2 ある王国
「……本当に実行なさるおつもりで?」
黒い装束に身を包んだ男が問いかけた。
それに答えたのは、豪華に装飾された服装をした、まさに「王」といった風貌の男だ。白い髭をたくわえ、頭には黄金の冠が乗っている。
「くどいぞ。もはや取りやめることは不可能だ。」
そう言う男の視線の先には、怪しげな祭壇があった。
円形に七本の石柱が並び、その中央には複雑な幾何学模様が描かれている。さらにその周囲を10名程の黒装束の者たちが取り囲み、手をかざしていた。
地下室なのだろうか。この部屋の光源は数本のロウソクだけで、人の顔すらよく見えない。そんな部屋の中は、冷ややかな空気で満たされている。
「この儀式を行い、滅んだ国は多く存在すると聞きます。それでも実行するのですか?」
「くどいと言っている。そのような曖昧な伝承を気にする貴様でもないだろうが。この儀式で我の覇道は確かなものとなる。貴様は、それを邪魔すると言うのか?」
「……とんでもございません。」
顔の隠された装束では、男の表情は読み取れない。しかし、その心が不安感で満たされていることは容易に想像できる。
対して身なりのいい男は、自身に満ちあふれた顔をしていた。未来の幸福を確信しているかのように。
やがて、祭壇を取り囲んでいた黒装束の一人が、準備が整った旨を身なりのいい男に伝えた。
男は満足そうに頷くと、高らかに儀式の実行を命じるのだった。
◇◇◇
ここは、地球ではない世界。人と、人ならざるものが暮らす場所。
ここを、仮に「魔法世界」と呼ぼう。
文明のレベルは、地球で言う中世ヨーロッパ程だろうか。しかし、この世界には、地球にはない技術が使われていた。
ある者は水を生み出して喉を潤したり、ある者は火を生み出して肉を焼く。風を生み出して、敵対する生物を切り刻んだりする者もいた。
この世界では、魔法と言う。
物理法則から外れた力。ありえない現象を生み出し、術者の願いを叶える力だ。
主に、その体に宿る「魔力」というエネルギーを消費して発動する。大規模な魔法ほど、その魔力を多く消費する。
そして、どんな現象を引き起こすのかは術者の想像力次第だ。起こしたい現象を正確に思い浮かべ、魔力を放出することで魔法は発動する。
魔法を使うのには相当な慣れが必要だが、「想像する」プロセスを補うために言葉を「詠唱」すれば発動することは容易になる。この世界の魔法使いの多くはこの「詠唱」を活用している。
こうして、魔法という人知を超えた力を手にしたことで、「魔法世界」の住人は便利な生活を得られたのだ。
しかし、地球にはない脅威も存在する。
世界に満ちる「魔力」によって、凶悪な生物が生み出されるのだ。それが、「魔物」である。
火を吐く竜、鉄を切り裂く熊など、魔物には強大な力を持つものも存在する。それらは、人類に敵対する存在として牙を向くのだ。
人々の生活は脅かされる。よって、そんな魔物と対抗する力が必要だった。
こうして、魔法は人類にとってなくてはならないものとなった。
だが、魔法だけでは魔物に対抗するには不十分である。しかし人類は魔法とは違うもう一つの「力」を使って魔物の脅威に抗った。
「スキル」と呼ばれる力である。
スキルとは、種族としての能力とは違う、強力な特殊技能のことだ。
身体能力を向上させたり、頑強な防御力を身につけたりと、その効果は多種多様である。
先天的に使える者もいれば、後天的に覚える者もいる。個人によって使えるスキルも違い、それによってそれぞれの個性が強く出る。
スキルは、時に魔法よりも強大な力を発揮することもある。この力によって、人類は魔物を滅する力を手に入れたのだ。
が、スキルを使えるのは人類だけではない。魔物も、スキルを使える個体が存在する。そんな魔物は、より強力な存在として人類の脅威となるだろう。
要するに、この世界は地球よりも遥かに危険で、ハードな世界なのだ……。
今更ではあるが、当然「魔法」も「スキル」も地球ではありえない力であり、同じ法則のもとに成り立っていない。
