私は聖女なんかじゃない
見覚えのない場所に唖然とした。
私以外にも、二人女性が居るけれど、彼女達も唖然としていた。
そもそもの始まりは、私が複数人の男どもに性的暴行を公園でされそうになっていたのを偶々通り掛かった二人の女性が助けに入ろうとしたところで、私の周囲で竜巻が起こったと思い目をつぶり、目を開ければここに居た。
緑豊かな自然の中、人工的に作られたと思われるでかい噴水の池の中にずぶ濡れになって私達は存在していた。
「ここどこ?」
「日本、じゃないのかしら……?」
美少女な女子高生と、これまた美女なスーツを着たOLだと思しき人は状況を飲み込めないでいる。
私も混乱の最中に居るのだが、なぜか走馬灯のように今日、1日の出来事が頭の中を駆け巡る。調理の専門学校に居た私は今年就活生だった。なんの因果か、公園でコンビニのサンドイッチを食べていた私に、酒臭い男どもが来たと思えば、就活成功した俺等に祝儀として体差し出せとかわけわかんないこと言われて襲われそうになっていた。思えば、私は果てしなく男運が悪かった。初恋相手にはこっぴどくフラれ、挙げ句にはそこから苛めに発展。小学校は、暗い生活を送っていた。中学校に上がれば、苛めに興味がなくなったのか、小学校から上がってきた人達は部活にはまっていった。そんな私も文芸部で小説やら漫画やらを読み漁り、仲間たちと語らう青春。そして、イケメンな先輩になぜか告白されお付き合いに発展したのだが、付き合って3日で浮気された。別れるしかなかった。そこから、2ヶ月後にはワイルド系な先輩と付き合うことになったのだがこれがまたナルシストな上に、束縛が酷く、なのに浮気をする最低な人だったので1ヶ月も経たずに別れた。高校入るまでは誰とも付き合わないと誓い、高校入学すると痴漢にやたら遭うようになり、毎朝が憂鬱になった。高校では、バイトで忙しくしていたため、恋人というものも居なく、専門学校に入学すると課題とバイトで忙しく恋人を作る暇がなかった。
痴漢にやたら逢ったし、ストーカーもされた事がある。人よりも男運がないのも知っているが、今回のこれは酷くないだろうか。
「聖女様が、三人もいらっしゃるとは」
「どれが本物だ」
「いいえ。ここの泉の中に居るということは全員本物です」
紫銀の長い髪の両端をみつ編みにした中性的な容姿の男性と、緑色が混ざった黒い短髪の長身な男性の二人は白を基調とした中世の騎士みたいな格好をしていた。
「聖女って、私ただの女子高生ですし!」
ミルクティブラウンの軽いパーマがかかった髪の長い美少女が喚く。
「そうね。非現実的だわ。元の場所に帰してちょうだい!」
落ち着いた茶髪の美人が、騎士っぽい男性二人に食って掛かろうとする。
なんか、二人とも好戦的で平凡な私には刺激が強すぎる。
「ミュゼどうする?」
「それ、僕に聞くの?」
緑が混ざった黒い髪の長身の男性が困り果てたように頭をガリガリとかく。
それを横目でチラリと見た紫銀の長髪の男性が溜め息を溢す。
「話を聞いていただきたいのだけれど、今この世界は魔王が住む土地から漏れている障気で満ちている。我々は、その障気を浄化するために、この聖なる泉から聖女を召喚しました。障気を世界から完全に浄化されたら元の世界に帰します。障気はあなた方聖女様が、存在しているだけで浄化されるので、特に何かしていただく必要はありません」
「長期的な観光に来たと思って過ごしてくれればいい」
「観光って、費用は」
「今回は我々の国が負担することになっています」
それなら、といった風に女子高生とOLが納得しかけている所で私はなぜか寒気を覚えた。多分、私誰かと会うと逃げられないな、なんて予感がした。
「あの、私はここに居ていいですか?」
「構いません。ここの泉は聖女様のための泉です」
「そうですか」
ホッとした。
女子高生と、OLは男に付いて行ってしまったが、「またここに来るわ」「美味しい物があれば持ってきて一緒に食べましょう」とか言っていたので、悪い人たちではないのだろう。
まぁ、そもそも悪漢に襲われそうになっていた私を助けようとしていたのだ。悪い人たちな訳がないか。
私はその日から、日長1日ずっとその泉から離れられずに居た。
トイレやお風呂、食事の時を除いてほとんどそこに居たのだ。なんとく、ここから離れるとまずいような気がしていた。
髪が長くなってきて邪魔だな、と思うようになれば、そのタイミングで女子高生の、芽衣子ちゃんが髪を整えてくれたり、身体動かしたいな、と思えばOLの渚さんが、ヨガを教えてくれたり、後は芽衣子ちゃんの勉強を渚さんが見ていたり、3人で学校の話をしたりなどして、それなりに楽しくやっていた。
