2話「鬼人化」
「……」
目を開けると、そこは俺がさっき吹っ飛ばされた木の前だった。邪鬼がなぎ倒した木も、割った地面もそのままだ。おそらく、時間的には俺が死んだ少し後。
体を動かしてみる。怪我は完全に治ってる。即死級の怪我だったのに。
「……なんだこれ?」
俺の体を、鎧みたいな黒い皮膚が覆っていた。顔以外の、全身を。皮膚、なんて言い方をしたのは、まるで体に吸い付いてるみたいな感覚だからだ。自分の体その物。まさにそんな感じ。
これが鬼の力? 怪我が治ってるのもそのおかげなのか?
「……」
森の奥を見据える。驚くほど視力が良くなってる。
木々の間を抜けて、その奥にいる……憎き白い怪物の姿が見えた。まだそんなに遠くには行ってない。
夢じゃない。現実なんだな……これは。
「……行くか」
どうせ一回死んでるんだ。
だったら、自分を殺した奴にお返しするのも悪くない。ぜってぇ殴り返してやる。
立ち上がって走り出す。そのとき初めて、自分の体の変化に気がついた。
「うおっと!」
普通に走ったつもりなのに、生前の俺じゃ有り得ないほどの速度で、一瞬で数十メートル移動した。地面には走ったときに踏み壊した痕が残ってる。力の加減が難しいな。力が強すぎる。
これが鬼の力ってことか。身体能力が人間とは比べ物にならないぐらい向上してる。
「……見つけた!」
でかいからすぐにわかる。木をなぎ倒しながら、邪鬼はなにかを追っていた。
あれって……さっきの小学生か?
やべぇ! 襲われてる! 逃げきれてなかったのかよ!
「あの化物野郎……俺の命懸けの救済を無駄にしてたまるかよ!」
俺を殺しただけじゃなくて、俺が死んだ意味すら無くす気か! そうはさせん!
足に力を込めて、地面を強く蹴った。バギッ! と地面が割れる音と共に、俺は高く跳躍した。邪鬼のところまで一飛びだ。有り得ないジャンプ力。俺が一番驚いた。
「こんのやろ!」
その勢いのまま右腕を振りかぶり、邪鬼の後頭部に一撃。まずは殴り返してやりたかったんだ。これでさっきの一撃のお返しは済んだ。
まぁつっても、本当にただ殴っただけだけど。それでも黒い皮膚に覆われた俺の拳は邪鬼を仰け反らせて、足を止めるには十分だった。すっげぇ力だ。
「え?」
「お前ら! さっさと走れ! 止まるんじゃねぇぞ!」
二回目だぞ。あいつらにこれ言うの。
でもとりあえず、戦うにはあいつらは邪魔だ。正直、今の俺は体の制御があんまり効かないからな。力の使い方がよくわからない。
「う、おぉっ!?」
仰け反った邪鬼はそのまま体制を整えて、太い腕を横薙ぎに振り抜いた。空中にいた俺は回避できず、両腕でガードすることしかできなかった。もちろん、そんなことであの太い腕を受け止められるわけがない。俺の体はおもいっきりぶっ飛んだ。
「いでででっ!?」
何本もの木を弾き折りながら、俺の体は数十メートルは飛んだ。さっき殴り飛ばされたときとは比べ物にならないほどの力だ。さっきはかなり手加減されてたんだな。自分へ攻撃をしてきた。敵だって認識から、全力で殴り返してきたんだろう。
「……でも」
それでも俺の体は「痛い」って感じるだけで、大怪我どころか怪我もしてない。この黒い皮膚の、鬼の力のおかげなのか。人間の体なら確実に即死してる。
「げっ!? もう来やがった!」
俺が起き上がってすぐ、邪鬼が巨体を揺らしながら走ってきた。相変わらず、体に似合わない速さだ。俺との距離がもうほとんどない。
「――!?」
上へ飛んで回避しようとすると、力があまりにも強いのか、跳躍のために足で踏んだ瞬間、地面が粉々に砕けた。さっきはうまく飛べたのに! くっそ!
「うぐっ!?」
邪鬼の大振りな右拳の直撃を受けて、俺の体はさらに数十メートルぶっ飛んだ。さっきから何本木を折ってるんだよ。ちくしょう。環境保護団体に訴えられるぞ!
「……つーか、ちょっとまて」
マジで力の制御ができない。必要以上に力が強くなっちまう。
大体、一般社会人の俺は、戦いの知識なんてないぞ。ケンカだってまともにしたことないんだ。さっきの一撃だって勢いで殴っただけだし。
「おい! ちょっとまて! いや、お願いだからまってください! ちょっとだけ力の使い方練習させてください!」
できるだけ丁寧にお願いした。
でも、こんな化物に俺の言葉が通じるわけもなく、当たり前のように無視。さらに俺をいたぶろうと猛追してきた。これだから知性のない化物野郎はよぉ!
