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主人公の条件

作者: あぎょう

衝動的に書いてしまったものですが、某小説新人賞で最終候補まで残った力作でもあります。そこそこ面白いと思うので、ひまつぶしにどうぞ!

【礼】


少年はかつてないほど高揚していた。

 滝川南高等学校。陽が落ちかけて人もまばらになった放課後。彼は学校の屋上へと続く階段を上っていた。少年は逸る鼓動を抑えつつ、しかし、足は自然と早足になる。

 なぜなら今日。下駄箱の中から、女子からの待ち合わせの手紙を見つけたからだ。

 メモ用紙に一文。明らかに女子のものと思われる丸い文体で、『今日の午後六時。二棟の屋上まで来てください』と書かれていたのだ。

 明らかにそれは、告白のためのシチュエーション作りだった。だから少年は、本来なら午後三時で全日程を終了し帰宅するところを、今まで校内で暇を潰していたのだ。勿論、相手が絶世のブスである確率も考えられなくはないが、嫌が応でも期待してしまうのが男の性。ましてや、彼にとっては初めての経験なのだから。

 やがて、屋上へ通じる扉へ到達した。最終チェックとして、自分の身だしなみを確認する。ネクタイよし。襟よし。寝癖もなし。そしてにやけないよう、顔をキリリと引き締めたまま、その空間へと足を踏み入れた。

 扉の向こう側。薄暗い空の下で、彼女はフェンスに寄りかかるように立っていた。

 それはそれは、端正な顔立ちだった。艶のあるサラリとした短髪で、肌は驚くほど白い。大きな瞳に泣きぼくろ。小さなクリップなら乗るのではないかと思うほど長いまつ毛。

 まさしく、誰もが認める『美少女』である。

「……こんばんは」

 彼女は少年を視界に収めると、薄く微笑んで挨拶をした。その声を聞き、少年の心臓がドクンと、一際大きく揺れる。低めではあるが、それなりに美しく、可愛らしい声だった。

「こ、こんばんは!」

思わず声が震えた。少年がギクシャクした歩き方で近づくと、少女は口を開いた。

「僕は一年四組の菊咲礼だ。初対面でありながらこのようなことを伝えるのは、甚だ不躾で申し訳なく思うのだが……どうか、聞いて欲しい。」

「あ、はい! どうぞ!」

 彼女の話し方は、女性にしては固く丁寧すぎる物腰で、一人称が『僕』ですらあったが、そんなことはこの際気にしなかった。

(し、信じられない……この俺が、こんな娘と……?)

入学して二ヶ月となるが、これほどの美少女は見たことも聞いた事も無かった。少年は天にも昇るような気持ちで、彼女の言葉を待つ。口が開いて、言葉が紡がれる一瞬が、永遠のように感じられた。

 しかし、彼女。菊咲礼は、少年の気持ちを裏切った。

「君は………あまりにも普通すぎる」

「…………………………は?」

思わず、彼は呆けた。

菊咲は無表情で少年を見つめながら、構わず続ける。

「容姿。性格。趣味。思考。その他、君に関わる全てのエピソードまで、あまりにも日常的で、普遍的だ。あえて言うならば、『特徴が無い』というのが、君の特徴なのだろうか」

「? な、何を言って……?」

初対面の人間に対して、確かにそれは、あまりにも不躾すぎて無礼すぎる言葉だった。少年は訳が分からず困惑する。しかし、菊咲は悪びれもしなかった。

「僕は知っているが改めて聞こう。君、名前は?」

と、無意味な質問をした。少年は首をかしげつつ答える。

「………佐藤翔太……だけど」

「普通だ !!」

言い終わるや否や、菊咲は両手を広げて嘆くように叫んだ。

「なんだその名前は !? 日本一多い苗字と名前のセットじゃあないか !! 普通すぎるにも程がある !!」

「……………」

佐藤は沈黙した。

確かに、佐藤翔太にはこれといった特徴がまるで無いのは事実だった。大きな事故や事件に遭遇することも、幸運や奇跡にめぐり合うことも無く。学校の成績はほぼオール3。大きな賞を受けた事や、厳しい罰則を受けた事だって無い。

およそ不気味なほどに、彼は普通すぎた。

そんな、『特徴が無い』という特徴を言い当てられて、佐藤は恐怖と憤りを感じた。しかしそれ以上に、大きな落胆が大きく圧し掛かっていた。

(……や、やばい。この娘。残念な美少女だ……)

 その麗しい容姿が、逆に不自然な挙動と発言を際立たせていた。先刻までの緊張はすでに消し飛び、彼は恐る恐る訊く。

「あの……告白とか、そういうのじゃ……?」

「んん? 告白? 何を言ってるんだ君は?」

菊咲は眉をしかめて言い返した。佐藤の思い描く桃源郷が、ガシャンと音を立てて崩れ落ちた瞬間だった。佐藤は肩をガクリと落とすが、菊咲は気にしない。

「僕は、そんな『普通』な君にある提案があって、今日、ここに呼んだのだ。」

そう言うと、菊咲は微笑み、言い放った。

「佐藤翔太君。主人公になってみる気はないかい?」

「…………… ??」

 佐藤の頭上にハテナマークが浮びあがった。それを見かねて、菊咲は説明する。

「僕はね……いわゆる『設定萌え』なのだ。劇的な体験。個性的な人格。特別な能力。そういった、主人公的要素を兼ね備えた者に、僕はどうしようも無く心が惹かれるのだよ。幼い頃から、そういう『主人公』達を何人も見つけては惹かれ、異性の場合は付き合ったりもしたものだ」

「……………」

「だけどね、最近、それにも飽きてしまってね。最初から完成された主人公では、満足できなくなってしまったのだよ。   だから入学式の日。君を見つけた時は雷を打たれたような衝撃が襲った。その纏う雰囲気が、まるでモブキャラだったのだ。僕は気になって、この二ヶ月の間、君の事を調べ上げた。すると調べるほどに、君は僕を驚かせた。君ほどまで完成されたモブキャラを、他に知らないよ」

「………それはどうも」

 やや呆れるように佐藤は答えた。彼女のそれは、ただのストーカー行為であった。

「そして僕は気付いた。この普通すぎる少年を『主人公』に仕立て上げたら、それは果たして、どれほどの『主人公』なのだろうと…… !! つまりは成長物語さ。普通の少年が立派な主人公になるまでの過程を傍観して、楽しみたいと思ったのさ」

 菊咲は感極まるように言う。佐藤は納得しかねるように眉をひそめた。

「……主人公になるって……具体的にどういうことするんだよ」

「バトル。コメディ。サスペンス。とにかくなんでもいい。日常で起こる事象の中で、主人公的な事を成し遂げれば、それは主人公だ。勿論、そのための支援はするつもりだ」

「……………あほくせぇ」

 呟くように佐藤は否定した。しかし、菊咲は退くつもりは無かった。

「果たして本当にそうかな? 君だって内心、気付いているんだろう? 自分があまりにも特徴が無いことを。そして想っているはずだ。そんな自分を変えてみたいと」

「…………… !!」

 佐藤の目が、大きく見開いた。まるで心を見透かされているかのように感じたのだ。

確かに、彼とその周囲は常に日常で変わった様子も無く、ただ漫然と過ごす日々が続いていた。そこに、苦痛も、悲哀も、歓喜も、憤怒も無い。これ以上の地獄があるだろうか? 

しかし、彼にはどうすることも出来なかった。脇役である彼だけでは、この地獄から抜け出すことが出来ないのだ。だからこの提案は、千載一遇のチャンスに間違いなかった。

思考し、そして、ふぅ、と大きくため息をつくと、

「……分かったよ。なってやるよ。主人公に……」

 佐藤は諦めたように答えた。菊咲がニヤリと笑い返した。

 この退屈な日常を抜け出すために、彼は生まれて初めて、普通でない事を為し遂げる決意を胸に秘める。しかし、その裏でしたたかに思った。

(こんなかわいい娘と一緒に行動できるなら、それはそれで悪い気はしないしなぁ……)

 内面はともかく、外面は超上級だ。連れ歩くだけで羨望の眼差しを受けること間違い無し。それだけでも、彼にとっては普通で無いことだ。

「ありがとう。お互い利益のある、合意的な結託がここに結ばれたわけだ。嬉しいよ」

菊咲は笑顔でそう言うと、フェンスから体を離して佐藤と向き合った。

「しかし、そこでだ。これからお互い信頼関係を築いていかなければならない上で、嘘偽りは無くした方が良いと思うのだよ。まあ、別に騙したつもりは無いのだが、どうやら君は勘違いをしているようだからね」

「………?」

佐藤は首を傾げる。すると突然、菊咲は彼の手首を掴んだ。

突然の行為に、思わずドキンッと、胸が高鳴る。そしてその手は、ゆっくりと、ありえない場所へ。

自分のスカートの、恥部がある部分へと動かされた。

「 !?~~~~~~~~~~~~~~~~~」

 突然。頭の中の血が沸騰するような錯覚に陥る。心の中で、このままではいけないという理性と、そのままいってしまえ!という本能がせめぎ合った。

しかし、なす術も無く、彼の手は彼女の手に連れられて、吸い込まれるようにそこへ。

 ドクンッ、ドクンッ、と大きく胸が高鳴る。時間の感覚が遅くなっていく。

(信頼関係って……… !! ど、どういう関係~~~~~~~~~~~~~~~~ !?)

