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僕と彼女と夫人 後編

 日記では飽きさせないように、様々なことを書きつづった。彼女が喜びそうなこと、楽しくなること、とりとめのない可笑しな噂話。話を集めるために、様々な人と交流も始めてみた。夫人の目を避けながら。


 僕の世界は広がった。色んな視点から物事を見ていると、心に余裕が生まれていく。でも、そのせいで一つの疑問が僕の中で浮かんだ。


 ――――――どうして、彼女は僕に構ってくれるのだろう?


 その謎は呆気なく分かってしまった。若い紳士が集う社交場でのこと。以前、彼女に絡んできた子息が漏らす。


「ははっ、妬けるね! それは君のことが好きだからではないのかい?」


 堂々と服を脱げ、と彼女に真顔で詰め寄った金色で長髪の彼だ。なぜか粘着されて、友人認定されてしまったようで……少し困っている。その彼が好き勝手に言ってくれた。


「彼女は胸は慎ましいが、体は素晴らしいよ! 一度拝見してみたいと思っているんだ。あぁ、あのしなやかで気品すら溢れる、腕や足! 頬擦りしたいとは思わないのかね? 画家にでも頼んで、裸体を絵画に残してしまおうか。


 いや、あの芸術的にくびれた腰や儚げな線の細さは、絵画では表現しきれないだろう。あぁ、三体くらいの彫刻にして残してしまおう。題名はそうだな……美のヴィーナスの喜怒哀楽! ……しまった、一体足りないではないか! 私としたことが、基本を疎かにしてしまうとは……


 ふふっ、それだけ彼女が魅力的でしなやかな体躯をしているのが悪いと思わないか? ……本当に美しいとは罪だ。何故、人は美しさに心を奪われてしまうのだろうか。ふむ、素晴らしいポエムが書けそうだ。

 では、さらば! ……君は美の女神に好かれている、幸運な男だ。君の傍にいれば、私にもその幸運が転がってくるかな? はははっ、それはいいな!


 今度、私が書いたポエム集を送って上げよう。ぜひ恋の授業に使ってくれたまえ。授業料は勿論、君の恋の話さ。美のヴィーナスに惚れられた幸運な男の話、素晴らしい! これだけで物語ができてしまったではないか!


 さて、エリオット君……出会いから話してくれないか?」


 ――――――本当に困っている。

 い、いやいや! そういうことではなくて!!

 僕のことが、好き?


 そう思った瞬間、脳裏に浮かぶのは夫人の凶悪な表情。……駄目だ、彼女を夫人の悪意にさらすことはできない。守り切れる、自信もない。そう思う自分が情けなくて、本当に情けなくて。

 そして、僕は少しだけ彼女と距離を置く。彼女は察してくれて、それ以上は踏み込んではこない。ほっとしたような、残念のような。本当に僕は最低だ。距離を置いたのは僕だ、逃げたのは僕だ。


 自問自答の日々が過ぎ、いつの間にか十五歳になっていた。


 ◇


 十五歳の特別なデビュタント。

 彼女にとって、一生に一度の晴れ舞台だ。自意識過剰かもしれない。けど、待っていてくれていると思った。

 久しぶりに会った彼女はどこか落ち着かない様子。ずっと、何かを言いたそうにもごもごしている。


「あ、あの……実は、今度の舞踏会、なんだけど。サリア嬢は……」


 彼女に言わせてどうするんだ! と、なけなしの勇気を振り絞って、同伴を申し込んだ。


「ももも、勿論です! こちらこそ、エリオット様にお願いしようと!!」


 その言葉にどれだけ救われただろう。同時に凄く恥ずかしくなって、微妙な表情しかできなかったのが悔やまれる。


 デビュタントまでの日々の中、何かで喜ばせようと考えた。花束は……無理だ。生花、特にバラには体質で近寄れない。でも、彼女には花が良く似合うと思う。

 日に日に強くなる夫人の罵倒を気にしないようにして、バラの造花を作る。沢山だ、とにかく沢山。抱えきれないほどに作って、驚かせて喜ばせるんだ。


 しかし、前日に夫人に燃やされた。

 呼ばれて行った中庭で燃えていた。空高く舞い上がる煙。藁と一緒に燃やされる造花。


 それは彼女の特別な!!

 怒りあらわにして夫人を睨みつける。直ぐに頬を叩かれた。地面に倒れこむけど、立ち上がろうと地面を手で掴む。その手を、夫人の靴が踏みつける。


「ぐっ……」


「下らないものばかり作って、一体なんのおつもり? 職人になりたいのなら、早くこの邸宅から追い出して上げるわ」


「あれはっ……下らなっ!」


 夫人の靴がさらに強く踏みつける。


「口答えするなんて、教育がなっていないわ。今夜は母上が直々に教育して差し上げます」


 見上げた夫人の表情は嬉しげに微笑んでいた。


 終わったのは、朝日が昇った頃。その後、気を失うように寝てしまった。起きたのは昼過ぎ。クライムや他の侍従の力を借りて身支度を済ませて、急いで馬車に乗り込んだ。


「エリオット様、材料はそちらの箱にあります」


 クライムが用意したものは、造花の材料。一応、既製品の贈り物も用意してくれたようだ。既製品の方が見栄えもいいし、高級品だし、普通ならばそっちが喜ばれるだろう。

 心の中で造花の贈り物が失敗しても既製品がある、そんな弱い決意でもう一度造花を作る。揺れる馬車の中、手元を狂わせながら一本の造花ができた。


 本当にこれでいいんだろうか?

