偽装工作には共犯者が必要です
「これからコンナート子爵のサリアお嬢様が、お忍びでお越しになる。くれぐれも粗相がないようにな、グレイ」
「はい、ハルマン叔父さん! 気をつけます」
顎ひげの中年男性が少年を連れ、一室に入る。少年はまだあどけなさの残る顔立ちだ。短髪に濁った茶髪と同色の瞳。その目は商人としての覚悟を決めているように力強い。
頼もしくなった、とハルマンは嬉しそうに目を細めた。年甲斐もなく喜んだことを隠すように、髪を整えるふりをする。
ここは貴族専門の生鮮食品を取り扱う、ケートス商店。貴族邸宅への生鮮食品仕入れと配送が主な事業内容だ。
また貴族に物を売るには、国から認められた監理官より承認された店のみ。その監理官を務めるのがコンナート子爵家だ。
その令嬢を迎えるため、二人は整えられた専用の応接間にいる。
真っ白なクロスのかかったテーブル。本革の赤褐色のソファー。カーペットは深緑で、白のつる模様に艶やかな赤色の薔薇が均等に散りばめられている。全てに汚れ一つない。庶民には非日常な空間だ。
二人はソファーの近くに立ったまま、話を続ける。
「これからグレイにも、内密な荷物を届けて貰うことになる」
「貴族の……内密な荷物」
「まぁ、そんなに緊張するな。重要なものだが、危険は少ない」
グレイの喉が緊張でゴクリと鳴る。重要な仕事を任せられるのは、跡目として認めて貰えたのだろう。絶対に失敗はできない。目に見えて顔を強張らしていた。
ハルマンはそんな様子に苦笑いを浮かべ、部屋の隅にある戸棚に近づく。中から控えめな装飾が施された黒塗りの箱を取り出した。
「これが必要なんだ」
テーブルの上に置き、鍵を開けた。重々しく開けられた箱から、銀色の筋がある黒光りのカバンが現れる。
「あ、これ。最近開発されたカバンですよね。えーっと、コンナート子爵家の援助で作られたって聞きました」
咄嗟に言い当てたグレイに、ハルマンは嬉しそうな顔をして付け加える。
「あぁ、キャミルナ装飾品店とマクサティ皮革製品店。このカバンは両店の協同作品で、コンナート子爵家に贈呈された。ちなみにだが、これにはお嬢様が携わっている」
「たしか、この作品のお陰で二店舗は事業が拡大したんですよね。あ! もしかして、お嬢様は何か案を下さるためにお越しに!?」
「違う違う。さっきも言ったように、内密な荷物を運ぶためだ」
期待する気持ちは分かるが、と苦笑いをした。
コンコン
部屋を叩く音が聞こえた。二人は顔を見合わせ、頷き合う。
グレイがドアノブに手をかけ、ゆっくりと開く。そこにはハルマンの妻が立っていた。
「サリアお嬢様がお越しになられたわ」
言い終わると横にずれた。その瞬間、グレイは息を呑んだ。
見たこともない、美しく儚げな女性が立っていたのだ。背はグレイよりも低いが、それよりも目立つのは体の細さ。意図的に細くしているのではないか、と疑ってしまうほどだ。でも、貧相には見えない。顔色も悪くない。明らかに庶民とは違う人。
グレイがしばらく見惚れていると、サリアは微笑んで口を開く。
「貴方、確かハルマンの甥でしたわね」
「……は、はい! 失礼しました、申し訳ありません! サリアお嬢様、中へお入り下さい!」
一言でグレイは現実に戻ってきた。慌てて中へと誘導する。
「ふふっ、何も咎めようと思ってはいないわ。ただ、ここにいるのは……そういうこと、ですね?」
穏やかに笑う。なのに、言葉で鋭く刺す。ほんの一瞬だけ、空気が痛く張り詰める。沈黙はほんの数秒でも、とても長い。
「はい、その通りでございます。お嬢様、驚かせてしまいましたか?」
「いいえ、ただ随分お若いのに……もう決められてしまわれたのですか?」
先程の空気を上塗りする、探る言葉。グレイの中で様々な憶測が飛び、戦々恐々とした。考えれば考えるほど、悪い方に流れてしまう。
口や体が動かせない。首が絞められるようだ。目に見えない圧迫感で、意識が遠く――――――
「はっはっはっ! お嬢様は手厳しいですな!」
突然聞こえるハルマンの笑い声。グレイに意識が戻ってきた。
「ふふ、そうおっしゃいますが……この甥は優秀なのですよ」
「既に子爵の跡目として、カタリナ様が精力的に動かれているとお伺いしました。ならば、我がケートスも後に続け! ですよ」
「まあ、およしになって! 私には耳の痛い話しだわ!」
ははは、と笑い声が響く。まるで、今まで冗談を言い合っていたような雰囲気だ。
(貴族って……怖い)
グレイは儚げに見えた印象だけで、物事を図っていたことを恥じた。改めて感じる、経験不足の痛み。
しかし、それでめげるグレイではない。なんの為にここにいるんだ、と自身を叱咤した。姿勢を正し、これから何があっても動じない。心持ちを強くして成り行きを見守る。
「あら、先に用意して下さったのですね」
テーブルの上に置かれたカバンを見て、サリアは嬉しそうに微笑む。ソファーに腰を下ろすと、澄まし顔でショールを外す。
(そのショールが内密の?)
