G線上のアリア
昼休みに図書室で気晴らしに本を借りようと思って、日本の作家の棚を探していたら好きな作家の本が見付かった。嬉しくなって、書棚から取ろうとしたが高い位置にあって取れない。踏み台を探したがこんな時に限って見当たらない。
「うーん」
と唸っているとひょいと上から本を渡された。
「北さん、『中島らも』好きなんだ。偉ぶったところがなく切り口は鋭くて、内容が弱い人にも優しいところが俺も好きなんだ。」
「洋平!」
びっくりしてちょっと大きな声が出てしまった。洋平君が形のいい薄い唇に人差し指で
「しっ!」
と形を作り、悪戯っぽく笑みを浮かべる。
「北さんと二人きりになれたのはいつぶりだろう?嬉しいよ。邪魔な女子たちをまいて追いかけてきて良かった。ふふ」
「邪魔って、洋平そういうキャラクターだっけ」
笑ってごまかしながらも、少し洋平君に凄みを感じて後ずさりする私の手のひらに彼は自分の手のひらを絡ませてきた。
触れ合っている部分が熱い。汗もかいてきた。私は驚いていたが、
「本をとってくれてありがとう」
とお礼を言い教室に戻ろうとした。洋平君が私を追いかけてきたこと、自分に触れてきたこと頭の中がパニックを起しそうだった。
でも、洋平君は私を教室に逃がしてはくれなかった。方向転換をして教室に向かおうとした私は絡ませた手のひらごと彼の身体に引き寄せられた。息が止まりそうなくらい、心臓がどきどきしている。丁度彼の胸に十数センチ間をあけて向き合うように対峙していた。
「離して下さい」
思わず丁寧語になってしまった。
「北さんときちんと話したかったんだ。俺と話してくれるなら、名残惜しいけど手も離すし、身体も離すよ」
洋平君はそう言って、ゆっくりと丁寧に重ねた手のひらを離し、距離をとってくれた。
「ピアノ教室に来ないの、山口たちのせいなんだろう」
厳しい顔で洋平君は言った。
「北さんのほんとにピアノ好きでたまらないって音が小さい頃から俺は好きだった」
「ピアノ好きだから気持ちが音に出てたんだと思う。でも最近は音に迷いがあって、それに向き合いきれない自分が居る」
私は正直に答えた。
「だから確かに山口さんの嫌がらせは理由ではあったけど、それだけではないんだよ」
山口は嫌いだが、彼女だけのせいではないことは伝えなければいけないと思っていた。
「俺は北さんの音が最近また変わってきたことを知っていたよ。深みが出てきたっていうか楽しいだけではない音。それは素敵な音なんだ。」
「そんなに褒めても何も出ないよ。私くらい弾ける人は沢山いるよ」
乾いた声で言った。
「テクニックじゃない。君と君の音に執着してる俺が居るんだ」
「それってどういう意味?」
洋平君に尋ねようとしたら予鈴がなった。
今日の午後の授業は上の空だった。帰宅のときも洋平君は女子グループに囲まれていた。なんだかまたもやもやした。
図書室での出来事は夢のようでリアリティーがないのであった。
帰ってから気持ちが荒んだ私は、「G線上のアリア」をエンドレスで聴いていた。