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覚醒  作者: 中島 遼
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播種2

「……お前は帰らんのか?」

 やがて明石がぼそりと聞いた。

「三十分ほどしたら山崎さんの様子を見て、問題がなければ帰ります」

「様子ぐらいだったら俺が見ておいてやるぞ?」

「やらなきゃいけないこともあるので」

 村山は微かに口の端を上げる。

「それと、そんなに気を遣っていただかなくても、もう大丈夫です」

 暴行を想起させるような言葉だったから、明石は雑誌で机を叩いたのに違いない。

「……それ、まだ読んでないから、丁寧に扱ってくださいね」

 明石は目だけをこちらに向けた。

「今月はたいしたことない。抄読会にも使えん内容だ。それよりNEJMに面白いのがあったから、そっちを先に読め」

 NEJMはニューイングランドジャーナルオブメディシンという雑誌の略語だ。

「はい」

 再び沈黙の中、キーボードの音だけが響く。

 やがて明石は立ち上がり、部屋を出て行った。

 彼も心配な患者がいるのだろう。

 しばらくパソコンに向かっていた村山も、時計を見やり立ち上がって部屋を出る。

 ここ数時間のバイタルデータと病室の患者の状態を確認し、問題がないと判断した彼は再び医局に戻った。

「おっ、涼君」

 驚いたことに、部屋に戻ると明石だけでなく、篠田がいた。

 脳外科の医局も同じ階にはあったが、エレベーターを中心にして端と端だったのでお互い通りがかることもない。

「まだ仕事かい?」

「いえ、もうあがります」

「だったらどうだ、金曜日だし」

 彼は猪口で酒を飲むまねをした。

「ありがとうございます。でも、今日はさすがに遠慮しておきます」

「詩織が心配なら俺から快気祝いに連れ出すって電話してやるぞ」

「中田先生に叱られますから」

「それだったら心配ない。優秀な医者が二人も付き添いするって言えば許可は下りる……はずだ」

「でも、まだアルコールの大量摂取は試してなくて」

「ちょっと飲んで大丈夫だったなら問題ない。アル中って訳じゃないだろ?」

「はあ、まあオピオイドですが……」

 困った顔で明石に助けを求めたが、彼は憮然とした表情で首を振った。

「酒なんてたいてい大丈夫だろ。何だったら、そこにウェルパスがあるから舐めてみろ。怪しければここで処置はしてやる」

 ウェルパスは手指用の消毒剤であり、エタノールが八割程度含まれている。

「ということだ、すぐに用意しろ。行くぞ」

 内科の医師がいれば逃げられたかもしれないが、そこにいたのは明らかに体育会系の外科医だ。

 具合が悪いと断って翌日以降の業務で気を遣われるよりも、二人に数時間つきあう方がいいと村山は判断した。

「オピオイドだったのか……」

 三人で歩いていると、篠田が不意につぶやく。

「先輩、それはここだけの話になってますからね」

 明石が慌てたように言葉を発する。

「わかってるよ。お前を守秘義務違反で懲戒にするわけにもいくまい」

「え? 俺が犯人なんですか?」

 病院内は噂が広まるのが早いので、もうみんな知っているものだと思っていた村山は少し驚く。

 篠田ですら知らなかったのなら、コメディカルにも相当厳しい箝口令が敷かれているか、明石と中田がよほどうまくカバーしたかのどちらかだ。

「俺が言いたかったのは、絶対癌になるなよってことだ」

 癌の疼痛管理には、塩酸モルヒネなどオピオイド系の鎮痛薬が使われることが多い。

「あ、でも、癌によっては他に使える薬もあるし……」

「急性膵炎あたりもちょっと辛いな」

 明石が呟くと、篠田が頷く。

「ペンタジンが使えないんではな」

「脅かさないでください」

 言いながらも、なんとなくだが自分は病院のベッドで死ぬことはできないだろうと彼は思った。

「……で、細石ささめいしでいいな?」

 篠田が聞く。

「はい」

 彼の住む町は田舎なので、駅前でも飲食店は概ね十時に閉店する。

 しかし、彼の病院の側には何件か、準夜勤の看護師や残業の多い医師を対象としたファミリーレストランと居酒屋が数件あった。

 細石はその一つで、どちらかといえば外科系の医師が多く利用している。

 彼らはのれんをくぐり、靴を脱いで奥の席に座った。

 四人がけの掘りごたつ風のテーブルである。


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