軟体令嬢は軟体潜入を試みる
日が高くなる時間。昼食を食べ終えた者達が、一斉に動き出す。従業員用の食堂から外へ、老若男女が騒がしく出て行く。中庭へ進もうとしたところ、玄関の横に、一つのカバンが置かれていることに気づいた。
「んあぁ? なんだべ、これ」
「立派なカバンだねぇ。きっと、商会長の届けもんだろうさ」
「おーい! ちょっとこれ、届けてくれよ!」
あっという間にカバンの周りには人だかりができる。男性の大声に、食堂の中から見習いの青年が出て来た。
「これ、きっと商会長の届け物だと思うんだ。届けておいてくれよ」
「そうなんですか? 今、片付け最中だから後で届けてくるよ」
そう言って、見習いは重たそうにカバンを担ぐ。食堂に戻り、もう一方の扉を開けて廊下にカバンを置いた。
食器と調理器具を片付け、その後は食堂の掃除と忙しく動き回る。一段落ついたのは一時間後。カバンを思い出し、廊下に出てみる。しかし、そこに置いたはずのカバンが消えて無くなっていた。
「あれー、可笑しいな。誰か気づいて、持っていってくれたのかな?」
首を傾げながら、再び厨房に戻っていった。
この日から始まる。
これから語り継がれるであろう、館の恐怖が。
◇
三階建ての館。外側はレンガ、内装は木造。首都モルクでは一般的な建造物だ。
少し風化した廊下は黒ずんで、年季を感じる。漆喰の壁はヒビが目立ち、所々剥がれ落ちて廊下を汚す。
「ったく、この壁も早く塗り直してくれないもんかね」
その廊下で愚痴を零す中年女性が一人。髪はまとめてはいるが、綺麗に整っていない。メイド服も皺が目立ち、清潔とは言えなかった。
ほうきとちりとりを持って、嫌々ながらも剥がれ落ちた漆喰を集める。
「……ん? なんで、こんな所に」
下を向きながら進むと、一つの黒革のカバンが端に置かれているのに気づく。眉間に皺を寄せて、カバンに近づき観察する。それは庶民が手が出せないほどの、立派なものだった。
「商会長か? ……ふーん」
ニタリ、と気味の悪い笑みを浮かべた。辺りを注意深く見回し、カバンに手をかける。持ち上げようとしたが、女性にはとても重くて持ち上げられない。
舌打ちをする。今度はしゃがんで、カバンのチャックに手を伸ばす。どんな金目のものが、と期待が膨らむ。
開けるチャックの向こうには――――――
青白い女の顔が、こちらを睨みつけていた。
「ひぃぃっ!!」
女性は驚いて尻もちをついた。逃げようとするが、体が震えて動かない。怖くて仕方ないのに、カバンの割れ目から目が離せない。動悸が激しくなり、息が上がる。
そして、カバンから女の顔が浮かび上がった。しかし、何かが可笑しい。そう、体だ。体が不自然に折りたたまれている。なぜ、太ももの間から顔が出ているのだろうか?
