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3.平手打ちと春の空

 彼女の瞳は怒りに濡れていた。

 思い切り振りかぶった手のひらが、大介の頬をうつ。

 衝撃と共に、パァンと乾いた音が鼓膜に響く。

「こっの、変態!!」

 変態、何のことだ。お前が勝手に脱いで、しかも俺にいきなりキスしたんじゃないか。

 俺にまったく落ち度はない。というか、お前は露出狂じゃねえか。もっというなら、こっちはファーストキスだったんだぞ!

 考えれば考えるほど、大介の怒りのボルテージはぐんぐんとあがっていく。

 変態!!変態……へんたい――。



◇◆◇◆◇◆



 「俺は変態じゃねえ!!」

 ベッドから起き上がった大介は、虚空に向かって吼えた。

 「夢か……」

 じっとりと身体全体が汗ばんでいて、気持ちが悪い。

 寝覚めは最悪だ。はっきりと覚えているぐらいの悪夢をみた。

 昨日の出来事――理不尽にも体育倉庫で思いっきり殴られた。頬の痛みはもう消えているが大介の心に傷となって残っている。

 「悪夢だ……」

 俺は頭を抱えると、昨日の事を思い出した。

 考えれば考えるほど理不尽で、大介の怒りはふつふつと煮えたぎっていた。

 早く忘れようと昨夜はさっさとふて寝したのだが、夢にまで出てきてしまった。

 「大島ハル、か」

 名前を思い出しただけでも、ムカツク。ジェントルメン?もう忘れたから。

 しかし、いやいや、とかぶりを振る。

 「こんな事だから、友達ができないんだ」

 大介は、男たるものこのような理不尽なことも受け入れてこそではないかと考える。

 それでこそ大和男児ではないのか。

 これぞ日本人の美徳、ジェントルメンの心意気。

 自分に言い聞かせて、ベッドから降り立つ。

 うーんと、伸びをする。そう考えるとすがすがしい朝ではないか?