「鬼さんこちら!」
この際土下座でもしてみようかと思っていたとき、気の抜けた声がした。
「手のなるほうへ!」
パンパン! と手を叩きながら、邪鬼の左方向に立っていたのは――さっきの鬼の少女だった。
「お、お前さっきの……」
「いくら鬼の力って言っても、素手じゃ無理だよ? 邪鬼に有効な攻撃はね、『鬼狩』の攻撃だけなんだ」
鬼の少女が俺に笑顔を向けて、人差し指をくるりと回す。
その瞬間、なにもない空中から現れたのは……大きな黒い戦槌。柄の長さは少女の身長と同じぐらいはある。それを手に取り、軽々と振り回す少女。
そして邪鬼は、さっきの少女の挑発? に対して反応したのか、俺から少女にターゲットを変えた。右足を踏み込んで、方向転換。その勢いのまま突進して行く。
少女は逃げずに、笑いながら戦槌を軽く構えている。緊張感の欠片もない表情。傍から見ると無謀にしか見えない。だ、大丈夫なのか?
「せ~~の!」
そんな俺の心配を他所に、突進してきた邪鬼に向けて少女が戦槌を一撃振りかざした。
戦槌の一撃は邪鬼の腹部をとらえ、さっき俺が殴ったときとは比べ物にならないぐらい、邪鬼の巨体が後ろへと弾かれた。ピンポン玉みたいに。巨体がすごく軽く見える。
え? あんな緩い声で放った一撃なのに? ていうかあの細腕のどこにあんな力があるんだよ!
「え? ……え?」
邪鬼を殴った反動のまま跳躍して、呆然としてる俺の横に少女は笑顔のままふわりと音もなく着地した。
「鬼の力。その源はこの鬼狩って言う武器なんだよ。今の君の体は鬼の力で覆われただけの体みたいだからねー」
少女が振り回す戦槌。どうやらこれが鬼狩とか言う武器らしい。名前からして、対鬼専用武器ってところか? そんなのさっきの説明で言ってなかったじゃんか! 説明不足だ! つまり、その鬼狩がないと邪鬼は倒せないってことなのか?
「じゃ、じゃあ俺には邪鬼は倒せないのか?」
「そんなことないよ。鬼人化した君も、ちゃんと鬼狩を生成できるはずだから」
「鬼人?」
「鬼の力を与えられた人間のことをそう呼ぶんだー」
生成って……どうやるんだよ。ただでさえ力の使い方よくわかんねーのに!
「あ、起き上がってきたよー」
邪鬼が音をたてながら起き上がっていた。俺達をギロリと一つ目で睨んでくる。相当怒ってる。表情がないけどわかる。殺気? っていうのか、威圧感が半端ない。夜の公園の中で、圧倒的な存在感だ。
「お前のさっきの挑発で怒ってるんじゃねぇのか!?」
「挑発?」
「鬼さんこちらとか言って、明らかに挑発してたじゃん!」
「あーあれはね。邪鬼の注意を自分に向ける手段だよ?」
そう言うと、少女はまた手をパンパン! と叩いた。
「鬼さんこちら! 手の鳴るほうへ!」
その行為に、邪鬼は目をギョロギョロと回して、さらに怒り心頭。
なに火に油を注いでるんだよ!
「やめろって! これ以上煽るな!」
「邪鬼はね、一定の音に敏感なの。手を叩く音がね、その音に一番近くて簡単なんだよー」
音に敏感?
そういえば、さっき俺に向かってきてた邪鬼が、この子が手を叩いた瞬間、俺に目もくれずにそっちに行ってたな。
「だからね、こうやって邪鬼の目を自分に向けて、周りへの被害を減らすの!」
「……じゃあその台詞はなんだ?」
「前に現世界の子供が遊んでるときに言ってたのを真似したの~」
確か目隠し鬼だっけ? その遊びで使う台詞だった気がする。目隠しした鬼に向かって逃げる側が「鬼さんこちら! 手の鳴るほうへ!」って言って、それを鬼が捕まえる。
……でも正直、この状況で使うと馬鹿にしてるようにしか聞こえない。
そもそも、お前も鬼だろうが。
「って、そんなのとりあえずどうでもいい!」
理由はともかく、邪鬼が怒ってるのに変わりねぇんだよ!
なんだっけ……? そうだ! 鬼狩とかいう武器の生成の話だ!
「ど、どうやるんだよ! 武器の生成は!」
「えっと……なんかこう、ふわって感じ?」
「意味わからねぇ!?」
ふわってなに!? そんなパンを焼くみてーなイメージ参考にならん!
