3話「鬼と同居」
「……」
駅の近くにある、それなりに大きなマンション。見た目と立地条件から、家賃はかなり高いことが予想される。俺なんかは絶対住めない。
そのマンションの五階。505号室。今回、現世界に来るにあたって、蓮が借りた部屋がここらしい。
「あれ? 入らないの?」
「いや……」
女の子(鬼だけど)の部屋に入るとか、小学生のとき以来だから少し緊張してるなんて言えない。もう二十歳だって言うのに……。
ていうかこいつ、もうちょっと警戒しろよ。俺だっていちおう男なんだぞ。男は獣なんだぞ。こんな簡単に部屋に入れるなって。まぁ俺になにかする度胸なんてないわけなんだが。ちくしょう。
キョロキョロと挙動不審な俺。中に入ると、全体的にかなり大きな部屋だった。リビングにダイニングキッチン、その他に三部屋ある。3LDKらしい。一人暮らしには贅沢な部屋だ。
「……ここ、家賃相当高いだろ?」
「いくらだっけな? あんまり気にしてないからね~」
家賃を気にしないで部屋を決める奴なんているのかよ。最重要項目だろ。
「そもそも、地獄から来たのに、こっちの世界の金なんか持ってるのか?」
「あるよー。閻魔様から支給されるからね。必要なときに申請すれば、いくらでも送ってくれるよー」
なんて太っ腹な大王様だ。地獄の大王のくせに。
部屋の中はまだダンボールがあちこちに置いてある。まだこっちに来たばっかりって言ってたから、荷物の整理が終わってないのか。ていうか、地獄からこっちの世界に来るのにも、ダンボールとかで引越し気分で来るの?
「……って、ぶっ!?」
部屋を見渡してて、思わず吹き出した。
普通に……ブラとパンツが放置されてるんだけど! 男ならどうしても目が行く神秘の布がぁ! あれが蓮の体を包んで……じゃない! 煩悩退散!
「なに?」
「男を部屋にあげるときは下着ぐらいしまっておけっての!」
「あはは! なんか可愛い反応するねー。社会人なんでしょ? ウブだね~」
こいつ、羞恥心ってもんがないのかよ! ていうか可愛いって……なんかからかわれてるじゃん! 俺のほうがいちおう歳上なんだぞ!
それとも俺が耐性なさすぎなのか? 恨むぞ。今までの俺の女っ気なし人生。
「でも、そんなの気にしない方がいいよー?」
「なんでだよ。つーかそんなのって……」
「だって、しばらく一緒に暮らすんだし」
「そんなのって俺にとってはかなり重要……って、は?」
……なんだって? 今とんでもないこと言わなかったか?
「……一緒に暮らす?」
「うん」
「……俺とお前が?」
「うん」
若い男女がひとつ屋根の下で二人っきりで暮らす?
そんな美味しい展開になっていいのか? ギャルゲー的な展開になっていいのか? そのまま仲良くなって最終的に――自主規制――。
……いや、駄目だろそれは!
「よしわかった。落ち着いて話そう。とりあえずおちけつ」
「おちけつ?」
めっちゃ動揺してるじゃねぇかよ俺。
「……一緒に暮らさないといけない理由は?」
「だって君、自分の家には戻れないよ?」
「え?」
当たり前のように言う蓮。そんなこと、俺は全く考えてなかった。
戻れないって……なんで?