佐藤の顔は破顔し、下心丸見えのものとなっていた。

手が小刻みに震え始める。そして、スカートの布に手が触れた、運命の瞬間!

ぐにゃっ

「…………………?」

何か、触りなれた感触があった。

同時に、悪い予感が走る。佐藤は素早く彼女の手を振り払って、一歩後ずさりをした。その顔は、うっすらと血の気が引いている。

「ま、まさか……おまえ…………?」

「うむ。御察しの通り」

菊咲は胸に手を当て、凛とした顔立ちで堂々と言い放つ。

その胸に、ふくらみは無い。

「僕はいわゆる、『男の娘』だ」

「…………………………………………」

 こうして、佐藤翔太の『主人公』になるための物語が始まった。


【位置】


「『男の娘』って………とどのつまり、『オカマ』じゃねーか。」

翌日の放課後。校内のピロティで菊咲と再会を果たした佐藤は、嫌悪感を露にした表情でそう言った。ピロティといっても、屋外と吹き抜けになって開放感が充実しているというものではなく、一般教室の中に円形テーブル3つと自動販売機が置いてある、一般的な休憩所である。

「嫌なもの触らせやがって。変態かおまえは」

「失敬な。最も分かりやすい証明をしたに過ぎないよ。こういう顔だからね。言っても信じてくれないことが多いのだ」

 菊咲は椅子に座って毅然とした態度だった。佐藤は男と知るや、遠慮無く詰問する。

「だいたい、そのセーラー服はどこから持ってきたんだよ。」

「僕の姉がこの学校のOBでね。こっそりと借りている。それに、誤解しないでほしいのだが、僕は何も女装癖があるわけではない」

「………説得力が無いぞ」

 女性にしか見えない華奢な体と整った顔立ちを見て、訝しげな表情で睨む。

「そう不審がらないでくれ。ちゃんとした理由があるのだ。前にも言ったように、僕は『主人公』を日々捜索しているわけだが、そのためには、そのキャラクターの『調査』を行う必要があるわけで、正体を知られると色々と障害が起こるのだよ」

「………平たく言えば、変装かよ」

「その通り。断っておくが、授業中はちゃんと男子制服を着ているからね」

菊咲は取り繕うように言うが、他人のプライバシーを侵害しているという点で、それは犯罪行為に極めて近いものがある。佐藤は大きくため息を吐いた。

「それで? まずはどんなことをすればいいんだ?」

「うむ……そうだな………」

 顎に手を添えた状態で菊咲は立ち上がり、ピロティを出る。佐藤が後ろから続いた。

「まずは君の『位置づけ』を明確なものにすることが大事だと思う。要するに、肩書きだ」

「肩書き……ねぇ」

 滝川南高等学校男子生徒。一年一組。出席番号二〇番。

 これが佐藤翔太の位置づけであり、肩書きである。卑屈的に言うと、これしか無い。主人公を名乗るからには、より特徴的な肩書きが必要なのだ。例えば、『海賊』然り。『忍者』然り。『死神』然り。

「一番手っ取り早いのは、まず、部活に入ることだね」

 横並びに歩く佐藤に、菊咲は提案した。廊下を通り過ぎる男子生徒が菊咲に見惚れたり、もしくは嫉妬深い目で佐藤を睨みつける。佐藤は心底迷惑した。

「実は僕は、スポ根漫画が好きでね。素人がいきなり隠れた才能に目覚めて活躍するというのはよくある話だ。君にも、それを実践して欲しい。」

「……いきなり無茶なこと言うなよ。俺は中学も帰宅部で、スポーツらしいことは何一つやったこと無いんだぜ?」

 とは言いつつも、確かに日常を抜け出すには、『入部』が最善の策であることは理解していた。中学時に帰宅部だったから、なんとなく高校も帰宅部で過ごそうと思っていたが、主人公になるならばそうもいかないだろう。

「それは知っている。でもまあ、普通なる君のことだから、年齢に見合った基礎体力は持ち合わせているわけで、それほど心配することは無いだろう」

 と、菊咲はズバリ言い当てた。確かに、体育の体力テストでは平均中の平均だった。

「差し当たって入部する所だが………僕は『卓球部』なんかいいんじゃないかと思う」

「卓球部? なんでだ?」

「あまり激しく動かないし、小手先さえ身につければ、素人でもそこそこ試合できるからね。地味なスポーツではあるが、新規性に優れるという利点もある」

 まるでマンガ編集者のようなことを言う菊咲だった。

「ああ。そうそう。君に渡したいものがあるのだが」

 突然。菊咲はそう言うと、手提げの学生バックから一冊の大学ノートを取り出して、佐藤に手渡した。

その表紙には、『シビれる主人公の名セリフ集!』と書かれていた。

「……なんだよ。これ」

「呼んで字のごとく。僕が考えた、主人公らしいセリフが書かれたノートだ。主人公的なシチュエーションに遭遇した時に言うと、さらに主人公度が増すぞ」

 佐藤はそのノートを開き、パラパラとめくる。八〇ページのうち約半分が、口に出すのも恥ずかしいようなセリフで、一行漏らさずギッシリと埋められていた。

佐藤は思わず、絶句した。

「一字一句。ページ数と行数も含めて、もれなく覚えておいてくれよ。これから思いつく限り、どんどん増やしていくからね」

「………覚えたとしても、言えねえよ」

 そう言って、佐藤は冷たい視線を投げかけるのだった。

 やがて、彼らの歩く先に屋外の渡り廊下があり、その奥に体育館が見えた。どうやら菊咲は、佐藤の意見など最初から訊く気は無く、卓球部に入部させるつもりだったらしい。

(………ま。楽そうだし。別にいいか)

 と、半ば諦めた感じで、彼は体育館へと足を踏み入れた。菊咲は「もちろん、協力するからには、僕も一緒に入部しよう」と言うと、すでに卓球台の準備を済ませてウォーミングアップを行っていた卓球部部長へ、見学の申し出をするのだった。


卓球部に入部してから二週間後。その日は他校との練習試合が行われる日だった。

「よし! チャンスだぞ。佐藤君!」

 試合直前。試合着を着用した佐藤に対し、菊咲は興奮した面持ちで言う。菊咲の服装は、いつもどおりの運動着だった。

「? なんでドベの俺が試合に出て、おまえが出ないんだよ?」

卓球部員は彼らを含めた七人しかおらず、それなりに練習ができたものの、佐藤は球の感覚に慣れるのに必死で、ラリーを続けることすら敵わなかった。それに対して、菊咲の上達ぶりは目覚しいものがあった。すでに回転サーブを習得し、上級生と試合できるレベルまで達していたのだ。

「僕が試合してしまったら、君が卓球部に入った意味がなくなるだろう? 少し部長にお願いして、今日は試合に出ないことにしたのだよ」

「………おまえの後ろで、その部長が顔を真っ青にしておまえを睨んでるんだが……」

後に分かったことだが、菊咲は持ち前の情報収集能力で部長の弱みを握っていたらしい。

「そんなことより佐藤君。今日こそ君が主人公になるんだよ。残念ながら、今まで才能の片鱗も見せてはいないが、実践で覚醒するという可能性もある。最後まで諦めるなよ」

「……マンガの見すぎだ」

 呆れるように言ったその時。彼の出番がやってきた。佐藤は未だ手になじまないラケットを手にして、卓球台へと向かった。

 すでに二人の先輩が戦っていて、どちらも大敗。五回戦の団体戦である以上、ここで佐藤が負けると、滝川南高校卓球部の敗北が決定してしまう。奇しくも、最高に責任がのしかかる、まさに主人公らしい状況だった。

 佐藤は緊張した面持ちでウォーミングラリーを行い、そして相手選手と向き合う。菊咲は興奮した面持ちで、その様子を見守っていた。

 そして、ラケット交換が行われた時。

「んだヨ。素人が相手かヨ」

 ウォーミングラリーで力量を悟ったのか。相手選手の男は心底げんなりした様子で、佐藤を見下して言った。細い目つきに耳ピアス。試合着は腰パンで、長い前髪をだらしなく垂れつかせている。チャラついた印象の受ける男だった。

(やばい! あいつ、キャラ立ってる!)

その風貌を見て、菊咲の額に冷や汗が流れた。個性が強い者ほど、実力も伴うのが常識。

しかし、すぐに思い直した。キャラが立つ者ほど、それを倒した主人公は輝くからだ。

ピアスの男は「チッ」と舌打ちすると、定位置に着いた。腰を少しかがめた状態で、やる気のなさそうな表情だった。

さすがに佐藤も、そのあからさまな姿勢に対して、頭に血が昇る。

「佐藤君! 一二ページの9行目だ!」

菊咲が後ろから激を飛ばした。周囲の人間は首を傾げるが、佐藤には思い当たりがある。『シビれる主人公の名セリフ集!』

行数は定かではないが、この状況で思い当たるセリフはただひとつだった。佐藤は少し

躊躇するものの、目の前の男に対する怒りもあって言い放つ。

「お、『おまえは、この俺がぶっ倒す!』」

 顔を赤くして、ピアスの男に啖呵を切る。男は少し呆気にとられると、ニヤリと笑った。

「おもしれえ! やれるもんならやってみろヨ!」

(! 意外にもノってきた!)