慌てる俺にお構いなく、邪鬼は両腕をビキビキと肥大化させて、俺達に向かってきた。あの馬鹿力野郎。まだ力が出るのかよ!
「じゃあれだー」
その緩い声やめてくれ。調子狂う。
「今回は私が生成してあげるよ。やり方は後で覚えようか?」
「で、できるのか?」
「うん。もう一回私が鬼の力をあげれば……私を通して生成できると思うよ」
な、なるほど! いや、なるほどってよくわかってないけど。理屈はなんでもいい! できるならなんでもいい!
「頼む! やってくれ!」
「うん。じゃあ失礼しまーす」
失礼します? なにが?
……あ。
忘れてたけど……鬼の力をあげるって、もしかして……。
「――!?」
俺の唇に、また少女の唇が触れた。
……。
え? またこのパターン?
「よっし! じゃあ行ってみようか!」
少女が俺から離れると、なんだか右腕が熱くなってきた。黒い皮膚が、まるで生きてるかのように、ざわざわと動いてる。
「な、なんだこれ……」
黒い皮膚が動きを止めた瞬間、弾けた。そして――。
「!?」
俺の手には、一振りの刀が握られていた。
皮膚と同じく、刀身、柄、鍔、全部が黒い。不思議と重さを全く感じない。刀ってけっこう重いって聞いたことあるけどな。振るだけで相当な力を使うって。
「それが君の鬼狩かな~。刀型って、いかにも日本男子って感じがするね!」
「……鬼に日本とか関係あるのか?」
「まぁまぁ、細かいことは気にしないで、来るよー」
そうだ。確かに細かいことを気にしてられない!
邪鬼は俺達の事情なんか関係なく、こっちに突っ込んできてるんだからな。
「落ち着いて。あれはまだそんなに魂食べてない低級邪鬼だから、そんなに力を込めなくても大丈夫。攻撃される瞬間に、そっと鬼狩を振るだけでいいよ」
確かに、さっきまでは力を込めすぎてうまく動けなかった。
落ち着く……落ち着いて……邪鬼の動きを見ろ。
俺は刀を握り締めた。
「――!?」
邪鬼が両腕を組んで、ハンマーのように俺に振り下ろしてきた。
今だ――。
「!?――」
振り下ろされた邪鬼の腕に向かって、刀を突き出す。少女に言われた通り、そっと。
それだけで。
「!!??」
邪鬼の両腕が、まるでドリルに貫かれたかのように、捻れて吹っ飛んだ。声にならない悲鳴をあげて、邪鬼が後ろへと後退する。
「よくできました~。じゃあ……止め、行こうか!」
相変わらずの緩い声で、少女も俺の横で槌を構えた。
笑っている。こんな状況なのに。
「私と同じタイミングで動いてね」
でも……なんだろう。
やけに安心する笑顔だ。なんとかなる。そう思える。
人の笑顔って、こんな気持ちになるんだな。
最近、こんな気持ち感じてなかったな。生きるのに必死すぎて……。
「……ああ!」
俺も刀を構え直して、未だに両腕を失ったまま悶えている邪鬼に向かって二人で走る。
「「やあぁぁぁっ!」」
お互いに鬼狩を一閃――邪鬼の体を粉砕した。
「!?!?!?」
醜い断末魔をあげながら、邪鬼の体は光に分解され、天に向かって消えていった。
後に残ったのは、戦いの痕。倒れた木と、砕かれた地面だけ。
夜の公園に再び、静寂が戻った。
「……」
邪鬼の最期を見届け終わった瞬間、俺はがくっと座り込んだ。張り詰めてた空気……かどうかは微妙だったかもしれないけど(鬼の少女のせいで)、とにかく、緊張が解けた。
つ、疲れた……仕事より疲れたかもしれねぇ……。
「あ……」
力が抜けた瞬間、俺の体を覆っていた黒い皮膚と、手に持っていた刀が小さく光を放って消えていった。鬼の力が解除されたらしい。
「十分ぐらいかー。まぁ初めてにしてはかなり継続したほうかな?」
少女が手に持っていた戦槌をふわりと回転させると、俺と同じように、小さな光を放って消えていった。
……終わったんだよな? これで。
「……これで邪鬼退治は終わったんだよな?」
「うん。ひとまずはねー」
これで俺は生き返るのか。なんだろう……ものすごく微妙な気分だ。もう死んでもいいやーって思ってたぐらいだからな。生き返ってもまた苦労するだけだし。
……ん? ひとまず?
「ひとまずってなんだ?」
「今のは低級邪鬼だからねー。たぶん、こっちに出てきた邪鬼が食べた魂で作った手下みたいなもんだよ。本体はまだどこかに潜んでる。それを見つけ出して倒すのが、私の仕事だよ!」
手下? 本体?
