守りたい人 後編
ルーベルトが退いてくれれば。だが、ルーベルトは困惑した表情から一変、怒りが顔に浮かんでいた。
「こ、のっ! うるせぇガキが、すっこんでろ! そいつさえ捕まえれば、コンナート家も堕ちるんだ!」
「ガキではない! 僕は雇い主に連なる者だぞ!」
「うるせぇって言ってんだろ!! どうせ、死ぬんだから関係ねぇ!!」
見下していた相手から図星をつかれたルーベルト。冷静さを失い、サリアに近づいていく。サリアはまだ満足に動けないのか、後ずさりしかできていない。
このままではまずい。エリオットは寝台から飛び出すが、すぐにその場にへたり込んでしまう。とっさのことで体に力が入らなかった。
(こんなところで、へこたれている場合じゃない!)
覚悟を決めると、臆病風は消え去った。今はサリアを助けることしか頭にない。
震える体に力を入れ、痛む腹部に気合を入れて、両手で体を支えて立ち上がる。重い足取りで近づいていく。
「それ以上はやめろ、ルーベルト!!」
「お前なんて夫人がいれば怖くねぇんだ!!」
目の前でサリアの首筋に手を伸ばされる。瞬間、激情が身体中を駆け巡った。体が自然と動き、ルーベルトに飛びかかる。ありったけの力で腕にしがみついた。
「これ以上は、許さない!」
「くそっ、邪魔ばかりしやがって!」
本当に無我夢中だった。離れなければルーベルトは何もできない、と思った。そればかり注視していると、腹部に強い衝撃が加わる。全身から力が抜け、崩れ落ちそうになった。
「は、離す……ものかっ」
吹き出す汗。震える体。でも意識があるなら、大丈夫だ。できることがしがみつくことしかない。
相手が止まってくれるなら、十分だ。意識がある限り離れない。
「いい加減に、しろっ! クソガキ!」
無情にも腹部に重い拳が入る。一発、二発、三発。
意識が遠くなって、いく――――――
◇
(エリオット様……)
目の前でゆっくりと崩れ落ちるエリオット。見ていることしかできなかった。襲われて抵抗もできなかった上に、無害でいて欲しかったエリオットに苦痛を味合わせてしまう。
(こんなはずでは、なかったのに!)
強い自責の念が込み上げてきて、唇を噛み締める。もっと早く決断していれば、もっと早く決着をつけていれば。いくら考えてもそればかりが浮かんできて、後悔は止まらない。
未だに恐怖が残る体は微かに震え、逃げ出したい欲求でさえ生まれだしていた。
(このままでは、駄目!)
なんとか体に力を入れて腰を浮かせ、低い姿勢から扉に駆け出した。
「ちっ! 逃がすかよ!」
後ろからルーベルトが追いかけてくる。だが、サリアのほうが速い。床すれすれを手が通り過ぎた時、扉の手前で方向転換した。
二人の距離が接近し、ルーベルトが手を伸ばしてくる。するとサリアは腕を大きく振り上げた。その手には、拾い直したネイルハンマー。
そして、力の限り振り下ろす。
「いでぇっ!!」
手の甲に当たり、動きが止まった。その隙を見逃さないサリアは音を立てずに、部屋の暗闇に姿を消す。
(この機会、絶対に無駄にするわけにはいかないわ!)
音を立てず、呼吸を落ち着かせて暗闇に潜む。真正面から、無理だ。力の差がありすぎる。できる限り不意をつくほうがいい、と考えた。
「くそ! どこに行った!」
床に転がっていたランプを拾い、サリアを探し始める。一方、サリアからしてみれば、探す姿は丸見えだ。暗闇に身を隠し、背後に回り込む。ネイルハンマーを強く握り締め、限界まで近づくと飛びかかった!
「ぬあっ!?」
ルーベルトに気づかれてしまい、腕で防がれてしまう。気配を消すのが甘かったようだ。
すぐ逃げようとしたが、反撃が来る。薙ぎ払われるフライパン。とっさに後屈し、体を折り曲げ回避した。
「はぁっ!?」
驚くルーベルト。
サリアは床に手をつきながら、足を持ち上げる。体を縮こませると、全身のバネを使い両足を突き出す。足はルーベルトの腹部を捉え、衝撃で体が前のめりになる。
「ぐぅっ、このクソがぁ!」
力が足りなかった。ルーベルトはフライパンを投げ捨て、サリアの片足を掴んで持ち上げる。
捕まってしまっても、サリアは慌てなかった。再び後屈し、ルーベルトの膝が見えるところで止まる。それからネイルハンマーで、力の限り何度も叩きつけた。
「いっでぇ! やめ、ろっ!!」
痛みに耐えかねて手放す。床に落ちると、おまけとばかりにつま先に一撃を打つ。怯んだうちに、もう一度距離を置き、暗闇に潜む。
「くっ、いつまでも逃げ回れると思うなよ!」
ランプをかざし、再び探し出す。部屋の中を照らし回った時、ルーベルトの動きがピタリと止まる。何かと思い回り込んで見てみると、先には気絶したウィズがいた。
「あー……ま、しゃーねーな」
ウィズの手に握られた銃を取り、色んな角度から観察する。
「これが連発式小火器か。銃も手頃になったもんだ」
ニタリ、と笑った。
(まさか、ルーベルトも……)
サリアでも実物を見たことのない、最新式の銃。それをルーベルトが扱えるのか。サリアの中で驚きと焦りが出始めた。
そして、再び最悪が起こる。
カチャリ、と音を出す銃。向けられた先に、うずくまるエリオットがいた。
「ま、俺がやってもグズがやったことにはなるな」
サリアに聞かせるような言葉。誘い出すつもりだ。本来なら乗らないのが得策だが、それはサリアにはできない。
狙われているのがエリオットだからだ。
(いけない! 絶対に手出しさせない!)
