10話「鬼の罠」
「!?!?!?」
大鬼が狼のように咆哮した。口ねぇくせに。
相変わらず、地獄の亡者が呻いてるみたいな声だな。聞いてると不快になる。あー耳がいてぇ。
「……今更な話だけど」
「なんだよ?」
「あんたって強いの?」
「知らん」
「……」
哀れみの目で見るんじゃない。
でも実際、俺なんかまだ鬼の力をもらってから数日だし、戦闘経験は蓮や紅葉と比べたら全く皆無。鬼の力だって三日前に定着したばっかり。ぶっちゃけそんなに強い要素はない。
「少なくとも弱ってるガキよりマシだ。今度はお前が見てろ」
「今度ガキって言ったら、後ろから刺す」
おい。俺、味方。
「見ててわかってると思うけど……あいつの体、普通じゃないわよ」
「わかってるよ」
紅葉の黒鎌が全く刺さってなかったところを見ると、相当な硬度だ。二体が合体したから、その分硬くなってるのか? たぶん、俺が普通に殴っても通用しない。身体能力もかなり上がってると見ていいだろうな。
「……」
この黒い皮膚は、俺のイメージ通りの形を作れる。腕を巨大化させるには、腕が大きくなるイメージ。俺のイメージ次第で、皮膚はどんな変化でもできると考えると……。
皮膚の硬度を上げることだってできるんじゃないか?
腕を巨大化させて、さらに硬度を強化すれば……大鬼に一気にダメージを与えられるかもしれない。
「まぁやってみるか」
せっかく、大きな実験台が目の前にいるんだし。
やってみないとわからないって、会社の上司の口癖だったな。思い出したくないことを思い出しちまった。
ちなみに、やってみないとわからないって、なんか格好良く聞こえるかもしれないけど、違うぞ? 漫画とかで主人公が「やってみなきゃわからない! 俺は最後まで諦めないぞ!」みたいなのじゃなくて、明らかに無理なことに対して「やってみないとわからないだろうが」って無理やり強行してやらせるだけだからな? 周りの意見を無視して。
右手に意識を集中させる。この鬼狩は、俺自身のイメージ力が大事だ。
まずは巨大化。これはもう慣れてきた。皮膚に包まれた俺の腕が、皮膚が広がることで大きくなってる感じ(だと思う)。理屈はよくわからない。よくわからないけど、皮膚と一緒に俺の腕もでかくなってるんだ。ちゃんと力も込められるし。感覚もそのままだ。
巨大化はOK。よし……ここからイメージだ。
硬く……硬く……あいつよりも硬く……硬いイメージ!
「!?!?!?」
大鬼は巨大化した俺の腕に驚異を感じたのか、奇声をあげて威嚇してきた。
警戒して、不用意には突っ込んでこないな。さっきみたいに突進してきてくれれば簡単なのに。俺から突っ込んでもいいんだけど、今は右腕に意識を集中してるからな。うまく走れるかわからない。
ピキピキと、右腕が音をたてる。皮膚が、全く別の物へと変化しているのがわかる。言うならば、硬いガントレットみたいなイメージだ。巨大化と硬質化。うぐぐ……思ったよりも精神力を使う。駄目だ。あんまり長くは持たない。
「紅葉!」
「な、なによ?」
「手を叩いてくれ!」
「はぁ?」
「蓮みたいにだよ! あいつをこっちへ突っ込ませろ!」
警戒して向かってこない大鬼を動かすには、本能を刺激するしかない。それには鬼さんこちら!(俺命名) が有効だ。俺は片手がこんなだから、手を叩けない。
「そんなことしたら私に突っ込んで来るじゃないのよ!」
「だぁから! そこをカウンターでぶん殴るんだよ!」
「信用できないわ! あんたがミスったら私が危ないのよ!」
「信用しろ!」
こうやって喋ってる間にも、俺の精神はすり減る。右腕をこの状態で維持してられるのも限界だ!
「蓮を助けるんだろ! だったら叩け! お前は俺が守ってやるよ!」
「な、なに言ってんの……守るとか……」
あ? なに顔赤くしてんだよ! さっさと叩け! マジできついんだよ! 気を抜くとすぐにでも解除されちまいそうなんだよ! 俺の必死な顔見て気づいてくれ! 限界なんです! マジで!
「……わかったわよ! しっかりと守ってよね!」
紅葉は両手を構える。だからなんで顔赤くしてんだよ? 必死で顔赤くしてんのはこっちだけで充分だっての!
