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化け猫の恩返し

作者: 明川荘助

 鶴の恩返し。

 何て事が起こらない物か。ふと思い、そして何を馬鹿なことを考えると自嘲した。最近、日々の生活が上手くいかない。仕事では失敗を繰り返し、プライベートでは二年付き合った彼女に振られたばかりだ。

 去り際に元恋人が放ったビンタの痛みが、未だに忘れられない。こちらが振ったのならまだしも、振られた挙句に何故平手打ちをされなければならない? 別に喧嘩をした訳でもない。ただ、もう二度と会いたくないから別れてと一方的に言い放ち、挙句にビンタをして去っていった。

 当初は振られた理由が分からなかったが、今考えれば思い当たる事はある。仕事が上手くいかない所為で、近頃の自分はどこか卑屈になっていたとは思う。それで愛想が尽きたのだろう、確証は無いが。結局、相手の本意が分からない時点で、振られるのも当然かと納得する。

 自分を変えようとする気力も湧かず、ただ漠然と何か良い事でも起こらないかと思いながら、僕はTシャツにジャージ、サンダルという適当な格好で夜道を歩いている。近頃、随分とお世話になっている酒をコンビニで買った帰りだった。

 時刻は午後十一時。人通りは殆ど無い。日中は三十℃を越えるが、夏に入ったばかりのこの時期は、深夜ともなれば大分涼しい。少し湿ってはいるが、頬を撫でる風は心地よかった。

 そうして、第三のビールを片手にふらふらと歩いていると、差し掛かった公園の入り口で黒い塊を見つける。なんだろうかと近付くと、黒い塊はぐったりと地面に伸びた猫であった。

 出かけに見た記憶は無く、僕が買い物から戻る少しの間に来たのだろう。

 僕は獣医でもなければ、猫を飼った経験も無いため、この猫がどんな状態であるか正確には分からない。しかし、良い状況でない事は確かだ。殆ど呼吸をしていない。

 本当に気まぐれであった。

 普段の僕ならば申し訳ないと思いながらも、見捨てていただろう。自分の事に手一杯で、他に気を払っている余裕なんて無いから。

 ふと、だから彼女に振られたのだなと、今更ながらに思う。

 まあ、今それはいい。

 僕はコンビニ袋を肘に掛けると、猫を両手で抱え上げた。弱った様子の割には、ずっしりと重さがあり毛並みも悪くない。

 1Kの賃貸アパートには直ぐに到着した。普段仕事で重い物を持たないため腕が疲れたけど、道中で猫を落とすことも無かった。

「さてと、どうしたものか……」

 部屋に入った僕は途方に暮れる。猫を飼った経験はない。連れ帰ったものの、何をして良いか分からなかった。時間も時間なだけあり、獣医へ連れて行くことも出来ない。そもそも、近くに動物病院があるのか、動物病院に夜間診療自体あるのかすらも知らない。

 取り敢えずクッションの上へ猫を寝かせると、買った物を冷蔵庫へ入れるためキッチンへ向かう。もやしと調味料しか入っていない寂しげな冷蔵庫の中へ、ツマミと第三のビールを適当に押し入れた。

「ビールを飲みたいもんだ」

 第三のビールを手に取り独り言つ。僕はしがない一サラリーマンだ。年も二十六歳と会社では若手にカテゴライズされ、給料も大して貰える訳ではない。コンビニで定価のビールなど、そう買えるものではなかった。日々の晩酌には第三のビールが限界である。

 別に大金持ちになりたいとは言わない。けど、好きな時に欲しい物を、貯金を気にせずに買える財産は欲しい。

「空から金でも降ってこないかなぁ……」

 他力本願どころか、ありえない願いを本気でしてしまう辺り自身で駄目人間だと思う。

 僕は第三のビールに口を付けながら、部屋へと戻る。改めて思うが、部屋の中は暑い。外は大分涼しくなっていたが、締め切っていた部屋は熱を持っていた。エアコンのリモコンを手に取ると、スイッチを入れた。暫くして涼しい風が僕の体を撫でる。文明の利器万歳、だ。一瞬で快適空間が作れるのだ、エアコンを発明した偉大な先人様々である。僕は思う、学校の授業で学んだ世界の偉人などより、エアコンを発明した人の方がよほど尊敬できるし偉大だと。

「うーむぅ……」

 と、不意に自分以外の声が聞こえて僕は目を瞬かせる。一体どこから聞こえたのだろうか? 部屋には僕しかいないし、アパートの壁は厚く隣部屋の音はまず聞こえない。一体……?

「寝心地が悪い、安物か……」

 クッションに寝ていた猫がのっそりと顔を上げる。

 声はそこから聞こえていた。

「なっ……、えっ?」

 僕はポカンと情けなく口を開けながら猫を見つめた。

 酔っているための幻聴だろうか? いや、確かに声は聞こえた。それも二回もだ。鈍った頭での聞き間違いとは考えられなかった。

 ただ唖然として猫を見つめていると不意に目が合った。クッションの上の猫は目を細めて僕を見つめたかと思うと、おもむろに口を開いた。

「貴殿が私を連れて来たのか?」

 間違い無い、確かに猫が喋っていた。

 僕は猫の問い掛けには答えられず、ただ驚き目を瞬かせるばかりだ。

 余計な事をすると碌な事が起きない。という考えがモットーの僕だが、やはり普段と違う事をすると思いもしない事が起きる。

 不思議と猫に対して不気味さは感じなかった。

 それが酔いのせいなのか、それとも猫があまりにも自然に、彼女自身が当たり前のように話している所為なのかは分からない。

 ちなみに彼女と猫のことを呼んだけど、僕が勝手に呼んでいるだけだ。猫の声は中性的で、性別の判断がつかない。何となく女性(この場合は雌か?)のように感じたので、便宜的に彼女ということにした。まだ猫は二言しか発していないけど、その声の中に威厳のような物が感じ取れた。