不自然な体勢の女は動き出す。ペタリ、ペタリ……と横から出た手を使い、カバンから這い出る。
そこで、女性の意識は切れた。
◇
男は各地から上がってくる報告書に目を通していた。机の上は乱雑に積み重なった封筒や手紙ばかり。中には貴族からの大事な手紙もあるのに、疎かにするほどに忙しかった。
コンコン
控えめなノックの音。男は顔を上げて「なんだ?」と声をかけるが、音沙汰はない。
コンコン
しばらくしてから、またノックの音。男は声をかけるが、誰も扉を開けない。少し苛立つも、相手にしないと決めた。報告書に意識を向ける。
コンコン コンコン コンコン
途端にノックの音が続いた。一定のリズムで叩かれるそれは、男の理性を削る。
「なんだ!! なんの用だ!!」
――――――コンコン
それでも、鳴りやまないノックの音。痺れを切らし、勢い良くイスから立ち上がった。床を踏みつけながら近づき、ドアノブを引く。
「さっきからうるさ……え?」
誰もいない。思わず言葉を失った。さっきまで、うるさくノックの音が響いていたのに……
「……なんだ、カバン?」
視線を逸らすと、床に置かれたカバンを見つけた。どうして、こんなところに。そう思った瞬間、背筋にぞくぞくとした悪寒が走った。
今、カバンが微かに動いた気がした。不可解な現象に、動悸が激しくなる。
「おい! 誰かいるんだろ!?」
不安に駆られて声を上げるが、廊下には人の気配はない。身震いするほどの静寂が辺りに流れる。
激しい葛藤の後、男はカバンに手を伸ばす。見たところ、なんの変哲もない黒革のカバン。しかも、流行になりつつあるチャックつきのものだ。
ゴクリと喉を鳴らす。恐る恐る伸ばした手でチャックを掴んで、ゆっくりと引く。独特な金属が擦れる音が、男の緊張を高めていった。開けられたカバン。
覗き見ると、そこには――――――
「……な、なんだ。生地が入っているだけか」
チャックの奥には、雑に折りたたまれた黒革があった。中身が分かると怯えていたことが、馬鹿らしくなる。
カバンから視線を外そうと思った、その時だ。微かに、カバンが動いた。それを見た瞬間、体がピタリと動かなくなる。もぞもぞと動くチャックの向こう側を、見たくもないのに凝視した。
聞こえるのは自身の荒い息遣い、鼓動。全身から汗が噴き出して、緊張が高まっていく。
揺れる視界の先で、ゆっくりと黒革が動く。
ずるずると回転して、端から人の顔が現れる。
女の顔。
目が……合う。
「ひぃっ!!」
尻もちをつき、後ずさる。
早く、早く離れたい! 思いとは裏腹に、手足は思うように動かない。
その時、カバンから素早く手が伸びて来て、男の足を掴んだ。
「うわぁぁっ!!」
掴まれた足を必死に動かす。
女の手は離れない。
それどころか、カバンから這い出て、男に覆い被さる。
見上げた先で、女は腕を大きく振りかぶった。
その手には、銀色に光るネイルハンマーが握られている。
男は悲鳴を上げることができなかった。
後に、この館には気味の悪い噂が流れた。
昔、戦時中に不正を働いていた商会長の悪事に気づいた、従業員の女がいたらしい。
密かに証拠を集めていたところ、見つかってしまい殺されてしまう。
その後、女はカバンに詰め込まれて、敷地のどこかに埋められてしまった。
女の恨みは消えず、怨霊となって今もどこかに潜んでいる。
恨みを晴すまで、黒革のカバンからずっと……ずっと、こちらを窺っている。
◇
「まあ、こんなものでしょう」
サリアの足元には、気絶したワチック商会長の男が無傷で倒れていた。振り下ろしたネイルハンマーは男を捉えず、床を叩いたのだ。白か黒かはっきりしていないのに、相手を傷つけることは避けたかったらしい。
一息つくと、部屋を見渡した。
「まあ、なんて汚い部屋。時間もあまりないですし、少し荒らしても大丈夫でしょ」
嫌悪を顔に浮かべながらも、裏帳簿がないか調べ始める。
夜に比べて人に見つかる危険は高いが、明るく探しやすかった。机の上に重ねられている書類や手紙。引き出しの中。前回と代わり映えしない場所を、念入りに調べた。
部屋中を探し始めて三十分。そろそろボルグと約束していた時間だ。
コン コン
窓に小石が当たる音。それが合図。
サリアは調べものを中断して、体勢を低くしながら窓を開ける。すぐに下から、鉤縄が飛んできて窓枠に引っかった。
約束の時間だ。サリアは後ろ髪の引かれる思いで、縄を掴んで窓から飛び降りた。
縄に足を絡ませ、ゆっくりと降りて行く。下でボルグが受け止めようと、手を広げて待っていた。するする、と降りるサリアはボルグの顔を踏んだ。
「フゴォッ!」
それを支えにし、地面に飛び降りる。そして、何事もなかったように、その場を足早に立ち去った。
「いててっ……お嬢は、恥ずかしがり屋さんだな」
そんなことを口走りながら、ボルグはサリアの後を追って行く。
結局、酒や果汁飲料の卸しをしているワチック商会も、怪しいものは見つからなかった。
サリアの潜入はさらに続いていく。




