軟体令嬢は諜報令嬢も兼任します
「今日はカバンが来るって聞いてねぇぞ」
腕組みをして、あからさまに不機嫌な表情するルーベルト。
「えっ、侍従のクライム様からご連絡が入ったのでお持ちしたんですが」
まさか、と驚いた表情をしたグレイ。
ダダルク邸の広い一角で二人は対峙する。馬車から荷物を運び出す商会の男たちは、心配そうに横目で二人を見ていた。厨房への出入口。二人は頑として動かない。
「聞いてねーもんは、入れられねぇな」
「それは困りました。申し訳ありませんが、クライム様に取り次いで頂けないでしょうか?」
下手にでながらルーベルトに伺う。だが、首を横に振り要望には応えない。
グレイは残念そうにため息を吐く。とある男を手招きし、一つの黒い手持ちカバンから一つの書状を取り出す。それを見たルーベルトは一瞬で表情を変えた。
「では、今回の件をそちらのご当主様にご報告いたします。つきましては、カバンを阻んだ理由とルーベルト様の書名を頂きたいのですが」
「このっ、好きにしやがれ!」
怒りをあらわにして厨房へと戻って行った。
ダダルク伯爵家とコンナート子爵家が独自で結んだ協定書。阻む権利は当主の他にはいない。第三者が介入すると裁判に成りかねない事態になる。例え統一王の後ろ盾があるミーティアとしても、一夫人でしかない身分。手の出しようがないことを、ルーベルトは知っていた。
残されたグレイは何事もなかったように仕事の指示を始める。
こうしてサリアの潜入は成功した。
◇
「万が一のため、商会の者を貴族門近くで待機させます。気をつけてくださいね」
いつもの場所に黒革のカバンは置かれた。グレイは小さな声でささやきかけ、その場を離れる。
しばらくカバンは動かず、風景に同化する。人が近づく気配が感じられないと、チャックがゆっくりと開く。中から後頭部が持ち上がり、サリアは立ち上がった。全身を包み込む黒革のレザースーツ、頭から被るマスク。この邸宅では初めての装いだ。
(まずはランチが近いから、厨房に張り込みましょう)
カバンを背負い、扉の側でしゃがむ。ドアノブをゆっくり回し、中の様子を窺う。
ランチ前ということもあり、料理人や見習いが忙しく働いている。部屋の中央には棚つきの大きなテーブル。奥にはパン釜。反対側には石炭コンロが並び、料理人たちが汗をかきながら鍋やフライパンを揺する。
厨房の熱気は強い。ドアの隙間から覗くサリアの目を、ジリジリと焦がす。
じっと我慢し、注意深く観察する。周囲の目が向いていない隙をつき、素早く中に入った。静かに閉じる扉。急いで扉の隣に並んでいる水瓶に姿を隠す。
(潜むのに適した場所は……)
覗き見て周囲を確認した。料理長が一人になる時まで、見つからない場所。
(棚の中ね)
中央のテーブルの下にある。
料理人はコンロと窯の前、見習いは補佐に回っている。テーブルの奥は後片づけ中、手前には皿を並べる見習いだけだ。それがサリアの目的を阻む。見習いが下の棚を開けて、次々と皿を取り出していた。
(棚は駄目ね。仕方ないわ、汚くなるのは不本意だけど……)
すぐに諦め、次の標的に意識を向けた。棚と床の間、わずか30cmほどの隙間。
慎重にゆっくり皿を取り出す見習い。背後からしゃがんで近づくサリア。誰の視線も向いていない。
見習いの頭が棚の中からテーブルに向いた瞬間、開けられた棚扉の裏に身を隠す。再び見習いが同じ動作をすると、足先から隙間に体を押し込んでいく。
レザースーツの表面には、蜜蝋やオイルが多めに塗り込まれている。そのため滑りやすく、接触部位の摩擦は少ない。
あっという間に体を滑り込ませ、潜伏は完了した。
(後は時間まで我慢しましょう)