「だって、今の君は生前の名前を捨ててるんだもん。生きてるときに関わった人たちの記憶から、君の存在は消えちゃってるんだよ?」
「……初耳なんだけど?」
「今言ったからねー」
相変わらず軽く言いやがるな。
確かに、俺は一回死んでる。本当ならもうこの世にいないはずの人間だ。
だからその理屈はわからなくもない。むしろ、当たり前とも言える。
でも……それじゃあ……。
「……俺が家に戻らないと、困る人がいるんだよ」
「え? 誰?」
「母さんだよ」
親父と兄貴はどうでもいい。
でも母さんだけは放っておけない。
マザコンとかじゃないぞ? 自分を産んでくれた人を大事にしてなにが悪い。
「俺の家さ、ちょっと生活に困ってるんだ。だから俺が必死に働いてたんだけど……俺がいなくなったら絶対に生活できなくなる。だから戻らないと……」
「……」
今日出会ったばかりの女の子になにを言ってるんだか。
自分でも馬鹿だと思う。別に笑われてもいい。
それでもそれが、俺が生きてきた理由なんだ。
蓮は俺が思ったとおり、笑った。
ただし、馬鹿にした笑いじゃない。
「君って本当に優しいね~」
優しい笑みだった。
「……どうせならもっと大げさにゲラゲラと笑ってくれ」
「なんで? お母さんを大事にしてるだけなのに、なんで笑うの?」
建前とかお世辞的なあれじゃない。
蓮は本気でそう思って、言っている。
俺の気持ちをわかってくれたのが……なにかすごく嬉しかった。
正直ちょっと泣きそうになった。
今まで誰にも相談できなかったからな……自分一人で抱え込んでるのがすごく苦しかった。
こうやって話を聞いてもらって、理解してもらえるだけでこんなに嬉しいなんて、思いもよらなかった。
「でも、それなら問題ないよ」
「え?」
「つまりー、君が生き返るまでのお金があればいいんでしょ?」
「……まぁそうだな」
簡単に言うとそうだけど。それのどこが問題ないのかがわからない。
家に戻れないどころか……記憶から俺の存在が消えてるんじゃ、どうなるんだ? 想像するだけで胃が痛くなる。
「閻魔様に申請して、君の家に資金援助してあげれば万事解決! 君も仕事に専念できるよねー」
それって問題ないって言えるの? 万事解決してるの?
「ちょ……そんなことしていいのかよ?」
「これだって立派な経費だよ? 全然問題ないない!」
経費という名の横領的なのと変わらない気が……。
確かに、そうしてもらえるなら、俺は邪鬼退治に専念できるけど。本当に大丈夫なのか? 閻魔のお怒りとか買わないか?
「えっと……じゃあとりあえず……」
俺の不安を他所に、蓮は部屋の隅に置いてあった鞄から、一枚の紙を取り出した。上部に、経費申請書と書いてある。あれに必要経費を書いて申請すると、閻魔から資金が届くってことか。
「一千万円ぐらいでいい?」
「多いよ!?」
とんでもない金額を申請しようとしてるぞこいつ!
「多いの?」
「一般的なサラリーマンの年収が手取りで三百~四百万だぞ! 二年以上遊んで暮らせるわ!」
「へー。でも私よくわかんないし、これでいいよね?」
これでいいよねって……そんな軽く申請していい金額じゃないと思うんだけど。
ボールペンでさらさらと申請書に金額を書き込んで、最後に自分の拇印を押す。そこらへんは現世界と同じだな。会社の事務所を思い出す。思い出したくもねぇけど。
「あと、使い魔急便にお願いしてお金を君の家に送ってもらわないとね。あとで手配しておこうっと」
「使い魔急便?」
「使い魔って言う悪魔がね、地獄だろうと現世界だろうと、どこでも荷物を配達してくれるんだよー」
つまりは宅急便ね。
「送り主は……どうしようか? 心優しい最愛の息子から、にしておく?」
「恥ずかしいからやめて」
大体、俺の記憶ないんだろうが。なんのことかわからないだろうに。あと兄貴と勘違いされるとムカツクから嫌だ。
「じゃあ匿名でいいかー。遠慮なくお使いくださいって書いておけばいいよね」
「なんか逆に怪しい気もするけどな」
まぁそこらへんは深く考えなくても大丈夫だろう。
うーむ。なんかこいつ、いろいろと軽く考えすぎな気がするけど。いや、全体的に緩いのか? 喋り方もそうだけど。
まぁ、それにいちいちツッコんでたらキリがなさそうだからやめておくか。
本当に……これから一緒に暮らすって言うなら。
「そこの部屋を使っていいよ。あ、そうだ……君の荷物、なにもないもんね。あとで買いに行かないと駄目だね」
「荷物?」
「着る物とか。あと生活用具もいるでしょー?」
