悔しいから、全員全力で抗います!
医者は愚痴を零し、自尊心を満たすような自慢話ばかり続けた。サリアはにこやかなまま聞き、時には持ち上げて会話を盛り上げる。その途中でグレイに持ってこさせたワインとつまみを差し出し、医者は喜んで飲食をした。
ワインの瓶が半分無くなりかけた頃、サリアは変わらぬ態度のまま尋問を始める。
「私はエリオット様が心配で仕方がないのです。今はどのような状態なのでしょうか?」
「ふぅむ、ミーティア夫人に口止めされていてなぁ。だが、乙女の願いなら致し方あるまい」
サリアはハンカチで目元を拭い可哀そうな姿を演じると、酔いの回った医者は簡単に陥落した。少しいやらしい視線を交えつつ、ワインを一口飲む。
「以前と変わらない。腹痛、嘔吐に下痢。喉の腫れによる、呼吸阻害。発疹と痒みだな。でも、今回は症状は軽かったほうだ」
「原因などは……」
「何かに過剰に反応している、ということしか分からんな。最近、この手の依頼が多くて困っているくらいだ」
改めて知るエリオットの症状に胸を痛める。だが、医者の次の言葉が気にかかった。
「依頼、と言いますと……貴族のことでしょうか?」
「ん、あぁ。悪い噂が立つから内密にしてくれと、言われているんだが。似たような依頼があると、気味が悪くてね。まるで、毒でも盛られているようだよ」
「……毒、ですか」
ここにきて、毒の言葉を聞くとは思わなかった。医者の顔を窺うと、嫌気のにじみ出た表情をしている。本当に気味の悪い事象なのだろう。
(夫人以外にも同じ目的の人物が? いいえ、そんな用意周到にいくはずは……)
疑問が更なる疑問を呼んだ。深い思考に落ちる寸前、扉を叩く音がした。
「どうぞ」
「し、失礼します!」
声をかけると、慌てた憲兵が部屋に入ってきた。駆け足でサリアに近づき、腰を落とす。
「申し訳ありません、サリア様。お耳を頂戴しても」
「はい、なんでしょう」
そう言って耳を差し出すと、憲兵は手で口元を隠し小声で話しかける。
「ミーティア夫人が名誉棄損で嘆願書を提出。統一王が黒を派遣しました」
サリアの顔が驚愕に染まった。
黒。通称、王家の憲兵。戦後に分割された、本家の憲兵組織。
それは唯一、ラインハーツ家の影響力が及ばない、王家の懐刀だ。
◇
ミーティア夫人の行動は素早かった。
サリアが倒れた日。ロイドの事情聴取後に、邸宅を出た。行先は王宮。夫人に与えられた権限により、嘆願書は至急上層部へ届けられた。
そして、翌日に王家の憲兵、黒が派遣されることが決定。
第一憲兵隊がダダルク家に介入して、三日目のことだった。王家憲兵の脅威は、その翌日から始まる。
朝、第一憲兵隊がダダルク邸に到着するよりも早く、王家憲兵は制圧していた。鉄門の前で検問。玄関先で手荷物検査。立ち入り場所の制限。閲覧可能な書類の検分。第一憲兵の言動や行動の監視。もし、ダダルク伯爵家の内情に関わるものに詮索の手を伸ばせば、王家憲兵が妨害に入ってくる。
その中で、夫人とロイドには常時二名の王家憲兵が控える。夫人に近寄る第一憲兵を退けるために。ロイドは必要以上の介入をさせないための監視だ。
ロイドは夫人を見誤り、この事態を引き起こしたことに後悔した。だが、そこで諦めるラインハーツ家ではない。
現在は憲兵本部に戻り、様々な指示書を飛ばしている。モリス憲兵本部には王家憲兵は入れない。今回の派遣はダダルク家への必要以上の内情詮索を咎めるもので、憲兵本部の内部調査を進めるものではない。
しかし、ここに国家憲兵の洗礼を一心に受けているサリアがいた。鉄門と玄関先の突破だけでも、第一憲兵隊以上の時間がかかっている。
「こちらの書類に署名をして下さい」
鉄門で馬車を止められ、わざわざ降車してからの署名。
「危険物を所持していないか、身体検査を行います」
簡易テントに入り、全身を調べ上げられ。
「貴女は第一憲兵隊の補佐員として、邸宅内に入ることを許可されている身。無用な詮索はやめて下さい」
玄関先で聞かされる注意事項。それに対し、にこやかな表情を崩さずに返答する。
「はい、善処します」
「善処ではなくてですね――――――」
一言喋れば追求は続く。
「エリオット殿の面会ですか? 書状などはお持ちですか?」
面会でさえ、段取りを踏まなければならない。
このやり取りは四日も続けられた。既に介入してから七日が経とうとしている。
ここにもう一つ、サリアたちを苦しめる制約、期日があった。
依頼捜査で定められた介入期日は十四日。後、七日しかない。そのことが余計に焦らす原因にもなり、捜査は難航していた。
七日目の昼前。
与えられた大部屋に机とイスが並べられている。憲兵たちは苛立ちながらも、できる限りの捜査を続けていた。銃盗難の依頼捜査につけて、ダダルク邸に潜む不正を暴くのが本質だ。ここで引き下がる訳にはいかない。
そんな時に、扉が音を立てて開く。誰もが立ち上がって、視線を向けた。床に投げ出される白軍服の憲兵。二人はうめき声を上げながら、床の上で悶絶している。