つまり、完全に地球のある世界とは別世界、「異世界」ということになる。
実は「魔法世界」の他にも、「異世界」は存在する。
これらは直接行き来できるわけではない。それぞれが違う法則を持っているので、同じ空間に成り立たないからだ。
では、他の世界に移動するためにはどうすればいいか。これらの世界と共通して繋がっているもう一つの「世界」を経由すればいい。
それが、「精神界」である。
この世界に、物質はない。あるのは魂といった、形のないものだけだ。
この世界でも住人はいる。肉体を持たない、「精神生命体」と呼ばれる存在だ。
この精神生命体が様々な要因で物質界に顕現した存在が、「精霊」や「悪魔」と呼ばれる者たちである。
彼らは二種類に分類される。
物質界に顕現したあとすぐに消滅してしまう脆弱な者と、圧倒的な力を持った強大な者だ。
何故こうも両極端になるかというと、そもそも精神界は強いものだけが生き残る世界だからだ。
精神界で言う強者とは、精神の強い者のことである。
精神界には、何もない。山や、海や、文明もなく、ただそこに空間があるだけに過ぎない。
全ての物質界と繋がる広大な世界であるため、他の精神生命体と出会うこともまずない。
そして、肉体を持たないため死ぬこともない。
こんな世界に理性ある生命が生まれればどうなるか。
当然、ほとんどが狂ってしまうだろう。
狂うことは精神の死を意味する。つまり、精神界から消滅してしまうのだ。
よって、この世界に住む精神生命体は、まだ狂っていない生まれたての存在か、この世界を生き延びられる強者だけになってしまうのだ。
このうち、「強い精神生命体」を精神界から召喚する技術を、この「魔法世界」は持っていた。
強い精神生命体は圧倒的だ。あらゆる魔物を退けられる力を持っている。この力を借りられれば、世界を掌握することすら可能だ。
しかし、強いからこそ大きな危険が伴う。
かつて、精神生命体を召喚して実際にそれを行おうとした者がいた。
魔法とスキルのあるこの世界では、精神界への扉を開くことは困難ではあるが可能だった。
だが、自らに不相応な力を求めた者の末路は悲惨だった。
呼び出した「悪魔」の怒りを買い、召喚者の祖国もろとも全てを破壊しつくされてしまったのだ。
その後の「悪魔」の行方はわからないままである。自ら精神界に帰ったか、あるいは……。
(やはり危険だ。王は『悪魔』の危険性を理解していない。怒りを買えば、もはや我々の手には負えんぞ……。)
黒装束の男は、その頭巾の下で苦悶の表情を浮かべていた。
彼とて、もう中止は難しいことは理解している。儀式は既に進行しているのだ。
だが、「悪魔召喚」の儀式は非常に精密な操作が必要であり、少し間違えれば失敗する。
まだ止められる。嫌な予感がしていたその男―――宮廷魔術師団長は、一縷の望みにかけて王に直訴した。
「王よ。この儀式は危険です。即刻中止することを提案します。」
「何だと?今更何を抜かす。もう儀式は始まっているのだぞ。良いか、この儀式を必ず成功させよ。これは王命である。」
しかし、王は聞く耳を持たなかった。
王命とまで言われれば、もはや成功を祈るだけである。背けば、反逆罪として処刑されるからだ。
確かに、今回の儀式は文献に記されていた今までの「悪魔召喚」とは違う。
『悪魔』が顕現したと同時に、「隷属の魔法」をここにいる全員の魔術師でかける計画なのだ。
彼ら「宮廷魔術師」たちは、他の魔術師たちとは一線を画す実力を持っている。王国最強の魔術師たる彼らの全力の魔法によって、『悪魔』を強引に従わせるというわけだ。
だが、団長はこの計画に大きな懸念を抱いていた。
隷属の魔法は、精神が強ければ無効化されるのだ。
精神界を生き残る精神生命体は、精神の強さにおいて最強と言っても過言ではない。最強の魔術師といえど、その魔法が効くかどうかはわからないのだ。
(魔法を無効化された時点で、終わりだろうな……。我々になすすべはない。)
祭壇の幾何学模様が発光を始める。その光は、暗い地下室を太陽のごとく明るく照らした。
儀式が今、完成する。