迷いのなくなったサリアの行動原理は単純。エリオットのため。ルーベルトの死角に移動すると、全力で飛びかかり腕を振り上げる。
「馬鹿がっ!!」
頭部を狙ったが、呆気なく腕で防がれてしまった。太い腕がサリアを強く床に叩きつける。体が跳ねるほどの衝撃に、サリアの呼吸は一瞬止まった。
ほんの一瞬の隙をつかれ、床の上に仰向けでのしかかられた。ルーベルトは深い笑みを浮かべて、ランプと銃を隣に置く。
「うぅぁっ……」
ぎりっ、と首筋を掴まれ潰される。
「殺しはしねぇよ。なんたって、大事な人質が手に入ったんだからな。これで、コンナート家も没落だ!」
はははっ、と笑った。ルーベルトはまだ目の前の人物がサリアだとは知らない。だが、交渉の人質として使えると考えていた。
「だがな、少しつき合え。お前が俺に与えた痛みによぉ!!」
拳を強く握りしめ、表情は凶悪に歪む。振り上げられる拳はランプの灯りで暗闇の中でぼんやり浮かぶ。
ガシャンッ
突然響く、陶器が割れた音。二人の一番近くで響いた。
「へ?」
ルーベルトの体から力が抜け、白目をむいて後ろに倒れた。その向こう側に、人影が浮かぶ。
「……ごめん、なさい」
ランプの灯りは、ヨハンの姿を照らし出していた。周辺には壺の破片が散らばり、先ほどの衝撃の強さを物語る。
呆然と立ちすくむヨハン。咳き込みながら体を起こしたサリアが声をかける。
「こほっ、た……助かりました。ありがとうございます、ヨハン様」
「あ、い……いえ。私は寝台の下で、見ていただけでした」
ウィズが見た寝台下の目はヨハンだった。エリオットが寝静まった時を見計らい、サリアがヨハンを潜ませていたのだ。
「いいえ、このような場を見せつけてしまって本当に申し訳ありません。ですが、これが私が申していた真実なのです」
日中のサリアは、エリオットの部屋だけに潜んでいた訳ではない。先日のヨハンが気になり、密かに接触していたのだ。
突然現れたサリアにヨハンは驚き、酷くおびえた様子だった。ミーティア夫人に色々と吹き込まれたせいでもある。
そんな姿を見たサリアは簡潔な言葉だけを言い残し、すぐに立ち去った。
『貴方の母親は間違ったことをしていると思いませんか?』
たったそれだけの言葉。
ヨハンを動かすのには十分であった。先日の件を知り、真実をこの目で見たい。夫人が支配していた従順な心が動いた。夫人の言いつけを破り、夜中に部屋を訪れる。教えられていた睡眠薬入りの夕食を食べずに。
サリアは立ち上がり、すぐにエリオットに駆け寄ろうとした。だが、ヨハンが未だに立ち尽くしたままの姿に気づく。
(私としたことが、配慮が足りませんでした)
いつも周りの気遣いに助けられていたサリア。今この場でヨハンを気遣えるのは一人しかいない。放心状態のヨハンの前に近寄ってしゃがむと、震える小さな手を取って包み込む。
「あっ」
「ありがとうございます。ヨハン様の勇気ある行動で、皆が助かりました」
「……でも」
優しい微笑みを浮かべて語りかけた。ヨハンの表情は変わらず、感情が見えない。それでも、微かに震えている体がサリアに感情を伝える。
消えない罪悪感は辛いだろう。せめて少しでも心が安らかであるように、優しい言葉を続ける。
「貴方のおかげですよ。この手は相手を傷つけたわけではなく、困った人を助けた手です。でも、もし傷つけたことを後悔しているのであれば、それは貴方が人を思いやる気持ちを持っている証拠ですよ」
目を少し見開き、驚きの表情をしたヨハン。握られた手の震えが止まり、小さく頷いた。
「貴方はとても優しく勇敢な紳士です。エリオット様にとても似ていらっしゃいますよ」
顔を俯かせ、強く二度頷く。
優しい二人をランプの灯りがいつまでも照らし続けた。
サリアの長い夜はようやく幕を下ろす。