 佐藤が驚き、その直後、ピアス男のサーブから試合は始まった。

 激突する両者。そして………


 佐藤は負けた。

 3‐0。ものの見事に大敗だった。

「君にはがっかりだよ。佐藤君」

 うなだれて帰ってきた佐藤に対し、先輩は肩を叩いて慰めるが、菊咲は容赦なく、落胆した物言いだった。

「し、仕方ないだろ。練習初めて二週間のやつが、普通、熟練者に勝てるかよ。」

 菊咲の予感は当たり、ピアスの男は実力が伴う者だった。滅茶苦茶なフォームながらも高速で打ち出されるサーブ。並外れた反射神経と、ピンポイントで打たれる球。佐藤はラリーの応酬どころか反応すらできず、見ていて哀れになるほどだった。

 菊咲は、ふぅ~、とため息をついて、もはや勝敗とは関係のない残りの試合を眺める。

一方は敗色が濃いが、もう一方の部長の試合はかなり接戦しているようだった。しかも、その両者の試合は、他とは明らかに一線を画するものだった。高速で飛び交う球。激しく動くラケット。鋭く踏まれるステップ。彼らの試合だけが、他四人と比べて、まるで別次元のものだった。滝川南高校卓球部は、主将のみがレベルの高い、ワンマンチームなのだ。

部長の名は高鳴新羅(たかなりしらぎ)。太くキリリとした眉毛が印象的な男。相手選手の名は(かざ)(まつり)(ひょう)

(せん)。流れるような長髪とモデルのような端正な顔立ちが、育ちの良いエリートを思わせた。彼らは額に汗を流し、時折愉しそうに笑って、打ち合っていた。

 そして、2‐2。接戦につぐ接戦の末、 21‐ 23で高鳴新羅が勝利した。

「「「「「やったあああ !!」」」」」

菊咲を除いた他部員は、諸手をあげて喜んだ。その中に勿論、佐藤翔太が含まれている。

「こ、こら! そんないかにも、モブキャラみたいな真似をするな!」

 菊咲が慌てて佐藤を制する中、高鳴と風祭は固い握手を交わしていた。

「腕を上げたな! 新羅!」「おまえもな! 雹千!」

爽やかに笑いあい、お互いの友情を確かめていた。

「名前からして、あっちが完全に主人公じゃあないか!」

菊咲は思わず、大声でツッコむのだった。

その時である。

ガゴォン !!

突然、体育館の引き戸の扉が、乱暴な音を立てて勢いよく開け放たれた。全員の視線がそこに集中する。

数人の影。ピアスやモヒカン、リーゼントなど、明らかな校則違反が目立つ不良集団がそこにいた。彼らは無言のまま、土足で体育館へと侵入する。

「な、なんだおまえら !?」

高鳴が大声で叫ぶと、その集団の先頭にいた背の高い男が一歩踏み出た。

「久しぶりっすね。高鳴先輩。俺を覚えてますか?」

目の下にクマ。オールバックのその少年は、邪悪な笑みを浮かべて高鳴と相対する。

「木折錬……… !! 一体何しに来た…… !?」

 高鳴は眉をひそめてその男。木折を睨む。彼はフフ、と含み笑いをした。

「いえ別に……練習試合と聞いて、応援に来ただけっすよ。」

と、手に構えた金属バットを見せた。他の不良も、各々がそれぞれ凶器を手にしている。

人々に戦慄が走った。

菊咲礼。一人を除いて。

(え? ええ? 何何? これはなんだぁ~ ??)

非日常的なドラマ展開は、『設定萌え』の菊咲にとって心躍るものであり、眼を爛々と輝かせていたのだ。

「いつまでそうやって腐っているつもりだ。木折! たかが肘の故障で諦めやがって! あげくに、今度は俺たちの邪魔をするのか !?」 

(ひ、肘の故障 !? スポ根にありがちの負傷リタイアか !? そしてやさぐれた !!)

「……あの事件による出場停止。必死に立て直そうとして努力しても、神様は俺に微笑んでくれなかった……そして、全国大会常連校だった栄光も、今やその面影すらなくなってしまった……こんな弱小チーム。在るだけ虚しいだけだ!」

(うわ! まるでお手本のようなスポ根ストーリー !! あの事件って何だぁ !?)

「だから全てを壊すというのか! おまえは逃げているだけだ! 俺たちは……病床で未だ眠ったままのアイツのためにも、今年こそ全国へ行くんだ! 邪魔をするな!」

(感動キタ     !! 仲間の想いが重い !! アイツが気になるぅ !!)

 畳み掛けるドラマの嵐に、不謹慎に思いながらも、菊咲はニヤケ顔を止められずにいた。

 そこでふと、気付く。

(そうだ! 主人公ならこの状況。例え第三者でも、何かしらの行動をとるはず !!)

思い至り、そして「佐藤君!」と彼の名を呼んで、振り返った。

しかし、ついさっきまで居たはずの所に、彼は居なかった。

「 !?………さ、佐藤君 !?」

菊咲は周囲を見渡す。体育館内には、自分を含めた部員六名と、木折ら数名。共同で使用していたバレーボール部の部員数名のみだった。

( !? 一体どこへ !? さては逃げた !?)

「いまさら何言ったって無駄っすよ。俺はもう、終わってるんです。今日は後片付けをしに来ただけ……練習試合に来てくれた他校の皆さん。今から俺達は暴れます。それに対抗する彼らの暴力ぶりを、しっかり記憶して、証人になってくれよ」

「おまえ………! そこまで………!」

木折はゆっくりとバットを振り上げて近づく。高鳴は鋭く睨みつけるしかなかった。菊咲は、(さすがにやばいかも……)と、身の危険を感じて、逃げの姿勢をとろうとした。

その時だった。

ガコォン! 

菊咲達の後ろの扉が、大きな音と共に開け放たれた。

その扉の前に立っていたのは、佐藤翔太だった。

「………さ、佐藤君ッ!」

 まさにピンチのこの状況。日の光を背に受けたその登場は、まさしく主人公を思わせる風貌があった。

菊咲は興奮する。あとはこの騒動を、喧嘩でもスポーツ勝負でも、とにかく止めてくれれば、立派な主人公の完成である。

 全員の視線が佐藤に集まる。それを感じながら、彼は堂々と歩み寄り、言い放った。


「先生 !! こいつらです! とっ捕まえちゃって下さい!」


佐藤は木折達に向かって、鋭く指を差した。

「? ……… ??」

菊咲が首を傾げる。その言葉と同時に、彼の後ろから何人もの屈強な肉体を持つ体育教師が、怒りの雄たけびをあげて流れ込んで来た時、菊咲はようやく理解した。

(こ……こいつ! 先生を呼びやがった !!)

「 !! やばい! 逃げろ!」

木折は先刻の不敵な態度を一変。背中を向けて逃げ出した。どんなに意気込んだところで、やはり暴力事件の主犯というレッテルを貼られるのは嫌だったらしい。配下である不良達も彼に続いて逃げ去り、体育教師達はそれを追った。

そして、後には静寂に包まれる体育館だけが残された。一同が呆然とする。

「いや~。危ないところだったな~。俺、初めてだよあんなの。」

いつのまにか菊咲の横には佐藤がいて、冷や汗をかく仕草をしていた。菊咲は、そんな彼を睨みつけて一言。

「………空気読めよ !!」


【煮】


「全く君という人は、福神漬けみたいな男だな」

翌朝のとあるゲームセンター前。登校途中でばったり佐藤と出会った菊咲は、不機嫌な様子でそう言った。

「……どういう意味だよ」

「何もせずとも旨いものに、余計なモノが入ってしまったという意味だ」

「おまえは福神漬けが嫌いなのか !?」

 信じられない、といった表情で佐藤は叫んだ。

「つーか仕方ねぇだろ。あんなの、俺一人じゃどうしようもねぇよ。これでも頑張った方なんだぞ。普通だったら、他のギャラリーと一緒にずっとあの場で立ちつくしていたぜ」

「……ふん。確かに、モブから脇役程度には昇格したようだが、それで満足しては困る」

菊咲はなお、不機嫌そうに言う。

「どうやら、僕は君の普通ぶりを甘く見ていたらしい。これからはなるべく一緒にいて、君の裏役に徹する必要がありそうだ。登下校も一緒にするぞ」

「……勘弁してくれよ。もうすぐ定期テストなんだし、ゆっくりさせてくれ」

佐藤はうんざりした顔をして校門をくぐった。ちなみに、登校中であるにもかかわらず、菊咲はやはり女装していた。その自然体ぶりに、見回りの風紀委員もオールスルーである。時折、その美貌に眼を奪われてはいたが。

