散歩2
伊東は自動販売機でノンカロリーのコーラとカルピスウォーターを買った。
「どっちがいい?」
凄い選択肢だと思いながら、萌はカルピスウォーターを取る。
「お財布持ってきてないから、後で返すね」
「次の時におごってくれよ」
「わかった」
伊東は道沿いにあった弁護士事務所の塀の側に行き、身体をもたせかけた。
萌もそれに倣ってペットボトルの蓋を開ける。
ちょうど日陰になっていて、風通しもいいのでさほど暑さを感じない。
「こないだ、川上さんとこに独りで行ってきたんだ」
村山がまだどうなるかわからないときに、一緒に行く約束をキャンセルしている。その時の話だろう。
「この町の人はほんとうに創作好きだったみたいだ。姫の話はもちろんだけど、すごくたくさん昔話がある」
伊東は嬉しそうにコーラを飲んだ。
「時代を推定するだけでも大変だって川上さん、言ってたよ」
萌も一口カルピスを飲む。
「もっと勉強しないといけないって俺、よくわかった」
唇をかみしめ、萌はペットボトルを見つめる。
「……伝承を集めることって、何か意味があるのかな」
「え?」
この十日間、萌は己の力のなさにショックを受けていた。
死にかけた村山を前に、何もできなかった無力感。
「例えば看護婦さんとか、郵便屋さんとか、電気屋さんは人の役に立つでしょ?」
常識的なアリバイを考え出すこともできず、その整合性を取ることさえできない自分。
学ばねばならぬことはあまりに多い。
「だけど、こういうのって所詮趣味の世界だし、川上さんみたいに他に仕事を持って、人の役に立ちながら、余った時間でやるべきことなんじゃないかって」
伊東はしばらくの間、何も言わなかった。
しかし、やがてゆっくりと口を開く。
「消えずに残っているものは、意味があるから残っているんだと思う」
萌が見上げると、伊東は頷いた。
「その声を聴きとる意欲のある人間だけが、その作業をやることができる。逆に言えば、そういう金にならないことを一所懸命になってやる人間なんて数がしれてる訳で、だからこそ、救えない伝承も多いんだ」
そんな風に考えたことはなかった。
「だから、そういう人は一人でも多い方がいいと思うよ、俺は」
萌は再びペットボトルに目をおとす。
「人の役には立たないけど、消えていく話が生き延びるのには役に立つ?」
「……話は勝手に現れない。人が残したいと思って残すものだよ。どうしても、後の時代に生きる人に伝えておかねばならないこともあるかもしれないし」
だとすると、遠い昔の人と、遠い未来の人の役に立つということなのかもしれない。
「……あ」
言われてみれば確かに、昔話は萌が知らねばならないことを持ち、萌がそれをひもとくのを待っているのではないか?
(……リソカリトの力の制御方法とか)
そんなものも、伝承の中には残っているかもしれない。
(……他人様の役に立つ、なんて大それた事を考えるより、自分が人に迷惑をかけないようにするために何ができるか、か)
所詮、萌はその程度の器である。
高津や村山のように、人類や世界のために役立つ人間になれるはずもない。
「ありがとう」
「え?」
「何か楽になった」
「……そう?」
萌はアスファルトに留まって動かない茶色の蝶をじっと見つめる。
「あたし、今日から受験勉強する」
伊東は笑った。
「ほんとに君は唐突な人だね」
「それから、どこの大学で何をやってるのかを調べて、行きたいとこを探す」
「うん」
村山のためには何もできないこの時間を、祈るだけで終わらせてはならない。
二人はしばらく沈黙し、そして飲み物を飲んだ。
風が流れ、気づけば蝶は消えている。
少し夕方に近づいたのか、昼間は聞こえなかった蝉の声がした。
「一つ聞いていいか?」
見上げた萌を伊東がじっと見つめる。
「神尾さん好きな人、いるよね?」
「え……」
あまりに突飛な質問に虚をつかれる。
「それって、川上さんが言ってた涼って人?」
今度は驚きの余りに、声も出せずに相手を見つめる。
「やっぱりそうか」
「どうして?」
必死で声を出すと、伊東は微笑んだ。
「だってあの時、その人の話が出てきた途端に、態度が変わったから」
確かに顔がふにゃふにゃしたかもしれない。
「ついでに聞くけど、その人、びっくりするぐらい綺麗な顔した人?」
萌は思わず目を見開く。
「伊東君、どうして知ってるの?」
「去年の夏、君と高津とその人と三人で、校門の前で話をしてなかった?」
あの夢を見た朝だ。
「してたけど、よく覚えてるね、そんなこと」
「……あれはうちの学校では相当センセーショナルだったんだぜ、君は知らないかもしれないけどさ」
百合子や和実に根掘り葉掘り聞かれたことを思い出す。
「だって、いたのが君と高津だし、モデルみたいなイケメンだし」
高津と村山がセンセーショナルというのはわかる。
そこに萌みたいなのが混ざっていたから驚いたというのもわかる。
(……懐かしい、な)
あの日には今日のことなど想像もしなかった。
ただ、全員生き延びたことが幸せで、五人いることが嬉しくて。