「驚く気持ちは分かるが、質問に答えてくれないだろうか?」

 猫が何処か呆れた様子で僕を見つめる。

「あ、ええと、連れて来たのは僕です。体調が悪くて倒れているようだったから……」

 反射的に敬語で話してしまう。会社で上司と話しているような気分だった。

「ふむ、そうか。ただ気持ちよく寝ていただけだったのだがなぁ……」

「あっ、そうだったんですか、その、すいません……」

 公園の入り口付近で伸びていたのは、単に温かなアスファルトが気持ち良かっただけらしい。心配して損をした、とまでは思わないものの少し拍子抜けしてしまう。

「いや、勘違いではあるが、貴殿の親切心には敬意を払っておこう。近頃は倒れた生物がいても、見て見ぬ振りをする人間ばかりだからな」

 そこで猫は一度起き上がると、大きく伸びをしてからクッションに座りなおした。

「さて、それよりもまず、貴殿が疑問に思っている事に答えようか。私が人語を解している事からも、普通の猫でないことは分かっているだろう。そうだな、これを見れば話が早いか」

 猫が尻尾を見せ付ける。

「えっ! それはっ……」

 一本だと思っていた尻尾が二本へ増えていた。日本人ならば知っているだろうそれを見て、猫が何者なのかを理解する。

 ニヤリと牙を見せ付けるように猫は笑う。

「お察しの通りだよ。そう、私は君等が言う所の猫又、妖怪さ」

 その言葉に僕はごくりと唾を飲む。薄気味悪さは相変わらず感じないけど、それでも身を構えてしまう。

 猫又。

 日本に伝わる妖怪の一種だ。諸説はあれど、長生きした猫がなる妖怪だと僕は認識している。人肉を好み、夜な夜な人を襲うという、という伝説もある。

「なに、そう警戒してくれるな。別に貴殿を獲って食うつもりもない。大方、伝承にある人を襲うという事で警戒しているのであろう? 先に言っておくと、私は人を襲わん。人間なぞ不味くて食べられないからな。鳥や魚の方が余程美味い。不味くて狩るのも面倒な人間など、わざわざ襲わんよ。猫又は皆そうさ。人を襲うなど、自意識過剰な人間が作り出した虚言よ」

 一通り説明を終えると猫は不敵な笑みを引っ込め、もう関心をなくしたといった風にクッションの上に再び横になった。

 取り合えず、その正体と、こちらに危害を加える気がない事は把握した。気持ちを落ち着けるため缶の中身を口に含む。何で人肉の味を知っているんだという疑問は、深く考えない事にした。

「……えーと、なんて呼べばいいんだろう。猫又さん、でいいですか?」

「生前の名も忘れた。今の私を名前で呼ぶものも居ない。好きにするが良いさ」

「それじゃあ猫又さん、えーと……」

 訊きたい事がありすぎて、何から尋ねていいか分からずに一度言葉に詰まる。

 結局僕の質問は、何故最初にそれを選んだのかと、我ながら理解に苦しむものであった。

「ええと、あなたの性別は何ですか?」

 他に訊く事があるだろうに、その間抜けさに自分自身で呆れてしまう。

 一瞬、呆けた後、猫又さんは面白い者に会ったと僕を見ながら目を細めた。

「初めにそれを尋ねてくるか。私をここに連れてきた事といい、貴殿は面白いな。ふむっ、興味が湧いた」

 どうも気に入られたらしい。

 僕はといえば、気恥ずかしさと自分の馬鹿さ加減に穴があったら入りたい気分であった。

「質問に答えようか、生前は雌だったよ。もっとも、妖怪となった今では性別など無いに等しいがね」

「な、成る程。ありがとうございます」

 猫又さんがじっと僕を見つめる。落ち着いた大人の様な、いや、実際長生きをしている猫なのだから僕よりも大人か。そんな大人に見つめられ、加えて猫という事で表情を読み取ることも出来ず、僕は落ち着かない気分になった。

「まだ訊きたい事があるだろうが、それは後でいくらでも答えよう。それよりも、忘れないうちに貴殿には何か礼をしないとな」

「えっ!? いえ、そんな別にいいですよ。僕は何もしていませんし、そもそも勘違いでここまで連れて来て迷惑を掛けている訳ですし……」

「何、遠慮する必要は無い。貴殿の親切心に敬意を払う必要がある。また私は貴殿の事が 気に入ったのだよ。私の叶えられる範囲で、願いを叶えてやろう」

「ですが……。いえ、本当に大丈夫ですって」

 突然礼をすると言われても、これといった願いが思いつかなかった事も理由の一つ。そして、それ以上に妖怪にお願いをする事に抵抗があった。

 昔話では妖怪や悪魔といった輩に願い事をして、ハッピーエンドとなる事の方が稀だ。

「そういう訳にもいかぬ。恩を受けたのだ、それを返さねば私の沽券に関わる。希望がないならこちらで勝手に決めるぞ。そうだな、分かり易く金銭などどうだ?」

 しかし、猫又さんも簡単に引き下がりはしなかった。

 化け猫の沽券とは何ぞやと内心突っ込みを入れる。

「いえ、ですから……」

「なんだ、金銭に興味は無いのか。うむ、その清貧をよしとする心、ますますもって貴殿を好きになったぞ。……そうだな、他の願いか。消えて欲しいと思っている人間を消すことも出来るぞ。例えば、貴殿を振った恋人とかな」