校内へ入って各教室へと別れる前に、彼らは放課後に部活で合う約束をした。佐藤に卓球の才能が微塵も無い事が露呈したが、昨日のようなドラマがまた展開されるかもわからないので、一応部活は続けようとの菊咲の提案だった。

そして、二人は互いに、反対の方向へと歩き出して教室へと向かう。その直後だった。

「誰だ !? 俺のキーホルダーを盗んだやつは !?」

階段からすぐ近くのクラス。一年二組から、男の声が響いた。

「 !! これは、事件の匂い !!」

 菊咲は途端、目を輝かせると、佐藤の腕を引っ張ってそのクラスへ飛び込んだ。

窓際から二列目。一番後ろの席で、とある男子生徒が眉をつりあげて、訝しげに周囲を見回していた。背が低く、天然パーマが印象的だった。

「? ど、どうしたんだい? 久山くん」と、前の生徒が驚いて声をかけると、

「俺のキーホルダーが無くなってるんだよ! 昨日の放課後まではあったのに!」

 それを聞いて菊咲がニヤリと笑う。そして、隣で呆然としていた佐藤の耳の傍で囁いた。

「(……十六ページの三行目だ。佐藤君)」

「………… !!」

 まさか、と思った。早朝といえど、クラス内の生徒は半分以上。その中であのセリフを言わなければならないとは。

それでも、彼に拒む理由は無い。佐藤は息を大きく吸い込むと、言い放った。

「こっ……『この中に! 犯人がいる !!』」


 こうして、佐藤翔太による探偵ごっこは始められた。突然の来訪者に一同は唖然としたが、その無理やりな展開で、彼は探偵役を買って出ることに成功した。

 佐藤はとりあえず定石どおり、被害者から詳しい話を訊き出すことにした。クラスの全員が彼の動向に注目し、菊咲が傍らで見守る。被害者の久山勝義(ひさやまかつよし)は、ペン回しをしながら、時系列順に淡々と説明し始めた。

「抽選で当たった限定のキーホルダーを自慢しようと、昨日学校に持ってきたんだ。放課後までは確かにあった。その後、教室の掃除を終えて   家に帰った後に、カバンの中見て、初めて無くなってることに気付いたんだ。俺は机のどっかに忘れたかと思って、今朝確認したんだけど、やっぱり見つからないんだ。誰か羨ましがって盗んだに違いない!」

 と、被害妄想的な発想をする。興奮しているのか、途中でペンが何回も指から落ちた。その慣れた手つきから、ペン回しは彼の癖のようなものであることが窺えた。

 それはともかく、佐藤は考える。要するに、そのキーホルダーが紛失したのは放課後から帰宅するまでの間。キーホルダーはカバンの中に入れておいたということだから、盗まれたとするなら、最も怪しい時間帯は清掃時間。清掃は週ごとに班分担されているから、自然と容疑者は絞られる。

佐藤は「昨日の清掃班は誰だ?」と言って、容疑者を集めた。

清掃班は五人。被害者の久山勝義の他、郁場駆(いくばかける)斉藤耀太(さいとうようた)要凛子(かなめりんこ)木乃(きの)さやか。

班分けは席ごとで定められていて、彼らの場合は窓際後ろのグループである。久山の前に郁馬。その左横に要。彼らの前に斉藤と木乃の席がある。彼らは困惑し、お互いの顔を見合わせていた。

「……とりあえず、清掃の役割分担と、詳しい手順を聞こうか」

 佐藤はなるべく探偵っぽく言ってみた。五人のうち、斉藤耀太が口を開く。

「俺と要さんは箒。木乃さんはモップがけをしていたな。郁場は窓拭き。久山は、黒板消しとゴミ捨てを担当していたぜ。机運びは全員で行った」

 彼の後を受けて、要が話す。

「手順は普通通りよ。机を後ろに下げて前半分を掃除。次に机を前に移動して後ろ半分を掃除。最後に机を元通りに整えて終了。その後は終了報告をしに、班長の要さんだけ職員室に寄ったわ。他の皆は帰宅したり、部活に行ったり……」

「待ってよ。最初に机を動かす前に、まず久山君を起こすっていうことから始まったよ」

木乃が笑い半分に付け加える。他数人が思い出したように笑い出し、久山も照れ笑いを浮かべた。どうやら彼は、放課後のホームルームの時間帯に居眠りをしていたらしい。あまり真面目な性格では無いようだ。

「……というか。本当に盗まれたのかい? くまなく探したの?」

 郁場が訝しげに訊ねると、

「間違いねえ! 俺は確かに鞄の中に入れて、机の脇に掛けたんだ。たぶん、清掃中に俺が居ない間、誰かが盗んだんだ! そうだろ !? あんた !?」

 久山は名も知らない探偵気取りに詰め寄る。佐藤は「うっ」と息を詰まらせた。それだけの情報で、犯人が分かるはずも無かった。

「(……菊咲。分かったか?)」

 佐藤は傍らの菊咲に耳打ちする。しかし、

「(馬鹿者。探偵がそんな気弱そうな態度をとるな。いいかい佐藤君。これもまたとないチャンスだ。推理というのは、ひらめきさえすれば誰でも可能だ。普通なる君にだって、立派に探偵役を務められるはずだ。必死に考えろ。)」

 冷たく突き放した。菊咲はただの傍観者であって、物語中に主人公の活躍を邪魔するような支援をすることは無い。佐藤は一人で真相を追究するしか無いのである。

 佐藤は腕を組み、う~んと唸る。その時。

「なるほど……謎は全て解けました」

「「 !!」」

 驚く彼らを横切って、一人の男が現れた。長身。つりあがった目。長い後ろ髪をゴムバンドで束ねて、ハンチング帽をかぶっていた。

「ほ、本当か !? 影道 !!」

久山が目を剥ける。影道と呼ばれたその男は、薄く笑って答えた。

「もちろん。この影道八百人(かげみちやおと)に、解けない謎はありません」

(………やばい !! こいつもキャラ立ってる !!)

 菊咲はある危機感を覚えた。そして、それは現実のものとなっていく。

「まず、キーホルダーを盗めるとしたらそれはいつか? 久山君はゴミ捨ての役割だったというから、その間に狙われたと考えるのが妥当でしょうが、それはありえません。彼の性格上、鞄の中身は乱雑していて、小さなキーホルダーを探すには一苦労でしょう。長時間他人の鞄をいじっている人がいたら、他の人に怪しがられるのは必死。役割分担からして、教室の中に一人になるということはありえませんから」

 容疑者達はその推理に耳を傾ける。久山の鞄の中を見ると、何枚ものプリントが丸められ押し込まれており、ゲームやマンガなどの不用品も数多くあった。特定のものをすぐに取り出せるという状態ではない。

「複数犯ということもありえません。盗まれたのはキーホルダーという単一のもの。個人が独占するものであって、複数人で協力して盗むとは考えにくいでしょう」

 影道は揺るがない。確固とした信念を持って、その場に立ち合わせているように感じた。

「さて、ではどうやって盗んだのか。その答えは簡単。犯人は皆の居る前で堂々と、鞄の中をまさぐって探したのです」

 その場がざわついた。そして、探偵。影道は右手を高く上げて、

「そして、その状況を作り出せる人物はただ一人………郁馬駆君。あなたです」

 鋭く、彼に指を差した。郁馬はただ動揺する。

「な、なぜ……僕が……?」

「それは、あなたが窓拭き係だったからです。常に窓際に存在していたあなたは、被害者の鞄に最も手に取りやすい位置にいた。そして、あなたはあるトリックを用いたのです。」

「あるトリック……?」

 佐藤が思わず聞き返した。完全にモブキャラの雰囲気を纏っている。

(「 !! 佐藤君! 何を聞き入っているんだ!」)

(「いやだって! たぶんこのまま解決しちゃうぜ。俺の出る幕が無えよ」)

(「諦めるな。彼の推理が外れている可能性もあるだろう。その場合、君が真犯人を言い当てるのだ。頭の中をよく煮詰めて、もう一度推理してみろ」)

(「だから無茶言うなって! そんな都合良くいくか !?」)

 佐藤と菊咲が小声で論争する中、影道の推理は進められる。

「トリックと言っても大したものじゃありません。机運びをする際に、久木君の机にあった鞄と自分の席の鞄を移し変えただけです。チャンスは三回。後ろに寄せる時と、前に寄せる時、元通りに並べる時です。窓際にいたあなたは、久山君の机を運ぶチャンスは他の人より多かったはずです。すぐ前の席であるならなおさら。誰にも見られずに成功する確率は高いでしょう。」

「……じゃあ、鞄の中を探ったってのは……」

斉藤が気付き、真意を尋ねる。影道はうなずいた。

「そう。掃除が終わった後、彼は自分の席に座り、帰り支度をしていると見せかけて、久山君の鞄の中からキーホルダーを探していたのです。そして、久山君は郁馬君の鞄を持って帰宅しました。まだ購入して二ヶ月あまりですから、見分けがつかないのも無理はありません。そして、郁馬君は下校中の久山君の隙を見て、鞄を交換したのです。……どうです皆さん。今までの推理で、何か心当たりはありませんか?」

