4.ワンハンドレッド・クレイジーガール
屋上に立つ二人の間に、春一番にも似た強い風が吹いている。
「なんで邪魔するんですか?」
大島ハルは両の手の拳を握りこみ、声を震わせながら大介に問いかけた。
「なんでって」
大介はその後の言葉を続けられない。特に理由などない、しいていうなら不良が大島を威嚇していたからか。
意味もなく平手打ちした大島を、放っておいてもよかったのだがそれは出来なかった。
何故かはわからない。ただ暴力を振るわれそうな女の子を助けるのには理由はいらないし、気づいたら身体が動いていたから――邪魔だと言われてもどうしようもない。
「体育倉庫でもそう、せんぱいは邪魔ばっかりする」
むしろ心当たりがありません。
「大島は邪魔するやつに平手打ちすんのかよ」
はぁ、と大介はため息をつく。
「それに体育館倉庫に呼び出して色仕掛けしたりだとか、わけがわからんぞ。お前はクレイジーだな」
「あれ、は、その……」
あれ、意外な反応。
てっきり言い返されるかと思いきや、彼女はうつむいてしまった。
「あれはなに?」
「その……だったから」
大島は中々言い出せないらしく、もじもじと手遊びをしている。
「初めてだったんですよ」
「なにがだよ」
はっきりしない彼女に大介は声を荒げてしまう。大島は肩をびくりとすくめ、消え入りそうな声でささやいた。
「キス……初めてだったから」
うつむく彼女の頬は桜色に染めあがっている。その顔をみて大介は合点がいった。
――まぁ、俺も初めてだったんですけどね。
「まぁ、わかった。じゃあなんで俺を呼び出したんだ?」
「それは、私が……」
大島はうつむいた顔を上げて、大介を射るような強いまなざしでみつめた。
「誰にも言わないでくださいね。私は」
私は、不幸にならなければならないのです――。
◇◆◇◆◇◆
「不幸に……?」
それと俺を体育館倉庫に連れ込むのは何か関係があるのだろうか。
「神谷せんぱいは、POP48っていうアイドルグループをご存じですか?」
「あ、そりゃあまあ。それがどうしたの?」
むしろ知らないヤツはいないと思う。ここ最近、急激に芸能界を席巻しているアイドルグループだ。
48人のアイドルがチームに分かれて歌って踊って、イベントに行くと握手が出来たりする。巷の高校生の中で大人気のグループである。大介もそこまで詳しくないが、それぐらいは現役高校生の端くれとして知っていた。
「私の姉が、そのPOP48のメンバーなんです。大島アキって一番可愛い人なんですけど」
「ほお、すごいじゃん」
――けど、その名前は聞いたことない。
大島は大介のリアクションに満足したのか、ふふんと胸を張り誇らしい顔をして話を続ける。
「お姉ちゃんの順位を上げる為には、私が不幸にならなきゃいけないんです」
「まてまて、全然意味がわからんぞ。なんで大島が不幸にならなきゃならんの?」
それが大島に何か関連があるのか、さっぱりわからない。別に不幸にならんでも姉の努力次第じゃないのだろうか?
「かみさまと、約束したんです。私が不幸になるかわりに、お姉ちゃんを幸せにしてくださいって」
彼女は恍惚とした表情で言い放つ。
――こいつ、やっぱりクレイジーだ。
◇◆◇◆◇◆
大島が瞳をきらきらと輝かせ、教えてくれた内容は、どう考えてもクレイジーだった。
どうやら大島のお姉さんが過去に、かなり大きい交通事故に巻き込まれたらしい。
その日は昼頃に天気が急変して、一帯に豪雨……俗にいうゲリラ豪雨ってヤツだったそうだ。
交差点で真っ正面からトラック同士が衝突したときに、不運にも積み荷がお姉さんの身体を巻き込んでしまった。
当然、即病院に行き緊急手術になったそうだ。生と死の淵を彷徨っていた大好きな姉にハルは、涙を我慢してただただ祈ることしかできない。
手術は一向に終わらない。どれぐらい赤のランプだけが点灯している無機質な扉の前にいただろうか?