 ニヤリと牙を剥いて猫又さんは笑う。

「い、いや、そんな別に僕は! 本当に大丈夫ですって」

 何故分かれた恋人とのことを知っているのだろうか? いや、それともただの偶然?

 いずれにせよ、背中に冷たいものを感じ、ぶるりと僕は身を震わせる。

「くくくくっ、冗談さ。すまんね、貴殿の様な者を見ると、ついからかいたくなってしまうのだよ」

 猫又さんが楽しそうに笑う。

「じょ、冗談がきついですよ……」

 僕は乾いた笑いしか出なかった。

「しかし、本当に何も願いが無いのか? 無ければ分かりやすく金銭という事になるが」

 あくまで猫又さんに諦めるという選択肢は無いらしい。

 例えば、出来るかはともかく明日の天気を晴れにして欲しいといった、適当な願いをして誤魔化す事も一瞬考えたが、中途半端な願いは却下される気がして、僕は猫又さんの申し出通りお金をお願いしようかと思った。

 しかし、それを頼む前に確認しなければならない事がある。返答次第では、断固拒否するつもりである。

「お金をお願いするとしたら、どこから持ってくるんですか? 銀行とかからなら問題になります、もし人の物を持ってくるのでしたら遠慮しますが」

 出所が気になった。

 もし猫又さんが魔法のようなもの……、いや妖怪だから妖術になるのかな? ともかく、不思議な力でお金を作り出すといった事をするのならば良いのだが、どこからか盗ってくるというならば問題だ。

願いをしたならばそれなりの対価を払わなければならない。物語ではありがちな事だ。僕が何かを頼んだ所で、どんな見返りやしっぺ返しがあるか分かったものではない。

「安心するが良い。盗みなどせぬ。世の人間達や、その社会に迷惑はかけない事を誓おう。お金は正真正銘、盗んだものではなく貴殿の物だ。心配ならば私が金銭を持ってきてから数日ここにいようではないか。その間、ニュースにならなければ貴殿も納得するであろう?」

「まあ、それならば……」

 猫又さんがそこまで自信を持って言うのだから、信用してもよさそうな気はした。

 どちらにせよ、僕に断るという選択肢は無いのだ、僕は化け猫にお金を持ってくるよう頼んだ。



 三日後。

 はたして、猫又さんが言ったとおりであった。

 この数日間、仕事の合間もニュースサイトを確認していた。しかし、銀行やら豪の家やらに強盗が入ったといった、大規模な盗難のニュースは国内外を問わず流れなかった。表に情報が出てこない非合法な組織から盗んできたという可能性が無い訳ではないが、猫又さんの盗みはしないという台詞を信じるならば、それは考えすぎだろう。

 つまり、猫又さんはどんな妖術を使ったのかは分からないが、お金を生み出したのである。俄かには信じられない、けれども目の前で結果を見せられたのだから、納得するしかない。

 猫又さんが持ってきた金品の総額は驚くべきものだった。それは優に100億円を超えていた。朝、目が覚めると部屋の片隅に大きなトランクが数個あり、その中に札束と金塊がぎっしりと詰まっていた。僕の驚き様は説明しなくても想像が付くだろう。

 猫又さんといえば僕が驚愕している様子を見て、声を出して笑っていた。

 現在それらは、クローゼットの奥にしまいこんである。全てを銀行に預けるわけにもいかない。一般的なサラリーマンである僕が、ある日、口座に100億も振り込んだら、いや、その1000分の1でもそうだろう、怪しまれるに決まっていた。

「おや、お帰り」

 僕はビニール袋を片手に仕事から帰ってきた所だ。そんな僕に猫又さんが声をかけてくれた。人間ではないが、帰った時にお帰りと言ってくれる存在は有難い。

 ビニール袋には僕の夕飯であるコンビニ弁当と、猫又さん用の猫缶が入っている。

「折角、自由に使えるお金が大量にあるのだ。もっと良い物を食べればよいのではないか?」

 そう言いながら、猫又さんは皿に盛られたコンビニで最も高い猫缶の中身に噛り付いた。口を動かすたびに首についた鈴がちりんと涼しげな音を立てる。この鈴は先日僕が猫又さんへ贈った物だ。女性である猫又さんへせめて何かお礼としてアクセサリーでもと思い、買ってきた。鈴でいいものかと悩んだけれども、猫又さんはそれを気に入ってくれたらしくこうして身に着けているわけだ。

