朝陽に 咲いて散りゆく 火花かな
翌朝。空に浮かぶ雲が薄くなり、切れ間から眩しい朝日が降り注ぐ。朝の寒暖差で薄く霧立つ貴族街。うごめく大きな影が一つ。霧をかき分け、堂々と闊歩している。
先頭は騎乗した憲兵十名。白色の軍服、軍帽を着こなし帯剣している。後方には、昨日ダダルク邸から出て行った二頭立ての馬車が先導されていた。
集団は重々しい雰囲気を漂わせながら、ダダルク邸にたどり着く。一番に動いたのは先頭にいた憲兵。流れる動作で下馬をすると馬車に近寄り、従者の真似事をして扉を開けた。
「ミーティア夫人、到着いたしました」
口髭を上げて、微笑みを浮かべた。長身の体を少し曲げてお辞儀をし、白い手袋をはめた手を差し出す。
「ええ、ありがとう」
エスコートを受けるのは、ミーティア夫人。焦らすようにゆっくりと降りてきた。悪趣味な金と宝石で出来た眼鏡をかけ、胸元が大きく開いた黒いドレスを身にまとっている。
憲兵はエスコートが終わると、すぐに二歩離れて邸宅に視線を向けた。
「では、問題の現場を拝見させて頂いても宜しいでしょうか。我々は貴女の希望通りに、待っていたのですから」
「いやね、せっかちで。ラインハーツの血筋はうっとうしい者ばかりだわ」
手に持っていた黒羽扇で口元を隠し、目元で弧を描いてあざ笑う。対して憲兵は隠すどころか、にこやかに微笑んで見せた。
「血筋は関係ありません。私はモリス第一憲兵隊の隊長として職務を全うしているだけです」
「良く言うわ。憲兵組織を私物化しているのは、どの家かしらね」
表情を崩さずに二人は言い合った。
夫人と向き合う人物は、ラインハーツ伯爵の弟。サリアの叔父、名はロイド。憲兵に似つかわしくない優しげな目元と小皺。亜麻色の長いもみ上げが特徴な優男風に見える。
二人が笑顔で牽制し合っていると、雲がさらに薄くなる。辺りを照らしていた朝日が眩しいほどに輝いた。水たまりは光を反射させ、眩しさにロイドは目尻の皺を深める。
「徹夜なんて久しぶりですよ、夫人」
「まあ! 夜会にも出ないつまらない男なのね。可哀想だわ」
「はははっ! 私には可憐な花たちが傍におりますからな。わざわざ、探しに行く必要もないのです」
清々しい陽光に包まれながら、一組の男女がにこやかに罵り合った。
◇
「お帰りなさいませ、奥様」
エントランスで夫人を迎える執事長と侍女長。夫人が先触れを出していたのか、憲兵を見ても動じる気配はない。
足早に進んでいく夫人はすれ違い様に口を開く。
「貴方たちも着いていらっしゃい」
つん、として愛想のない態度で命令をした。執事長と侍女長はお辞儀だけして、了承の意を伝える。
夫人を先頭に執事長と侍女長が続き、その後を第一憲兵隊が追う。エントランスにある階段を上り、無言で廊下を進む。邸宅内は人の気配が感じられないほどの静寂に包まれている。唯一、窓の外から聞こえてくる小鳥たちのさえずりだけが、爽やかな朝を演出していた。
合図もせずに夫人が急に止まる。そこには一つの扉。ロイドが駆け寄り、尋ねる。
「夫人、この部屋が問題の場所ですか?」
「いいえ、ここはエリオットの部屋です。最近、病床に伏せがちで困っているのです。少し様子を伺っても宜しいですか?」
「……そうなのですか。ええ、心配ですし宜しいでしょう」
心配そうな表情ではなく、心底困ったと眉をひそめる。ロイドは少しの沈黙の後、にこやかに承諾した。全員が部屋の前に集まると、執事長が代表して扉を開ける。
部屋の中は眩い朝日に包まれ、誰もが目を細めた。だが、部屋の中央に人影を見つけると、驚くように目を見開く。
「……これは、どういうことでしょう」