そういや、俺が持ってるのは今着てる服だけだ。
ちなみにこの服は俺が生前着てた服だ。鬼の力が解除されたときに着たままだったんだ。
服と……生活用具は確かに必要だな。
……なんか新婚の夫婦が生活用具を揃えるみたいだな。蓮はそんな風に全く思ってないと思うけど。
「明日は商店街に行ってぇ……買い物なんて久々だなぁ。楽しみ楽しみ!」
「……ところでさ、何個か聞いてもいいか?」
「なにー?」
いきなり鬼の力なんて与えられて、いろいろ混乱してたんだけど、だいぶ落ち着いてきた。蓮の仕事を手伝うことに異論はない。ここに来るまでにいくつか話を聞いたけど、疑問があるのも確かだ。
「人間が死ぬと、魂だけが地獄に行って……そこで閻魔大王に判決を受ける。そのあとに、地獄の中にある施設に分けて送られる……でOK?」
「そだよー。生前の行いによって、極楽地獄施設か、苦痛地獄施設のどっちかに送られるの」
なんか物騒な名前の施設が出てきたな。
「極楽地獄ってのが……いわゆる天国みたいなところか?」
「そだねー。生前の行いが良かった善人の魂は極楽地獄に送られて、末永く、平穏に生活できるんだよ」
魂だけになってるのに生活とか言われても、あんまりピンと来ないけどな。
天国はないって言うか、正確には、地獄の中に天国があるってことか。
「そして苦痛地獄に送られた、生前に悪いことをした悪人の魂はね、そこで魂を浄化してから極楽地獄に送られるの」
「魂の浄化ってなにをするんだ?」
「聞きたい?」
「……やめておく」
苦痛地獄って名前からして、大体予想はつく。聞かないほうがよさそうだ。
「んでもって、邪鬼ってのは基本的に、地獄に来た人間の魂を食べるんだよな?」
「そだよ。邪鬼は人の魂を食べてエネルギーにしてるからね。魂を食べれば食べるほど力が強くなるんだ。さっき私たちが倒した邪鬼は全然魂を食べてなかったから激弱だったね~」
激弱って言っても、俺はけっこうやられたけどな。
ただの人間だった俺にとって、鬼の力は強すぎるみたいだ。全く制御できなかった。あれじゃあまともに戦えないぞ。
さっき倒した邪鬼は、こっちの世界に出てきた邪鬼本体の手下みたいな存在。食べた魂、つまりはそのエネルギーで生み出したって言ってたな。
本体の邪鬼は……もっと強いってことだよな。
俺で戦えるのか? うまく力が使えない俺が。
「そもそも、俺に鬼の力をくれたってのはどういう感じなんだ?」
「どういう感じって?」
「えっとつまり……俺は蓮から鬼の力を分けてもらった感じなのか、それとも蓮の鬼の力をきっかけに力に目覚めた感じなのか……」
「あー……それはえっと、どっちかって言うと後者かな?」
後者ってことは、蓮から鬼の力を分けてもらったわけではないってことか。
「もともと君の魂はもちろん、人間としての魂だったんだけど。それに私が鬼の力をあげて、人間の魂と鬼の力が混合して、鬼の力を使える人間の魂になったってこと」
「じゃあ俺の力の強さってのは、蓮の力とは関係ないってことだよな?」
「そだねー。強さはその魂の濃さによって変わるから」
魂の濃さか。そういやもともと俺の魂が濃いからって、蓮に捕まって鬼の力をもらったんだよな。
「でもそれがどうしたのー?」
「いや、さっき……鬼の力が強すぎて制御できなかったからな」
走るだけで地面にヒビが入るし、跳躍しようとしただけで地面を踏み壊すし、あれじゃまともに動けない。蓮からもらった鬼の力が俺の力と比例するなら、もらう力を手加減してもらう、とか考えたんだけど。それは無理みたいだな。
「慣れれば大丈夫だと思うよ? まだ鬼の力がうまく定着してないってのもあると思うし」
「慣れ……ね。慣れる前に邪鬼にやられなきゃいいけど」
「私がいるから大丈夫だって!」
まぁ確かに、蓮がいればフォローしてくれるからそんなに心配はいらないかもしれないけど。
あぁそうだ。そこでも俺はひとつ疑問があった。ていうか、たぶん重要な疑問かもしれない。
「なんで俺に鬼の力をくれたんだ?」
邪鬼を退治しに現世界に来た蓮が、俺に鬼の力をくれた理由だ。
「え?」
「いや、なんか特別な理由って言ってたけど。その理由はなんなんだろうなって思って」
俺に鬼の力をくれるとき、蓮は特別な理由って言ってた。
その理由がなんなのか、力をもらった側として聞いておいてもいいだろう。
「……聞きたい?」
「聞きたい」
なぜか、蓮はちょっと言いにくそうにしている。
目が泳いでる。なんだ? 俺はどんな理由で鬼の力をもらったんだ?
