3 召喚の儀
見渡す限り、白一色の世界。
美しい光景かもしれない。だが、それだけだったら?
音もない。物もない。ただ、時間だけが過ぎてゆく。
人もいない。自分さえいるかどうかわからない。
何もできない。考える事しか許されない。
何も起きない。この世界に変化は訪れない。
こんな世界に、一人取り残されて、あなたは耐えられるだろうか。
ああ、帰りたいと嘆くことだろう。しかし出口はない。抜け出すことは不可能だ。
死という逃げ場も用意されていない。ただ、ずっとこの世界に閉じ込められ続けるだけだ。
耐えられるだろうか。
その少女は異常だった。
その精神の強さは異常だった。
「考える」だけで、何年も、何十年も、何百年も、狂うことなくこの世界に生きていた。
しかも、精神は時を重ねるほどに強靭になっていた。
長く深い空想を続けたことで、彼女の中での「自意識」がより明確なものへとなっていったからだ。
もはや、精神の強さで彼女に並ぶ者はいない。
ありえないことだった。
ただの人間だった彼女がここまでの強さを手に入れたことは、まさにイレギュラーである。
「まあ、おばあちゃんになった自覚はないよねぇ……。」
私はそっと呟いた。いや、呟いた想像をした。
多分、この世界に来てからかなりの時間が過ぎていると思う。もうどれだけ空想したかわからない。人生を何十周かしたんじゃないだろうか。
生きてきた(いや一度死んだが)時間は相当長いはずだが、私自身が老獪な雰囲気、例えば神様のようなオーラを纏えているかというと、そんな実感は全く無い。
多分、私の「経験」そのものは、16歳のときから積み重なっていないからだろう。
今までの空想の中で、超長編小説を12本、オリジナル楽曲を177曲、オリジナル言語を5つ作り上げてしまった。この他にも詩や短歌など、挙げればきりがない。文才のない私が、じっくり時間をかけて作り上げたのにだ。
経験は積み重なっていないと言ったが、想像力に関しては凄まじく成長していると思う。この先、役に立つかわからないけど……。
そもそも、この空間はいつか終わるのだろうか。
この疑問は、何度も何度も考えた。当然、答えは得られない。だけど、ふとした時につい思い悩んでしまう。そう、今みたいに……。
この空間に来て、記憶は鮮明になった。ついさっきまで地球にいたんだよと言われても、納得できてしまうほどに。
だから、不思議と日本で暮らしていた時を「懐かしい」と思うことはあまりない。このことにはちょっと助かっている。寂しさも薄れるから。
そしてこの日。
「日」という表現は正しくないかもしれないけど、この瞬間。
この退屈な世界に、「変化」が訪れた。
私が、ずっと待ち望んでいたもの。
まるで、ここまで耐えてきたことへの褒美であるかのような。
「………!これ……。」
白い世界が、白ではないものをついに許したのだ。
空間が、裂けていた。
裂け目からは、形容し難い複雑な色彩がうごめいているのが見える。
赤、青、金、銀、黒………。
私の妄想ではない。
長くこの空間で過ごしてきて、わかったことがある。それは、この空間そのものには干渉できないことだ。
想像で、自分の姿かたちを変化させることはできる。だがそれは、その体が自分のものであるからだ。
この空間は私のものではない。自分勝手に変化させることはできない。
間違いない。初めて、この世界に「変化」が起きている。
私の中で、様々な感情があふれ出した。安堵、歓喜、困惑………色々混ざりすぎて、自分でもなんと言えばいいかわからない。
心の中は、まさにこの裂け目の中の色のように、混沌としていた。
私はためらわなかった。その裂け目が何なのか。何故出現したのか。それを考える前に、体が先に動いた。
裂け目の中へ飛び込む。いや、中へではない。
外へ!