ふと思い出した。子供の頃に教わったお父さんの、言葉。
「ハル。もしほんとうにこまったことがあったら、かみさまにおねがいをするんだよ。ちゃんといいこだったら、きいてくれるかもね」
そういって微笑んだお父さんと、お百度参りを思い出したそうだ。
ハルは大粒の雨が打ち付ける病院の外へと傘もささずに飛び出していた。母の制止する声が聞こえたがもうストップすることは出来なかった。
行ってきなさいと、お父さんに背中を押された気がして。
◇◆◇◆◇◆
暗い、曇天の空から大粒の雨が降りしきる。
私はびしょぬれになりながらも、毎日お参りをしている氏神様が奉られている神社の石畳を踏みしめた。
別に何かを信仰しているわけじゃない、牛や豚だって食べるしクリスマスだって好きだ。
ここで早朝お参りするのは、お父さんの事を忘れたくなかったから。なんとなくだけど、縁が深い気がして毎日お参りしていた。ほんとは霊園なんだろうけど、あの無機質な墓石の数以上に人が死んでいると思ったら恐くていけなかった。
「はっくしゅん!」
身体に服がぐっしょりとまとわりついて気持ちが悪い上に、とても冷たい。間違いなく風邪を引いてしまうような気がしたが、そんなことに構ってはいられなかった。
「お百度参りってどうやるんだっけ……」
ふと思い立ってきたものの、私はお百度参りの正式なやり方なんて知らなかった。
「こーゆーのは気持ちだよね!」
とりあえず、鳥居から本堂まで歩いて二例二拍手一例を百回繰り返すことにした。
お参りをするにあたって財布を開けてみると、百円が三枚と千円札が一枚しか入っていない……崩すわけにもいかないので、この際全部入れることにした。百回分まとめてで申し訳ないが、かみさまもこれぐらいは許してくれるだろう。
財布をひっくり返して、有り金を全て賽銭箱に入れてしまう。お札も躊躇わないよ、一枚しかないけど。
――さて、と。
病院ではお姉ちゃんが頑張ってる。
アキちゃんの為なら、お百度だってお千度だってやってやるわ。だから、お願いだからお姉ちゃんを連れて行かないで。
◇◆◇◆◇◆
――私は鳥居から石畳をゆっくりと歩いて、賽銭箱がある境内に立つ。
二礼――かみさまとおとうさんに、よろしくお願いします。
二拍手――かしわ手を打つと、境内にパァンと音が響く。
両の手をひらをあわせて祈る――お姉ちゃんを連れて行かないで。かみさま、おとうさん。お願いします。
そして一礼。かみさま、よろしくお願いします。
これを百回続ける。同じ願いを百回参って、かみさまに願いの強さを知ってもらって叶えてもらう。
そんな思いを込めて、鳥居と境内を行き来する。
雨脚は一向に弱まらず、私の身体に容赦なく打ち付ける。雨は冷たくて、身体の芯から冷え切っているのを感じるのに、それでいて頭が熱くてぼーっとする。お参りも九十を超えたころから数がわからなくなってしまった。
それでも関係なかった。ただ、お姉ちゃんが帰ってきてくれれば。自分の事なんてどうでもよかった。だいすきなアキお姉ちゃんがいなくなるのは、私にとっては何物にも耐えがたいものだったから。
お父さんの時と一緒。お父さんみたいに、だいすきなひとがいなくなるのは耐えられなかった。
――ぱち、ぱち。
かしわ手を叩く音も弱々しい。それでもハルは祈った。
――私はどうなってもいいから、いくら不幸になってもいいから。お姉ちゃんをそっちに連れて行かないで。
祈りは願いへといつの間にか変わっていた。自分を犠牲にしてアキを助けられれば、もうそれでよかった。
一礼を、頭をゆっくり下げた時に身体がぐらりと傾いて天地が逆さになる。
肩を思いっきり打ち付ける、幸い段差の方に転げ落ちなかったから運がいいと思った。
「おねえちゃん、いかないで」
そう呟いた直後にハルの意識は光にのまれてしまう。
◇◆◇◆◇◆
「ってわけですよ!私って健気ですね!」
大島は舞台女優ばりに手を大きく広げて言い放った。
「いや、まてよ。その後はどうなったんだよ、お姉さんは?」
いつの間にか大介は大島のはなしに夢中になっていたが、ミステリー小説の解答編――要は『イイトコロ』だけを言わない大島についつい食い気味にいってしまう。
「超回復してー、身体に傷一つもなくてー、アイドル事務所にスカウトされてアイドルになりましたー」
なぜかつまらなそうに答える大島の顔が、ちょっとムカツク。
「雑だなおい!!それに、お前が不幸になるってどう関係あるの?」
「よくぞ聞いてくれました!」
そう言って大島は大介に指を突きつける、なぜか偉そうだ。
「子供の時に人に指をさすなって教えてもらわなかったか?」
「神谷せんぱいって細かいですね、だからモテないんですよ」
「やかましいわ、いいから教えろ」
大島はごほん、と咳払いする。
「お百度参りの後に私は重度の風邪を引いちゃいまして、たまたま来たっていうご近所さんが救急車を呼んでくれて、お姉ちゃんと同じ病院に搬送されました」
「それは本末転倒というか」
「いや、でもそのおかげで私が気づいたときにはお姉ちゃんは一命を取り留めていました」
それはすごい、でも関係あるのか?