 影道が周囲に促す。斉藤と要はそれぞれ、記憶を巡らせた。

「そういえば、郁馬君。窓拭き役を自分から名乗り出たような……」

「確かに帰り際。自分の席でずいぶん長い間、帰り支度をしていたよね……」

「……ふ、ふざけないでよ! 自分から窓拭き係を名乗ったのはたまたまだし! だいたいそんな推理、全部憶測に過ぎない!」

郁馬は激昂する。影道は至って冷静な表情でそれを受けた。

「そもそも、その『隙』っていつだよ? 久山君はまっすぐ帰宅したんだろう? ずっと鞄を持っていたとしたら、交換する隙はないよ!」

「いえ。あります」

 影道ははっきりと言う。そして、久山へ視線を移した。

「久山君。君は嘘をついています。」

 数人が驚きの声を上げた。そして、影道はゆっくりと、指を差して言った。

「その右手のタコ。どうしてできたのですか?」

 全員の視線が彼の右手に集中した。右手人差し指の内側に、大きなタコがあった。

「先ほどペン回しをしていて、何回も落としていましたよね? そのタコが邪魔で上手くいかなかったのでしょう? これは想像ですが……それはトリガー連射によるものじゃありませんか?」

 久山は「うぐっ」とうめき声を上げる。他数人が首を傾げる中、影道の推理は続く。

「昨日、清掃が終わってすぐに帰宅したというのなら、キーホルダーの紛失に気付いた後、学校に取りに戻る時間はあったはずです。それができなかったということは、帰宅途中にどこか寄り道をしたということ。学校からあなたの自宅までの道のりと、あなたの性格を考慮すると、導かれる場所はただひとつ……ゲームセンター。そうですね?」

「ゲ、ゲームセンタァ !?」

 要が声を荒げて言う。彼女の他、生徒数人が彼に向かって非難の視線をぶつけた。

「今流行りのガンシューティングゲームがあるらしいですね。そのタコの位置から、久山君が必死にトリガーを連射する姿が思い浮かぶようです。ゲームセンターに寄ったことを伝えなかったのは、定期テスト勉強で皆が必死になっている今、罰が悪かったのでしょう」

 久木は「ヘヘ……」と苦笑いを返した。影道はほくそ笑み、続ける。

「つまり、久山君が例のゲームセンターに通っている事をどこからか知った郁馬君は、キーホルダーを盗んだ後にそこへ行き、久山君が必死にゲーム画面と向き合っている間に鞄を交換したのです。両手は手放せない状態で、足元に置いていたと予想できますし、まさに絶好のチャンスといえるでしょう。……以上が、私の推理です」

 確かに、筋が通っていた。久山は郁馬を睨みつけると、彼は困惑して声を荒げる。

「じょ、冗談じゃない! そんなの、僕じゃなくてもできるじゃないか! そ、それに、証拠はあるのか !?」

「……確かに、窓拭き係でなくとも、他の容疑者も彼とは席が近いことですし、狙ってやろうと思えばできないこともありません。しかし、最も成功しやすいのがあなただということは事実です。疑うには十分。あなたの鞄の中身を調べさせてもらいますよ」

 影道は踏み出て、強気に言った。郁馬は抵抗しようとするが、斉藤と久木に両腕を掴まれて、取り押さえられた。

「や、やめろ! ぼ、僕じゃない !!」

 動揺に、声を震えさせる。その必死の抵抗が、自分が犯人であることを露呈しているように思えたが、菊咲は諦めなかった。

「! 佐藤君! 真犯人はいないのか !?」

 と、彼に振り返る。

そこには、不敵に笑う佐藤の姿があった。

「いくら探しても、キーホルダーは出てきませんよ」

「……なんだと?」

佐藤の言葉に、影道は動きを止め、訝しげに佐藤を睨みつけた。しかし、彼は動じない。

「真犯人は、他にいる!」

 佐藤は探偵のように言い放った。その場が騒然となる。菊咲も、驚きを隠せなかった。

そして、佐藤は右手を高く掲げ、人指し指を突き出す。

「犯人は……」

ゴクンッと唾を飲み込む一同。そして、その腕を振り下ろした。

「あなただ !!」

 ビシィ!という効果音が演出されたかのような指摘。その指し示す方向にいたのは……


 人ごみの奥で小じんまりとしていた、小柄な女生徒だった。


「……………?」

 全員の頭上に、ハテナマークが浮ぶ。しかし、容疑者に含まれないその少女は、突きつけられるや否や、瞳に涙を浮べて、その場にへたれこんだ。

「ご、ごめんなさい !! つい、出来心で     !!」

 両手で顔を覆い、嗚咽をもらして泣き始めたのだ。その様子は紛れも無く、探偵と犯人の構図だった。

「 !!……や、やったな佐藤君! よく見破った! さあ、推理ショーを始めてくれ!」

 容疑者の中に犯人がいなかったのは推理モノとしては失格に値するし、真っ先に犯人が自供してしまうのは見るに堪えないものがあったが、犯人を言い当てたのは事実。

菊咲は感激し、佐藤の方を振り向く。しかし、その直後、顔をしかめた。

 自信満々に犯人を言い当てた佐藤自信が、目を見開き、口をポカンと開けて、誰よりも驚きの表情を作っていたからだ。

「………君。まさか………」

 嫌な予感が菊咲を襲った。佐藤は苦笑いをして一言。

「いやぁ、ただの勘だったんだけどなぁ……なんか、ビクビクしてたから………」

 少女が自発的に真実を自供し、周囲の人間がそれに耳を傾ける中。菊咲は叫んだ。

「…………推理しろよ !!」


【参】

 

「思わず、童話の『うさぎとかめ』を連想したよ」

 その日の放課後。卓球部の休憩時間中に菊咲は汗をふきながら、呆れたように言った。

「………じゃあ、俺は亀かよ?」

「ああ。しかし、自動車に乗って反則負けだ」

「うさぎより性質(タチ)が悪い !!」

 しかし、そのうさぎ(影道)は道端で昼寝なんてしていないのだった。

「大体、ひらめきだけで推理できるわけないだろ? 人ごみの奥で挙動不審な犯人を見つけただけ、観察力があったと褒めてほしいくらいだ。容疑者の中に犯人がいなかったのだから、推理のしようが無いだろ?」

「……ふん。発見できたのは、君のモブキャラ性によるものなんじゃないか? それに、ちゃんとヒントはあったはずだ。久山は『放課後までは確かにキーホルダーはあった』と言っていた。清掃直前とは言っていない。ホームルームで居眠りする直前のことを指していたのだ。彼は眠っていて前後の記憶が不明瞭だったから、あいまいな答え方となったのだろう。その辺りを深く追求すべきだったな」

 菊咲は見事な推理を展開してみせた。佐藤はなるほど、と納得した。卓球ののみこみの速さといい、推理力といい、大抵のことはこなせるらしい。

「それにしても、探偵は当てずっぽうで言い当てるし、犯人は勝手に自供するし、ろくなものじゃなかった。全く、君という人は、物語を全て台無しにしてしまう癖があるな。本来脇役である者が無理をするために生じる歪みというところか……」

「…………うるせえよ」

 佐藤は思わず、ため息をついた。

 あの後。真犯人である少女は、実は清掃が始まる前にすでに盗んでいたと告白した。少女は久山の横の席にいて、ホームルームの時間に久山が居眠りをしている間、鞄の中からこっそりとキーホルダーを抜き取ったという。キーホルダーをしまっている場面を見ていたため、その場所はすぐに分かったし、一番後ろの席だったため、目撃者は誰も存在しなかったのだ。少女はすぐに返すつもりだったが、うっかり持ち帰ってしまい、翌朝、元に戻そうと試みるも、教室に着いた頃には例の探偵ごっこが始められていて、名乗りづらかったらしい。

「? そういえば、なんで鞄を覗かれそうになったあの時、郁馬君は頑なに拒んだんだ?」

 佐藤はふと思い出し尋ねた。情報通である菊咲は、当然知っていた。

「どうやらあの中には、彼宛のラブレターが入っていたらしくてね。清掃終了後に、鞄の中に入れられていることに気付いたそうだ。初めての事だったから、しばらく呆然としてしまったらしい。帰りの支度に時間が経ったというのは、そういう意味だろう。ラブレターの送り主のプライバシーを考えて、あの場は必死になって拒んでいたということだ。」

「へえ。優しいじゃん。その送り主っていうのは?」

「同じ班の、木乃さやか」

「……いいハナシだなぁ」

 佐藤はしみじみと感動した。そこで気がつく。

「! そうだ。『恋愛モノ』とかってのは、主人公になりやすいんじゃないか? 特に必要な能力はないし、ただ恋すればいいだけだしな」

 と、菊咲に提案した。しかし、

「駄目だ」

 菊咲はきっぱりと言って、拒否の姿勢を示した。

「? なんでだよ?」

「僕は恋愛モノが嫌いなのだよ。ラブコメならともかく、純愛モノだと長続きしない傾向があるだろ。そこに不完全さを感じてならない。……そもそも君。好きな人とかいるのかい? それが無いと始まらないだろう」