「……えっとつまり?」
「本番はこれからってことだね!」
「まじでかっ!?」
そんなの聞いてないぞ! 私の手伝いをしてくれれば元の生活に戻してくれるって……あ、いや……確かにさっきの邪鬼を倒したら終わりとは言ってないか。でもなんか騙された気分だぞ!
「だから、次の戦いまでに鬼狩を自分で生成できるようにしないとねー」
「……だからとりあえず今回は生成してあげるって言ったのか?」
「そだよ? あれ? なんか変な言い方した?」
「……別に」
わかってる。この少女に悪気はない。むしろ無邪気だ。無邪気すぎて天然だ。
……仕方ねぇ。乗りかかった船だ。
それに、一度死んだ俺にとって、決して悪い条件じゃない。
「じゃあ少しの間一緒に行動するんだから、名前ぐらい教えてくれてもいいだろ?」
「え? そういえば名乗ってなかったっけ?」
「俺の中では鬼の少女としか認識がない」
名前も知らない女の子に、俺は二回も唇を奪われたわけだが。
……ファーストキスだったのに。
ていうか思い出したら恥ずかしくなってきた。体が熱い。
「私はね、蓮って言うの~」
「はす?」
「そう! 蓮って書いてはすって読むんだよ」
鬼にしては変わった名前だな。
そういや、俺もまだ名乗ってなかったな。
「俺の名前は――」
「あ、君の名前は教えてくれなくていいよ~」
なんでやねん。
「なんで? 俺のことはずっと君って呼ぶ気か?」
「違う違う。君は一回死んじゃったからね~。生き返るまでは生前の名前は使えないんだ。これを破ると閻魔様に怒られちゃうからねー」
「……変な規則だな。じゃあ俺はなんて名乗ればいいんだ?」
蓮は目をつむって腕を組んだ。そしてちょっと考えて、なにか閃いたのか、手をぽんっと叩いた。
「ソラ!」
「空?」
「違う違う。カタカナでソラだよ!」
なんで俺が漢字のつもりで言ったってわかったんだ?
「……なんでソラ?」
「君の魂。青空みたいに綺麗な青色だったから!」
「色? 魂に色とかあんの?」
「あるよ? 魂の色で、性格とか生前の行いとか全部わかるんだから!」
ふーん。よくわからんけど。
「……俺の魂が綺麗?」
「うん。綺麗だったよ! 綺麗で濃い魂なんてなかなかいないよ~。レア中のレアだよ! スーパーレアだよ! うぅん。ダブルスーパーレアかな?」
携帯アプリゲームのガチャみたいに言うな。
「俺、苦労してきただけで別に良い人間じゃないぞ?」
「そんなことないよ? だって君……子供を助けようとして死んじゃったんでしょ?」
え? なんでこいつが知ってるんだ?
「み、見てたのか?」
「見てはいないよ? 魂を捕まえたとき、君の記憶を少し覗いただけ~」
「勝手に覗くなよ!」
人が魂だけなのをいいことに!
「自分より他人の涙が気になっちゃう馬鹿って言うのかな? 君はまさにそんな感じだね~」
「おいコラ。馬鹿ってなんだよ?」
「でも、それが君の良いところだと思うよ? 他人のために命を捨てるなんてこと、簡単にできないって!」
蓮は無邪気な笑みで言った。
そんな顔で言われると……なにも言えないじゃないかよ。そうなのかなって納得するしかないだろう。
つーか。やっぱり可愛いな。笑ってるとさらに可愛い。
こんな可愛い子と俺はキスを……って、考えるな俺! また体が熱くなる!
「いろいろ説明することがあるけど……まぁそれはとりあえず置いといて!」
「置いといていいのか?」
「いいのいいの!」
蓮が俺に手を差し出してきた。
「これからよろしくね!」
「……」
大丈夫なのか? こんな緩い奴と一緒にやってて。
でも、なんだかんだでさっきはこいつのおかげで助かったしな。それに、俺にとって命の恩人ってことになるんだろうし。まだ生き返ったわけじゃないけど。
……なるようになるか。
「こちらこそ」
俺は蓮の手を握り返した。
……女の子の手を握るのは初めてかもしれない。いや、握手だけどさ。
「うん!」
蓮は嬉しそうに笑う。
さっきも思ったけど、忘れてたな……。
人の笑顔って、こんなに暖かい気持ちになるってことを。
疲れてたんだなぁ……俺。
ただの一般的社会人で苦労人の俺が。いきなり化物に殺されて、鬼を名乗る少女と出会い、なぜか仕事を手伝うことになった。
これがその始まり。
うーん……俺ってどこまで波乱万丈な人生なんだろうな。