床面に近い隙間は案外涼しい。これならば耐えられるだろう、と息をひそめて時を待つ。
◇
できた料理をメイドが受け取り、後片付けが一段落した厨房。
そこへ慌てて現れたのが、息を切らした侍従のクライム。表情は厳しく歪められ、ルーベルトを睨みつける。
「エリオット様のお食事に何もされていませんよね?」
「はっ! 何かしてたら、真っ先にお前が倒れると思うんだがな」
クライムはルーベルトを疑っている。しかし、いくら毒見をしても倒れるのはエリオットだけ。料理長を厨房から排除し、食事を作った時もあった。それでもエリオットは倒れる。
自分は無罪、だと自信満々にニヤつく。ルーベルトの不遜な態度が、クライムの疑念を更に強めていた。
しかし、立証ができる疑わしい物はない。疑わしきはミーティア夫人。だが、唯一いさめることのできる当主はいない。
強い憤りを感じ、表情を歪ませるクライム。今一度睨みつけ、料理の乗ったワゴンを押して厨房を出ていく。
◇
忙しい昼の仕事も終わり、ルーベルトは厨房の外で煙草を吹かしていた。吐いた煙が曇りがちな空に昇って、消えていく。弱弱しい煙を見上げて、歪む口元。
「明日、楽しみだな」
この煙のように消えてなくなれ。そうすれば、こんな面倒で熱く疲れる場所とはお別れだ。唯一離れて悲しいのは、貴族の嗜好品が食べられなくなることくらい。
「お可哀そうな坊ちゃんだぜ」
くくっ、と喉を鳴らし笑う。
もう一度煙草を口にくわえ、吸って吐く。怠惰だけ残って、快感と共に味わう。
物陰から窺う視線に気づきもしない。
◇
(明日? 一体何を考えているのでしょうか?)
厨房を抜け出したサリア。人目を避けながら、侍女やメイドの姿を探していた。家計の厳しいダダルク家は、必要最低限の人数しか雇っていない。廊下を移動するのは簡単だが、見つけるとなると難しい。
部屋の扉一つ一つに聞き耳を立て、中の状況を確認する。すると、一つの部屋から人がいる気配がした。
そのまま張り込もうとした時、こちらに近づく慌ただしい足音が耳に届く。とっさに誰も入っていない部屋に入り、扉の隙間から聞き耳を立てた。
「来客があるらしいから、いつもの角部屋掃除しておいて!」
「えーーっ!? 今からですか!?」
「夕方前には必ず終わらせるのよ! 私は急いで花壇の花、全部抜いて燃やしてこないといけないから! 手伝いは期待できないわよ!」
「また、奥様ですか!? 折角、エリオット様のために綺麗に咲いたのに~……」
「それが気に入らないらしいわ! じゃ、本当に頼んだわよ!」
慌ただしいメイドのやり取り。少し怒り気味なメイドが捨て台詞を吐き、足音を立てながら去っていく。残されたメイドのため息がサリアまで届いた。
「はぁぁ、先に角部屋行こう」
ワゴンを押す音が聞こえる。扉の隙間から姿を確認し、部屋から静かに出た。後を追い、メイドの背後に陣取った。姿勢を低くし、メイドの後をつける。歩調を真似て足音を重ね、息遣いの呼吸すらも合わせた。
メイドはサリアに気づかない。仕事の多さに辟易とし、意識は散漫としていた。
しばらく歩いていくと、メイドは目的の部屋に到着する。もう一度ため息を吐き、鼻先を布で覆って後頭部で端を結ぶ。それから意を決して、中へと突入していった。
その背後に堂々といたサリアがいる。
(さて、偽装工作しましょうか)
背負ったカバンの中から、一枚の白いシーツを取り出す。
廊下の隅に移動し、脛を床にぴたりと付ける。後屈し、頭を床につけ体を支えた。自由になった手でシーツを被せ、もぞもぞと動くとシーツの隅が角ばる。箱偽装の完成だ。
息をひそめ、メイドが出てくる時をひたすらに待つ。
その後、メイドは「なんで箱?」と首を傾げる。ミーティア夫人の物だと思い放置したのだった。