「……鬼が足りないんだよねー」
「……は?」
「閻魔様がね、最近地獄で鬼が足りなくて忙しいから……濃い人間の魂に鬼の力をあげて、鬼として邪鬼をぶっ飛ばすのを手伝わせようって」
めっちゃくだらねぇ理由だった。
「……まじ?」
「うん」
「俺、そんな理由で鬼の力もらったの?」
「そだね」
人手不足……いや、鬼手不足か。そんな理由で俺は手伝わされてるのかよ。
考えようによっちゃラッキーなのか? ただ死ぬだけだったのにチャンスをもらったわけだからな。いや……でもなんか納得いかん。
「……閻魔大王ってどんな奴なんだ?」
「プリンが大好きだよ?」
大王の第一印象それかよ。
「大丈夫なのか? 地獄は」
「大丈夫大丈夫! やることはやってくれる人だから~」
俺ならそんな上司の下で働けねぇな。
いや、俺がいた会社の上司もなかなかクソ野郎だったけど。
「まぁまぁお話はこの辺にして……とりあえずシャワー浴びたら?」
「ん?」
「泥だらけだよ? 服はとりあえず、私の貸してあげるから」
そういや、邪鬼にぶっ飛ばされて死んだからな。服はボロボロだ。体の怪我が治ってても、さすがに服までとはいかなかったらしい。そもそも、仕事帰りで汗だくだったしな。
「じゃあそうするか」
「バスタオルは後で持って行ってあげるね~」
「ああ。サンキュ」
風呂ってのは生きていく上で重要だ。仕事の後、風呂に入って初めて、終わったぁ……って実感が湧く。
まぁつまりは俺は風呂が大好きだ。
親父は風呂嫌いだったけどな。まじで気が知れん。あの不潔親父が。
「……よく見ると破れてるな」
脱衣所で服を脱ぐと、脇の部分が破れていた。たぶん、邪鬼に殴られたとき、脇下に直撃したんだろう。骨がバッキバキになってたからなぁ……内蔵も逝ってたし。思い出したくもねぇ。あの痛み。
「でもやっぱり、怪我の痕すら残ってねぇや」
鬼の力をもらって肉体が復活したとき、俺の体は完全に生前の健康な状態で復活したみたいだな。
「はぁ~~~~」
暖かいシャワーを頭から浴びる。この瞬間が一番幸せかもしれない。あとは寝てるときな。寝てるときはなにも考えなくていいからめちゃくちゃいい。
まぁあまりにも仕事に行きたくなくて、寝て次の日が来るのが嫌で寝たくないってときもあったけどな。それで寝不足になって次の日がさらにきついって言う悪循環。
「……」
シャワーを浴びながら、考え込む。
なんかすっげぇことになっちまったな。
ついさっきまで普通に仕事してて、普通に家に帰ろうとしてたはずなのに。
いきなり現れた化物に殺されて。鬼って名乗る女の子に鬼の力をもらって。仕事を手伝うことになって。
……漫画みてぇな展開だ。
でも現実なんだよなぁ。
しかも……その鬼の女の子と一緒に暮らすことになって……めちゃくちゃ可愛い子と……。
「入るよ~」
そうそう。声も可愛いんだよなー。緩い声だけど、それもまたいい……って。
「は?」
なんか聞こえちゃいけない声がしたと思って俺が振り返ると、シャワールームの扉がガラガラと開かれた。
そして入ってきたのは……バスタオルを体に巻いた蓮だった。
なんで!? この子なんで普通に男が入ってるときに入ってきてるの!?
「なにやってんだよ!?」
「え? もう時間も遅いし、一緒に入っちゃおうと思ってー」
「あー確かにもう夜の十一時近い……って、そうじゃねぇよ!」
慌ててタオルで前を隠して、俺は出ていこうとした。さすがに一緒に入れるわけない!
「あれ? どうしたの?」
「俺はもう出る!」
「駄目だよー。まだ体洗ってないでしょ? 背中流してあげるよー」
「うがっ!?」
腕を引っ張られた。力つっよ!?
そ、そうか……俺は鬼の力を発動しないと、体は人間のままだけど、蓮は素で鬼だから、身体能力が普通にすごいんだ。だ、駄目だ……力じゃ勝てない!