 言われて、佐藤は少し考える。

「………いや。居ないな。中学の頃、付き合っていた女子はいたけど」

「ほう! 意外だな。別れたのかい?」

「ああ、高校が別になって、それから自然消滅した」

「………普通……」

 菊咲はあきれ返る。予想通りの反応だったので、佐藤は構わなかった。

「じゃあ、これからどうするんだ? 他に主人公になれそうなジャンルってあるか?」

「そうだな………今は思いつかない。まあとりあえず、主人公になるためにはイベントが必須なのだから、当分はイベント作りに精を出すのが得策だと思う」

 物語には必ず事件や山場があって、日常では起こりえない事が起こる。だから、日常を脱した様々なイベントに参加することが、主人公になる為の第一歩なのだと菊咲は語った。

「ふぅん……めんどくせえなぁ……」

 佐藤はぼそりと呟く。普通なる彼にとって、イベント作りという作業は慣れていない。

「そう腐るな。気長にその時を待とうじゃないか。僕もできる限り協力するよ。」

 そう励まして菊咲は立ち上がり、再び卓球台へと向かった。佐藤も渋々その後に続いて、来る大会のため、菊咲との練習を再開したのだった。


 それから、一ヶ月の月日が流れた。

 その間に起こった大きなイベントといえば、部活の地区大会と中間テスト。それに、木乃と郁馬が付き合い始めたくらいである。

地区大会の団体戦では、残念ながら一回戦負け。しかし部長だけは、個人戦で県大会へと進むことになった。佐藤の中間テスト成績はいつもどおり中の中。また、イベント作りのため、佐藤は菊咲と一緒に、遊園地や動物園へ遊びに出かけるが、大したハプニングも無く、菊咲が思いつく主人公のセリフが、例のノートに追加していくだけだった。

 日常は変わらない。しかし、佐藤の中で、あるひとつの『疑惑』が生じ始めていた。

口に出すのも恥ずかしいような、馬鹿馬鹿しい『疑惑』だった。しかし、菊咲と行動を共にする間、その疑惑は日に日に現実感を伴っていくのだった。

 そしてその日。七月一〇日の日曜日。佐藤翔太の運命は、大きく動き出した。

《昨日未明。朝日動物園にて、飼育中の猿が檻から逃げ出したとの情報が入りました》

 早朝の自宅。佐藤は食パンを咥えながら、テレビのニュース情報に耳を傾けていた。

《逃げ出したのはアカゲザルのメスで、体長七〇センチ程。非常に凶暴ですので、近隣に住まいの住人はくれぐれもご注意ください。見つけることがありましたら、決して手を出さず、警察か動物園までご連絡下さい》

 ニュースキャスターは無機質な声で言う。画面には、動物園の猿の映像が映されていた。

その直後。傍らに置いていた携帯電話がバイブ音と共にプルルと鳴り響いた。佐藤は予感しながら、そのケイタイを手に取る。

 電光板に表示された名前は『菊咲礼』。その人物はこう切り出した。

《佐藤君。今度は『捕物帳』でいくぞ》


約三〇分後。佐藤は菊咲に呼び出された学校の正面玄関へ到着した。しかし、そこにいたのは菊咲だけでは無かった。

佐藤は一同を見て、唖然とする。

「部長たるもの。部員の切なる願い、聞いてやらねば」卓球部部長、高鳴新羅。

「新羅には負けない……!」そのライバル、風祭雹千。

「……なんで俺が……」高鳴の元後輩にして因縁の男、木折錬。

「借りは返すぜ!」キーホルダーを盗まれた被害者。久山勝義。

「あなたの力、見極めさせてもらいますよ」探偵。影道八百人。

かつて佐藤と関わった人々が口ぐちに佐藤へ言葉を伝える。

「まるで最終回みたいだろ?」

菊咲は得意気に微笑みながら言った。

「……俺にどうしろって言うんだ?」

 電話にて、菊咲は脱走猿の捕獲作戦を決行することを伝えた。待ちに待ったハプニングを逃さないはずがない。ただし、菊咲と佐藤の二人だけでは心許ないのも事実。そこで菊咲は助っ人を集めると言ったのだが、それがこの、あまりにも濃すぎるキャラ達であった。

「こんなヤツラと一緒じゃ、ただでさえ薄い俺のキャラが無くなっちまうだろ!」

佐藤は憤慨する。菊咲はチッチッと指を振った。

「心配無用だ。佐藤君。君が今回成すべきことは、『参謀』なのだから」

「………参謀……?」

「そうだ。君が彼らのリーダーとなって指揮をとり、猿を捕まえるという物語だよ」

 捕物帳とは、つまりそういうことだった。

 佐藤翔太に秀でた能力は無い。ならば、すでに能力のある者達を使役すれば、活躍劇は展開される。それはそれで主人公の形であると菊咲は考えたのだ。

「すでに皆には了承を得ている。さあ、遠慮なく指揮してくれ!」

「遠慮なく……って言われてもなぁ……」

 高鳴と木折は菊咲に弱みを握られて。(後輩のためというのは建前)風祭は高鳴とのライバル心から。久山は真犯人を見つけてくれた恩から。影道は佐藤に対する一方的なライバル心から。(佐藤が犯人を言い当てたのは根拠の無い理由と偶然によるものであって、ライバル視されるいわれもないのだが)この場は佐藤の指揮に従うらしかった。

 しかし、脇役である佐藤にとって、このような立場に立つことは初めてのことだった。彼はただ困惑する。しかし、ここで踏み出さなければ、一生脇役のような気がした。

 佐藤は覚悟を決めた。そして、三十八ページ一〇行目のセリフを口にする。

「………『みんな、俺についてきてくれ!』」


(まるはち):三〇(さんまる)。捜索が始まった。

 まず影道が、行動原理や精神状況から猿の潜伏位置を推理して、捜索範囲をいくつかの地域に絞る。そして、全員がその箇所を集中的に探索することにした。

木折は不良仲間から目撃情報を収集しながら、バイクを乗り回して捜索。背が低くて身軽な久山は、路地裏などの狭い箇所を主に捜索。高鳴は、風祭が運転する車に乗って広範囲を捜索する。俊敏性と持久力に優れている彼らは、猿を追跡する場合に適しているため、体力を温存する意味も含まれていた。

 全て、佐藤翔太の指示である。

「……そうか。じゃあ、また連絡してくれ」

 河原の傍。佐藤は自転車に跨りながら、三度目の定期連絡を木折から受け取った。その傍らには同じく、自転車に乗る影道と菊咲がいる。一時間ごとの定期連絡を受け取り、全員の位置と状況を把握。重要な情報が連絡されたら、影道の推理をふまえ、潜伏している可能性の高い地域や猿の細かな特徴などを伝えて指示するのが、参謀たる彼の役目だった。

 佐藤翔太の働きぶりは、すでに普通の範疇を越えていた。

 それもそのはず。長い間、脇役を演じていた彼は、脇役がどの時、どの立場で、どのように立ち回ればいいかを、本能的に理解していたのである。

本来、絶対に成りえない『参謀』を強制された事で生まれた奇跡だった。それも、過去に関わった人物がいて始めて活躍できたのだ。かつての事件はこの為にあったかもしれない。佐藤は思わず、そう考えてしまう。

しかし、主人公になるためにはひとつ、問題がある。

「警察の捜索隊も必死に探し回っているはずだ。彼らより先に探し当てないと。」

 佐藤は警戒を強めて言う。警察に先に捕まえられては、意味が無いのだ。影道は両手を上に、やれやれとポーズをとった

「警察より先に……ですか。やれやれ。自己顕示力の強い人だ」

「……別にそういうわけじゃないんだけど……」

 その一方で。

「……………」

 佐藤が活躍しているにもかかわらず、菊咲は浮かない顔をしていた。彼の背後で、終始無言を貫いている。

「? どうした? 菊咲?」

 見かねて、佐藤が声をかける。すると、

「……少し用事を思い出した。悪いがしばらく、別行動をとらせてもらう」

 淡白にそう言うと、菊咲は自転車を反対方向に向け、佐藤の呼びかける声もよそに、どこかへと去ってしまった。

「? なんでしょうね?」

「………さあ……?」

 彼らは首を傾げた。

この時、菊咲を引き止めるべきであったと、佐藤は後に後悔することになる。


《発見したぜ! 旧七原病院の中庭にいる!》

十七(いちなな):三〇(さんまる)。木折から佐藤へ、目撃情報が伝えられた。場に緊迫が走る。

「分かった! すぐに人を送る!」

 佐藤はそう伝えて電話を切ると、現場の地図と、あらかじめ決めておいた作戦に合わせた各々のメンバーに適した配置を、メールの一斉配信で伝えた。

菊咲は未だ、佐藤の元に戻っていなかった。彼は不審に思いながらも、後で合流できるように、菊咲のアドレスも送信先に含めておいた。

「よし! 俺たちも行こう!」

連絡し終えて、佐藤は自転車のペダルを強く踏み出し、疾走。影道もそれに続いた。


 旧七原病院。3年前に移転となった末、廃墟となった病院である。外壁は薄汚れ、草木は茫々と茂っていた。その中庭の端。建物の影の涼しい場所で、例の逃亡猿が佇んでいる。

《……それじゃあ。準備はいいか?》

 現場に着いた佐藤は、あらかじめ用意していた無線機を使用し、それぞれ配置に着いたかどうかを確認する。無線機は久木が父親の仕事場から勝手に拝借したものである。

《オッケー》《のぞむところだ》《いつでもいいぞ》《勝手にしやがれ》

 全員が返事をして、そして始まった。

「うおおおおおおおおおおお !!」

 第一発見者。木折が大声をあげて、猿へと駆け出した。猿は驚き、反対方向へと逃げ出した。猿はみるみると彼との距離を引き離し、中庭を飛び出した。

 しかし、その先の正面玄関の前で、久山勝義が待ち構えていた。その手には大型の水鉄砲が握られている。彼は銃口を猿に向けて、引き金を引いた。

 バシュッと飛沫があがり、猿の体にそれは付着した。赤い色をしていて、明らかに水では無い。猿は驚き、動きを止めた。

久山は続けて、猿の目の前の地面にその液体を射出する。猿は見たことの無い液体に恐怖を覚え、「キャキャッ!」と叫び声をあげて素早く方向転換。それを追うように、彼は赤い液体を地面に射出して、大きく開け放たれた正面玄関へと飛び込むように誘導した。ガンシューティングゲームで培った経験が役に立ったといえよう。

