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Episode 00 Another Side -明久- 1

「あちぃな……」

「そうだね、こんなに暑くなるとは思わなかったよ」

 俺はシャツの襟を引っ張って、胸元に空気を送りながら隣を歩く女性につぶやいた。

 その空気も、梅雨明けで中途半端に暖められた空気が入るだけでちっとも身体からにじみ出る汗が蒸発する気配がない。

 上空にはお天道さまがサンサンと輝いていて、アスファルトを焼いている。

 周りにはあまりにも多くの人が歩いている。

 これで暑くないわけがない。

「なあ、玲。これからどこ行くつもりなんだ?」

「んー、明久くんと一緒ならどこでも良いんだけど」

「いや、お前が渋谷に来たいって言うからついてきただけで、目的があるんじゃないのか?」

 目前にはスクランブル交差点が広がり、周辺にはビルがニョキニョキと建っている繁華街。

 様々な店が広がっているこの街に、俺――本田明久ほんだあきひさ魚見玲うおみれいは繰り出していた。わざわざこんなにもクソ暑い日にだ。

「いやいや、明久くんの顔が見れればどこでも良かったんだ」

 玲は肩にかからない程の長さの髪をなびかせて、俺にくっついてくる。

「どこでもって……じゃあ、地元でもいいじゃないか。で、くっつくなジメジメして気持ち悪い」

「ええー、ひっどーい」

 玲は白のノースリーブにジーンズ生地のショートパンツで決めていて、涼し気な恰好をしている。ただ、首につけている黒色のチョーカー。そんなものをつけているのは珍しい。

 俺も半袖のシャツを着ているため、玲が密着してくれば肌通しがくっつくことになる。が、この気候だ。玲の肌はベタリと湿っているのだ。ただでさえ、全身ジメジメなのに、これ以上周辺の湿度を上げないでくれ。

 俺が一歩離れると、玲は上目遣いで頬を膨らまして、背負っているリュックを無言でバンバン叩かれる。

 まるで、イヌだかネコだかを見ているようだ。

「まあ、来てしまったもんは仕方ないわけだ。昼時だし、店でも探して涼もうか」

 俺は短い髪をかきあげて、視線を逸らしながら言う。

「うんうん、ゆっくり座れる店がいいね」

 しかしな、

「俺は土地勘無いし、どこにいい店があるかしらないぞ? それに、この時間だ。店だって満席かもしれないぞ」

「昼時だもんね。私もお店知らないんだけど、適当に歩いていれば開いてる店の一軒や二件は見つかるでしょ?」

「まあ、それもそうか」

 肩をすくめて肯定の意を示す。

 首にかかっているヘッドホンがジャラジャラと音を立てる。それに、音が漏れている……のは気のせいか。

「ってことで、早速行きましょう!」

 玲が指差すのはスクランブル交差点の方向であった。

 歩行者信号の色は青になっていて、様々な人が様々な方向へ歩いている。

 スーツを着たサラリーマン、着飾ってどこに行くのか中年のおばさん、平日のこの時間にいて良いのか制服の女子高生、そしてそこに大学生である俺たち。

 この交差点はたくさんの世代のたくさんの人が行き交っている。

 それぞれがそれぞれの目的を持って、だ。

「ああ、そうだな」

 と、玲がそっと出してきた手を、俺は握った。

 来年の今頃は大学生でなくなる俺と、今年になって酒が飲めるようになった玲。

 俺たちはスクランブル交差点で同じ方向に歩んでいく。

 


 行き交う人々。ぶつかりそうになりながらも俺たちは避けて歩いて行く。

「……」

 この人混みの中、玲とはぐれないように手をしっかりと握っていたが、様子を伺うために顔を向けてみる。

 その表情はどこか、引きつっているようにも見える。

「玲、体調でも悪いのか?」

 この暑さだ。人混みだ。

 基本的に俺たちは人混みが嫌いだった。

 それなのに、玲はどうして渋谷に来たがったのだろうか。

 それが不思議だった。

 俺の問いに玲は立ち止まる。

 急に立ち止まるものだから、周囲に者は邪魔そうに俺たちを睨みつけながらよけていく。

「あの、さ」

「どうした?」

「気がつかない? 私がいつもと違うっていうの」

「いつもと……」

 違う所があれば気がつくような気がしたのだが。

「まあ、気が付かないよね」

 

 ザザザ――


 どこか、悲しげな表情をする玲。

 それと耳障りなノイズが重なったような気がした。

 あれ、何かがおかしい。

 人の流れが、止まった?

 周囲の人達が、足を止めた。そして、それぞれ顔がある方向へと向いていた。

 スクランブル交差点から見上げることができる巨大なモニターだった。

 宣伝の映像を流しながら、大きな音声を流すそれ。

 しかし、今だけは様子がおかしかったのだ。

 その映像が異様だった。真っ黒な背景に、何者かが一人、椅子に座っているような映像。聞こえてくるノイズが、ただの宣伝でないということは明白だった。

「ごめん、明久くん!」

「なッ!?」

 その映像を注視していると、玲は俺の首元のヘッドホンを取り上げ、俺の耳に装着した。

 とっさのことで、反応できずにしていると、今度はヘッドホンについているリモコンを器用に操作して、音量を上げやがった!?

 あまりに大きな音で、いつも聞いている曲が再生される。

 更に玲は後ろに回りこんで――俺の視界が真っ暗になる――目隠しした。

「な、何のつもりだ!? 何の冗談なんだ?」

 玲にそんな力があったのかと思うほど、力強く目隠しされている。すぐに振りほどくことができず、何が起きているのかもわからない。

 と、混乱をすること数十秒か。ドサッと俺の背後で何かが落下する感覚とともに、視界が開けた。

 それと同時に、


 ――俺の世界は一変していた。


「な、何だ……これは……」

 俺の目の前から人が、ひとり残らず消えていた。

 いや、そうじゃない。全員がアスファルトの地面に伏せている?