夫人が声を絞り出した。顔からは表情が抜け落ち、この場の状況を必至に把握しようとしている。対してロイドは沈黙の後、視線だけを夫人に向けた。
「さぁ、どういうことなのでしょう」
目を細め、微笑みを浮かべた。
中央には縄で縛られ、布で口を塞がれた男二人が横たわる。傍に立つのは侍従のクライム。頬が少し赤く腫れた状態で、厳しい表情を浮かべていた。
壁際にある寝台の上。体を起こしながらも、毅然とした様子のエリオット。寝台横の椅子には、顔を俯かせたヨハンが座っていた。
ロイドは二歩前に出て、腕を後ろで組みながら楽な姿勢を取る。
「私は第一憲兵隊、隊長のロイド・ラインハーツと言います」
穏やかな口調で話しかけ、ゆっくりと辺りを見渡す動作をした。わざとらしく頷き、状況を簡単に確認した態度を取る。
「我々はダダルク伯爵家ミーティア夫人の依頼捜査で邸宅に赴き、夫人の希望でこの部屋に入らせて頂きました。まずは、この状況を説明して頂けますか?」
簡単に赴いた動機を伝えると、待ちかねたクライムが怒りのこもった声を上げる。
「昨晩、この男がエリオット様の部屋に侵入し、命を狙ってきたのです!」
「おやおや、そのようなことがあったのですね。お怪我はありませんか?」
これは驚いた、と目を見開いて心配げに聞き返す。
「エリオット様に打撲の跡があります」
「ほう、エリオット殿。暴行はどちらの男性でしたか?」
「……それは」
床に転がっている男は二人。ここでどちらが悪いのか、はっきりさせたいロイド。その表情は穏やかに見えても、鋭い眼差しを向けていた。
エリオットは少し躊躇した後、手を上げて指を差す。
「ルーベルトが僕のことを窃盗犯だと勘違いしていまい、その時受けた怪我です」
「間違って受けた怪我、ということですね。窃盗犯というのは、もう一人の男でしょうか?」
「えぇ。見慣れない銃を持って、脅してきました」
その言葉に、ロイドの鋭い眼差しがさらに強くなる。少し考えるそぶりを見せ、今回の捜査内容を話す。
「銃、ですか。我々は銃が盗まれた依頼捜査の件で伺ったのです。銃を見せて頂いても?」
確認を優先させると、クライムが何かが包まれた布の塊を差し出してくる。ロイドが受け取り、布をめくり上げた。中には一丁の銃。
「夫人、この銃で間違いないですか?」
「……えぇ、この銃が先日私の部屋から無くなったものです。グリップの先端に紋章の焼き印があるでしょう?」
「はい、確認しました」
慎重に言葉を選びながら夫人は答えた。ロイドは言われたままグリップの先端を確認して、再び布で包み込む。
「さて」
短い言葉で区切り、大げさなタメを作る。
「窃盗犯らしき男は取り調べをします。ルーベルト、という男は間違って貴族の子息に怪我を負わせた件があります。こちらで事情聴取を行いますので、預からせて頂きます」
辺りを見渡しながら話すと、くるりと夫人に体を向ける。
「どちらもまだ疑いの段階ですし、関係者各位には話も聞かねばなりません。よってこれより、ダダルク邸には第一憲兵隊が介入いたします。何かご入り用がありましたら担当の者を配置しますので、そちらにお話しください。私も暇ではありませんので」
それはまるで台本通りに進む、観劇。一切の詰まりもなく、流れていくだけの状況。
注意深く、慎重にことの成り行きを観察していた夫人。表情が次第に醜く歪んでいく。
「まさかっ……」
唇を噛み締め、鋭くなった目つきでロイドを射ぬく。次に視線はエリオットとヨハンへ動き、今にも怒鳴り出しそうな雰囲気だ。
ヨハンは夫人を見ないようにうつ向き、エリオットは真っ直ぐな視線をロイドに向けていた。何か言いたげな憂いのある表情を浮かべ、頭を下げる。