「いやまあ、突然豪勢な生活をしろといわれても、庶民生活が染みついてますからなかなか難しくて。ああ、でも今日は贅沢をしましたよ。買ったお酒はビールです」

 僕は笑いながら弁当の包装を解くと、蓋を開け割り箸を割った。ちなみに僕の夕飯も、コンビニでは最も高い牛焼肉弁当だ。

「難儀な事だ……」

 僕の貧乏根性に嘆息しつつ、まあ、直ぐに変わるだろうさ、人間の適応力は凄まじいものがあるからなと猫又さんは続け、話もそこそこに食事に集中する。

 暫くの間、二人……猫又さんを一匹と数えるのは違う気がした。二人の食事の音と、テレビで芸人が笑っている声、そして鈴の音が部屋の中に響いた。

「所で、私の言った事が間違いではないといい加減分かってもらえたかな?」

 猫缶の中身を食べ終わった猫又さんが徐に口を開く。

「ええ、正直初めは半信半疑でしたけど、三日経っても何もない事を考えると信じられます。いや、本当にありがとうございます」

「何、貴殿に世話になった礼なのだから、気にする必要は無い」

「いえいえ、本当にもう何とお礼を言って良いのやら」

「それならばビール以外に使い道を考えてくれ。文字通り宝の持ち腐れでは勿体無い。正しい使い方をしてもらってこそ、私も用意をした甲斐がある」

「ですから、こうお弁当も、猫缶も一番良い物にしましたし」

 くすくすと僕は笑いながらビールを口へ運ぶ。

「まずコンビニ以外での買い物を覚える必要があるな、貴殿は」

出会った当初は猫又さんに対して緊張していたけど、今は大分慣れてこんな軽口を叩けるようになった。

「それにしても人と話すのは久しぶりで、楽しいものよ」

 食事を終えた猫又さんは顔を洗い大きなあくびをすると、ここ数日で自身の席となったクッションの上へ横になった。

「あまり人間とは関わらないのですか?」

 まだ食事中の僕は口をもごもごさせながら猫又さんに問いかける。

「昔は関わりもしたが、ここ最近はあまりなかったな」

猫又さんが言う、昔、ここ最近が何年前の事を指すのか分からないが、そこは気にせずに僕は更に質問をした。

「何でですか?」

「簡単なことさ、話す機会が無いのだよ。普通の人間ならば喋る猫など気味悪がって逃げだすか、追い払おうとして、ろくに話すことも出来ない」

 台詞途中の「普通」部分を強調した様に聴こえたのは多分、気のせいではないと思う。

「ああ、成る程」

「ふっ、成る程の一言で片付けてしまうか。やはり面白い人物よな。貴殿と出会え、私は本当に気分がよい。どうだ、もう数個ならば願いを叶えるぞ? この前は私が決めたが、何か願い事はあるだろうさ。遠慮なく言うがいい」

 驚いた事に、猫又さんはさらに僕の願いを叶えてくれるという。

 前は願いをキチンと叶えてくれるか半信半疑であったし、また急に願い事を思いつかなかったからお金を頼んだ。けど、今は何個か願いがある。この三日間、猫又さんが犯罪を犯さずに願いを叶えてくれると分かってからは、あれを頼めば良かったと、思いを巡らすことがあった。

 僕は弁当を食べ終わると箸を置き、口の中の物を飲み込んでから猫又さんに問い掛けた。

「ちなみに形の無いものを頼むことは出来るのですか? 例えば、そうですね、極端な話、内閣総理大臣の地位を得るとか?」

 願い事をする前に、ルール的なものを確認をする。

「形の無いもの、というのは難しいな」

 猫又さんは僅かに顔をしかめた。

「では、叶えられるお願いは、物品だけという事になるのですか?」

「いや、形の無いものを用意することも可能ではある。しかし、先の総理大臣にするなどの、大勢の人間に影響が出るものは難しい。私は妖怪であり、神ではない。貴殿が、全人類の王になりたいと願ったとして、その場合人類を洗脳したりする必要があるのだろうが、そういった事は出来ない。私の能力を超えているからな。そうだな、やはり物品の用意が叶えられる事になるな」

 という、猫又さんの説明であった。

 まあ、別に総理大臣になりたいと思っていた訳ではないけど、気にはなったから訊いてみただけだ。

さて、そうした時に僕は叶えたい願いがあった。僕自身の手でどうにか出来ない事も無いが、猫又さんの力を借りればとても用意に事が進む……はずだ。

 僕は100億円という大金を手に入れた。それだけのお金があれば欲しいと思う『物品』は手に入る。これ以上、お金で買える物を頼む必要は無い。

 そしてそれは猫又さんに「物」以外のものを頼む事に繋がる。

 僕の願い、それは……。

「頼みたいものはもう決まっているといった顔だな。何が良い?」

「本当に俗な願いですが、いいですか?」

「貴殿が望み、私が叶えられるものなら、高貴だろうが俗だろうが関係ないさ」

「では、僕は恋人が欲しいです。容姿、器量をかね揃え、何より大切なのは僕の事を好きになってくれる、そんな人が」

 僕の願いは何の事は無い、彼女が欲しいというものであった。

 さっき猫又さんは大勢の人間に影響を与えるようなことは出来ないと言っていた。だから、実際にハーレムを実現するという願いはきっと難しいだろう。けれども、人一人を用意するというのであれば周りの人間に与える影響も少なく、それはつまり実現可能なのではと僕は考えた。

 別れ際に平手打ちをくれた、件の彼女と別れてから半年が過ぎていた。ここ最近はろくな事が起きず、いい加減心の拠り所が欲しかった。猫又さんから貰ったお金で、彼女を作る事は容易いだろう。けれど、それは僕ではなくお金を目当てにしているだけの彼女であって、僕が望む関係は得られない。お金の力だけではどうにもならないものを得る、それが僕の願いだ。