 急に襲いかかってきた不安。湧き上がってくる不安をどうすることもできないまま、馬車はコンナート家に到着してしまう。


 エントランスに案内され、内心焦りながら立っていた。少し体が震える。やはり今からでも既製品の贈り物を取ってきた方がいいだろうか。こんな造花なんて、喜んではくれないよ。激しい葛藤が僕の中で繰り広げられる。だけど、既にそんな時間はなかった。


 現れた彼女に僕は息をのむ。言葉が出てこない、何も浮かばない。あぁ、なんて言えばいいだろう。どう表現すればいいのだろう。頭の中は真っ白だ。


 表情を作るのが精一杯。全然、声をかけて上げられなかった。我に返ったのは、彼女の視線に気づいた時。視線は造花に向けられていた。


「待たせてごめんね。……バラは触れることができないんだ。手作りで申し訳ないけど、気に入って貰えると嬉しいよ」


 こんなことを言うつもりはなかった。それなのに、彼女は嬉しそうな微笑みを返してくれる。


「世界で一輪の私だけのバラ、ではないですか。こんなに素敵な贈り物は、頂いたことがありません」


 温かな言葉は僕の心に染みる。彼女の言葉はこんなにも心を穏やかにしてくれる。


「……良かったよ。ありがとう」


 あんなことがあったのに、心からの笑顔を浮かべられる。


 今日は彼女が主役。精一杯引き立てるために、一挙手(いっきょしゅ)一投足(いっとうそく)に気を配る。頭の先から、足の先まで意識を離さない。優雅に華麗に、彼女をエスコートする。


 ダンスホールは彼女の舞台。

 大袈裟なお辞儀の後に手を取り合って、曲に合わせて踊りだす。

 狂わないステップは彼女を優美に引き立て。

 揺れ動く腰つきは儚げにみえて放胆。魅惑が変貌する。

 細い体を回せば、華が咲くように広がるドレス。

 そして、彼女の笑顔。


 夢のような一時。

 今日だけでも、貴女を――――――


 ◇


 デビュタント以降、僕たちの関係は変わらなかった。変わらないようにしていたんだ、僕が。

 彼女も踏み込んでこない。これでいい、これがいい。そんな言い訳ばかりの無意味な日々だった。


 運命の時は前触れもなく訪れる。十七歳の時、僕は倒れた。


 いつもと変わりない、一人の食事。突然、胃に急激な痛みと圧迫感が襲った。何度吐いても吐き気は止まらず、痛みも消えなかった。医者の話では、食中毒ではないかと言われる。胃の薬を貰い、その時は終わった。


 しかし、二週間後に同じ症状に見舞われた。次は一週間後。間隔が縮まってきている。

 ここまでくると医者は病気を疑ってきた。身体中を調べられても、僕の身体に原因となるものがみつからない。今は見つけられない病気なのだろう、そんな諦めに似た言葉を聞いた。


 僕の体は悲鳴を上げ続ける。

 突然の嘔吐と腹痛。食事を取れたとしても腹を下す。まともに食べられなくなり、日に日に衰弱していく。皆、夫人を一番に疑った。料理長が夫人の口利きで入っている事実が怪しすぎたのだ。


 だが、その料理長の作った料理を僕以外が食べても異常はない。極めつけは、僕の皿にのった料理を食べてもだ。誰もが僕の病気を疑い、療養生活が始まった。


 時々心配して訪れてくれる、友人が心の支えだ。その中には勿論、彼女もいる。夫人は訪れる子息や令嬢に小言はいうものの、実力行使には出ていなかった。きっと、今の僕の姿を見て喜んでいるからだ。時々部屋を訪れては、やつれていく僕を見て微笑んで帰って行く。

 そんな療養生活でも、少しだけ穏やかな日々を過ごすことができた。


 そして、十八歳の誕生日を迎える十数日前。ダダルク家に凶報が舞い込んだ。

 鉄道設置に反対する団体が、暴動や破壊行為を各地で働く。父上たちは国から派遣された軍隊と共に各地の鎮圧、破壊された土地の確認、計画の見直しに駆り出された。


 ダダルク家に残る夫人。傍若無人の日々が始まった。


 僕に届く手紙は全て返戻。社交場、茶会、夜会などには出席させず。訪れた子息令嬢たちは有無を言わさず追い返す。

 ヨハンを様々な交流の場に連れて行く頻度が多くなり、夫人の声もまた大きくなった。不埒な会合に現れた、という噂があちこちから聞こえ始めたらしい。


 外の情報は全て彼女が教えてくれた。僕のためにカバンになんか入って。色んな工作をして、会いに来てくれた。

 全く変わらない彼女。いつもと同じ微笑みを浮かべて、この状況を全く苦とも思わないようで。ありがたくも、少しだけ惨めで悔しい。


 それなのに、それなのに――――――

 僕はなんてことを言ってしまったんだ。


 寝台の上で横たわるだけの存在。夫人に関わらせまいと、悪意から遠ざけたかった。結果として途切れてしまう交流。彼女はそれを望んでいなかったのは、知っている。

 悪いのは僕だ、全部僕が弱いせいだ。自分を戒めることしかできない、馬鹿なヤツ。


 どうして、こんな体になってしまったんだ。何もできない、誰も守れない。

 ――――――彼女を好きになれない。

 突き放したのに、どうしてこんなに恋しくなるのか。傍にいて欲しい、とすがりつけば良かったのか。


 会いたい気持ちは大きくなるばかりだ。


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