そして、この世界に来てから約半年が経った頃に、障気の浄化が終わり元の世界に帰るとなった時にそいつは現れた。
「ようやっと会えたな」
「…っ誰!?」
濃い紫色の髪は後ろに撫で付けられ、端整な顔立ちは憎悪に歪まれているのにも関わらず美しい。
長身の体躯に、黒を基調とした品のある服を纏っているが、雰囲気は威嚇している大型の動物のそれと変わらない。
これはなに。
「お前か。聖女とは」
「私は、ちが」
「違わない」
「違う!」
「お前は俺の為に呼ばれた」
なんて自分勝手な男だ。
睨めば男の目が暗くなっていく気がして目を逸らした。
「私は、元の世界に帰る」
「何も聞かされていないか。帰る事が出来るのはお前の巻き添えになった、あの二人だけだ」
「そんなはずない!」
「お前の匂いはあの二人とはまるで違う」
「は?」
「こちらの世界の匂いだ」
そんなはずはない。
この男は一体何を言っている。訳がわからない。私は帰る。
それまでずっと噴水の泉の側を陣取っていた私は、立って走り出す。
晴れている日と寝る時、トイレ以外はずっとそこに居た。ここの近くには神殿があり、私はそこでずっと寝泊まりしていた。
神殿に逃げ込んで、初めて自分に宛がわれた部屋へ続く廊下以外の道を走る。
神官の一人にぶつかり、小さく謝罪し急いで立ち上がる。
「おや、胡夢様」
「ミュゼ!お願い、助けて」
この世界に召喚されたときに居た神官だ。
「いかがされました」
「ミュゼ」
「シュゼル侯爵ではありませんか」
「それは俺の女だ」
「なるほど。そんな怖い顔をされているから逃げられるんですよ。こんなに怯えて可哀想に…」
「なぜ俺に報告がなかった」
険しい顔をしながらミュゼに詰め寄る男から、離れるように私はミュゼの後ろに隠れる。
「せめて浄化が終わるまでは会わせる気などありませんでしたよ」
「俺が浄化の邪魔をするとでも」
「いいえ。胡夢様に逃げられると困りますから何もお伝えしておりませんでした」
「もう浄化は済んだだろうが。それを俺に寄越せ」
「胡夢様にも選択権ぐらいはありますよ」
もちろん、いやいやと首を横に振る私に男が苦しそうに顔を歪めた。
「……くっそかわいい」
「はぁ」
何かを言ったらしい男の声に反応したのはミュゼ。
「胡夢様はどうされたいのですか?」
「元の世界に、帰りたい…!」
「帰ったところでどうする。お前、男運悪いだろ。そういう魔力の巡り方してる。良くて強姦。悪くて死ぬまで輪姦されるな」
「…ひっ…」
確かに今までの男運の悪さを思い出せばそれはあり得ないことでは無いのかもしれない。
現にこの世界に来る直前には、理不尽な理由で襲われそうになっていた。
どうする。どうすればいい。
向こうには家族は居ない。専門学校の学費は亡くなった顔を知らない両親が残してくれた保険金から出した。
友達も、そういえば居ない。
女子の好きな男を取る悪女とかの異名で、中学高校は仲良くしてくれる子は居なかった。だからといって、男友達を作る気にもなれず、結局は寂しいぼっち生活だった。
この世界に来て、芽衣子ちゃんと渚さんに出会えて楽しかったけど、結局のところ、向こうの世界に私を縛るものは何もなかった。
それに二人には大事な家族や友人達が多そうだ。とてもじゃないけど、これ以上は関われない。
「…………」
「シュゼル侯爵、怯えています」
優しい手付きで私の頭を撫でるミュゼは、いつも飄々としていながら、優しかった気がする。気紛れで優しくしていたのかもしれないけど。
「俺の女だ。触るな」
「ご無理を」
「寄越せ!」
「お可哀相に。怯えて…」
とりあえずミュゼは男を煽るのを辞めてほしい。
「胡夢様は、シュゼル侯爵のその話を聞いて尚、元の世界に戻りたいですか?」
「……だって、私の生まれ故郷だよ…。なんでそんな簡単に忘れられるって、こっちの世界の方が良いって思う事が出来ると思ってるの?」
「…シュゼル侯爵に捕まった方が遥かに幸せだと思いますよ。衣食住は間違いなく保証されますし、執着心はかなり粘着質で、嫉妬深いですけど、そこには間違いなく愛がありますよ」
「おい」
確かに良い男だと思う。見た目は極上で、恐らく出来る男だろう。威圧感凄いし。
元の世界に戻って酷い目にあうぐらいなら、この世界に居た方が良いのかもしれない。
「……わかった。でも、私はアンタには捕まらない!」
「無理だな。俺とお前は運命で繋がれている」
それからは、バタバタと慌ただしく時が過ぎていった。
渚さんと芽衣子ちゃんは、涙ながらに元の世界へ戻っていき、私はその翌日に静かに城を出る予定だったのだが、男、グレア・シュゼル侯爵とミュゼも一緒に着いてきた。