 例外なく、全ての人間が伏せてうごめいて、悲鳴は――ヘッドホンに耳をふさがれ――聞こえない。

 巨大モニターはすでに元の広告映像に戻っていて、足元は――

「――ッ!?」

 横を歩いていたであろう、茶色のスーツを身にまとっていた男性がアスファルトの地面から俺を見上げていた。口を大きく開けて、何かを求めるような不気味な顔をしている。

 俺に伸ばしている手が、不気味に光っている。肌がところどころひび割れ、一部は太陽光を反射して七色に輝いている。

「な……あぁ……」

 情けない声を思わず上げながらも、横に一歩身体を引いてしまう。

 が、この人混みだったんだ。足が動けば別の人間にぶつかるわけだ。

 座り込んだ制服の女子高生が恐怖に歪んだ顔と目が合う。

 その顔は人間とは思えないほど、眼球が飛び出し、顔全体の立体感を失いつつあった。制服の袖は重力に負けるように垂れ下がっていた。まるで、元々腕がなかったかのようにだ。

 靴は脱げていて、すでに足は人間の肌の色をしていなかった。更に、みるみるうちに短くなっている。

 俺はクラクラしていた。人間が人間では無い何かに変化していたのだ。

 俺は一歩後ろに下がり、尻もちをついた。そして、最も大切なことに今、気がついた。

「玲!」

 俺の後ろで目隠しをしていた玲はどうなった?

 立ち上がらぬまま、そのまま後ろに身体を向ける。

「あッ……」

 俺は弾くようにヘッドホンを取る。ガチャンと大切であったはずのヘッドホンが音を立てて落ちるのも気にせずに。

 玲がうつろな目をして、俺のことを見上げていた。他の人間同様に、人ではない何かに変化をしており、左腕と両足がすでに見当たらなくなっていた。

「明久……くん……」

 玲の顔はところどころひび割れ――コレはウロコか――さっきの男性のように光が反射している。

「玲! なあ、玲!」

 俺はゆっくりと、玲の身体を抱き寄せてやる。小さくなった身体を服ごと抱く。徐々に身体も縮んでいるようで、今まで感じたことの無い軽さだった。

「良かった……明久くんのこと、守れ……たんだ」

「守れた? ってことは、お前は知っていたのか、今日この時間にこんなことが起きるなんて」

 玲は弱々しく頷き、右手でチョーカーを触ろうとしたがそれは叶わなかった。残った右腕も変色しながら急激に短くなっていっている。

「それ、いつもつけてなかったよな。どうして今日は」

「……怖かったの。私、別の生き物になるのが……結局、こうなっちゃったけど。怖いよ、明久くん、私……どうなっちゃう、のかな」

 玲の透き通るような声が、徐々に濁ってきた、顔も灰色のような濁った色に変色し縮んでいるのは明らかだった。

「明久くん……愛してるよ。今まで言えなかったけど、大好きだった」

「俺もだ。いつもは冷たくしてたけど、お前のことが大事だった。なのに、俺はお前一人守れなかった」

「ううん、そんなことないよ。だって、今、こうしてくれてるだけで、わた、し」

「……」

「で、も、最後だから……明久くん、他に、いい人、探し、て……」

 その言葉を最後に、口をパクパクさせているが、声が……もう出ないようだ。

「なんで、そんなこと言うんだよ! 俺はお前しか愛せない……

 玲が人間である時間がもう短いように感じだ。だから、


 ――そっと、唇を重ねる。


 初めてのキスの味は、サカナの味だった……なんて、あまりにも悲しすぎる。

「あ、あぁ……」

 そして、玲が目を閉じると急激に変化が訪れ、身体が服の中に飲み込まれるように縮んでしまった。

 どうしてこんなことが起きたのだろうか。俺は全く理解ができない。

 それに、なぜ俺だけが変化が起きなかったのか。あたりを見渡しても、もう人間の姿はどこにも見当たらなかった。スクランブル交差点の中心で、残るは大量の衣服とサカナのような何かだけだ。

 俺は玲が着ていたはずの服をゆっくりと探る。ノースリーブの中から白色の下着が見え、そして、

「……玲、なのか?」

 どこからどう見ても、サカナ――なんの種なのかはわからない――が一匹、ピクピクと動いていた。

 これでは頷くこともどうすることもできないだろうが、これが玲だったものだったはずだ。

「玲……水がなくて苦しいだろう?」

 こんな気温で、水がなければ長く生きることはできまい。すでに、周辺の人間だったものも、ピクリとも動いていないのもいる。

 リュックの中から、飲みかけのペットボトルを取り出して、服の上からかけてやる。緑茶であるが、まあ無いよりましだろう。

「玲は俺が守るからな。どんな姿になっても、絶対にだ」

 ペットボトルをそのまま投げ捨て、ヘッドホンを回収する。玲がいる服を抱き上げて立ち上がる。

 とにかく、今の玲が生きられる環境を探さねばなるまい。

 いつまでもこんなところにいてもしかなたないと、俺は渋谷のスクランブル交差点からかけ出した。その時、視界の端に青く見える人影がいた気がしたのは……気のせいだろう

 どうしてわざわざこの日に渋谷に行ったのだろうかと考えることがある。

 別のところにでかけていれば、玲はこの日によって、不幸になることはなかったはずだ。

 だがしかし、後悔したところで玲が戻ってくるわけではない。

 

 後にこの現象が【獣化病の始まり】(ファーストインパクト)と呼ばれる事となる。

 そして、この【獣化病の始まり】による人間としての生存者が、俺一人であったということを知るのは先の事である。

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