眠らないモリス憲兵本部
明るい憲兵本部の廊下に出てきた。サリアを先頭に二人は歩く。
「サリア様!?」
「え、あっ! サリア様!!」
内部は大勢の憲兵が未だに在勤していた。皆、サリアの存在に気づくと驚いて顔を覗かせる。久しく見ていなかった姿に、疲れた表情にわずかばかりの笑顔が浮かぶ。
翌日に控えた、ダダルク邸銃盗難の依頼調査。それに不正を行ったモルクティルク家と商会の摘発の準備。事件の同時進行を始めた憲兵本部は眠らない。灯りは煌々として、室内と廊下を照らす。今が夜中だということを忘れてしまいそうになる。
サリアの登場で騒がしくなった廊下。一つ、陽気な声が上がる。
「サリア様! まぁ、お久しぶりです」
誘い出されたのは、例の受付嬢だ。タオルを手に持ち、歩いている三人にタオルを手渡していく。
「ありがとう。話は聞きました、協力感謝します」
「いえいえ。いつも良いネタを持ってきてくださって、感謝しております。今回も残業代、稼がせて頂きますね!」
「えぇ、是非。市井の方々は働き者で、とても助かっています」
顔見知りの二人は軽口を言い合い、控えめに微笑み合う。
人通りの多い廊下だが、サリアが進む道に障害はない。憲兵たちが端に寄り、率先して道を開けていた。中には敬礼をする者もおり、信頼の高さがうかがえる。
憲兵本部は活気に満ちあふれ、慌ただしい。資料を持った者が部屋に出入りを繰り返す。その先では、届けた資料を受けて広げる者に、資料を確認し地図に印をしていく者。
物を揃え、準備を整え、必要な動きを行う。それぞれが来るべき日のため、万全の備えを整えようとしていた。
懐かしい慌ただしさに、サリアは目を細める。と、横から受付嬢が声をかけてくる。
「まずは、お召し替えを。ゲルハルト副監督官がお待ちです」
「あら、秘書に昇進?」
「私がなれるわけないじゃないですかぁ。つかいっぱしりですよ」
にこやかに笑い合う。少々馴れ馴れしい二人。
背後では恨めしそうにカタリナが見ており、ボルグの顔から血の気が引いていた。
◇
「三人共、中に入りなさい。ゲルハルト副監督官がお待ちです」
初老の男秘書が厳しい顔を向け、白い扉を開けた。一礼をして黙って入る姉妹。ぎこちない動きで入るボルグ。
部屋に入ると白い壁が一面に広がり、天井からは眩いシャンデリアが全体を照らしていた。赤い絨毯は柔らかく、金色の刺繍が存在感を際立たせる。窓にも赤い厚地織物のカーテンが垂れ下がり、裾には金糸と見まがう装飾が施されていた。
そして、カーテンの手前。えんじ色の半円形状に湾曲した机、一人の老人が椅子に座っていた。にこやかな表情で三人を眺め、口を開く。
「こんな夜更けまで、ご苦労でした」
銀縁の丸眼鏡をかけ、癖のかかった口髭と顎ひげ。少々無造作に縛った白髪に、白いワイシャツを着崩している。
姉妹は淑女の礼を取り、ボルグは力強く敬礼をしたまま、宙に視線を固定して一切動かなくなってしまう。
「まぁまぁ、楽にしなさい。サリア、無事の帰還……信じていましたよ」
「感謝いたします、ゲルハルト副監督官」
優しい眼差しを向けて、強く頷いたゲルハルト。サリアは礼を取ったまま、出来る限りの感謝を表した。一つ咳払いをすると、ようやくサリアは直立に戻る。
「さて、まずはコンナート家とモリス憲兵が一時協定を結ぶ。モルクティルク伯爵家に関係する商会などの摘発。ダダルク家の銃盗難の依頼捜査を平行して行うことが決まりました」
「お忙しいところ、一時協定を結んで頂き、恐縮です」
「事件は待ってくれません。早々に決着できるよう組織を上げて取り組みましょう。後は司法が上手いこと、処理してくれます。あちらの上に忙しくなることを事前に伝えているから、根回ししなくても大丈夫ですからね」
一時協定を結んでいる間、監理官は憲兵と同程度の介入行使権を認められる。これでサリアは表向き、ダダルク邸に介入する手筈を手に入れた。
無駄のない迅速な対応が、不正取り締まりの速度と精度を上げている。外部、司法省から小言を言われるのだけは、避けたかったようだ。
一通り話を聞いたサリア。いつもの話題を出す。
「憲兵への労いは、カタリナが既に手配済みです」
「ほっほっほっ。美味しいもの、期待していますよ」
実際に関わる人のやる気次第で、速度と精度は少しでも底上げができる。流れるようなやり取りは、様式が定められているかのようだ。
軽く確認が終わった段階で、ゲルハルトは微笑みを深いものとした。両肘をつき手を組むと、髭に埋もれた顎を乗せる。
「さて、サリア?」
