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ベンツ飯シリーズ

ベンツ飯2 ~車内でカップラーメンを食べるには~

作者: コオロ

「ベンツ飯」(http://ncode.syosetu.com/n9210dt/)の続編です。

リクエストをいただいたのでベンツでカップラーメンを食べます。

 私は日本有数の大財閥、葦部グループの専属運転手をしている。

 車は黒塗りのベンツ。もちろん私の所有物ではない。仕事でなければ触れることも叶わない高級車だ。


 今日も御曹司である李人氏を乗せて、彼の仕事のために車を回している。

 富豪が仕事なんかするのか、と私も最初は思っていた。もちろん、書類を作成したり、データを打ち込んだりしているわけではない(趣味としてはやっているかもしれないが)。

 李人氏の仕事は、有り体に言えば「人に会う」ことだ。グループ傘下の企業代表への挨拶回り、投資を希望する人物の人となりを見るための会談など。この社会には、トップだから意味がある、トップにしかできない仕事があるのだ。私には一生、縁のない仕事だろう。

 だが、妬む気持ちはない。嫉妬とは、相手と自分の違いに対して抱くもの。その点、私は李人氏と“ある秘密”を共有している。おかげで、彼の愛嬌がある人間性も理解しているし、むしろ見守る親心のような気持ちすらある。

 そんな李人氏が、後部座席でぽつりと呟いた。


「車って……揺れますよね」


 私は冷や汗をかいた。

 これは、もしや……「お客様の声」というやつでは。

 日本人特有の婉曲的表現。あえて一般論であるように見せかけ、その実、李人氏は、私の運転が荒いせいで車が――私の給料では傷がついたら弁償などできない高級ベンツが揺れているぞということを、暗に伝えようとしているのでは。

 やっべえぞ。

 これ、やっべえぞ。

 ハンドルさえ握っていなければ頭を抱えているところだ。いくら乗せている人物に親近感を抱き始めたとはいえ、それをプライベートでいるかのような安心感と履き違えて、「仕事」でしている運転を疎かにしてしまうとは――

「あっ、申し訳ない。桂藤さんの運転に不満があるわけではなくてですね」

 そんな私の様子を察してか、李人氏は慌てて私の不安を打ち消した。

「……では、どういった意図で?」


「カップラーメンを食べようにも、車内って揺れますよね」


 バックミラーで、久しぶりに自分の真顔を見た。

「ちょっと何言ってるかわからないですね」

「車の中でカップラーメンが食べたいと言いました」

 わざわざ言い直してくれる律儀な御曹司。いや、そうではなくて。

「坊ちゃん。まともな人間は、車の中でラーメンを食べようとは思いません」

「社交場でよく見かけますよ。待機中の運転手の方が食べているのを」

「それは駐車中だからですよ。走ってる最中に食べようとは思いません」

 前提を飛ばして話を進めてしまっているが、李人氏のスケジュールは分刻みだ。

 ちょっと路肩に駐車してラーメンを一杯、なんてやっている時間はない。今日も、明日も、明後日もだ。となると、走っている最中に食べるしかないが、そんなことは無理だ。できないに決まっている。

「私も無理なこととは承知しています。ですが……次の“こんなもの”は、どうしてもカップラーメンがいいのです。桂藤さん、なんとかなりませんか」

 なんとかって。私は、はあ、と生返事をするしかなかった。


 *


 駐車場、ベンツの中。

 李人氏を送り出した後、私はひとり背もたれを倒す。


 李人氏は、庶民の食べる軽食を“こんなもの”と呼ぶ。その経緯は割愛するが、決して、侮蔑する意味で“こんなもの”と呼んでいるわけではないことだけ心に留めておいてくれればいい。でなければ、理解を得られないであろう他の者の目から隠れてまでベンツの中だけで軽食を食べるなどという習慣はつかない。

 それが、運転手である私と、李人氏が共有する秘密だ。


 今回のように、新しい“こんなもの”を所望することは珍しくない。しかし、今回ばかりは……その「車内限定」という一点が最大のネックとなっている。何も考えずに実行しようとしたら、高級ベンツの車内にラーメンとスープがぶちまけられることになるだろう。染みも匂いも簡単には消せない。そうなったらもう誤魔化しがきかない。