 携帯をみると、いつもの時間だ。そろそろ学校に行かなければならない。

 「次みつけたらとりあえず叩いてやる」

 結局、ジェントルメンらしからぬ本音が口からぽろりと洩れ出た。

 この世には、水に流せないこともあるのだ。

 いや、淑女を教育するのもジェントルメンの努め――そう思えばなんてことはない。彼女も改心するはずだ。

 時刻は、二時限目の数学の始まりを告げていた。



◇◆◇◆◇◆



 「おはよう」

 大介が教室の扉に手をかけたのは、二時限目が終わった直後だった。

 休み時間とあってか、教室は授業から解放されたクラスメイト達で騒がしい。

 俺が登校しても一瞬目を向けるだけでさして変わらない、いつもの風景。

 この景色にもなれたものだ、まぁ逆に遅刻をとがめる奴がいないので気楽と言えば気楽だが。

 「おっせーよ大介!」

 席に着いた俺に気づいたのか、サトシは見つけるやいなや俺に声をかけてくる。

 これも、いつもの風景。

 「うるせえよ」

 そう返すと、サトシは俺の席にくるなり肩を組んでこういった。

 「なぁ、昨日のアレ聞かせろよ」

 ああ、来ると思った。

 「昼飯、奢ってくれるならいいぜ」

 普通に話すのも癪だから、吹っかけてせいぜい期待させてやろう。それにあんな事を話すなんて、屈辱以外の何物でもない。

 ――大島ハル、次見たらスカートをめくってやる。退学だな。

 ぎゅう、と首が絞まる。無駄に厚い二の腕が俺の首に食い込む。

 「おいおい、期待しちゃうぜ」

 ぐいぐいと食い込む二の腕に息が出来ない、ゴリラめ。

 かろうじて腕を叩いてギブアップの意思を伝えると、あっさり解放された所で予鈴が鳴る。

 「んじゃあ食堂でな!」

 一言文句をいってやろうと思ったところで、三時限目の先生が教室に入ってきた。

 この恨みは食堂の人気メニューである、カツカレー大盛りで水に流そう。もちろん食後のデザート付きで。

 これこそ、ジェントルメンの心意気だ。

 大介が一人ごちていると、担任の授業を始める号令を告げたので、ゆっくりと起立した。



◇◆◇◆◇◆



 お昼休みの食堂は戦争だ。

 食堂は購買と併設されている為、お目当てのパンを買うためにかなりの賑わいを見せる。

 10分以上過ぎると残されるのは、味気のないコッペパンのみ。入学したての時は勝手がわからずよく敗者になっていた。

 しかも購買のパンは、近くの美味しいパン屋から出来たてを卸されるので買うものは後を絶たない。

 特に焼きそばパンといったらもう神がかり的なおいしさだった。話すと長くなるので割愛するが。

 その戦争を尻目に、俺とサトシはテーブルに向かい合って座る。

 休憩時間にサトシに首を絞められた慰謝料と、かつ昨日あったことを話すということで、カツカレー大盛りを奢らせる事に成功した。

 デザートは協議の結果、妥協することにした。俺って優しいな、ゴネにゴネたけど。

 サトシも同じくカツカレー大盛りだが、ご飯がやたら盛られていて、カツも俺より一切れ多い。この格差は部活動で培ったライフラインだろう。食堂で顔見知りになるとおまけしてくれる、よくある話だ。