「どうでしょうか、難しいですか?」

「いや、実現は可能だ。貴殿がそれでいいのならばな」

 ニヤリと化け猫が笑う。呆れているのか、嘲笑っているのか判別はつかない。

「……人として情けないというか、最低なお願いをしている事は重々承知していますが、構いません。お願いしますっ!」

「ふっ、潔し。それもよかろう。いやいや、私に物品以外を頼む、貴殿の判断はある意味正しい。先日用意した金銭でいくらでも物は揃う。それ以外を頼むという事は正しい。貴殿の願いは分かった。では、行ってくる。貴殿は先に寝てるが良い。明日の朝にはどうにかなるであろう」

 猫又さんはそう言うと、すくっと立ち上がり音も無くアパートのドアまで歩いていった。

 そして迷わずドアへ向かって突き進むと、溶けるようにドアをすり抜けその姿は見えなくなった。

 僕は期待と、情けないことを頼んでしまったという自己嫌悪の両方を抱き、落ち着かない気分だった。何とはなしにテレビを見ながら買ってきたビールを全て空けると、布団の上に横になった。



 翌朝、目が覚めると裸の美女が部屋の片隅で寝ていた。

 驚きはしたが、二回目となると多少冷静でいられた。

 悪いと思いつつも、まじまじと女の人を観察してしまう。

 長い睫毛、通った鼻筋に、薄っすらとピンクの唇。髪は長く背中の中程まであった。色白で体系はスラリとしているのに、胸、尻とあるべき所に肉は付いていた。

 僕の意思とは反対に、愚息が反応してしまう。

 正直言おう。

 僕の好みど真ん中の美女だった。

 昨夜、猫又さんが僕の好みを訊かずに部屋を出た時は少し心配だったが、それは杞憂であった。これまたどういう理屈で僕の趣味を知ったのかは分からないけど、間違いなく猫又さんは理想の女性を連れて来てくれていた。

 ふと、気付くと部屋の隅でニヤニヤしながら僕を見る猫又さんがいた。

 横たわる女性は、鶴の恩返の様に猫又さんが変身したという訳でもないようだ。

「どうだい、気に入ってもらえたかな? まあ、その反応を見ると問題ないようでよかったよ」

 単に女性に見入っていた事を指すのか、思わず反応した愚息を意味しているのかは分からないけど、猫又さんは僕の反応に満足したようだ。

「この人はいったい?」

 僕は無駄な気もしつつも、冷静を装いながら猫又さんに尋ねた。

「貴殿のものさ」

「いえ、そうではなくて……」

 前回のお金を用意した方法を猫又さんに尋ねたとき、のらりくらりとはぐらかされてしまっていた。お金はまだ物であるからそこまで深く追求しなかったが、今回はそうもいかない。猫又さんが持ってきた、いや、連れて来たものは生物であり、人であるのだ。自分で頼んでおいてなんだが、人間一人を連れて来たといえば大事である。

 猫又さんは自らを全能の神ではなく、妖怪であると言った。ならば生命を生み出すといった、神様めいた技は出来ないと考えるべきだろう。そうした時に、この女性は「連れて来た」という事になるのだろうが、ではどこからこの女性を連れてきたのか、それが僕は気になった。

「この人は一体どこのだれですか? まさか猫又さんが命を作り出したわけではないですよね? ならば何処から連れて来たって訳でしょうけど、どうやって?」

「ふむっ、まあ疑問に思うのも最もか。ただ、一つだけ言わせて貰えば、彼女は貴殿のものさ、なんら問題ない」

「問題ないって、流石にそんな事はっ……」

「疑問に思うならば、本人に直接確かめていればいい」

 僕が抗議しようとしたその時、女性が身じろぎをするとゆっくりと目を開けながら体を起こした。

「……ここは? 私は一体?」

 一糸纏わぬ裸の状態の女性を前に、慌てて僕は視線を反らす。

「あなたは……?」

 その声は美しいほどに清んでいて、僕の鼓膜を振るわせた。

(声まで好みとは……)

 その場に相応しくない事をふと思ってしまう。

 僕の内心には気付く訳も無く、女性がじっとこちらを見ている視線を感じた。僕は何か言わなければと口をもごもごと開く。

「あー、えっと、何と言ったら良いものでしょうか……。ここは僕が住むアパートで、えーと目が覚めたら貴女が僕の部屋にいて……」

 しどろもどろになりながら事実を述べる僕だが、傍から聞けば頭の可笑しな人間の戯言にしか聞こえない。

 もっと何かいい事は言えなかったのかと、自己嫌悪してしまう。

 女性からすれば現在の状況は、目が覚めたら見知らぬ場所にいて、そして目の前に知らない男がいる。

 人攫い? お持ち帰り?

 普通はそれら単語が、頭を過ぎるだろう。

 しかし、困惑をしてもよいものだが、女性は悲鳴一つ上げなかった。

 僕としては助かった訳だけど、次の瞬間、悲鳴以上に厄介な事を言い出した。

「……あれ、私は何故ここに? 昨日の夜は何をしていて……? え、それ以上に……。以前はどこに? ……何も思い出せない?」

 ここにきて流石に女性が戸惑いの色を浮かべる。

(問題ありまくりじゃないか、猫又さん!)