 いっそ車から降りて食べてしまえればいいのだが、李人氏が“こんなもの”を食べられる場所は私が運転するベンツの車内以外どこにもない。何が何でも、走行中の車内で食べなければならないのだ。

 この難題をどう解決すればいいのか。

 行き詰まった私は、娘にSNSで「走ってる車の中でカップラーメンを食べたいと思ったことはあるか」とメッセージを送ってみた。

 すると『アンタ馬鹿ァ?』と呆れ顔のアニメキャラのスタンプとかいう画像が送られてきた。

「そう思うのが普通だよなあ……」

 続いて『動画でも上げるの?』と返信。動画とは、と尋ねたら『そういうバカみたいなことしたやつをカメラで撮って、インターネットで動画配信してる人たちがいるの。そのつもりだったらやめてよね、末代までの恥だから』なかなか辛辣な意見が返ってきた。そんなに恥ずかしいことなのか。

『漫画描いたり小説書いたりするのと同じくらい恥ずかしいことだよ』

 そうなのか……よくわからないが……。

 だが、何かのヒントになるかもしれないと検索してみると、なるほど、「車の中でラーメンを食べてみた」という動画が数件ヒットした。しかし、やはり停車した状態で食べるだけだったり、最初から失敗することを目的にしていたりと、私の求める動画は見つからなかった。

 やはり李人氏には諦めてもらう他ないか。ご機嫌をとるために、期間限定のハンバーガーでも召し上がってもらおうかとルートを再考するために地図を広げて、


 唐突に閃いた。


 いや、唐突ではない。最初から地図さえ見ておけば簡単に気づけることだった。カップラーメンを食べるという行為と結び付けられなかっただけで、私は、車を揺らさない方法を知っていたのだ。

 会談を終え、ベンツに乗り込んだ李人氏はぎょっと目を見開かせた。

 そんなに不敵な笑みをしていただろうか。今度、娘に訊いてみようと思う私である。


 *


「作戦を説明します」

 運転しながら話す私の言葉に、李人氏が真剣な面持ちで頷いた。

「これから我々は予定のルートを外れ、コンビニに立ち寄りカップラーメンを購入。その場でお湯を入れてベンツにテイクアウト。そして、高速道路に乗ります」

 地図を広げたときに思いついたのが、その高速道路を利用することだった。そこに入ってしまえば、しばらくはずっと直線の道が続く。高速であっても、一定の速度であれば車が一切揺れない道が。

「そして車内は、無振動空間と化す――通称“ゾーン”です」

「“ゾーン”」

「はい。“ゾーン”に入っている間に、坊ちゃんにはカップラーメンを召し上がっていただきます」

 走ると車が揺れるからカップラーメンが食べられない。

 ならば車を揺らさないように走ればいい。

 私の出した答えがこれである。そして、私にはそれができる。

 李人氏は、いつになく真剣な私の言葉に聞き入っているようだった。なんだか気分がいい。私は調子に乗って、こんな話を切り出した。

「坊ちゃん。カップラーメンは“こんなもの”の中では、贅沢の部類に入ります」

「そうなんですか? いったいいくらするんです」

「だいたい100円強で買えます」

「……桂藤さん。そんなに生活が困窮しているなら、私の方から給料の賃上げの掛け合いを」

「あ、いや、そういうことではなくてですね」

 ただポンとお金を渡そうというのではなく、あくまで給料としてというところが李人氏らしいが。それでも散財さえしなければ家族を養っていくだけの分は貰っているので、その話はお気持ちだけいただいた。

 気を取り直して、私はなるべく厳かに「値段の問題ではありません」と告げる。


「3分“も”使うからです」


 3分。捉え方は人それぞれだが、およそ忙しい人々にとって3分とは途方もない時間だ。3分あれば何ができる? 変身して怪獣を倒せる。安直にそう思ったそこのあなたには正座していただきたい。こっちは真剣な話をしているのだ。