「お、鬼さんこちら! 手の鳴るほうへ!」
いや、別に台詞はつけなくてもよかったけど。
「!?!?!?」
挑発された大鬼が、さっきよりもでかい奇声をあげて、突っ込んできた。警戒してても本能はやっぱり健在か。そこは動物的だな。よっし! 来い来い来い!
「うおぉぉぉぉっ!?」
右腕を振りかぶって、力を溜める。向こうは突進の勢いがあるからな。全力で迎え撃たないと負ける。足元を踏ん張らないと、体ごと弾かれそうだ。
力を入れた足が地面を砕く。丁度いい滑り止めだ。大鬼の動きを一つ一つ見据えながら、迫ってくる巨体を押し返すように――。
「どりゃあっ!」
――右拳を放った。拳は大鬼の腹部を捉えて、衝撃で巨体が一瞬その場に停止。そして、
「!?!?!?」
少しの時間差の後、俺の右拳に弾かれるように、大鬼が吹っ飛んだ。
「うおぉぉ! いてぇぇぇ!」
右腕がビキビキと痛み出す。む、無茶だった……巨大化と硬質化を同時にやるのは……慣れるまでは連続で何発もできそうにないな。やべぇ。泣きそう。
慣れてないからか、思ったよりもダメージ与えられなかったな。大鬼はまだ活動を停止してない。まぁさすがに一撃とはいかないか。
「次だ!」
痛みで感覚がほとんどない右腕じゃなくて、今度は左腕に意識を集中させる。今の応用で、もう少し体へのダメージが少ない方法を考えた。
黒い皮膚がざわざわと蠢き、手のひらから飛び出して形を成していく。生成してるのは刀だ。初めて鬼人化したとき以来だけど、上手く生成できた。
さらに刀身に皮膚を上乗せして……硬質化させる!
皮膚を上乗せした刀は刀身が長くなった。刀と言うより、太刀だ。重っ! 重くなったぞおい! でも、これで斬れ味は倍増してるはずだ!
「だあぁぁぁ!」
吹っ飛んだ大鬼に追撃。起き上がったばかりでまだ体勢が充分じゃない。振り向いた瞬間に――全力で太刀を横一閃。大鬼の腹を一刀両断。巨体が上半身と下半身に分かれた。
それで力が分断されたのか、大鬼の体がまた液体状に溶けていき、次に形を成したときには、元の二体の子鬼に戻っていた。これでパワーダウン。狙ったわけじゃないけど、チャンスだ!
「よぉっし……言うこと聞けよ! 右腕!」
もう合体はさせない。俺は左腕の太刀を解除して、両腕を巨大化させた。うぐ……右腕がきついな。めっちゃ痛い。筋肉がぶっ壊れそうだ。でも、いつもよりも大きくしないと……。
「おりゃあっ!」
さっきのおよそ1.5倍ほどに巨大化させた両腕で、子鬼を一匹ずつ鷲掴みにして動きを封じた。子鬼の体を掴むには、それなりの大きさが必要だったんだ。俺の役目は、こいつらをこのまま捕まえて、合体させないことだ。
と、言うのも……元々俺が止めを刺す気はない。腹ぶった斬ったときはちょっと焦ったけどな。いや、思ったより斬れちゃったんだよ!
「紅葉! 止めはお前が刺せ!」
「え?」
「俺が倒しちまったら消えちまうんだろ! お前の鬼狩じゃないと駄目なんだろうが!」
俺の鬼狩で倒しちまったら、子鬼は光になって消えちまう。そうすると、蓮を治すための鬼の細胞が手に入らない。倒した後、形をとどめておくためには、医療鬼の鬼狩で止めを刺す必要がある。
「い、言われなくてもわかってるわよ!」
さっきのダメージが少しは回復したのか、紅葉は黒鎌を構えて、走る。俺はとにかく、子鬼の動きを止めておくことだけに集中する。
……あ。でも、さっきは紅葉に真っ二つにされたにも関わらず、こいつらは死ななかった。液体化して合体が能力のこいつらは、どうやったら倒せるんだ? 何度でも復活しそうだ。
「やあぁぁぁ!」
紅葉が迷うことなく狙ったのは、子鬼たちのある一点。
角だ。子鬼の頭にある、鬼の象徴とも言える二本の角。
両手で握った黒鎌を二回一閃。子鬼たちの白い角が、全てへし折られた。
「!?!?!?」
角を折られた子鬼たちは、苦しそうにもがき、俺の手の中で暴れ始める。なんだこいつら? さっきよりも力が強くなってないか? うぐぐ……抑えきれない!?
「うおぉ!?」
俺の手から脱出して、子鬼たちは巨腕を振り回して暴れ始めた。
危ねぇ! 無差別に暴れてるじゃねぇか! なにがどうなってんだよ!