 正面玄関は広く、薄暗い空間だった。長椅子が何個も並べられ、正面に大きなカウンターがある。その左右には、大きく開けた広い通路が続いていて、猿は左の通路へと逃げた。

しかし、そこを塞ぐように、卓球ラケットを構えた高鳴と風祭が待ち構えていた。彼らは猿を視界に捕らえると、ピンポン球を宙に投げ、素早くそれを打ち出した。パキャッ!という炸裂音に似た打撃が、猿の手前の床にぶつかる。薄暗い空間の中での突然の攻撃は、猿を動揺させるには十分だった。猿は後ろに方向転換して、右側の通路へと駆けた。

その先はさらに暗く、細長い空間が続いていた。窓側のカーテンは締め切られ、夜の闇とほぼ変わらない状態である。その中を、高鳴と風祭は猿を追いかけながら、定期的にピンポン球を打ち出し、警戒を促していた。自然界でも、動物園でも見たことが無いだろうその物体に、猿は恐怖を覚えて必死に逃げる。

その時、猿の体の一部が赤く光り輝いていた。久木が水鉄砲で当てたのは、暗闇で反応する蛍光塗料だったのだ。高鳴と新羅の衣服にも、同様の蛍光塗料が塗られていて、お互いの位置を確認できるようになっていた。

その通路の奥。曲がり角の先では佐藤が待ち構えて、その後ろに影道が控えていた。佐藤の手には、ネットガンが握られていた。引き金を引くと大きな網が飛び出し、犯罪者を捕らえるという防犯グッズである。猿の探索前に木折が学校に忍び込み、不良ならではの荒業で部屋の鍵を破壊し、入手したものである。

 影道が与えた作戦は、暗く狭い通路に誘い込むことで逃げ場と視界を奪うというものだった。前もって蛍光塗料を猿につけておけば、その光を照準に網を撃ち出すことで、捕獲できると考えたのだ。現場の地理状況から、捕獲ルートを素早く計算した彼の頭の回転の速さには、舌を巻くものがある。

(ここは絶対に……外せない……!)

参謀とはいえ、最後を決めるのは主人公の役目だ。傍らに菊咲が居たならば必ずそう言うだろうと、佐藤は考える。彼は横切る赤い光をイメージし、神経を集中させた。約一ヶ月に渡る卓球生活で、反射神経は鍛えられているはずである。

 足音が聞こえてきた。佐藤は爆発しそうな鼓動を抑えつつ、ネットガンを構えた。チャンスはたった一発。絶対に外せない。

 そして、赤色の光を視界にとらえた。次の瞬間。

(………今だ !!)

 引き金を引く。同時に、パンッ!と乾いた音が響き、放射状に網が射出された。

そして、それが目標を覆うのを佐藤は確認した。赤い光が床へ沈み、ドサッと倒れる音が響いた。佐藤は手持ちの携帯電話のライトで、その目標を確認する。

しかし、

「 !?………な、なんであなたが……?」

 網に絡まっていたのは卓球部部長。高鳴新羅だった。

「 !? おい !! どういうことだ !?」

高鳴は体にまとわりつく網を払いのけながら叫ぶ。佐藤が確認した赤い光は高鳴のものだったのだ。彼に続いて風祭がやってくると、眼を見開いて叫んだ。

「佐藤君! 猿に逃げられたぞ!」

「え………?」

 一瞬。唖然とする。風祭はある方向に指を差した。そこには、全開に開け放たれた窓があった。カーテンが風になびいて、外へ飛び出している。

「こ、この窓から逃げたっていうんですか? 暗闇の中、猿が !?」

 影道が驚愕に叫ぶ。後から久山と木折がやってきて、状況を求めると、風祭は説明した。

「僕らの前を走っていた赤い光が突然止まって、窓側の壁へと飛び出したんだよ。気付くと、そこの窓が開いていたんだ」

「窓を閉め忘れたっていうことかよ !? ふざけんな !!」

木折が憤慨すると、

「ちゃんと確認したぞ! 窓は完全に締め切っていた! 間違いない!」

 高鳴は断言した。しかし、窓に鍵はかかっていなかったとはいえ、猿が暗闇の中で窓を判別し、人間のように開けて逃げたとは考えにくかった。

元々因縁があって仲の悪い二人は、お互いにらみ合い、険悪な雰囲気となった。それを見かねて、影道が口を出す。

「落ち着いてください! ともかく、猿が逃げ出したのは間違いないようですし、辺りが暗いうちに猿を見つけて、もう一度さっきの作戦で  」

「その必要はない」

 彼らの背後から声が聞こえた。一同が振り向くと、そこにいたのは菊咲礼だった。

突然の登場に驚きに目を剥ける彼らの前で、菊咲は携帯画面を前に掲げ、表示される最新ニュースの一覧を差した。

『十八時三分。旧七原病院前にて逃亡猿捕獲!』

「……え? どういうことだ?」

久山は困惑に首をかしげる。

「どうやら、偶然近くに警察の捜索班がいたらしい。もう僕達の目的は無くなったのさ」

 菊咲は無表情のまま言った。気付くと、やや遠くの所で照明が光り、人のざわつく声が聞こえてくる。どうやら、間違いないようだった。

一同は落胆し、肩を落とした。今日一日の行いが無駄になったのだから当然といえる。

 しかし、佐藤だけは違った。

じっと菊咲を見つめ、衝撃を受けたように呆然としていた。

彼の中の『疑惑』が、『確信』に変わった瞬間だった。


【始】


ここからはこの俺。佐藤翔太が語り部だ。理由は後で分かる。

とにかく、俺たちはその場で解散し、俺と菊咲はお互いの自転車を引きながら縦に並んで歩いていた。午後七時の夜。月明かりの下、若葉が茂る並木道のことだ。

「あと一歩というところだったな。着目点は良かったのだが、運がなかった。君という存在は、どんな事件も『普通』に収束してしまうらしい。」

 菊咲は俺の前で戯言めいて言う。その顔はわずかに微笑みを帯びていた。

………本当に、おまえってやつは。

 俺は立ち止まった。菊咲は訝しげながら倣って止まり、俺に向かって振り返った。

「……なあ菊咲。今度、海に行かないか?」

 俺はそう切り出すことにした。菊咲はキョトンと、俺を見つめる。

「イベント作りだよ。そろそろ暑くなる季節だし、ちょうどいいだろ?」

「あ……ああ。そうだな。しかし、僕は泳げな」

「嘘をつくなよ。」

 意思を読んで、わざと遮るように言った。

菊咲は驚いて目を剥ける。俺は自転車をその場に止めて、はっきりと、言い放った。


「……君、女の子なんだろ?」


「……………」

一陣の風が吹き、ザワザワと若葉の擦る音が聞こえた。

菊咲は………彼女は少しの間沈黙すると、諦めたような、少し困った顔をした。

「……いつ、気付いた?」

「一ヶ月以上も一緒につるんで、気付かないほうが普通じゃない」

 断っておくが、これは俺の『疑惑』ではない。彼女の挙動や発言から、薄々と気付いていたことだ。特に例をあげて説明する。

「部活に卓球部を選んだのは、俺のためだけでなく、君のためでもあったんだろ? 胸にサラシを巻いて押さえているから、激しいスポーツだとすぐに息切れしてしまうからね。初対面での……アレは、何を仕込んだんだ? 動揺していた上、一瞬のことだから分からなかったよ」