 それはかなり深刻な状況だった。何て事だ。女性の独り言から判断するに、彼女は記憶喪失に陥っていた。あれ、言語は話せるから正確には記憶障害か?

 いやいや、今はそんな細かい事はどうでもいい。目の前にいる女性は以前の事を思い出せないと言っている。

「そんな、思い出せないって……。ここに来る前の事は何もですか?」

 女性自身は勿論だが僕も困惑してしまう。

「ええ、何も……」

 綺麗な形の眉をひそめながら女性は頷く。その拍子に艶やかな髪がこぼれた。

「そんな……」

 僕は途方にくれ言葉に詰まってしまう。

 この女性がどこから来たのか知りたかったが、肝心の当人に記憶が無いのであればどうにもならない。猫又さんからの答えも期待できなかった。この数日、猫又さんが持って来たお金の出所について質問しても、結局はぐらかされ続けてしまったのだ。今回の女性についても、尋ねた所で答えが返ってくるとは考えにくい。

 ふと、そこで違和感を覚える。先程から目の前の女性は困惑はしているものの、大きく取り乱すといった風ではない。普通記憶が無く、見知らぬ人間と一緒に、しかも衣服を纏わぬ姿でいたならば、多少なりとも慌てるのが普通の反応だろう。けれども、彼女は大きな栗色の瞳で、じっと僕を見つめるだけだった。その視線にまた違った意味で、僕は戸惑ってしまう。

「ええと、僕の顔に何か付いていますか?」

 問いに女性は横へ頭を振って答えると、改めて僕を正面から見据え驚いた顔をする。

「不思議。何も思い出せないけど、貴方を見ていると不安にならないの。私は貴方の事を知らないのに」

 先程から困惑はすれども警戒の色を示さなかった訳は、なぜか彼女が初対面の僕に親しみを持ってくれたからであった。奇妙で都合のいい話だとは思うけど、どうもそうらしい。

「貴方は私の恋人ですか? 私一体誰なのでしょうか? 教えてください」

 どうやら彼女は僕に感じる親しみを、記憶を失う以前の関わりから来るものと考えたらしい。

「いえ、驚くかもしれませんが、貴女とは正直な事を言いますと初対面です。先程も少し話しましたけど、ここは僕が住むアパートで、目が覚めたら貴女が僕の部屋にいたという状況です。あなたを連れて来たのはここにいる猫又さんでして……」

 そこまで言って僕は気が付く。

 いつの間にか猫又さんの姿が見えない。二人きりにしようというあの人(?)の心遣いか、はたまた猫の気まぐれかは分からないけれども、とにかく音も無くその存在がいなくなっていた。

「猫? そもそも猫なんていましたか?」

 女性がきょとんとした様子で僕に尋ねてくる。

 彼女は猫又さんに気付いていないようであった。もしかすると見えなかったのだろうか? その可能性は完全に否定できない。何せ猫又さんは妖怪だ。僕にだけ見えるようになっていた等、妖術を使っていても不思議ではない。まあ、 単に彼女が気付かなかっただけかもしれないけど。

 そして僕は途方に暮れてしまう。この状況を猫又さん無しでどう説明したら良いものか。

「ええと、信じられないかもしれませんが、その、今はどこかへいってしまいましたが猫の妖怪がいまして、その者が貴女を連れて来たんです。どこからとかは分かりません。ええと、信じてもらえますか……?」

 僕が猫又さんに頼んで、彼女を連れて来てもらったとは言わなかった。良心が痛むが真実を告げたところで、自体が更にややこしくなるだけだ。取り合えず、現状を女性に理解してもらうことが先だと判断した。

 それにしても、僕は確かに真実を告げている訳だけれども、信じて貰えるのだろうか。話が突拍子無さ過ぎる。

 けれども、僕の不安は杞憂に終わった。

「ええ、信じます」

 女性は迷う事無く首を縦に振った。

 何という事だろう。彼女は僕の常識外れの説明に、驚くでもなく、怒るでもなく、狂人と気味悪がる事も無く、ただ素直にそれを受け入れてしまった。僕としてはありがたい限りだけど、逆にそれで良いのかと思わず訊き返してしまう。