「はい。座って座って~」
「……」
逃げられない。俺は脱出を諦めた。
幸いにも、ちゃんと体は隠してくれてるし……さっさと体を洗って出よう。
「ゴシゴシ~」
「……」
く、くすぐったい。人に背中洗ってもらうなんて、何年ぶりだろうな。しかも可愛い女の子に……そういうお店を想像しちまう。
「ま、前は自分で洗うからな?」
「そう? じゃあ私の背中も洗って~」
「……」
断ってもどうせ無理だろう。背中だけならなんとかなる……俺はそう自分に言い聞かせた。
「……」
バスタオルを半分はだけた蓮の背中。
白くて……タオルごしにもわかる柔らかさ……そしてこの背中の反対側には……。
こ、興奮するな俺!
「……なぁ一つ聞くけど」
「なにー?」
「俺のこと……男として見てるよな?」
「え? 実は女の子だったの?」
「そういう意味じゃなくて」
蓮の体はお世辞にも豊満とは言えないけど、この小ささがまた……むしろこの方が……。
駄目だ!? これ以上はやばい! 人として道を踏み外しそうだ!
……いやまてよ? 蓮は小さいけど、歳は俺と一つ違いだし。そもそも人間じゃなくて鬼だからセーフか?
「どうしたのー?」
「振り返っちゃ駄目です!」
振り返ると胸元がぁ! つーか俺、声裏返ってるし!
「……」
「な、なんだよ?」
首だけ後ろに向けて、蓮が俺をじっと見てきた。
ま、まさか……いやらしい目で見てたのがばれたのか?
「……背中洗ってるときも思ったけど、けっこうたくましい体してるよねー」
「え? そ、そうか?」
まぁいちおう現場メインの仕事だったからな。力仕事は当たり前だったし。同年代の奴と比べると、それなりに筋肉はあると思うけど。
「苦労と体って比例するのかなー?」
「……悲しくなるからやめてくれ」
確かに苦労の結晶って言えばそうだけど、全然嬉しくないから。
「あ、そうだ。シャンプー持ってくるの忘れてたー。持ってくるねー」
「まてぇい! ちゃんと前を隠せぇぇぇ!」
正直、この時間が、今日で一番疲れたかもしれない。
★☆★☆★☆
「の、のぼせた……」
シャワーのせいか、興奮のせいかわからんが。
「顔真っ赤だねー」
「……誰のせいだよ」
窓際で涼んでた俺の前に、蓮も座る。
やばい。まともに顔見れない。蓮の白い体が脳裏をよぎる。
「はい。お風呂上がりの牛乳~」
「……どーも」
風呂上りに牛乳って……鬼のくせに、日本人染みてるな。
ていうか貸してくれた服が少し小さい。まぁそこは男と女の差だから仕方ないけど。むしろ着れただけでも十分とも言える。
「明日は買い物に行ってー……ちょっと邪鬼の痕跡でも探そうか?」
「痕跡?」
「邪鬼が活動した場所にはね、微量だけど、食べた魂のエネルギーが残るの。それを辿れば、もしかしたら邪鬼が見つかるかもしれないからね」
仕事の手伝いが始まるってわけね。
「そういや、そもそもなんで邪鬼はこの町にいるんだ?」
ニュースで邪鬼のことが報道されたのが一週間ぐらい前。つまりはその頃に邪鬼は地獄から現世界に来たってことだろうけど。
「たまたまだよ?」
「……たまたま?」
「そだよ。地獄から三途の川を渡って、邪鬼が出てきたのがたまたまこの町だったってだけー」
たまたまで俺は殺されたのかよ。何度考えても運命ってひでぇな。
「じゃあ他の町にも……ってか世界中に邪鬼が出てくる可能性はあるんだよな?」
「うん。ていうか、最近邪鬼がこっちの世界に出ることが多くなってきてるんだよねー。私以外にも何十人って鬼が現世界で邪鬼を追ってるんだー」
そのせいで鬼手不足になってると。
「閻魔にもう少し警備的な物を強化するように言ったほうがいいんじゃないか?」
「めんどくせー。だって」
おいコラ。地獄の大王様よぉ。
「でも最近本当に鬼が足りないから、その内考えるって言ってたよー」
「……その内ってか早急に考えることだと思うけど」
俺が行ってた会社と良い勝負だぞ。管理の適当さが。
「あーでも俺は不安だなぁ」
「なにがー?」
「鬼の力がちゃんと使えるかどうか」
蓮は慣れるって言ってたけど、さっきの戦いを考えるとやっぱり不安だ。
「うーん。じゃあ寝る前に少し練習する?」
「ん?」
練習?