 「んで、どうだったの」

 サトシはご飯の山を崩しながら話しかける。やはり気になっているみたいだ。

 「まぁ、端的にいうと殴られた」

 カレーを口に運ぶと、スパイスの良い香りが鼻腔を刺激する。

 食堂のカレーは本格派というより、万人受けする甘めでどろりとしている家庭の物だ。

 絶品というほどではないが、これはこれで味がある。好きなタイプのカレーだ。

 「やっぱり恨みを買っていたか」

 サトシはカレーを食べる手を止めずに、さも当然のようにいいはなった。 非常に気にくわないゴリラだ。

 「ちげえよ、まあ聞けよ」

 俺は昨日あった事をある程度話す事にした。

 サトシには悪いけど、裸でファーストキスまで奪われた。なんて事はいえないのでそこは伏せることにする。

 ああ、思い出すだけで腹立たしい。

 「つまり、呼び出されて、言い寄られて殴られた?なんだよ、その大島って奴はサイコなのか?」

 サトシは、スプーンを俺に向けてそう言った。

 「だよな、俺もそう思う。クレイジーでサイコだ」

 一発殴らないと気が済まないほどにはクレイジーだ。

 しかし、とサトシは続ける。

 「神谷伝説ってほんとうにみんな知っているんだな」

 サトシはそう言い放つと、よっぽど面白かったのか腹を抱えて笑っている。

 「おいゴリラ、うるせえぞ」

 冷ややかな目で制しても、サトシは笑うのをやめない。

 「あー面白れえ、これだから大介は好きなんだよ」

 サトシはバシバシと俺の肩を叩くと、席をたった。

 「まぁ、俺の方でもそのクレイジーサイコのことを調べてみるわ」

 手に持った皿は空になっている、いつの間に食べたんだ。俺なんてまだ半分も食べていないのに。

 じゃあ、先いくぜ。授業に遅れるなよ!と手を振ってサトシは食堂から出て行った。

 気づけば昼休み終了五分前。ご飯は味わって食べる派の俺としては、踏んだり蹴ったりな昼食になってしまった。



◇◆◇◆◇◆



 授業に間に合わなかった。

 好きなカツカレーと授業を天秤にかけたら、カツカレーに振れたので授業にでるのは早々に諦めた。

 まだ新学期も始まったばかりだから、単位の事は学期末に考えればいい。

 最悪土下座でもなんでもすればいいのだ。先ほどはカレーの余韻に浸っていたかったのだ。

 きっと後悔するんだろうなぁと思いつつ、大介は屋上にいた。

 ここは春の陽気がとても心地よくて、うたた寝するのにはうってつけである。

 それに給水塔の上にいけば、先生の見回りにもばれずに昼寝もできる。大介が授業をサボる時は必ずといっていいほど屋上にいた。

 両手を頭に組み、ごろんと身体を横にする。満腹なのもあり、うつらうつらとしていた大介の意識を夢に手放そうとした時――。

 ガチャリと、扉を開ける音すると共に、一組の男女が屋上へやってきた。

 「大島……ハル」



◇◆◇◆◇◆



 男は髪を茶色に染めてピアスを耳に開けている、俺よりどうみても不良っぽい。サトシ、こういうのが不良じゃないのか。

 給水塔の上は死角になっているようで、二人からは大介の姿が見えないのか気づかない。

 「俺とつきあってくれよ、タイプなんだよ」

 大島は明らかにうろたえているようで、男に対して伏し目がちだ。

 確かに、認めたくないが大島は艶のある黒髪のボブカットで整った目鼻立ち。身長は低いが体育館倉庫で見たときの肌は綺麗で、押し当てられた胸は中々の大きさで柔らかい――いやいや。

 まじまじと見てみれば確かにモテそうだ。俺はあんな暴力的なヤツはタイプではないが。

 困っている大島にいい気味だと思いつつ、野次馬している自分は趣味が悪いなぁと思うが聞き耳をたてる。

 「ごめんなさい。私には好きな人がいるので」

 大島はぺこり、と頭を下げる。不良くんの告白は失敗したようだ。

 これが青春だよな、しかも屋上で思いを告げるなんて男としてかっこいいじゃないか。

 でも大島はやめておいたほうがいいぞ、いきなり犯してくださいとかいうし、殴るし。

 「え?いいじゃん。俺の女になれよ」

 そういって大島の両肩を掴む。中々骨がある若者……というか強引だな。

 「嫌です。離して」

 明らかな拒否。大島は見上げて顔を曇らせながら意思を示す。

 男は癪に障ったのか、掴んだ肩に力を入れて揺らす。

 「お前あんまり舐めてると殴るぞ」

 更に威圧する不良は眉間に皺をよせて威嚇する。

 「やめとけよ」

 気づいたら俺は、給水塔から飛び降りて声をかけていた。



◇◆◇◆◇◆



 二人はありえない来訪者に驚いている。不良君は大島の肩を組んで、ぐいと彼女を引き寄せた。

 「先輩かなんか知らないっすけど、俺らつきあってるんで」

 大島は顔を伏せて黙っている。

 「一部始終みたけど、振られてたろ。まぁ大島とつきあおうが、どうでもいいけど暴力はやめとけ」

 大介は頬をかいて不良に告げる。そう、暴力はよくない。

 「あ?誰だか知らないけど舐めんなよ」

 不良は大島を突き放して、ふいに大介に殴りかかってきた。

 大介は振りかざされた拳を、“慌てず”に一歩下がってよける。

 「てめぇ!すかしてんじゃねえ!」

 拳を避けられたのに逆上した男は、顔面に向かって――。

 その前に大介が伸ばした手が、不良の眉間に食い込んだ。

 「うお!?いでででで!!」

 俗にいうアイアンクローだ、大介は手のひらで不良の眉間を圧迫していく。

 「いいからやめとけよ、な?」

 そう言いつつ大介は圧迫する力を強めていくと、不良は力なく「すみません」と降参の意を告げる声を漏らしたので、力を緩めた。

 解放されて、ぐらりとゆらぐ不良は「覚えとけよ」と捨て台詞を吐いて、さっさと行ってしまう。

 「忘れてるよ、めんどくさい」

 そんな不良の姿を見送り、彼女の方へ向き直ると、大介の右頬に手のひらが打ち付けられた。

 屋上に響く、乾いた音。

 「神谷せんぱい、なんで邪魔するんですか」

 大島の二つの眼は、涙を浮かべていた。







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