「しかもあれだけ大きい事故だったのに、なぜか傷が残らなかったですしね。私が軽く車にひかれた時なんか、お姉ちゃんはアイドル事務所にスカウトされていました」
「お姉ちゃんはアイドル希望だったのか?」
「事故にあってから吹っ切れたようで、好きなことしてみようって芸能界に飛び込んだようです」
「思い切りがいいのは姉妹ともおんなじなのか……」
これでわかりましたか?と大島は腰に両手をあてて、えっへんと仁王立ちした。
でも、まてよ。それと俺を誘惑したのはどう関係あるのだろうか?
「大島、俺を色仕掛けしたのは?」
「町内の女を食い荒らしている神谷番長に犯されれば、不幸になれてかつお姉ちゃんがアイドルとして有名になれるかなって」
すぱーん。
大介は女子供に手を上げる主義じゃないが、こうしないといけない気がした。
頭をこづかれた大島は、「ううう」とうなり声を上げてうずくまった。
「なにをするんですか!やっぱり神谷伝説って……」
「やかましいわ!それにお前は勘違いしているぞ。俺は不良じゃないし、けんかもしないし、ましてやレイプなんてもってのほかだ!」
つーか、ファーストキスもお前に奪われたんだぞ!って心の声は飲み込む。
「信用ならないですね……」
「むしろお前の方がやばいだろ、クレイジーだ!大体信じられるかそんなこと!」
うーん、と大島は考える。普通は信じられないだろう、どうすんだこれ。
「そうだ!私が、不幸になるのを見届けてくれればいいんですよ」
は?どーゆーこと?ぶっとんだ話が続いて頭痛がしそうだ。大島は嬉々として続ける。
「せんぱいは、私のストーカーになればいいんですよ!そうして不幸になったらお姉ちゃんが幸せになるのを証明できるし、番長にストーカーされてるってのも不幸な経験値が確実にたまりそうだし!」
「誰が番長だよ!それにお姉さんが幸せになるってどうやったらわかるんだよ?数値化されてるわけじゃないし」
ちっちっちっと、得意げに指を振る大島。もう一回どついたろか。
「POP48には序列がありまして、人気が順番によって数値化されています」
「へえ、そうなんだ。ちなみに今何位なの?」
「調べますねーおお!昨日から十人ごぼう抜きして38位ですよ!せんぱいすごい!」
きゃっきゃとケータイの画面を見て喜ぶ大島は本当にうれしそうだが、何故か腑に落ちない。それに、48位って崖っぷちだったんだな……
◇◆◇◆◇◆
そしてこの日を境に大島と行動を共にすることになった。というのも、ジェントルメンとしてこんなクレイジーな奴を世にのさばらせる訳にはいかなかったからだ。
大介は不本意にもストーカーとしての第一歩を踏み出したことになる。
思い出すだけでも腹立たしいが、初めてできた女友達(?)に何故か悪い気はしていなかった。