「本当に信用してもらえるんですか? だって妖怪があなたを連れて来たと僕は説明したんですよ!?」

「確かに突飛なお話だとは思うけど信じます。だってあなたに嘘をついている様子はないもの」

 彼女は静かに微笑んだ。

 その瞬間、僕は完全に女性の虜になった。いやもう、だってさ、性格も良さげでおまけに見た目も好みとか。反則でしょう。

「……信じてもらえて嬉しいです。ええと、さしあたってこれからどうしましょうか?」

「これから、といいますのは?」

 女性が小首を傾げる。

 ああ、動作もいちいち可愛くて困る。

「貴女がどうするかという意味です。自宅へ帰りたいとか、そういう感じの事です」

「……そう、ですね。やはり私が誰なのか知りたいと思います。記憶はありませんので何か持ち物から判断できれば……!」

 そこで初めて女性は自分が一切の衣服を纏っていない事に気付いたらしい。今更ながら慌てて手で胸と局部を隠し、頬を赤らめる。

「見ましたか?」

「……すいません」

 女性と話す時はなるべく視線を下げないよう話していたけれど、僕が今朝目覚めた直後はしっかりとその肢体を見ていただけにばつが悪い。

「もうっ」

 女性は少し怒って、照れた表情を浮かべた。けれども不快感は持っていない様だった。

 取り合えず僕の服を着てもらい、一度落ち着いた。

「本当にごめんなさい、ええと……」

 そこで僕ははたと気付く。

 そういえば、まだこの女性の名前を知らなかった。

「あの、名前を窺ってもよろしいですか?」

「名前、ですか……」

 女性の表情が少し曇る。

 そして僕は自身の間抜けさにうんざりした。目の前の女性は記憶が無いと言っていた。ならば名前も思い出せない可能性が高い。だというのに、僕は何を訊いているのだろうか。

「あ、いえ、すいません、その、思い出せないんですよね。今の質問は気にしないで下さい」

「……鈴音」

「え?」

「名前です。苗字は思い出せませんが、名前は出てきました。確か……そう、確証はありませんが確か私の名前は、鈴音と言います」

 静かだが、しかし鈴の様に良く通る清んだ声色で、目の前の女性……鈴音さんは名を告げる。成る程、彼女に良く合っている名前であった。

「お願いがあるのですが」

 鈴音さんがじっと僕を見つめてくる。その目には少しの不安と期待があった。

「記憶が戻るまで、私をここに置いて貰えないでしょうか?」

 その言葉に大きく驚きはしなかった。

 突飛なことが続いたから、感覚が麻痺してきた訳ではない。

 予感があったんだ。

 それはこの短い鈴音さんとのやり取りの中で、僕が感じた、恐らく彼女も感じているであろうもの。

 陳腐な言い方をすれば運命。

 そういったものを、僕は感じていた。出会い方はとてつもないけど、それも含めてこの人と出会った事は運命であり必然だったと思える。

 彼女の申し出を断る理由など無い。

 そして鈴音さんと僕は一緒に暮らすことになった。



 あの日から三十年が経った。

 私が言うあの日とは勿論鈴音に出会ってからだ。

 その後、彼女の記憶が戻る事は無かった。彼女の身元を判明させるための努力もしたが、それも空振りに終わり遂に鈴音の身元は分からず終いだ。

 自身の正体が分からない事に多少落ち込んだりもしたが、鈴音は元気だった。それは彼女の持ち前の前向きさと、私が心の支えになれたからである。これは自惚れではない。彼女は心底私を惚れ込んでいた。

 私と鈴音は夫婦となった。彼女は身元不明なため、戸籍上の正式な結婚はしていないが。

 今、彼女は家で私の帰りを待っている。

 一方の私といえば、あの猫の妖怪に貰った資金を元に会社を設立し、多くの利益を上げていた。また会社を設立してなお余った資金で投資を行い、その額を順調に増やしていった。

 有名ではないが、今や日本有数の資産家だ。三十年前にただのサラリーマンをやっていたとは思えない転身ぶりだった。

 私はベッド脇に置かれたテーブルからヴィンテージワインが注がれたグラスを取り、液体を口へ含んだ。熟成され味の深みが増したワインは何と美味なことだろうか。その昔、コンビニの安酒で喜んでいたが、今考えると信じられない事であった。

 本当に猫又様々である。

 私は今、出張先のホテルにいる。直ぐ隣には一切服を纏わない女性がいた。

 所謂、愛人というものになるが、唯の愛人とは訳が違う。初めてこの女性に会った時に私は衝撃を受けた。出会った時の鈴音にそっくりであったのだ。その容姿、性格、よく妻に似ていた。流石に名前まで同じとはいかなかったが、私は彼女との出会いにも運命を感じた。名前をこま子と言う。

 私は当然のように彼女に惹かれ、彼女も私に好意を示してくれた。後は言う必要はないだろう、不実な関係となるまで時間はかからなかった。別段、鈴音との生活が上手くいっていないわけではない。ただ、それとは別に体の奥底から出てくる衝動を抑えられなかった。それは単なる性的な欲求だけではない。鈴音と出会い、彼女の身元を調べるために奔走したあの頃。会社を立ち上げるために忙しなかったあの頃。全てが大変であったが、安定した今にはない充実した日々だった。この愛人と一緒にいると、昔を思い出す事が出来た。

 罪の意識は勿論ある。

 だが、それ以上に在りし日の充実感と快楽を思い出させてくれる不実を止める事が出来なかった。

 こま子の乱れた髪を撫でながら、ふと、かの化け猫は元気だろうかと思う。

 その後も、猫又氏とは関わりがあった。

 鈴音を連れた後に姿を消した彼女だが、数年後にふらりと私の前に現れた。その時は二、三日家に滞在し、直ぐにどこかへ行ってしまった。そしてまた、思い出した頃に姿を見せた。

 妖怪になれども猫は猫であるらしく、その行動は本当に気まぐれだ。一年おきに姿を見せたと思えば、数年姿を見せない事もあった。もう私の事を忘れたのかと思えば、突如顔を見せたりした。

