間から漏れだした。それは忙しい日々を癒す、姉妹だけの特権。
◇
翌朝、支度を終えたサリアがエントランスに降りると、見慣れない白軍服が立っているのが見えた。直立不動で一切の身じろぎすらしない、模範的な立ち姿。
サリアが恐る恐る近づいていくと、その人物は素早い動きで敬礼をした。
「朝早くから失礼いたしております!」
「え、えぇ……ありがとう。あの、何か急ぎの用事があったのですか?」
深く被った軍帽のせいで、良く顔が見えなかった。ゆっくりと近づいていくと、敬礼していた手が軍帽をずり上げる。
「あっ」
思わず声が出て、口元を手で押さえた。
「俺です、俺」
それはしばらく姿を見ていなかった、用心棒として雇っているボルグだ。
第一憲兵の白軍服が思いのほか違和感なく着こなせていて、すぐには気づかなかった。出で立ちに関心しながら観察するサリア。
「もしかして、お祖父様に仕込まれたっていうのは……」
「はい。今一度、憲兵としての素養を叩きこまれました」
少し疲れたように笑った。相当なことを仕込まれたのか、動きに一切の無駄がなかった。再び凛々しい表情をして、張った胸に拳を掲げて職務を述べる。
「この件が決着するまではお嬢の駒になるよう、言い聞かせられています。どうぞ、なんなりとご命令下さい」
まるで従僕のようだ。
いつもとは違う雰囲気に可笑しくなって笑うサリア。少し照れ臭いボルグは、結ぶ口に力を籠める。微妙な空気が流れていると、ふいにサリアが微笑みを向けた。
「ボルグ。貴方、白い軍服の方が似合っているわ」
「……お嬢」
はっ、と顔を上げる。複雑な表情をした後、軍帽のつばを強く握って前に深く落とす。
「俺、頑張ります」
つばを握る手が微かに震えていた。珍しい気弱な姿にサリアは優しい眼差しを向け、勇気づけるように肩を叩く。
「えぇ、それじゃ行きましょうか。私がついているから怖くないでしょ、大丈夫よ」
「ちょっ! それは俺の台詞です!」
玄関に向かってサリアが先に歩き、その後を慌ただしいボルグが追って行く。一日は始まったばかりだ。