「うぐっ!?」
避けきれず、子鬼の巨腕で薙ぎ払われ、壁に叩きつけられる。いってぇ……なんなんだよ!? 急に気が狂ったみたいに暴れだしやがって!
「お、おい! どうしたんだよこいつら!」
「邪鬼と子鬼の弱点は、頭にある二本の角よ。二本とも折れば、自分の力を制御できず、こうやって暴れて……」
暴れていた子鬼たちが、急に静かになった。糸の切れた操り人形のように、体から力が抜けている。
「やがて活動を停止するわ」
ズシン、と子鬼たちは自重でその場に倒れた。赤かった一つ目が、黒く変色してる。こんなの初めて見たな……角を折られるとこうなるのか。
「……ん? じゃあなんでさっき角折らなかったんだよ?」
「極力、角を折るのはやめたほうがいいの。見たでしょ? 角を折られた邪鬼と子鬼は、今みたいに無差別に暴れる。なにをするかわかったもんじゃないのよ」
確かに、今はこの場に俺たちしかいないからよかったけど、周りに人が居たら被害が出る。いや、そもそも俺たちだって危ないかもしれない。実際殴られたし。角を折られた後……物凄い力だったからな。力の制御が効かなくなって、リミッターが外れるみたいな感じか? すぐに活動停止してくれたからよかったけど。
「まぁこいつらみたいに、厄介な能力の奴だけ、止む終えず角を折るしかないの」
「ふーん。勉強になるな」
覚えておいたほうがいい知識だな。角を折るにしても、よく考えてってことか。
「……」
紅葉が俺のことをジロリと見てくる。
「なんだよ?」
「……どさくさにまぎれてなに言ってるのよ」
「あ?」
「……私を守るとか」
言ったけど、だからなんだよ?
ていうか、こいつ、なに顔赤くしてんの? 別に、あれに深い意味はないぞ? 守るってのは本当だったけど。もしかして、変な意味に捉えてる?
「俺はロリコンじゃないぞ」
「……」
無言で睨みながら、黒鎌を俺の首筋へと向けてきた。さ、殺気が……本気の殺気が……。
「まて……今、俺は右腕がめちゃくちゃに痛いんだ。もっといたわってくれ。痛がってる人いじめるのヨクナイ」
「……ていうかあんた本当に鬼人?」
はぁ? 本当に鬼人? どういう意味だよ。
「さっきの攻撃、明らかに鬼人が出せるパワー出力を超えてるわ。あんなの純粋な鬼ですらなかなかできない。大体、あんたの鬼狩の能力、万能すぎよ。でかくなったり硬くなったり武器になったり……チートじゃないのよ」
「誰がチートだ」
そんなの、俺だってわかんねぇよ。
俺はただ、死んで魂だけ蓮に捕まって、鬼の力をもらっただけなんだから。
「そんなのどうでもいいだろ。さっさと細胞取って戻ろうぜ」
「……そうね。よく考えたら、あんたのことなんかどうでもよかったわ」
自分でどうでもいいとか言ったけど、他人に言われると腹立つな。
えっと……鬼の細胞って、肉片なんだよな? グロイけど、我慢するしかない。蓮のためだ。
「俺、血とか駄目だからよろしく」
「子鬼から血なんか出ないわよ。あんた馬鹿?」
ちょっとボケただけなんだから、そんなガチで罵倒しないでくれ。
「おや? わりと簡単にやられちゃいましたね」
驚くほど。自然に。当たり前に。
そいつはそこに居た。
いつから居たのかもわからない。いつからそうやって、俺たちを見て笑っていたのかもわからない。
一言で言えば、底が見えない笑顔。
笑顔の奥底に、どんな感情が隠れているのか、全くわからない。そんな不気味な笑顔だった。
「……は?」
やっと反応して出た声がそれだった。
「……なによ? あんた」
紅葉が黒鎌の切っ先をそいつに向ける。
警戒どころか、完全に敵意を向けてる。無理もない。こいつは、それぐらい得体の知れない雰囲気を持ってる。
見た目は……ただの若い男。長い白髪に、開いているのかもわかりづらい、細い目。俺と同い歳ぐらいに見える。黒いスーツを着てるけど、全く、ただのサラリーマンには見えない。
……人間、か?