《精神生命体の、物質界への侵入を確認しました。》
《精神生命体に、物質界の法則が適応されます。》
《経験を清算します。》
《精神生命体■■■は、スキル【不滅の精神】を獲得しました。》
《スキル【不滅の精神】により、耐性【精神干渉完全無効】を獲得しました。》
《精神生命体■■■は、スキル【完全思考】を獲得しました。》
《………確認しました。祝福が付与されます。》
《願いが受理されました。スキル【自己創造】を獲得しました。》
◇◇◇
「………!来ました!精神生命体の反応です!」
魔術師の一人が叫んだ。
この場にいる全員に、緊張が高まる。
ついに、『悪魔』が姿を現すのである。
国を単身で滅ぼした存在。竜ですら恐れを抱く存在。「天災」とも言うべき存在。
人では到底及ばない次元の生命体が、「門」をくぐり抜けてくるのだ。
中心の模様の光が怪しげに変化した。複数の色の混じった、何色ともとれない光が、ますます強くなっていく。
その光は、またたく間に部屋の全てを埋め尽くした。
「うおおおっ!!?」
王が悲鳴を上げてしまったのも無理はない。一寸先も見えない光は、この世の終わりかと思わせられるからだ。
目が焼ける思いで、しかし祭壇から注意をそらすことは許されなかった。
『悪魔』が顕現するその瞬間を、見極めなければならない。
「――――――!!」
ついにその時が来た。
誰もが息を呑んだ。『悪魔』の存在感に飲まれそうになった。
光は薄れ、その中から浮かび上がるように見えた姿は、半透明でありながら、「存在」することを嫌というほど見せつけてくる。
少女のようであった。
見た目は、14か15歳ほどだろうか。だが、纏うオーラは他者を圧倒し、強く、美しかった。
腰のあたりまで伸びた黒髪をなびかせ、銀の瞳で王たちを見つめた。
誰もが怯み、動きが止まる。だが、そこは魔法のプロたる宮廷魔術師だ。すぐに正気を取り戻し、次の行動へと移った。
「今だ!魔法を発動せよ!!」
魔術師団長の号令と同時に、魔術師たちは各々の杖を手に持ち、少女に向けた。
精神を統一し、体内の魔力を練り上げる。それは彼らの力に変換され、少女を縛る為に蓄えられていった。
「放て!隷属の魔法!!」
魔術師たちの全身全霊の魔法。杖の先端から紫の光が迸り、少女を包み込んだ。
最高峰の使い手たちによって放たれた隷属の魔法は、荒れ狂う竜さえ沈められるだろう。
たとえ『悪魔』でも、耐えることは不可能―――
……だが、紫の光は一瞬で霧散した。
「………!?馬鹿な!これを無効化するなど……!」
魔術師たちに動揺が走る。
「おい!どうなっている!?貴様らの魔法は……」
王も慌てたように叫んだ。
しかし、その先の言葉は続かなかった。
少女の強烈なオーラに当てられたのだ。
抱く感情は、恐怖。
「………………あ………ああ………ああぁぁ………」
うめき声が口から漏れる。
そうだ。なぜわからなかったのか。
人間ごときが、『悪魔』を従えられるわけがない。まさしく、別世界の生き物なのだから。
人間の常識が通用する保証など、ないのだから。
子供の頃、親から聞かされた『悪魔』の物語。なぜ、あの頃の恐怖を忘れてしまっていたのか。
警告だったのだ。『悪魔』に関わってはいけないと、そんな、先人から受け継がれてきた意思なのだ。
もう、後悔だとか諦めという感情の入り込む余地はない。全てが、恐怖に塗りつぶされてしまっていた。
それは、魔術師たちも同様である。歴戦の強者たる彼らも、戦おうという気すら起こらなかった。
やがて、彼らの目から光が失われた。
恐怖に心が耐えられなかったのだ。
それは、精神の死。
彼らは、一人、また一人と力尽きていった。
最後に残ったのは、魔術師団長だ。しかし、彼も限界だった。この中で最も強かったからこそ、少女の恐ろしさの片鱗を見てしまったのだ。
(………ああ、なんてものをこの世界へ呼んでしまったのか……。)
恐怖の中にほんの少し生まれた隙間には、確かな後悔の念が刻まれた。
だが、全て遅かった。
―――生存者、0名。
「あれ?なんでみんな寝てるの?」