低くなる声。一瞬で部屋の空気が重くなった。
「分かっているね? 君が犯した独断専行の不法侵入、器物破損、窃盗。これは立派な犯罪だ。勿論、責任……取るよね?」
言葉は柔らかいのに、問答無用の威圧感が襲ってきた。偽りなく報告をしたのが裏目に出てしまう。カタリナは焦りながら、弁解の声を上げる。
「そ、それはっ! お祖父様!!」
「カタリナ」
「でも、お姉様は!」
サリアの肩を持ちたかったが、本人に止められてしまう。悔しげに顔を歪め、手を握り締める。
一方で毅然とした態度を崩さず、サリアは真っすぐな視線を向けた。目には力がこもっている。
「元より覚悟の上です。私は待っていることができませんでした。そのための絶縁状も、カタリナに渡しております」
「あぁ、潔い身の引き方だ。責任の取り方はどうするのかね?」
「そうですね。叔父様の約束通りにモリス憲兵に入り、国に身を捧げる所存です」
「お姉様!?」
その言葉に誰よりも驚いたのはカタリナ。信じられないと目と口を開き、固まって動かない。
衝撃的なことを話しているのに、二人の態度は不変。それどころか、当たり前だと言わんばかりに話を進める。
「うんうん。やはり、責任はしっかりと取らないとね。ロイドも約束が守れて、喜んでくれるだろう」
一人満足げに頷いたゲルハルト。未だにカタリナは呆然として、頭が状況を理解出来ていない。
微妙な空気が流れる室内。しばらく重苦しい静寂に包まれる。それを一掃するのは、ゲルハルトだ。
「ミーティア夫人を逮捕するには、条件がある」
唐突な一声が室内に響く。
その声にカタリナは現実に引き戻され、サリアは目を細めて小さく頷く。
「あれでも、東の伯爵家でそれなりに古い。元東の国の王室から降嫁を受けたことのある家格だ。ダダルク家と似たような立場。しかも、ダダルク家への嫁入りは、統一王指示の懲罰と恩賞の意味を持つ。そうそう簡単に取り下げられない。だが、証拠を掴めば別だよ」
戦前のモルクティルク家は、元東の国側。経済の中枢に影響力を持つ歴史ある家格の貴族だった。
しかし、戦後になると物が売れなくなる。収益が減り、次第にその家計は苦しくなった。戦後のかじ取りを間違った、家の一つだ。
それでも、戦前の功績を捨て置けば国への不信に繋がる。モリスの内乱で不正に加担した形跡がない理由によって、戦前の功績恩賞を後になって与えられた。それがダダルク家の介入であり、乗っ取りの容認であり、苦心した上での国の意向となる。
これで体裁的にはあるが、国はモルクティルク家を蔑ろにした訳ではない、と国は言いたいようだ。戦後のかじ取りで苦心しているのは貴族だけではなく、国としても同じであった。
そして、ゲルハルトの口から決定的な一言が放たれる。
「殺意の証明」
短く言い切った言葉。表情が一層引き締まる。
「サリア、それが条件だ。それ以外にミーティア夫人をダダルク家から引き離すことはできない」
「……はい」
国へ訴えるに足る証拠。それが、夢へ繋がる階段だ。サリアの表情が明るくなり、はっきりと返事をした。
「うん、いい返事だね。捕まえることができれば、君が犯した犯罪もこの捜査の一環に関連づけられる。頑張るんだよ」
「お祖父様っ……」
「ほっほっ、私も孫には甘いからね。しかも、とびっきりの妖精さんだ。心は奪われているんだよ」
途端に優しい顔になり、目尻の皺が深く刻まれる。心待ちにしていた展開にカタリナは喜びを隠さない。良かったと、笑顔をサリアに向けた。すると、サリアは少し悪戯っぽく笑い、ウィンクをする。
「カタリナもこれくらいできないと、次期コンナート夫人は務まらないわよ」
「え、え……それって、まさか!」
二人だけで通じていた話だと気づき、カタリナは驚愕した。が、すぐにふくれ面をして、不機嫌に腕を組んだ。
どうやら人とのやり取りだけは、サリアの方が一枚も二枚も上手だった。
場は和やかな雰囲気に包まれつつある、が。
「……そうそう、ボルグ?」
「は、はっ!!」
あぁ、と思い出したような声。声がかかってしまったと、顔色を悪くするボルグはガタガタと震え出す。ゲルハルトは眼鏡を指で押し上げて、位置を調整しながら口を開く。
「君だけここに残りなさい」
その言葉に、死刑宣告をされた囚人に変わり果てた。顔はごっそりと感情が抜け落ち、辛うじて敬礼のまま立っていられた。
「ほっほっほっ。今日は久方ぶりに、活気溢れる朝を迎えられそうだよ。その時の熱い紅茶が、これまた格別なんじゃ」
モリス憲兵本部から灯りが消えることはなかった。