次に黒色の本革でできたブーツを脱ぐ。
(えっ、履いてきたブーツが内密の!?)
それは内密にしなければいけない。かなり際どい内容だ。ゴクリと喉が鳴る。すると、カバンを掴んでカーペットの上に置く。
(ん?)
口の開いたカバンに――――――右足を入れた。
(んんっ?)
次に左足を入れる。
(んんんっっっ!!?)
そのままの状態で腰を落と――――――
「サ、サリアお嬢様。なぜ、カバンにお入りになられて……」
「……あら、私ったら恥ずかしい。気が逸ってしまいました」
サリアは口元を片手で隠す。恥ずかしい、と微笑んで誤魔化した。それから当然のようにハルマンに話しかける。
「今日はどなたが?」
「はい、甥のグレイがお運びいたします」
淡々としたやり取りで、とある確認を済ます。
(えっ!? な、何!? 僕に何をさせようと!?)
口を固く閉じながら、心の中で叫んだ。グレイの気持ちなどお構いなしに、サリアは話を進める。
「貴方には私をダダルク伯爵家に届けて貰います。食品と一緒にです」
「わ、私っ!? 届け、食品と一緒!?」
従者の真似事かと思えば、ケートス商店の仕事内容を指示する。どう関連つければいいか、このままでは分からない。
「エリオット様へのいつもの贈り物としてです。やり取りは搬入を目的とした裏口からです」
「え、私とは!?」
突拍子のない話が出て来た。すぐに情報が整理できなくて、さらに混乱する。
すると、サリアはハルマンから一つの書状を受け取り、それをグレイに差し出してきた。
「これはダダルク伯爵家とコンナート子爵家、両家の合意が記された書状です。もちろん、両当主公認下です」
「えっ……は、はぁ」
そこへまさかの両当主介入の事実。目の前に出される本物の書状が、現実に引き戻してくれる。少し頭が冷えて、冷静になれた気がした。
「何か言われた時にはその書状を見せて、退けて下さい」
「退けて、とおっしゃいますが……どのような理由が?」
「カバンです」
「あぁ、カバンの中身ですね!」
少しだが状況が理解できた。両当主公認下で、カバンをとある人物に渡せばいい。中身については明かさずに。
重要な役割だとここで理解する。納得がいったように、グレイは満足げに強く頷いた。
「えぇ、カバンの中に私が入っていることは秘密なのです」
「あー、それは秘密に……わ、た、し?」
不可解な言葉を聞いた。堪らず、控えめに尋ねる。
「あ、あの……もう一度」
「では、早速実践いたしましょう」
あれ、可笑しいぞ。そう思った時には、サリアは動き出していた。
まず、両すねを底につける。お尻をかかとに落とし、胸を太ももに押しつけた。カバンの中で。後は開いた腕で内側から、チャックを音を立てながら閉めた。
すると、どうだろう。あっという間にサリア入りのカバンができてしまった。横60cm、幅40cm、高さ40cm。全方位において空間ができており、余裕すら伺える。
そこで一言ボソリと呟く。
「暗いのが難点ですね」
(どうして当主様たちはこれに同意したんだ!?)
訳がわからないよ!
グレイは頭を抱えた。すると、後ろに立ったハルマンが小さい声で呟く。
「今日はマシな方だ」
「これ以上の何かがあるんですか!?」
「まあ、その……当主様公認だ」
「いや、どう見てもダメですよ、コレ!!」
ありえない、ありえない!
信じられない、と首を横に激しく振り続ける。
「さあ、早く参りましょう。エリオット様がお待ちかねです」
困惑するグレイに追い討ちをかける声が届く。サリアだ、サリアの声だ。凄く嬉しそうな声をしている。カバンはもぞもぞと動いていた。
(エリオット様がカバン入りのサリアお嬢様をお待ちかね!? 本当に!? 貴族って怖い!!)
つくづく、庶民で良かったなぁ……と思うグレイであった。