「ラーメンを食べる。ただそれだけのために、3分、何もしない時間ができる」

 お湯を注いだカップを前に、あなたは思うはずだ。私は本当にこんなことをしていていいのか。この3分で、何か他にできることがあったのではないか。今からでも遅くはないかもしれない。ああしかし、ラーメンから目を離すわけにはいかない。私は、いったいどうすれば。

「その3分の間に、自分は何者か、これを食べ終わったらするべきことは何かを見出すのです」

「……瞑想、ですか」

 納得してくれてるけど、そんなたいそうなもんかなあ。

「そして失った3分間を取り戻すかのように、勢いよく麺を啜る。掻き込むのです。坊ちゃんもハンバーガーで経験したでしょう。何も考えずに食べるという感覚を」


「カップラーメンが贅沢なのは、麺だけじゃない、時間をも食うところです」


「“時間を食う”……」

「カップラーメンは一分一秒を惜しむ戦士の食事。坊ちゃん。戦士になる覚悟はできましたか」

 李人氏は両手を組み、一瞬だけ顔を俯かせ、しかしすぐに毅然とした表情をバックミラーに映した。

「任せてください。一分一秒が惜しいという点では、私も引けを取るつもりはありません」

 いい返事だ。戦士を乗せたベンツは、左折のウインカーを出してコンビニの駐車場に乗り込む。ちょうど表でゴミ出しをしていた店員がぎょっとして「あの……買い占めとかですか」と訊いてきたがすみません普通に買わせていただきます。あとお湯ください。


 *


「桂藤さん、大変です!」

 李人氏が切羽詰まった声を上げる。

「蓋を密閉しているはずなのに匂いが立ち上ってきて……腹が減る。これは拷問ですよ!」

「耐えてください。3分もたなかった早すぎる男という不名誉を賜ることになりますよ」

 コンビニでカップラーメンにお湯を入れてまだ一分。私の計算では、安全運転を心がければ3分きっかりに高速道路に辿り着くよう配分している。高速に乗ったその瞬間、ラーメンが食べられるようになることは李人氏にも告げてある。それまでは、中身が零れないように(常備している手袋をして)しっかり蓋を抑えておいて欲しいとも。

「……坊ちゃん。いよいよです」

 ゲートが見えた。

 一般道路と高速道路、日常と非日常の境目――料金所。

 ETCカードをセットしたベンツは止まることなく門を抜ける。そして高速の世界へと踏み出すため、文字通りアクセルを踏む。このアクセルのペダルは、“ゾーン”に入ったことを感知するための重要な指針となる。

 無振動空間といっても、単に「揺れなくなった」ことを感じ取って判断するのでは、どうしても確信までに一拍の遅れができる。その点、アクセルペダルは入ったその瞬間を正確に教えてくれる。高速道路で、結構なスピードを出しているにも関わらず、アクセルを踏む足にペダルからの抵抗を感じなくなり、逆に沈み込んでいくかのような錯覚。タガの外れたスピードを一定にコントロールするために、運転手自身の体が固定され、体感的に時間が止まる。大いなる流れの中に身を委ねる、その一瞬。


 きた。“ゾーン”だ。


 子どものころ、SFで読んだ、宇宙空間での慣性移動や、あるいはワープ。それはきっとこんな感じなのだろうと、初めて「入った」ときに、そう思った。

 それからだ。この快感に取りつかれたのは。これを知ったら、ハンドルを手放せなくなる。

「坊ちゃん」

 呼びかけるまでもなく、李人氏も“ゾーン”に入ったことを感じていたらしい。「いただきます」と、割り箸を手に、蓋の開いたカップラーメンに挑もうとしていた。

「はっ……閉じ込められていた熱気と香りが一斉に押し寄せてくる……!」

 怯んだのかと思われた李人氏だが、逆に、カップにより顔を近づけた。湯気ですら逃すまいという決意のマウントポジションだ。初めてのカップラーメンでこのスタイルに行き着くとは、やはり天才か……。