憲兵たちは騒然となり、扉に視線を向ける。そこには五人の黒軍服がいた。憮然たる面持ちで、部屋を見渡しながら声を張り上げる。
「クソ犬共、しつけもちゃんと出来んのか! 貴様らは銃盗難の依頼捜査でダダルク邸に介入したはずだぞ!」
「その者らの不始末、上に報告させてもらう! 残りは七日、せいぜい無様に足掻くことだな!」
見下し、笑う。
第一憲兵の怒気が充満し、王家憲兵はそれが愉快だと鼻で笑った。それから睨みを効かせて、騒々しく扉を閉める。遠ざかる笑い声が聞こえた。
「くそっ! 奴ら、いい気になりやがって!!」
我慢できないと一人の憲兵が飛び出した。しかし、すぐに周囲の仲間に取り押さえられてしまう。
「落ち着け、今は我慢だ! きっとロイド隊長が良い手立てを考えて下さる!」
「そんなこと言っても、今ここにロイド隊長はいない! 俺たちがなんとかしないといけないんだぞ!」
難航する捜査に焦りを覚え、苛立ちを隠せない。誰もが悔しいと拳を握り締め、髪をかき乱す者さえもいる。
その脇で、サリアは投げ捨てられた憲兵二人に近寄り、体を起こした。
「一体、何があったのですか?」
「ゲホッ……す、すいません。俺たち、人の目を盗んで立ち入り禁止の場所に行きました」
「このまま、黙っていることができなかったんです。もっと要領が良ければ、こんなことにはっ」
王家憲兵によって指定された、立ち入り禁止区域。ダダルク一家の私的な領域が範囲となっている。今では邸宅の半分以上も簡単に足を踏み入れられなくなった。
王家憲兵の捜査妨害は甚だしいが、王家の権力は絶大だ。誰もが尻込みして、逆らえなくなってしまう。
二人は申し訳なさそうに項垂れ、悔し気に呟く。
「こんな時に恩返し出来ず、自分が情けないです」
「サリア様の力になれず……くっ」
髪で顔が隠れ、表情は伺い知れない。だが、震える肩と声が二人の無念さを物語る。その姿に、サリアの胸が痛く締めつけられた。
(自分の生きたい道を選んだ、不従順な私を……)
まだ、こんなにも慕ってくれている。目尻が熱くなり、鼻の奥がツンと痛痒くなった。言葉をかけようとしたが、唇が震えてやめてしまう。
(こんなんじゃ、駄目ね)
目を閉じ、息を吐いて大きく吸った。腹にありったけの力を込め、全身で吐き出す。
「あー、もう!! 悔しい!!」
サリアは叫び、立ち上がった。憲兵たちは丸くした目を向け、時が止まったように動かなくなる。
「こんなにみじめで悔しい思いをしたのは、久しぶりよ! あのクソババァに水を顔面にぶつけられて、鼻で笑われた時以来だわ!」
「ク、クソバ……えっ?」
普段絶対に聞くことのない暴言。憲兵の目はさらに丸くなった。皆の視線が集まる。サリアは腕を広げて、見渡しながら訴える。
「久々の大物よ、絶対に逃がしちゃいけない悪党よ! 私たちの合言葉、忘れちゃったの!?」
ざわつく室内。憲兵の表情に過去の決意が表れ始める。
「悪党は絶対に許さない! 今まで蓄えた力は、手が届かない悪党に正義の鉄槌を下すためだったはずよ!」
各々の脳裏に蘇るのは、過去の挫折。それは権力への挫折でもあった。ふつふつと沸き上がる激情。抑えられない感情が剥き出しになっていく。
「そうだ……そうだ! サリア様の言う通りだ!」
「俺たちの底力、見せつけてやりましょう!」
活力に満ちた声が次々と上がる。中には雄たけびを上げる者、隣同士で力強く肩を組む者まで出始めた。
サリアの言葉は、権力に屈していた憲兵の心を動かす。大部屋の中は熱気に包まれ、諦めていた顔をしている者は、もういない。
なんとか役目を果たしたサリア。安堵して胸を撫で下ろす。
その時、遠慮がちに扉が開く音がした。気になって視線を向けると、顔を腫らした白軍服の憲兵が現れる。部屋の様子を見て、驚きながら部屋に入ってきた。
「これは一体。どうされたのですか?」
「気合を入れました。貴方はその頬……」
「ははっ、良く分かりませんが殴られました。それで、これを渡されました」
引きつった笑みを浮かべ、サリアに手を差し出す。そこには見た事のない、真っ赤なバラのコサージュがあった。
疑問がサリアの頭の中を駆け回り、すぐに返答できない。すると、憲兵が経緯を話し始める。
「王家憲兵が言ってたんですが、この間お部屋を訪れた時に落とされたそうですね。エリオット様が直々に返したい、と言ってたらしいのです。が、王家憲兵が代わりに届けると言い出したそうで。それが、これです」
これです、と言われてもサリアには身に覚えがない。興味深げにコサージュを触っていると、手に違和感を感じた。柔らかい生地ではない。固い……そう、紙の感触だ。指先で探ると、その紙切れはハラリと揺れ落ちる。
「何かしら、これ」
腰を下ろして、拾う。赤い紙切れだ。裏返しにして、手が止まる。驚き、目を見開く。
『裏口で』