かく言う近年も、ここ四年程その姿を見ていない。

 以前は忙しい毎日の中で猫又氏を思い出すことはそう多くなかったが、近頃は若い頃の鈴音に似たこま子といる所為か、化け猫を気にかける回数は多い。


 りん。


 噂に影がさす。

 鈴の音と共に件の化け猫が姿を現した。その首には相変わらず私があげた鈴が付いていた。

「やあ、今晩は。今宵は月が美しいな。久しぶりだ、息災かい? おやっ、これは失礼、妙なタイミングで会いに来てしまったようだ。お取り込み中かな?」

 相変わらず人間くさい仕草をする猫であった。化け猫はにやりと悪戯っぽく笑う。

 わざとこの時間に現れたのか、私には分からない。まあ、猫又氏の事だ、わざとな気もする。が確証は無かった。

「お久しぶりですね。今はインターバルです、お気になさらず」

「おやっ、それなら良かった。いや、少し残念かな。貴殿が励む姿を観察するのも悪くない」

 にやにやと意地の悪い笑みを化け猫が浮かべる。

「勘弁して下さい。人に見せる趣味はありませんよ」

「人ではないがな」

 そこで私等は笑いあった。

 一頻り笑った後に猫又氏が言葉を続ける。

「貴殿が息災なようで何よりだ」

「猫又さんこそ相変わらずお変わりが無い様で安心しました」

 その言葉には偽りはない。最後に会った時からその姿は変わっていなかった。まあ、当たり前の話ではある。相手はなにせ人外の化け物だ。不老故に姿形が変わる訳も無かった。

 それを羨ましくも思う。私といえば、実年齢より若く見られる方だが、それでも老いは感じる。顔には幾重にも皺が刻まれ、体力にも衰えがある。

 ……インターバルの時間も昔より確実に長くなった。

 それはさておき、猫又氏は一体どうしたのだろうか。

 時刻は午前一時。

 ここまで遅い時間の来訪は初めてだ。常ならば夜の八時から十時頃姿を現す事が多かった。今日の様に人が寝ている時間帯に来た事は無い。

 時間がただの気まぐれだとしても、少し違和感があった。

「変わった時間に来ますね? いつもならもっと早い時間ですが」

「なに、貴殿に頼み事をされたからな、そのためさ」

「頼み事?」

 はて、この化け猫は何を言っているのだろうか。

 見当が付かなかった。前回会った折に、夜遅くに来てもらうよう頼んだだろうか?

私の疑問をよそに猫又氏はするりとベッドの上へ飛び乗ると、眠るこま子へと近付いた。どうしたのだろうと訝しんだ私を余所に、化け猫はその毛並みの良い手で彼女へ触れる。

 すると突然、ふわりとこま子の体が宙へ浮かび上がった。更に驚く事に、何も無かった筈の空間に突如、淡く発光する青白の渦が現れた。

 猫又氏が派手な妖術を使う様を初めて見た。これまで見た妖術といえば、壁抜け位だ。初めて目にする人外の技に、驚きと感嘆から見入ってしまう。

 私が呆けている間に、猫又氏は無言のまま、こま子を中空に浮かぶ青い渦へと運ぼうとした。そこで初めて嫌な予感がし、私は慌てて化け猫を止める。

「ちょっと待って下さい、こま子をどうしようというのですか?」

「貴殿に頼まれた事をするだけだが?」

 何を言っているのだと呆れた様子で私に一瞥をくれると、猫又氏は再びこま子を渦へ運ぼうとした。

 意味が分からなかった。

 愛人をどこかへやってくれ等の頼みをした記憶は勿論無い。

 この化け猫は頭でも狂ったのだろうか。

「ちょっと、止めて下さい」

 私は立ち上がると、こま子の体を掴み渦から遠ざけようとした。

「私はこんな事を頼んだ覚えは無いっ」

「いや、間違いなく貴殿は私に頼み事をした。邪魔をしないでもらおうか」

 化け猫が不快そうに言葉を発した途端、私は見えない力によって吹き飛ばされ壁に体を打ちつけられた。

 その拍子に頭を打ち、急速に意識が遠退いていく。

 視界の端に宙に浮かぶこま子と化け猫の姿が入る。

 猫又は此方を見る事も無くこま子を青い渦へと入れると、自らもその中へ飛び込んでいった。役目を終えた渦は収束していき、やがてホテルの部屋に何事も無かったかのような静寂が戻る。

 薄れ行く意識の中、私は三十年前の化け猫の言葉を思い出す。

 金を、女を頼んだ時、化け物は何と言った?


 これは貴殿の物だ、と。


 出所をいぶかしむ私に、奴は確かにそう断言した。

 ああ、成る程その通りだった。

 あれらは確かに私の物だ。

 妖猫の言葉に嘘は無かった。

 そこで私の意識は途切れる。


 りん。


 闇へと落ちる直前に鈴の音が聞こえた気がした。

ここまでお読み頂きありがとうございます。

星新一の小説に影響を受けて、書き始めた話になります。

知人以外に小説を読んでもらう事は初めてなので、正直ドキドキです。

如何でしたか?

少しでも楽しんで頂けたら幸いです。


今後の参考のために、もし宜しければ感想をお聞かせ下さい。


最後に改めて、読破ありがとうございました。

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[良い点] ああ、なるほど・・出処はそこからだったのか・・。 それは確かに自分の物になるね・・。 この後、主人公はどうしたのか?お金も過去へ持っていったということなのかな・・ なんとも複雑な気持ちにな…
[良い点] 睡眠時間をガリガリ削ってくれた事。 [気になる点] 改行を入れると、より見やすくなるかと思います! [一言] 分からない。この一言に尽きる。後少しで意味が理解出来そうなんです!喉の辺りまで…
[気になる点] つまらなかった
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