カタリナの長い一日 前編
今にも降り出しそうな空模様の下。薄暗い貴族街の道を進む馬が二頭。飛ぶように駆ける。騎乗している者たちは姿勢を低くし、手綱を強く握りしめるだけ。鞭は打たずに、馬に気持ちを託すかのようだ。
人通りの少ない道は、その者たちの独壇場。お互いを急かし、急かされながら自由な道を行く。
そして、ある建物を前にすると一直線に突進した。
「そ! そこの者たち! 止まれ、止まれぇぇっ!!」
正面の鉄門に憲兵が一人。帯剣に手を伸ばし、怯えながらも叫んだ。目と鼻の先まで迫る二頭。
憲兵が耐え切れず、目を閉じた。
馬は憲兵に突撃しない。鉄門の前で大きく旋回して距離を稼ぎ、徐々に速度を落とす。憲兵が恐る恐る顔を上げると、既に並んで止まっている馬が二頭、目の前にいた。
内一頭から、少女が飛び降りた。
「ごめんなさい。驚かせてしまって」
淡い亜麻色のおさげを、藍色リボンで結んだカタリナだ。黒色の上着にブーツ、白色のシャツに茶色のパンツを履いた乗馬姿だ。
「カ、カタリナ様でしたか。驚かせないでくださいよ」
見知った相手を見て、胸を撫で下ろした憲兵。柄から手を離し、右手を上げて敬礼した。
「ようこそ、モリス憲兵本部へ。受付へご案内します」
そして、重々しく巨大な鉄門がゆっくりと開いていく。
貴族街に囲まれた中心部には、国営機関の本部が建ち並ぶ。その中にモリス憲兵本部はある。
赤茶色と象牙色のコントラストが映える、レンガ作りの外壁。その中にある、四階建ての白亜館が本部だ。門や館の頂上には黒、白、赤、青、緑の五色が均一に並んだ、憲兵の象徴と言える旗が風になびく。
館前に広がる庭や木々の景観は美しく。門から館へと続く歩道は白亜で塗り固められ、歩く者はここが憲兵本部だと忘れてしまいそうになる。
カタリナはボルグを引き連れ、白亜の道を先導される。館の前まで来ると、扉の横にある受付窓から慌てた女性の声が聞こえた。
「カタリナ様!? 今は不味いですよー!」
「何かあったの?」
窓を全開し、身を乗り出して手の平を突き出す受付嬢。異様な態度に怪訝な顔を浮かべると――――――
「お噂のミーティア夫人が居座っちゃってるんですよー!」
「な、なんですってぇっ!!」
顔は驚愕に染まり、声を上げた。
◇
「ほらほら、あの応接間にロイド様を呼びつけているんです。本当にお噂通りの高慢な方ですよね! 受付嬢として、感情は表情に出しませんでしたけど!」
「あ、ありがと……」
プンプンと怒っている受付嬢は、カタリナを一階の奥まで連れてきた。来客の情報を洩らしたことに呆れ顔を浮かべるが、助かっているのは事実。両者が信頼関係で強く結ばれているおかげだ。
コンナート家は監理官として取り締まり義務があるため、憲兵組織と密接に関わる。憲兵職員と何度も関わり合いになっており、両者共に良好な関係を築いていた。
難しい顔を浮かべたカタリナが、本題を聞き出す。
「お祖父様、ゲルハルト副監督官はどちらに?」
「あっ! 本日は王宮へ、月一度の報告会に出向いています。お帰りは夕方を過ぎると思いますよ」
「そう。叔父様を待つしかありませんね」
重々しいため息を吐き、肩を落とす。受付嬢は慰めるように背中に手を置き、別の応接室へカタリナを誘導する。
「カタリナ様、並びにサリア様にはいつもご足労いただき、感謝しております。おかげで迅速な検挙、捜査の精度には外部よりお褒めの言葉を頂いておりますよ」
監理官が不正を見つけ、憲兵が捕まえて調べ、司法が裁く。この形がここ十数年で確立されていた。専門知識がある者の目利き、商会などに直接関わっている者に頼った方法は成果を上げている。
だが、今回は違う。悠長にしている時間が惜しい。気持ちが焦り始めるカタリナに、受付嬢は気を逸らそうと違う話を始める。
「サリア様は素晴らしい感性をお持ちでしたが、カタリナ様は誰にも劣らぬ知性で的確に立案、判断していますよ。自信を持ってください!」
「……ありがとう」
突然の誉め言葉に、気恥ずかしそうにそっぽを向いた。
「ところで貴女、受付は大丈夫なの?」
「新人君を座らせましたから、大丈夫です。私はお得意様、カタリナ様の大事なお世話係に抜擢されました」
ふふっ、と笑って自信げに胸を叩く受付嬢。
(……体よく、外されたんじゃ)