「宜しくお願いします」
その姿にロイドは慈愛に満ちた眼差しを向け、ゆっくりと頷く。
「ええ。しばらくは出入りが続いて慌ただしくなります。別室でゆっくり静養してください」
会話も終わり、誰もが動きだそうとした時だ。廊下から人の近づく足音が聞こえてきた。扉付近で固まっていた憲兵たちが、その人物を確認すると道を開ける。
「あら、まあ! 何があったのですか?」
鮮やかな藍色のワンピースに、薄い山吹色のショールを羽織ったサリアが登場した。緩く結んだ三つ編みには桃色のコサージュをつけて、控え目に着飾っている。
驚く仕草をして、扉の前で立ちすくむ。中へは入ろうとはしない。それに一番に反応したのは、夫人だ。嫌悪を丸出しにして、サリアの目の前に立ちはだかる。
「呼んでもいないのに、他家の邸宅に侵入とは何事です。恥を知りなさい」
金色の眼鏡の奥から睨みつける目は、怒りで燃えているようだ。黒羽扇を強く握り、なんとか感情を抑えているようにも見える。
対してサリアはきょとん、とした間抜けな表情の後、微笑みを浮かべ淑女の礼を取る。
「お久しぶりでございます、ミーティア夫人。またお目にかかれて、光栄に存じます」
「御託はいいわ。さっさと、この邸宅から出ておゆき」
黒羽扇を素早く振り上げた。軽くサリアの頬を掠め、扉を指し示す。が、サリアの表情はピクリとも動かない。気にした様子ではなく、困ったように頬に手を当てため息をついた。
「そうは申されましても、私は呼ばれて参りましたの」
「誰が貴女を呼ぶのですか?」
そんな馬鹿な、と夫人は鼻で笑う。
スッ、とサリアは一通の手紙を差し出す。既に開けられた手紙。千切られた封蝋に捺されているのは、ダダルク家の紋章だ。そして、右下にはしっかりとエリオットの名が記されている。
夫人は驚愕し、勢い良く顔を上げた。
「昨日エリオット様より届きました、正式なダダルク家への招待状です。是非、改めてください」
一点の曇りのない笑みを浮かべ、はっきりとした口調で伝えた。夫人はすぐに理解できず呆気にとられ、固まって動けない。
重い沈黙が続き、張り詰めていく空気。次第に理解してきた夫人は体を震わせた。黒羽扇を握り締め、顔には皺という皺を寄せ、怒りがあふれている。
そして、振り上げられる黒羽扇。
「っ!」
硬い骨組み部分がサリアの頬を叩く。
瞬間、周囲が驚きでざわついた。全員の視線が二人に注がれ、事の成り行きを見守られる。
「謀ったわね、小娘の分際でっ!!」
荒い呼吸で上下に揺れる肩。黒羽扇に力を込め、今にもへし折られそうだ。
顔を叩かれて横向きになっているサリア。口の端から、鮮血が伝う。ギョロリ、と目が動く。視線を夫人に移し、ゆっくりと顔を向けた。表情からは感情が抜け落ちて、意思を読み取れない。
「……謀っただなんて、大げさですよ」
口元で弧を描き、首を傾ける。
「それとも、何か身に覚えがありますか。ミーティア夫人?」
サリアの目は笑わない。じっと夫人を見つめるだけだ。
夫人の固く結んだ口元が震えた。口角がピクピクと動いて、止まらない。少し空いた口から息を吐き出し、全身から力を抜く。サリアを冷たく見下ろし、冷然とした表情に変化した。
「ただの子爵家の分際で見苦しい。私に手を出す愚か者には鉄槌が下りましょう」
「ふふっ、怖いことをおっしゃらないでください。それに見苦しいのは、貴女ですよ……夫人」
怖気づくどころか、微笑みを浮かべながら言い返す。
その口は、まだ閉じない。
「私は貴女を絶対に許しません」
宣戦布告をした。
後戻りは、もうできない。




