プロローグ
「お呼びですかー? 閻魔様」
本に囲まれた大広間で、一人の少女が、机に積まれた本の山に話しかけた。
正確には、本の山に隠れていた男に。もぞもぞと、本の山が動き出す。
「……ぶわっ!?」
本の山がドサドサと音をたてて崩れる。慌てた様子で、白髪で赤い目の、まだ若く見えるその男は、口元のよだれを拭った。
「閻魔様。また寝てたんですかぁ? ちゃんとお仕事しないと駄目ですよー」
「ね、寝てないぞ。ちょっと休んでただけだ」
「よだれ。ちゃんと拭けてないですよ?」
「うおっ!?」
閻魔様と呼ばれた男は、もう一度口を拭い、自分の体で潰してぐちゃぐちゃになっていた黒いマントを羽織直した。今更威厳を保とうとしているのだろうが、もう遅い。そもそも髪に寝癖がついている。
「それで、なにか御用ですか?」
「ああ……えっとだな。現世界に行ってプリンを買ってきてくれ……じゃない!」
自分の欲望全開の命令をかき消し、閻魔大王はわざとらしく咳払いをして、もう一度喋り直した。
「……実はな、邪鬼が現世界に出たと連絡があった。今、動ける鬼はお前だけだ。すぐに現世界に行って、邪鬼を排除してきてくれ」
「またですかー。最近多いですね。邪鬼」
「ああ。そのせいで地獄は人手……いや鬼手不足だ。これ以上鬼員を割くと仕事が回らなくなる」
ため息をつき、山積みになった書類を見て、うんざりとした顔になる閻魔大王。書類には一人一人、人間の情報が書かれている。死んだ人間の情報が全てここに集まるのだ。正直見るだけで頭が痛くなる。それが自分の仕事だとしても。
「邪鬼のせいで地獄に来る人間の数も増えている。鬼が足りないな……どうしたもんか」
少し考えて、閻魔大王はなにか思いついたのか、子供のように顔を輝かせて少女に提案する。
「良い事思いついたぞ! 邪鬼に殺された人間の中に、もしかしたら魂の濃い人間がいるかもしれん! その魂をとっ捕まえて鬼にしよう! それで邪鬼の排除を手伝わせるんだ!」
「えー? でも手伝ってくれますかね?」
「手伝ったら生き返らせてやるとか言えば大丈夫だろ。そのぐらいなら、俺が特別に認めてやる」
「あはは。適当ですねー。閻魔様」
閻魔大王は本と書類の山の隙間に手を突っ込むと、通行許可と書かれた手形を取り出し、少女に投げて渡した。
「ほい。通行手形。これで三途の川を渡れる」
「じゃあ現世界に行く前に、三途の川で渡ってくる魂の確認をして行きますね~」
閻魔大王の力が込められた特殊な手形。これを持っていることで、三途の川を渡って地獄から現世界へと渡ることができる。手形を持たずに三途の川を渡ると、罰則対象だ。最悪、存在消滅の刑も有り得る。
最も、閻魔大王に仕えていない、邪鬼は別だが。
「ああ。しかし、お前ずいぶんと嬉しそうだな?」
「私、現世界に行くの大好きなんですよ~。珍しい物がいっぱいあるし、美味しい物もたくさんありますからね~。楽しみですよ!」
「……楽しむのはいいけど、ちゃんと仕事してね?」
普通、鬼は現世界に行くことを面倒がるはずだが、少女は嬉しそうだ。鬼の中でも変わり者だが、今はそんなことを言ってられない。現在進行形で鬼手が足りないのだ。
「じゃあ行ってきますね。濃い魂を見つけたら連絡します~」
「あーちょっと待ってくれ」
広間を出ていこうとした少女を呼び止めた閻魔大王は、真剣な表情をしている。まさに大王という威厳を出し、さっきまでのふざけた態度が嘘のようだった。ただし、髪の寝癖はそのままだ。
「……なんですか?」
さすがの少女も少し真面目に聞こうとした。不真面目とはいえ、地獄の最高責任者だ。真面目な話をするときもある。本当に、たまにだが。
「……現世界に行ったらまず」
閻魔大王は机の上にあったある物を手に取り、少女に見せる。
それは……空のプリン容器だった。
「プリンを百個ほど送ってくれ。使い魔急便で」
「わかりました~」
地獄は、今日もかなり平和だった。