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覚醒  作者: 中島 遼
12/77

播種1

「……村山先生」

 その月の終わり、珍しく部長が彼に声をかけてきた。

「調子はどうだね?」

「問題ありません」

「……まあ、身体の調子が戻るまでは、あまり無理しない方がいいだろう。さすがに来月一杯ぐらいはシフトから外れて病棟中心の仕事をやってもらおうかと思っているんだが」

 明石がわかりやすいしわを眉間に寄せるのが見えた。

「ご配慮ありがとうございます。ですが、ご迷惑をかけた分を返したいので、あまり気にしないで下さい」

 村山はわざと軽く微笑む。

「八時間を超えるものならともかく、助手なら大抵大丈夫です。数時間で終わる手術でしたら、執刀も今すぐで問題ありません」

 八時間を超えるような手術など、この病院では稀である。

「しかし、万が一、途中で気分が悪くなったりなどしたら……」

 明石が肩をすくめる。

「やるって言うからにはやるでしょ。途中で手を下ろすなんてみっともないことしやしませんよ」

「彼はまだ若いし、性格も君よりはかなり繊細だ。だから……」

「だったら、しばらくは俺がこいつの助手をするというのでは? 気分が悪いなんて言い出したら責任持って蹴倒します」

 部長は困った顔をした。

「考えておこう」

「よろしくお願いします」

 村山は頭を下げた。

 実は今すぐでも手術をしてみたい。

 血が、彼にとって脅威ではなくなっているかどうかを確認したい。

 そう言う意味では、明石よりは今泉あたりと組みたい気もする。

(医長なら、確実に血の海が見られるからな)

 昔は想像しただけでぞくりとしたのに、今はさほど響かない。

 部長と医長が並んで帰って行くのを見やり、村山はパソコンの入力を始めた。

 機械的に文字を打ち込んでいると、佐々木がどっかりと横に座る。

「お前、最近凄いぞ」

「何がですか?」

 時間がもったいなくて、村山は画面から顔を上げずにそのままキーボードに手を走らせた。

「こないだまで明石先生と同率争いしていたナースの票が、ぐいぐい上がってる。お前、妻帯者のくせに堂々一位だ」

 佐々木は自分のことのように嬉しそうに言う。

「何でだと思う?」

「同情票でしょう」

「やたら格好良くなったって声が多い」

 佐々木のバイアスのかかったうわさ話の欠片など、何の意味があろうか。

「確かに、何か弱気っぽかったのがなくなって、俺が見てもちょっと発言がクールな時あるし」

 彼は声をひそめた。

「こないだだって、医長が半日程度、抗生物質での様子見を主張したのに、お前、すぐに血液検査すべきだなんて言っちゃったもんな」

 村山は佐々木の意図を推測する。

 恐らくは、医長や部長に従順であれということだろう。

「だけどさ、ああいう時は医長の言うとおりにして、それで何かあったら自分のせいじゃないって言えばいいんだよ」

「結果的に検査で大腸菌が出たんだから、問題はないと思います」

「もし、出なかったらお前、患者さんに無駄な血液検査代を払わせたとか、ぐずぐず言われるところだったんだぜ」

「リスクファクターと症状からして、創部痛ではなく胆嚢炎の可能性を考慮すべきと考えました」

「ほらほら、そういうのがクールなんだ。昔はもっとオドオドして、可愛げがあったのに」

 彼は、仏頂面でランセットを読んでいる明石の方を見やった。

「そう思いません、明石先生?」

「うるさい。無駄話はよそでしろ」

 かなり不機嫌な声だったのに、佐々木はどうしてか笑った。

「明石先生、ナースの票が村山に行ったから怒ってるよ」

 そう言えば、かつて明石は言っていた。

 佐々木には制止の言葉が通じない、と。

「全然、興味なさそうにしてても、本当は女の子の挙動、気になるでしょ? 四十歳までには結婚したいでしょうしね」

 明石が無視したので、佐々木はこちらを向いた。

「ま、何にせよ浮気し放題で羨ましいよ」

 微かに眉をよせると、佐々木は更に嬉しそうに彼を指さす。

「そう、そういう顔。児玉ちゃんが真似してたよ、クールでセクシーでどきどきするって」

 佐々木は、何かを思い出したような顔で言葉を継ぐ。

「そういや……お前、喜多さん知ってるだろ?」

「はい」

 喜多は胃癌で二十日前から入院している三十代の男性患者だ。

 ゲイの気があり、村山も何度か尻を撫でられた。

「喜多さんは明石先生を最初に見たときに、死ぬまで先生一筋、なんて言ってたんだが、こないだお前を見て、鼻血出しそうになったってさ」

 村山はパソコンに、ベッド上体位変換可と打ち込む。

「想像しただけでぞくぞくするらしい。お前を縛り付けて毎日バックから……」

 大きな音がした。

 見ると、明石が机に雑誌を叩きつけている。

「無駄話はよそでしろと言ったはずだ」

「……おー、怖」

 わざとらしく佐々木は震えた。

「こんな時間まで残らされて、世間話の一つもできないようじゃ、やってられないですよ」

 明石が再び雑誌に目を落としたので、佐々木は再び村山をみる。

「今日は先生、虫の居所が悪いようだ。お前も早く上がれよ」

「はい。そうさせて頂きます」

 佐々木は白衣を脱ぎ、お先にと言って出て行った。

 しばらく村山はそのまま入力作業を続ける。


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