何故、ミュゼまでと思ったがミュゼ曰く、
「聖女様に仕えるために生きてきました。歴代の聖女様も事が終われば城から出る者が多いので、必然的に私も一般庶民レベルで生活出来る能力は身につけております」
と言っていた。
城を出たと言っても、城下町に引っ越しただけだが、そこはミュゼの進めだ。手の届く範囲に居てくれれば、陛下は特に何かするつもりはないらしい。生活が保証されているし、この国から出るよりかは生きやすいから、バカな事はするなと忠告までされた。
庶民の生活レベルとしては、元の世界の同じレベルで、異世界に来たというよりかは、フランスやイタリアみたいな西洋に来た感じだ。
家電製品も、魔力で動いているようだし、車や地下鉄もあるみたいで生活に全く不便を感じない。
私は城下町にカフェをオープンした。
店員はミュゼだけだ。グレアは城で仕事があるから、夜中来てそのままうちに泊まるので、グレアの荷物だけ増えていく。
グレア専用のコーヒーメーカーと、空き部屋がグレアの書斎になるには時間がかからなかった。何気なくジワジワと私の生活ゾーンに入り込んできている事に焦りを感じ始めた。
私の元彼ワースト1に輝かく男は、グレアと同じように私の生活ゾーンに入り込みジワジワ囲ってきた思ったらある日突然仕事を辞めて、「養って」と言ってきた事があったら、即日借りていたアパートの部屋を解約し、男と別れたという苦い思い出がある。
「どうしたら……」
「シュゼル侯爵に限ってそんな無責任な事は起きません」
開店前のカフェの店内で紅茶とお茶請けのクッキーをテーブル乗せて、グレアに対して不安に思っていることをミュゼに話せば、きっぱりはっきりと否定された。
「胡夢様、シュゼル侯爵は素晴らしい方です。ゆくゆくは国の宰相となり、陛下を、この国を守る主軸の一人です。自宅ではなくここへ帰ってくるのは、あなたが居るからです」
ミュゼに頭をグリグリと撫でられる。
ミュゼは、世話焼きのお兄さんといったところだ。本人もそう思っているのかたまに、「本当に手のかかる妹ですね」と冗談混じりに言ってくる。あきれながらも、愛情に満ちた目はなんとなく居心地を悪くさせる。
「そんな良い男なら尚更、グレアは浮気する」
「は?」
昔、付き合っていた金持ちの男は浮気癖があった。
結果的には何度も何度も裏切られては、ボロボロになる自分の心は耐え切れず別れてしまった。一番辛かったが、よく私はその男を殺さないでいられたな。今なら殺す。
「………胡夢様は本当に碌でも無い男を恋人にしすぎでは」
「だから、というか、なんというか誰かと付き合うのとか、相手を信用出来ないというか…」
「大丈夫ですよ。シュゼル侯爵が浮気なんて馬鹿なことをしたら、監禁してしまえばよろしいのです」
さらりと言われたとんでも発言に、反応出来ず、食べていたクッキーが入っちゃいけないところに入り込み噎せて咳込んだ。
「むしろそちらの方があの方は喜びそうですね」
その後にボソリとミュゼが呟いた台詞は私には届かなかった。
ミュゼが言った通り、男は誠実だった。
あんまり、うちには来ないけど、それにはちゃんと理由があって、会えなかった期間、男は何をしていたのかを私が興味を持たなくても必ず話してくる。
そして男は私に酷く優しかった。私でも手が届きそうな紅茶の茶葉を持ってきては、いかにその茶葉が美味しくて手頃な価格で手に入りやすいかをプレゼンしてくる。
茶葉の相場を知らない私には有り難く、客に勧めやすかった。
男は私が喜ぶ事をなぜか知り尽くしている。ミュゼからの情報なのかもしれないが、それでも徐々に男に惹かれていくのは、ごく自然な事のような気がした。
愛されていると感じ始めてからは、坂の上から勢い良く転がっていくボールのようだった。
「シュゼル侯爵」
「ミュゼか。胡夢は」
第一声はいつも、この一言から始まる。
シュゼル侯爵と胡夢様が出会ってから、シュゼル侯爵は坂の上から勢い良く転がっていくボールのように壊れていった。
「胡夢様は侯爵に興味を持ち始めたようです」
神殿から神のお告げで、胡夢様はシュゼル侯爵の運命の相手とされていた。お告げがあった時からシュゼル侯爵は聖女様に恋をしていた。
知りもしない、ただ運命と言われただけの女に狂ったよう想いを馳せていた。
聖女様は、普通の女だった。高等教育を受けただけのどこにでも居そうな普通の女だった。
「そうか。ようやっと、俺のところに堕ちてきたのか」
嬉しそうに笑う美麗な男の手には婚姻関係の書類が握られていた。
この世界に落ちてきたその瞬間から、胡夢様はこの男に囚われる運命だった。
「もう、観念なさったらいいのに」
呟いた言葉は誰にも届く事などなかった。