 初めはちゅるちゅると遠慮がちに聞こえた音が、すぐにずぞぞぞぞぞという騒々しい音に変わる。

「熱ッ!!」

 予想通りの叫び声が後部座席から聞こえた。

「大丈夫ですか?」

「何のこれしき……私には、時間がないのですから!」

 李人氏がカッカしている。

 そうなのだ。ラーメンの熱さは、食した者のエンジンに火を点ける。時間を奪うだけではなく、すぐさまそのロスを取り戻せるだけの熱量を与えてくれる。それが戦士の“こんなもの”、カップラーメンだ。

 エンジンのかかった李人氏は、カップを傾けてスープを飲みにかかった。

「熱ッッ!!!」

「大丈夫ですか!?」

「まったく問題ありません!」

 開放されたカップラーメンの放つ熱気、それを食べる李人氏の熱気で、車内の温度が上がっていく。それは李人氏が「熱い!」と細切れに叫びながら、スープを飲み干すまで続くのだった。コンビニで一緒にミネラルウォーターも買っておいて良かった。


 *


 すでに“ゾーン”からも高速道路からも降り、ベンツは制限速度内で一般道を走行している。

 李人氏は窓を開け、ラーメンで火照った体を夜風で冷ましていた。

 さすがに札束で汗を拭いたりはしないかと若干がっかりしつつ、「いかがでしたか、初めてのカップラーメンは」と、それなりの達成感を得ていた私は声をかける。


「いや、べつに……」

_人人人人人人人人人人_

> いや、べつに…… <

 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄

「べつに!? あれだけやって!?」


「なんというか……熱かったなー、ぐらいしか……」

 しまった、ちょっと急かしすぎたか。

「あ、でも、まだ口の中に味が残っています」

 カップラーメンの、特にスープの味は、しつこい。

「食べている最中は何も考えていなかったので、惜しいことをしたなと思ったのですが……こうして食べ終わった後でも、舌に残った味で自分が食べたものを思い出せるというのは、反芻という行為にあたるのでしょうか」

 さすがに胃に一度入れたものを口に戻したりはしていないが、ニュアンス的にはその通りに思えた。

「“味がある”って、こういうことを言うんですね……」

 なんだかとても味わい深いものを食べたような感想になっているが、食べたのはただのカップラーメンである。だが、先にも述べたように、カップラーメンとは時間をも食うものだ。車内で食べる、などというスリリングな時間と共に完食したカップラーメンには、それだけの味わいがあるのかもしれない。

 少なくとも私は、充実した時間を過ごせたと思っている。

 人生には、こういう『アンタ馬鹿ァ?』とスタンプを送りつけられてしまうような、無駄で無意味で無謀浅慮な時間が、たまには必要なのだ。我々のような戦士にとっては、特に。

 ただ一言添えさせてもらうなら。

 よい子は真似しないでね。

 子どもじゃなきゃいいのかって、ダメってわかるでしょ。いい大人なんだから。


 さて、“ゾーン”にはリスクがある。

 あまりにも無振動で刺激のない時間が続くため、運転手は虚脱感と眠気に襲われるのだ。さすがに仕事中に寝るわけにもいかないので、李人氏が会談を終えるのを待つ間、夜食を食べて過ごすことにした。買ったのはもちろんカップラーメンだ。

 妻や娘からは止められていたが、今日は久しぶりにスープまで飲み干そう。健康に悪かったら何だ。その分運動したり野菜でも食ったりでもっと健康になればいいだけの話だ。

 そうだ、車に乗る時間を減らそうかなと思いついたが、そもそも車に乗ることが仕事なので、運動不足の解消は叶いそうもないなあと諦観する私である。

こんな感じでよかったらシリーズ化します。たぶん。

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― 新着の感想 ―
[一言]  まさか続編が作られていて正直ビックリした。  しかもこれまた面白い。  連載したらコンビニ、ファーストフード飯全部制覇するんでしょうか(汗
[一言] 今回も楽しく拝読させていただきました! カップラーメンが超食べたくなりました(笑) で、シリーズ連載化はまだですか?w
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