「………………ただの、お手玉だよ」

なるほど、少しざらつく感じがしたのは、そのためか。

菊咲は呆れるように微笑むと、ため息をつく。

「確かに、僕は女の子だ」

 いさぎよく認めた。おそらく、いつかばれることを覚悟していたのだろう。

「君を騙した事に深い理由はない。『男の娘』を演じる女の子というのを、演出してみたかっただけだよ。ちょっとしたサプライズというか、君に対する小手調べみたいな」

「だから、嘘をつくなって」

俺はまた、遮るように言った。その言葉に彼女はビクッと肩をすくめた。その顔は、何かに怯えているような顔だった。

俺は、その理由を知っている。

「猿を逃がしたのは、おまえなんだろ?」

 突きつけた。彼女は何も喋らない。

「作戦メールを受け取った君は、あの窓際にいて猿が通り過ぎるのを待っていた。そして赤い光を照準に捕まえると、窓から外へ逃がしたんだ。道具も何もなく、手づかみでな。右手の掌が赤く光ってる事と、手の甲に裂傷があるのが証拠だ」

 彼女は無表情のまま視線を右手の甲に落とした。二本の赤い傷。猿を強引に捕まえた際にできたものだろう。掌で淡く光るそれは、蛍光塗料に間違いない。

俺が『疑惑』を『確信』したのは、それを見たからだ。別れ際に引き止めるべきだったと後悔した。女の子に怪我させることになるなんて。

「直後、警察が猿を捕まえたっていうのも、偶然じゃない。君があらかじめ報告していたんだろう? 俺に猿を捕まえてほしくなかったから」

「な……何を言って……僕は、君を主人公にするために今まで付き添っていたのに……」

「……君が『設定萌え』っていうのは、嘘じゃないだろうな。君の豹変ぶりを見れば、演技じゃないことは分かる。でも、俺を主人公にしたいっていうのは嘘だ。なぜなら、俺が主人公になれば、君との関係も終わってしまうからだ」

「………… !!」

そんな思い込みにすぎない俺の話に、彼女は明らかに動揺していた。

思えば、俺が体育館に駆けつけた時も、真相を見破ったふりをした時も、彼女はうろたえていた。今日は事件を解決してしまうという確信があったから、裏で暗躍したのだろう。

 そして俺は、覚悟を決めて、言い放った。


「君は、俺のことが好きなんだろ?」


「…………… !!」

ガタン !!と、菊咲の体がたじろいで、ぶつかった自転車が横倒しに倒れた。彼女の頬は真っ赤に染まり、慌てた様子の表情で、いつもの凛とした菊咲の面影は無くなった。

とても、主人公が言うようなセリフでないことは分かっていた。

でも、どうしたって、俺は普通の男子高校生なんだから仕方ない。俺たちが今までやってきたのは、休みの日に遊園地に行ったり、同じ部活に入ったり、一緒に登下校したり、まるで恋人のような事だったのだから。

勘違いしてしまうのも無理ないだろう? どこかの少年マンガの主人公のように、恋に鈍感な設定は無いのだから。

つまり、これが俺の『疑惑』であり、そして『確信』だった。

「な……何を……私……! いや、ぼ、僕は……… !!」

「いいかげん。自分を偽るのはやめろよ」

俺はぴしゃりと言った。彼女は体を小刻みに震えて怯えていた。

でも、そんな必要はない。

俺は肩下げバックからノートと筆記用具を取り出した。そして、その最後のページを開いて、あるセリフを鉛筆でなぐり書きした。全行を埋め尽くす大きさの文字だ。

    (「僕は『男の娘』だ」)

自分を男と偽ったのは、同性であることを認識させ、親しくなりたかったから。男装しない分、逆に現実味があった。

    (「僕が試合してしまったら、君が卓球部に入った意味がなくなるだろう?」)

俺の活躍する姿を見たかったから。何より、それが一番の理由だろう。でも、最後はボロを出すことを、心の底で願っていただろうね。

    (「僕は恋愛モノが嫌いなのだよ」)

 他の女子との交際を避けるための発言に違いない。思えば、今日集められた者達は、みんな男だった。

 彼女は自分に自信が無かったのだ。告白して振られて、関係がゼロになってしまうのが怖かったのだ。だから彼女は、友達のようで恋人のような、友達以上恋人未満のような、そんな曖昧な関係を望んだのだ。

彼女の手の甲の劣傷が、彼女自身の強い意志を表している。

「……全く、とんだ恋の駆け引きもあったものだ。無茶で無謀で回りくどくて、正気の沙汰じゃあないよ。でも……そんな君だからこそ、伝えたいセリフがある」

 俺はノートを見開きに、彼女の眼前へかざした。これで、彼女の表情は見えない。

「四〇ページ。全行」

俺は顔が赤くなることを自覚しながら、そのセリフを叫ぶ。

 俺たちの物語を、始めるために………!


「あなたが好きです。付き合ってください!」


「…………」

 彼女は何も言わない。俺はゆっくりと、ノートを下ろして、彼女の顔を見た。

 それはそれは、幸せそうな、満面の笑顔で満ちていた。

 ……おかしいと思ったんだ。こんな普通の俺に、こんな変人が寄り付くわけが無いんだ。蓋を開ければ、恋に一途で一生懸命な、『普通』の女の子じゃないか。

 惚れた理由は、それで十分だった。

「………主人公なら、もう少し気の効いたセリフにしてよね……バカ……」

 彼女は目じりにうっすらと涙を浮かべて、素の言葉で言うと、俺の胸に抱きついた。

 俺は彼女を覆うように受け止める。激しい心臓の鼓動がいつまで経っても鳴り止まず、

夏の風が赤く火照った頬を撫でるように流れた。


 こうして、俺は恋愛物語の主人公になった。


【後】


 晴れて主人公となり、語り部の地位を獲得したこの俺であるが、今となってはそれも無意味なものであると思わざるを得ない。まさに、後の祭りだ。

「はい。コレ」

 昼休みの学校の屋上。彼女は可愛らしいナプキンで包んだ弁当箱を、俺に手渡した。

顔にそばかす。まつげはそれほど長くない上、二重瞼でもない。大きな眼鏡をかけていて、傍目には決して美人とはいえない女の子。もちろん、胸にふくらみがある。

 菊咲礼。俺の彼女だ。

 普段は地味な格好をしている彼女だったが、好きな男の前では格好つけたかったらしい。そばかすは薄めの化粧でぼかし、付けまつ毛をして、コンタクトをつけていた。驚くことに、彼女は整形なしで二重瞼を作ったのだとか。最近の女性の努力には驚かされる。

 どうりで誰も、彼女を知らなかったわけだ。変装するのとしないのとで全然違う。それでも俺は、素のままの彼女と付き合いたかったから、格好つけるのをやめさせたのだった。

俺は「サンキュ」とお礼を言ってそれを受け取り、コンクリートの床の上に座った。弁当は二重構造。ナプキンを解いて、それぞれ蓋を開けた。

 一方はカレーライスで、その横に『福神漬け』が置いてある。もう一方のおかずが入った弁当箱は、まるで『亀』の甲羅のような仕切りで、八つに分けられていた。

 ………初めて弁当を作ってくれたと思ったらコレか。気が効くというか、洒落が効くというか………。

「どう? おいしい?」

 彼女は頬を膨らませた俺の顔を覗くようにして、感想を求めた。

「ああ。おいしいよ。」

 なんせ一ヶ月も特訓してできた成果だ。不味いなんていったら、そいつは人間じゃない。

 彼女は自分の弁当を食べながら、時折俺の顔をチラリと見て、幸せそうに微笑む。あどけないその表情は、美人でなくても心奪われるようだ。

食べ終えて、彼女はティッシュで俺の口の周りに付いた汚れを拭く。少し気恥ずかしい気持ちもあったが、幸い周りには誰もいない。

「……なあ。なんでこんな俺を、好きになったんだ?」

 唐突に、俺は聞いてみた。自分で言うのもなんだが、俺はあまりにも特徴が無く、魅力が無い男だ。特に、『設定萌え』である彼女にとっては、ゴミ同然のようなものだろう。

しかし、彼女はキョトンとした後、微笑みながら言った。

「人を好きになるのに、理由なんかないよ。」 

…………つまりは、一目惚れということか。確かに、それが正しい恋愛なのかもな。

俺たちの恋愛物語は、おそらく普通に展開していくだろう。劇的な事件や修羅場も無く、恋は実っていくだろう。または、元カノとそうだったように、自然消滅するかも知れない。世界一つまらない物語が始まるだろう。

 でも、それがどうしたというんだ?

 幸運もない代わりに、不幸もない。『普通』であることほど、素晴らしいことは無いじゃないか。俺は今になって、ようやくそのことに気づかされたのだった。

「ねえ。私達。付き合ってから二ヶ月以上になるよね……?」

菊咲は自分の弁当箱を閉じると、モジモジとして顔を赤く染め上げていた。

「普通だったら………アレ。しても、いいんじゃ、ないかな………?」

 上目づかいで、言いにくそうな言い方をする。俺は当然、直感した。くそっ。先に言われてしまったのが悔しいぜ。

「あ、ああ。そう……かもな……」

 クールに努めようとしたが無理だった。やっぱり主人公みたく、格好よくはいかないな。

 俺たちは向かい合い、見つめあった。

そして、さながら脇役のごとく、見栄えのしない不恰好な形でもって、絵にならないような必死の表情で。


 俺たちは初々しい、キスをした。


どうでしょう?

ブログ小説もやってますので、興味があればどうぞ↓

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