「鬼人化して少し動きの練習。力の加減ぐらいは掴めるかもしれないよー?」
「あーなるほど……」
「人気のない丘が近くにあったし。そこならできると思うよ」
もう日付が変わる時間だし。確かに人に見られる心配はないかもしれない。練習はなににおいても大事だよな。
「やってみるか」
足でまといになりたくないしな。
鬼人化か……なんか少し格好良い響きだな。ゲームみたいだ。
「でもさっき鬼人化したばっかりだけど大丈夫なのか?」
「そんなにダメージがなかったから大丈夫だと思うよ。私みたいな普通の鬼と違って、鬼の力を行使できる時間が決まってるんだけどね。今の君なら……十分間ぐらいかなー」
十分か……ウルト○マンよりは長いけど、微妙だな。
「今のってことは、だんだん時間は延びるのか?」
「慣れてくればね。使えば使うほど延びると思うよ。あんまりダメージを受けちゃうと、強制的に解除されちゃったりするけどね。それでその後は、しばらく鬼人化できないんだー」
なかなか厳しい条件だな。まぁ生粋の鬼じゃないから仕方ないか。
けっきょくはやっぱり、力の使い方に慣れることが大事ってことか。練習は必要だな。
★☆★☆★☆
俺の実家がある住宅街から少し離れた所に、小さな川の流れてる丘がある。昼間だって人はほとんど通らないような田舎道だ。夜なんか人が来るわけがない。
その丘で、俺たちは鬼の力の練習を始めた。
「じゃあやる前に、コツかなんかないの?」
「コツ?」
「力を使う上での」
「……ふわって感じ?」
「やっぱりいいや」
生粋の鬼はあんまり使い方とか気にすることがないんだろうな。パンを焼くときみたいな表現しか出てこない。
「よーし。やるか」
「じゃあ鬼人化させるねー」
……ん? させるね?
「……おい待て。なんで俺にそんなに顔を近づけるんだよ?」
「え? だって鬼人化して練習するんでしょ?」
「そうだけど、それと俺に顔を近づけるのとどういう関係があるんだ?」
「……? そうしないと鬼人化できないよ?」
……なんだって?
「……まさかと思うが」
「私がチューしないと駄目だよ?」
「なんだってぇぇぇぇ!?」
あれって最初だけじゃなかったの!?
鬼狩を生成するときは生成するためだけだと思ってたし! まさか鬼人化する度にチューしないと駄目なの!? 聞いてないぞ!
「俺が勝手に鬼人化できないのか!?」
「いくら魂に鬼の力が混合するって言っても、きっかけが必要だからね~。鬼の力を行使するために、生粋の鬼からの」
「……そのきっかけが?」
「私のチューだよ?」
どんな仕様だよそれはよぉぉぉぉ!?
「……練習やめるか」
「えー……そんなに私のチューが嫌なの?」
「なに言ってるんだ? 嫌どころかめちゃくちゃ嬉しい……じゃなくて!」
あぶねぇ。欲望全開で言葉を吐くところだった。
「は、恥ずかしいだろうが!」
「……あぁー! 流れ星!」
「え?」
流れ星? 星一つすら出てないのに?
蓮が指差すほうを見上げる。
……流れ星なんてどこに流れた?
「……流れ星なんてどこ――」
見上げていた顔を戻した俺に――蓮が唇を重ねた。
「へへ~。唇ゲット!」
「……」
ふ、不意打ちとは卑怯なり……。
ていうか可愛すぎるだろちくしょおぉぉぉぉぉ!
蓮からキスされた直後、俺の体はまるで沸騰してるかのように熱くなってきた。
体全体が震える。体の変化を受け入れるかのように。
そして右腕が、あの黒い皮膚に覆われたのを合図に、それが全身へと広がる。
「鬼人化完了だね~」
「……おい」
「なにー?」
「……もう躊躇わないから、不意打ちはもうやめてくれ」
「……? うん。わかったー」
あれを何回もやられると、俺は蓮を襲っちまいそうだ(男として)。