あんなに騒いでいたのなら仕方がない。そう思いながら、カタリナは受付嬢に付き添った。
◇
昼を過ぎてもロイドは来なかった。ランチを受付嬢と一緒に取り、その後一人になっても、誰もこない。
とうとう降り出した雨。次第に雨脚は強まり、音が部屋の中まで響いてうるさい。赤褐色の振り子時計が一定のリズムを刻む音が混ざり合う部屋で、カタリナはひたすら待った。
そして、三つの鐘の音が鳴り響いた後。廊下から足早に近づく音が聞こえる。
コンコン
「はい」
カタリナが短い返事をすると、数秒後に扉が開く。現れたのは、待ち人のロイド。
「すまない、カタリナ。待たせたな」
亜麻色のオールバックに、目尻の皺と口髭。白のワイシャツに赤いスカーフを巻き、白色のスラックスを履いている。片手に銀色のトレイを持ちながら、部屋に入ってきた。
カタリナは立ち上がって淑女の礼を取る。
「お忙しいところ時間を取って頂きありがとうございます、ロイド隊長」
「よせ、今はランチ中だ。楽にしたい」
疲れた様子でため息を吐いた。対面のソファーに深く腰かけ、サイドテーブルにトレイを置く。赤いスカーフを乱暴に取り、ナプキンを首筋に結ぶ。
「マナーはなっていないが、許せ。まずはカタリナの話を聞こう」
ボトルワインに口をつけて、喉を鳴らし飲み込む。それから、山ほど盛られた多種多様のサンドイッチを貪る。
叔父の体を心配しつつ、カタリナはサリアのことを話し始めた。
◇
「これがお姉様が残した絶縁状です」
そっとテーブルに封筒を差し出し、カタリナの話しは終わった。ロイドも最後のサンドイッチを食べ終わり、残りのワインを豪快に飲み干した。
それから、少し考えるように腕組をしたロイド。心決めた、と一つ頷く。
「ふむ。絶縁した暁には、是非とも我が第一憲兵隊の諜報員として採用しよう」
「そういうことではありません!」
また始まった、と思って叫ぶ。対してロイドは自分のペースを崩さない。サンドイッチのカスをナプキンで拭き、眉を下げて呟く。
「……だが、どちらかが憲兵隊に入ってくれる、と昔から約束したではないか」
「ロイド様や伯爵様の子息がいますでしょ!?」
「約束は、約束だ」
譲りたくない、と首を横に振る。
ラインハーツの血筋はこだわりの強い人物が多い。サリアは恋愛、ロイドは約束。
話しが進まず不機嫌になるカタリナは、ぷくっと頬を膨らませる。
「……して、話は聞いた。どうやら、ミーティア夫人は良からぬことを考えているようだ」
気を取り直したロイドは話し始める。
役職柄、憲兵組織の情報漏洩には厳しい。だが、こうして話してくれるということは、憲兵組織と監理官が協力して取り組むべきと考えた結果だ。
叔父は協力してくれる。懸念していた憂いがなくなると、話が進む。
「銃が盗まれたらしい。明日の朝に依頼捜査を希望されたよ」
「……そ、それは!」
「筋書きがあるらしいな」
夫人の嘘、殺害予定の翌日への依頼。あきらかに、何かを狙った動きだ。ロイドは顎に手を当て、予測を立てる。
「今夜、男がエリオット君を殺害。翌日に銃の依頼捜査を装い、我々を殺人現場へと連れだそうとする算段だろう」
「と、なると……男がいずれ邪魔になりますね。お姉様の話だと、横領の罪があるとか」
「その男に全てを着せるつもりだろう。銃の窃盗は偽装で、本命はエリオット君の殺害」
状況は全てミーティア夫人の都合が良いように展開している。 と、なれば。不都合がある男をミーティア夫人は生かすのか。という、疑問が生まれた。
神妙な顔つきのまま、ポツリとカタリナは言葉を零す。
「確実に消されますね」
「あぁ。消されたら証言がなくなる」
「ボルグ、分かっているわね。それでも、お姉様の命が最優先よ」
部屋の隅に座っていたボルグに、鋭い視線を突き刺さす。ボルグは戸惑いもせず、大きく頷いて見せた。
大体の予測を立て終わると、ロイドは違う議題を出す。
「さて、我々に出来ることは明日のことだが。カタリナだったらどう考える?」
「そうですね、お姉様がエリオット様を守り、男を捕まえた場合で考えましょう」
笑みを浮かべ、自信満々に言い切った。すると、ロイドが呆れたように笑う。
「信頼しすぎだ。と、言いたいところだが……サリアだったら無事乗り越えてくれるだろう」
「勿論です。私のお姉様なのですから」
危なっかしいところがあるサリア。でも、信頼は厚かった。




