私と恋の話 後編
その頃から体調が優れず、病弱だったエリオット様。そのため外出を控えていたから、私たちは文通で交流を始めた。
書くことが多すぎて、便箋では間に合わなくなったわ。だから、辞書みたいに分厚く真っ新な日記を差し上げたの。交換日記ね。
そしたらね、手作りのしおりを入れて下さったのよ。表は淡い亜麻色、裏は金色。可愛らしい青い小鳥の絵が描かれた、素敵なしおり。
嬉しくて、心が躍ったわ。ついでに本当に踊ったら、カタリナに白い目で見られてしまったけど。でもね、それだけじゃないの。
しばらくすると、日記にカバーがついたわ。鮮やかな飴色の革で、赤と白の刺繍が施された立派なカバー。
またしばらくすると、鍵がついたの。銀色の小さな南京錠。鍵はお互いに一本ずつ。二人の秘密みたいで、心がときめいたわ。
離れていることが多かったから、直接言葉を交わすことが少なかったから、沢山書いた。嬉しいこと、悲しいこと、可笑しいこと。外で見て、聞いて、触れて、感じたこと。ほんの些細なことでもお伝えしたの。
そしたらね、日記に「僕も外に出れるように頑張るよ」とおっしゃってくださったわ。それを境にして、少しずつエリオット様は外に出ていくようになるの。
エリオット様の体調が良い時。お茶会を開いたり、交流会に参加したりしました。ある日、私が園庭散策中に体調を崩したことがあったの。この日のために、色々と詰めていたせいね。
「無理をしない方がいい。あの木陰で一休みしようか」
私の体を支えて、背の低い庭木の下に移動する。そのまま寝かせるのが気が引けるから、と膝枕をしてくださったの。しかも、私が横になる場所に上着を置いて、ね。凄く恥ずかしくて、顔が赤くなった。
「顔が赤いね。熱があるのかな?」
そう言って、額に手を当ててくださる。少しひんやりとした、心地よい手。そして、男性を意識する少し大きな手。
息が止まりそうで、鼓動がうるさくて、全身が熱くなる。だけど、それ以上に私は追い詰められるの。
「少し寝ていてもいいよ。……コホン、僕が子守唄でも歌って差し上げましょう」
見上げるその顔は、少し悪戯っぽく笑う。太陽の光で輝きを増す金の髪。包み込むような優しげな視線は、どこまでも私を悩ませる。
そうして、ゆっくりと紡ぎ出す歌。でもね、可笑しくて寝れないの。微妙に音は外れるし、歌詞はうろ覚えだし、だんだんぎこちなくなる歌。それでも、心地いいのは何故でしょう。いつの間にか、私は夢の中。
結局、あの後エリオット様も寝てしまったの。夕暮れ間近になって、探しに来た使用人に起こされたわ。
そんな日々を過ごしている間に、あっという間にデビュタント。十五歳の年がきた。勿論、この日のために自分を磨いて、ダンスやマナーも予習をしたわ。でも、何よりも一番苦労したのは……同伴をお願いすることだった。家族や血縁でもいいのだけれど。半数以上はそんな方々ですけれど。
私はどうしても、エリオット様にお願いしたかった。
デビュタントを控えた、ひと月前のこと。久しぶりに会ったエリオット様。少し表情が硬くて、雰囲気もどことなく緊張しているように見受けられたの。
「あ、あの……実は、今度の舞踏会、なんだけど。サリア嬢は……」
「わ、私…一人です。一人なんです!」
「えっ、あっ! そ、そうなんだ……その、もし良かったらなんだけど」
視線を外しながら、少し落ち着かない様子。私もどうしていいか分からず、そわそわ。二人でそわそわ。
どれだけ時間が経ったのか、分からなかった。時々合う視線が、緊張を高めていったわ。
「ぼ、僕に……同伴させてくれないかな?」
「ももも、勿論です! こちらこそ、エリオット様にお願いしようと!!」
お互いに言葉を濁して、ようやく取りつけた約束。やり取りが可笑しくて、二人で苦笑いをした。
それでいいの。それだけで、嬉しかったから。
そして、舞踏会当日。
髪を編み込み、控えめで小さな金色の造花を差す。耳にはルビーのイヤリング。淡水色と純白のグラデーションが映える、光で輝くビーズを散りばめたイブニングドレス。
