毒卯木1
「村山さん、退院したよ」
嬉しいニュースを語るはずの高津の電話の声は沈んでいた。
「村山さんから連絡あったの?」
「いや、詩織さんから。村山さんは俺たちには内緒にするようにって言ったらしいけど、心配してるだろうからって教えてくれた」
萌は首をかしげる。
「どうして内緒なの?」
「多分、俺たちとは一線を画すつもりなんじゃないか」
「どういうこと?」
高津の溜息が聞こえた。
「退院したって聞いて、俺、お祝いメールを送ったんだ。そしたら宛先不明で返ってきた」
「えっ!」
「それでびっくりして携帯に電話したら、おかけになった番号は現在使われておりませんって」
萌は目を見開いた。
「固定電話は?」
「驚いたことに、それも変わってた。あんな大きな家の人が固定ダイヤル変えるなんて余程のことだよ」
萌の頭は回らない。
「だって、でも、どうして?」
村山の退院をずっと心待ちにしてきたのに。
もちろん、彼の回復が一番重要ではあったが、心のどこかにそうなれば会えるという気持があったのは否めない。
「俺たちと関係を絶つつもりなんだろうな」
「だから何故っ?」
別に高津に腹を立てているわけではなく、声が大きくなっただけだ。
「そんなこと俺が知るかよ」
だが、高津は少しむっとしたようだった。
慌てて萌は謝る。
「ごめん、圭ちゃん」
「あ、いや……」
沈黙が続き、やがて高津が言葉を発する。
「とりあえず、現状を伝えるだけの電話だから」
「うん」
「村山さんのことだから、何か考えが合ってのことだと思うよ」
「うん、ありがとう」
電話を切って、萌はしばらく茫然と空を見上げた。
そしてゆっくりと視線を戻すと、空の下には代わり映えのしない駅前の喧噪がある。
(あそこを歩いて、二人で川上さんの店に向かったんだっけ)
ふと、あの日の村山の笑顔が目の前を過ぎった。
(……もし、村山さんが関係を絶つつもりだというのなら、それは村山さんがあたしたちを嫌いになったんじゃなく、あたしたちを守るために違いない)
彼の性格ならそうだ。
だが何故、何から?
普段使わない頭を叩き、萌は考える。
(細川は死んだ。そのことで村山さんが疑われることはなかった)
だとすると、
(……細川を殺した人間から、あたしたちを守ろうとしている)
背筋がぞくりとする。
(……何でそんなこと、気がつかなかったんだろう)
多分、高津はずっとそのことを気に病んでいただろう。
萌には言わなかっただけで……
「何、こんなところで百面相?」
ぎょっとして声のした方を見ると、伊東が面白そうに笑っていた。
「おはよう、神尾さん」
「あ、あ、お、おはよう」
少し伊東は眉を寄せた。
「どうしたの? お腹でも痛い?」
「別に、ちょっと考え事をしていただけ」
萌は噴水から立ち上がった。
「様子が変だよ。ほら、スカートも濡れてるし」
「えっ!」
見ると確かにスカートの左横が噴水の水のしずくで濡れている。
慌ててハンカチを出して拭いていると、伊東が首をかしげた。
「いや、そういうところはいつもと変わらないか」
「……どういう意味?」
強いて微笑み、萌は伊東と一緒に歩き出した。
村山のことは一人で思い悩むより、後で高津に相談した方がいいと思ったからだ。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
ジャガイモを洗っていた川上が、萌の方を向いて複雑そうな顔を見せた。
「萌ちゃん、涼が入院してたの知ってる?」
「……はい。でも、こないだ退院したって聞きましたけど」
「俺、うっかり何も知らなくてさ、詩織にメールしたら実はそんな感じになってて、びっくりしたんだ」
どうしてか済まなさそうな顔で川上は萌を見つめた。
「なんかアレルギーって聞いたけど、詳しく知ってる?」
萌は驚いた。
「アレルギー?」
「何だ、君も知らないのか」
水道を止め、彼は手をタオルで拭いた。
そうしてジャガイモを剥き始める。
「鎮痛薬だか何だかの薬でなったらしい。結構酷かったんだよな、入院するぐらいだし」
村山を救急で運んだのは萌たちだったが、死にかけていたということしか知らない。
それにしても、どうして病名がアレルギーなのか。
(……びしょぬれだったのに)
何故、村山が濡れていたのかについてはよくわからない。
高津と夕貴は、彼が沈んでいくところを捕まえたと言っていた。それに、
(村山さんからは潮の臭いがした)
だから海に落とされ、おぼれかけたのだと高津も萌も勝手に思っていた。
(……違うんだ)
しかも鎮痛薬って。
「鎮痛薬って、頭痛薬みたいな?」
「詳しくは聞いてないけど、まあそうだよな。いわゆる痛み止めだから」
「痛み止め……」
良くはわからないが、ああいうものは眠くなると聞いたことがある。
だからそれをたくさん飲まされて、彼は海に落とされた……