二人
(レザースーツ、常備しておいたほうがいいわね)
建物の角に身を隠しながら、サリアはそんなことを思った。
白いワイシャツ。若草色のフレアスカート。茶色で細いヒールのあるロングブーツ。動くには相応しくない格好だ。今になって、あれは動きやすさに特化した素晴らしいものだと実感した。
あの後、昼食を取って行動を開始。憲兵に協力してもらい、二階の窓から外へと脱出する。皆、サリアの身のこなしを見て驚く。が、すぐに小さな歓声を上げて見送ってくれた。
それから窓に姿を映さぬよう慎重に進み、今は裏口が見える位置で待機している。
(一体、誰が……)
もしこれが王家憲兵の罠であれば、姿を見られれば捜査打ち切りを動機を与えてしまう。ここ数週間で板についた、隠密行動と心構え。突出することもなく、吟味ができるようになっている。今はひたすらに待つ。
どれだけ待ったかは分からない。そろそろ日が傾きだす時、扉がゆっくりと開いていく。サリアは目を凝らし、その人物を観察した。が、確認した途端に自然と足が前に出てしまう。一歩、二歩と隠れていた角から歩み出る。
(エリオット様!?)
震える手で杖をつき、扉から出てきた。一人で。今にも倒れそうなほどに体はふらついている。顔色も悪そうだ。部屋で休んでいなくてはいけない体なのに、どうして。
気づいたら、走っていた。芝生に足を取られながらも早く、速く。
視界の先で、ふっと顔がこちらを向く。少々呆けた表情が、ぱっと明るくなるのを見た。四歩手前で立ち止まると、呑気な言葉がかかる。
「……良かった、届いていたんだね」
立つのもやっとだろう。杖一本に体をゆだね、震える体で必死に立つ。なのに、こちらに近づこうと少しずつ、少しずつ寄ってきている。
「い、イス持ってきますね!」
心配で気が狂いそうになる。
慌てた調子で厨房に入ろうとすると、中から一脚のイスが押し出された。驚き顔を上げる。そこには下積み中の見習いが、申し訳なさそうにイスを差し出していた。
「……ありがとうございます」
面を食らっても、なんとか感謝を言えた。それから、静かに閉まる扉。あっという間に、二人だけの空間が出来た。
「あっ、申し訳ありません。どうか、お座りください!」
「ありがとう。遠慮なく座らせてもらうね」
イスにゆっくりと腰かけるエリオット。ふぅ、と息を吐いて体の力を抜く。
一方、サリアは状況についていけず、一人で困惑していた。体の悪いエリオットが何故ここにいるのか、不思議でたまらない。
サリアの心配を余所に、やれやれと疲れた様子で話し始める。
「黒にも困ったものだね。あの人たちも貴族の出だから、下手なこともできないし」
「え、えぇ……」
「着いてくるって言った時は、心底うんざりしたよ。でも、詰めが甘いよね。僕らがここで会っているなんて知ったら、どんな顔するか」
今は廊下で見張っているよ、と笑った。黙って聞いていたサリアは、ここにきてようやく状況を整理し始める。
(あの赤い紙は、エリオット様から私への言伝。細工をして、王家憲兵を騙して会いに……)
この短時間でエリオットが王家憲兵を出し抜いた。理解したとしても、大きな疑問が頭に残る。寝ていないといけない体なのに、安静にしていないと駄目なのに、なぜここへ?
未だに納得がいっていないサリア。その困惑した様子を見ていたエリオット。緊張気味に深呼吸をし、表情を引き締めて宣言する。
「僕はもう、黙って見ていることはやめにしたよ」
「で、でも……お体が」
「体のことだってそうだ。いつまでも悲観ばかりしていては、良くなるものも良くはならない。だからね、サリア嬢」
急に真剣な視線を向けられた。今まで見たことのない、力強く熱を感じる視線だ。ドキリ、と心臓が脈打って締めつけられる。
「僕の体を使って毒を見つけるよ」
「えっ……」
その言葉に頭の中が真っ白になる。
「これから一つ一つの食材を僕が食べていく。そしたら、きっと毒の正体が分かると思うんだ」
揺るがない決意。確固たる意志。引き締まった表情に、真っすぐに見つめる目。穏和でどこか一線を引いていた雰囲気が消えた。
突然の宣言と変化した雰囲気。サリアは呑まれてしまい、口を噤んだままだ。それでも一つ一つの情報を自身の中で整理して理解する。
(つまり、エリオット様自ら毒を……)
途端に血の気が引く。思わず詰め寄って、必死の形相で訴える。
「いけません! どんなものかも、どれほど危険があるかも分かりません!」
「大丈夫だよ。少しずつ食べていくし、変だと思ったら吐き出すよ」
「そういうことを言っているのではありません!!」
これ以上、毒を食べさせるわけにはいかない。これ以上、辛い目に合わせたくはない。過剰な心配は怒りに変わり、遠慮なくぶつけた。少し睨みながら、まだ口を開く。
「私が、私が食べて毒を見つけます!」
「それは駄目だ」
「何が駄目なのですか!? 私の体は健康です。簡単には倒れません!」
「先日、過労と栄養不足で倒れたじゃないか!」
二人は言い争い、負けたのはサリア。
エリオットの指摘に言葉を詰まらせ、口を閉ざしてしまう。だが、怒鳴ったせいで体に負担をかけてしまったのだろう。エリオットは小さなうめき声を上げる。苦しそうに腹を手を押さえながら屈む。瞬間、サリアの中の怒りは消え去る。心配になり、おろおろと落ち着かない様子で窺う。
どうしていいか分からずに右往左往した。すると、絞り出した声が聞こえてくる。
「知っていると思うけど、誰かでは駄目なんだ。僕の体ではないと見つけられない」
「で、ですが……」
言いたいことは分かるが、簡単には呑み込めない。口ごもり、俯いてしまう。
体に負担をかけないよう、できる限りのことをして上げたかった。元々は強い願望で始まったこと。巻き添えにして、さらに体調を崩すことになれば本末転倒になる。
サリアの心情は複雑だ。色んなことを考えすぎてしまう。肝心な意見がまとまらず、言葉が出ない。早く止めないと、と気持ちだけが焦ってしまった。
そして、先に口を開いたのはエリオットだ。
「貴女が諦めないから、僕も諦められなくなったよ」
その言葉に顔を上げた。エリオットは少し困ったように微笑む。
「まったく、貴女のせいだ」
撫でるような優しい声。少しだけ呆れを感じる吐息。
ゆっくりと伸ばされる手が、遠慮がちにサリアの指を掴む。弱く握られても、二人の温度は交じり合う。
「貴女のせい、だから……」
顔は俯き、表情は伺い知れない。
分かっているのは、握られた指から伝わるもの。
徐々に力が入り、少しだけ痛い。
熱くなる二人の体温。
――――――きっと、眩く照らす夕日のせいだ。
傾きかけた日が空を、建物を、二人を染めていく。
世界が橙に包まれて、色がぼやける。
黄昏いく景色の中、繋がった影が濃く伸びた。
夕日は二つの影を際立たせて、逢瀬を遂げた男女を壁に映し出す。