「初めまして。さっそくですけど……こんなところでのんびりしていていいんですか?」
白髪の男の細い目が、少しだけ開かれた。それだけで、どこか悪寒を感じる。
「君たちの大事な大事な人が……今頃、危険な目に合ってるかもしれませんよ?」
「……大事な人?」
大事な人ってまさか……。
「あんた! お姉さまになにかしたの!?」
反射的に攻撃体勢になった紅葉。今にも黒鎌を白髪の男に振りかざしそうなほど、殺気立っている。
「ま、まてよ。だって蓮は……閻魔の力が込められた札の結界で守られてるんだろ?」
「あ~あれですか。あんなもの、僕にとっては紙切れですよ。なんの意味もない」
「……閻魔様の御札を紙切れですって?」
紅葉の顔色が明らかに変わった。驚きと動揺が隠せてないのが、見てわかる。
閻魔って、地獄で一番力を持ってるんだよな? その閻魔の力が込められた札を紙切れ……何者なんだ? こいつ。
「あんた……まさか……」
「僕のことなんて今はいいでしょう。それよりも早く行ってあげたほうがいいのでは? 鬼から外れた鬼の少女のところへね」
「……?」
鬼から外れた鬼? 蓮のことを言ってるのか?
「君が逃がした邪鬼が、力を奪いに、そろそろ到着しているはずですよ」
「なっ!?」
邪鬼だって!? あいつのことか? なんでこいつがあの邪鬼のことを知ってるんだよ。
今の蓮は鬼狩を生成するだけで精一杯なんだぞ! あいつ相手になにができるはずもない! 大体、力を奪うってなんだよ? どういう意味だよ?
くっそ! わからないことだらけだ。でも、一つだけ確かなことがある。
蓮が危ないってことだ。閻魔の結界は、こいつの話が本当なら機能してない! 邪鬼を退けられない!
「戻るぞ! 急げ!」
「先に行って! 私は細胞を回収したらすぐ行くから!」
そうか。細胞も回収しなきゃいけないんだ。そんな場合じゃないって言いたいところだけど……細胞がないとどっちにしろ蓮は危ない。ここは紅葉に任せることにした。
「急いだほうがいいですよ。あの邪鬼は、君が戦ったときよりもさらに成長していますからね」
「……」
この三日間。動きを見せていなかったはずなのに、成長してるだって? どういうことだ? 人を襲うにしろ、子鬼を生み出して使うにしろ、魂の痕跡で蓮が感じるはずだ。
それに……こいつ、さっきからの話を聞いてると、俺が邪鬼と戦ったことを知ってる。蓮のこともなにか知ってるっぽいし、マジでなんなんだ? こいつは。
いろいろ聞きたいことがあるけど、そんな時間はない。
くっそ!? こんなことになるなんて! 三日間動きを見せてなかったから、完全に油断してた。蓮も弱ってて動けなかったし。仕掛けてこないならそれでいいと思ってた。今回の子鬼たちだって、純粋に俺たちを倒すために待ち伏せさせてたと思って……。
……そうだ。今わかった。
子鬼に待ち伏せされて、感じていた違和感。あれはこういうことだったんだ。
待ち伏せなんかするはずがないんだ。
邪鬼が俺たちを本気で消そうとしてるなら、待ち伏せなんかしないで、弱ってる蓮が居るときに襲えばよかったんだ。そうすれば、俺たちは蓮を守りながら戦わなきゃいけないし、こっちが不利になるのは明らかだ。その方が確実だ。
それをしなかったってことは……邪鬼の狙いは最初から蓮だったってことだ。魂の痕跡で俺たちをおびき寄せて、蓮から遠ざけるのが目的だったんだ。
でもなんのために蓮を? さっきの、鬼から外れた鬼ってのと関係あるのか?
……いや! 理由なんかどうでもいい!
今は一秒でも早く蓮の所に行くことだけを考えろ!
★☆★☆★☆
「……?」
ソラ? 紅葉ちゃん? と思ったけど、違う。
禍々しい空気。これは、今までに何度も感じてる。
「……!?」
体が危険を感じて、自然と部屋の隅へと逃げる。
その瞬間……部屋の中に、黒い穴が開いた。
「……見つけたぞ」
聞いたことのある声だった。
前に聞いたときは、言葉として聞けるような声ではなかったけど。間違いない。
「……邪鬼」
ソラが追い払った。私たちの標的でもある、あの邪鬼だ。
三日前よりも、成長してる。声と姿を見て、それがすぐにわかる。
「鬼から外れた鬼」
「……?」
鬼から外れた鬼?
……もしかして、私のこと?
「もらうぞ。お前の力を」
鬼から外れた鬼。
ああ……忘れてたよ。
私は、そう呼ばれてるってことを。
ソラ。ごめんね。私、一つだけ嘘ついてた。
私……。
純粋な鬼じゃないんだよ――。