着るまでは絶対似合う。って思っていたのに、いざ着ると不安になるのはなぜかしらね。お迎えが来るまで、不安で不安で……イスから動けなかった。
「お嬢様、エリオット様がお越しになりました」
心臓が跳ね上がった。なんとか動くけど、ぎこちない動作。そのままエントランスに向かうと、黒いタキシードを着たエリオット様がいました。胸ポケットに赤いハンカチ、その手には一輪の造花のバラ。それは、私と同じ髪色。
「待たせてごめんね。……バラは触れることが出来ないんだ。手作りで申し訳ないけど、気に入って貰えると嬉しいよ」
申し訳なさそうに、少し沈んだ表情を浮かべている。……そんなことないのに。私は、本当に嬉しかったのです。
そっと手を伸ばして、造花のバラを手にする。この素敵な気持ちを伝えるために、一番の笑顔を浮かべるの。
「世界で一輪の私だけのバラ、ではないですか。こんなに素敵な贈り物は、頂いたことがありません」
「……良かったよ。ありがとう」
はにかむように笑ったの。……凄くずるい、て思ってしまいました。
初めての家族ではないエスコートに舞踏会。特別なデビュタント。
夢を見ているんじゃないかって、何度も思ったわ。でも、現実なの。そう思う度に嬉しくて仕方なかったわ。
ホールまでの道のりは少しの緊張したわ。でも、そんな私を隣で笑顔で励ましてくださった。出席している人の波をかき分けて、ホールへ連れ出してくれたわ。とても頼もしくて、鼓動が止まなかった。
それから二人向き合って、紳士や淑女の振る舞いでお辞儀をする。
恐る恐る手を取り合って、腰に手を、肩に手を。
今までにないくらいに近い距離で、お互いに気恥ずかしいと少しだけ視線を外す。
そして音楽に合わせて、右に左に。後ろに前に。
くるり、と回ると恥ずかしさもどこかへいって楽しくなる。
自然と笑顔を浮かべあって、二人だけの世界に沈んでいく。
◇
その後、何も進展がないまま十八を迎えました。いつもの日常を繰り返し、時が止まったかのように今を楽しむ。ただ、それだけだった。
……好きだとは言えなかった。エリオット様は告白させてくれる雰囲気を作らないようにしていたわ。残酷よね、それだけで答えが分かってしまうんだから。目の前の答えに、ずっと見ないふりをしていた。
原因は分かってるの。継母のミーティア夫人。夫人がエリオット様の未来を潰しているから、未来を諦めていらっしゃるの。
でも、誰も夫人に手出しはしなかった。ダダルク家の当主イーガ様も、強く言い聞かせられないほど。十三年前の出来事が、ダダルク家を縛っていたわ。
夫人の目的はダダルク家の乗っ取りだと、社交界では噂になっている。強引にヨハン様を連れ回して、次期当主なんてことを言いふらしているらしいの。でも、イーガ様がそれを肯定なさらないから、さらに夫人は躍起になっていったわ。
十五歳を過ぎると、夫人の行動も過激さを増した。日に日に体調が悪くなる一方のエリオット様。進展のない変わらない日常。それを二年も過ごしていた。いいえ、過ごしてしまっていたわ。
そんな時に、鉄道設置の問題が浮上した。不正に身を落とした者としての務めをイーガ様は果たそうと、大陸中を移動して問題解決に身命を賭した。
だけど、唯一の咎め役が居なくなったダダルク家は夫人の独壇場となったわ。私が何度も押しかけても、門前払い。仕舞いには正面から水をかけられました。
何もできない自分が、悔しくて。遠くからしか見守れない自分が、情けなくて。心から好きな人が辛い時に、どうして傍にいられないのだろう。
私は貴方に何度も、何度も励まされたの。
貴方の笑った表情、優しい声、勇気をくれた「大丈夫」の一言。
めげそうになった心を、逃げ出したかった心を、生まれた恋を隠そうとした心を。
何もかも嫌いにならずに、いられたのよ。
私は貴方に……何が出来るの? 貴方はどうしたいの? 貴方は生きたいの?
まだ、本当の気持ちを聞いていない。
だから、私は前に進めない。
貴方のその声で聞きたいの。
まだ、諦めない。
諦めてあげない。
積もった6年の想いは、私一人じゃどうにもできないの。




