1.早起きは三文の得
※この作品はアウトラインをある方に頂いたものを自分なりに書き起こしたものです。感謝!
狭くて暗い部屋に、どこからともなく衣擦れの音だけが聞こえてくる。
小窓から煌々と西日がさしている。空間の全てを照らすには光量が足りていないようでそこを除けば依然として暗闇だ。
反響する音の方へ顔を向ければ、少し眼が慣れたのか闇から女性の姿がぼんやりと浮かび上がる。
嘘だろう、と心の中で呟く。足元をみても、ほっそりとした白い二足にスカートを纏っている。
女は、なだらかな双丘を両の手で隠し半裸の姿だった。頬を赤らめて、二つの眼は熱っぽく潤んでいてこちらをじっと見つめている。
心の臓はまるで警鐘を鳴らすかのように煩い。ごくり、と喉はカラカラになり生唾を嚥下する。
この独房のような部屋に、半裸の女と男が二人きり。
蠱惑的な表情を浮かべた女は色素の薄い、桜色のくちびるから糖蜜のような甘い声色で男に希った。
「私を――――」
◇◆◇◆◇◆
1.早起きは三文の得
珍しく朝早くに起きた俺は、たまにはちゃんと学校に行くかと思いたってハンガーにかけてある制服に袖を通した。
「あら大介、珍しく早起きじゃない」
居間にいけば、湯気がたつ二人分の朝食と母の嫌味が飛んでくる。
「うるせえよ、おはよ」
もう学校に行きたくなくなる、帰りたい、ここが実家だけど。
そんなことを一人ごちて、畳に腰をおろし朝食に向かっててのひらを合わせる。家族は自分を含めて二人。いつもは母と時間が合わないと冷や飯を食べることになるので、出来たての朝食は久しぶりだった。
今日の献立は、言うなれば焼鮭定食。ご飯に、カリッカリに皮を焼いた紅鮭。熱々のわかめの味噌汁、二切れの卵焼き。最強の朝食である、異論は認めるが。
お椀に手を添えてゆっくりと口をつけると、やけどしそうなぐらい熱いが鼻孔をふんわりとくすぐる味噌の匂いがたまらない。
早起きは三文の得だと誰かがいっていたような気がしたが、三文以上に何かが得るものここにある気がする。大袈裟か。
一人で小さな幸せ(?)に浸っていると、「いただきます」と対面に座った母が食事に手をつける。
「あんた毎日遅刻していってるけど、卒業出来なかったら知らないからね」
折角、最強の朝食をとっていたのにお小言を母上から賜る。くそ。
「できるって、多分」
「勉学は出来んのはわかってるから、卒業だけはちゃんとしなさいよ」
喧しいわ!と言いたかったが事実なので胸の内に留めておく事にする。
いうこといって満足したのか、母はテレビに見ながら箸を進めている。
ワイドショーは今流行りのアイドルグループの選挙が云々、スキャンダルが云々。大人が食いつきそうな内容だ。
今の内に、さっさと朝食を済ませることにした。これ以上小言を賜るのは精神衛生上よろしくないと判断したので、なくなく優雅な朝食をかきこんでさっさと家をでることにした。
◇◆◇◆◇◆
風がびゅう、と吹けば寒気が俺の肩を上下させた。空を見上げればひらひらと花びらが舞い、しなだれかかるソメイヨシノが春の盛りを告げている。
今日は入学式とあってか、いつも登校しているルートには賑やかな声が溢れていて着慣れない制服をきた後輩達が多く通学している。
「初々しいなぁ」と後輩たちを見ていると「何がだよ」と相槌を打ってくる声と共に、両肩に重い衝撃。
「やめろよサトシ、朝から肩に腕を回すな気持ちわりぃ」
あっはっは、と笑いながら俺の肩をバシバシと叩く色黒で身長が高い男、滝屋里志は一年からの腐れ縁だ。
野球部でエースのピッチャー。甲子園に行くだけあって鍛えられた肉体から放つスキンシップには毎回肩が外されそうになる。やめろといってもやめないので諦めてはいるが、やはり痛い。
「ゴリラかお前は」
せめてもの嫌味をいうが、サトシは意に介してはいないらしく破顔しっぱなしだ。
「細かいこと言うなって」
「うるせえよ、お前の無駄に鍛えられた肉体で攻撃される身になってみろよ」
「俺は痛くないぜ」
「そうだろうな、そういや朝練は?」
「入学式で今日はないんだよ。そのおかげで親友とあえたんだから喜べよ」
「うるせえよ」
なんてやりとりをしながら、久しぶりに遅刻しないで登校するのも悪く無いと思っていた。 そんなときに、サトシは肩をぐいと引き寄せて真剣な面持ちで「大介、お前つけられてるぞ」と言った。
「はぁ?」
冗談だろ、と返すもゴリラことサトシの顎で指す方をみると電柱からこちらを見ている奴が確かにいる。
「女の子じゃん、しかも新入生。大介の知り合いか?」
「いや、知らんぞ。それにお前知ってるだろ」
「そうだよな、お前友達って俺しかいないもんな」
……このゴリラはいちいち俺の傷を抉ってくる。
「しかし、そんなお前に寄りつく女の子か……見た目は大人しそうだけど」
「隠れて見えないよ」
「ちょっと前からつけてきてたしな。それにいいんじゃないか?」
サトシはまた俺の肩をバシバシと叩いて「お前にも春が来たんじゃないか?じゃ、先に行ってるぜ!」と言い放つと学校へさっさと走っていってしまう。
「ちょっ……サトシ、おい!なんだあいつ」
とはいえそこまで鈍感じゃないので、あのゴリラ……いやサトシが気をきかせてくれたことぐらいわかる。
後ろを振り返って見ると、未だに隠れているらしい。靴とスカートが思いっきりはみ出ているが。
しかしながら、期待しなかったと言えば嘘になる。いや、正直にいえばとても期待した。
人生初の告白を受けると思えば誰しもそうだろう?俺はそう思いたい。
俺はにやけそうになる顔を崩さないように、電柱に歩み寄ることにした。
◇◆◇◆◇◆
「えーっと、何?」
電柱に隠れているであろう人に話しかけると、「ひゃぁ!」と驚いた声。観念したのか、おずおずと声の主は姿を現した。
ショートボブの黒髪は春の陽気に反射し艶めいている。まだ幼さが残る顔立ちに、この前まで中学生だったんだと改めて思う。可愛い方だと思うがクラスでは目立たない文学少女的な趣きがある子って印象。
冬のセーラー服に紺色のスカーフ。うちの学校の女子はセーラーのスカーフの色で学年がわかるようになっているので、俺の後輩に当たる子なのは間違いない。
伏し目がちに、ぼそぼそと何かを言いたそうにしている。
「あの、神谷……大介先輩ですよね?」
「そうだけど」
よかったぁ、と女の子はほっと胸を撫で下ろしたようだ。何がよかったのか。
「これっ、受け取って下さい!」
ずい、と胸の前に差し出されたのはこれまた女の子らしいキャラものの封筒だった。
「え、手紙?」
受け取ると女の子は俺の脇をすり抜けてそのまま駆けて行ってしまった。去り際に待ってます、と小声で言ったのを俺は聞き逃さなかった。
「なんなんだ、全く」とは言ってみたものの、手紙を貰うというのは期待してもいいのではないだろうか?
早速封を切って便箋を取り出す。これまた女の子らしくて可愛らしい文字で「今日の放課後、体育館裏の倉庫でお待ちしています」
期待通りの内容に口角が上がる。正直舞い上がっている。
「あ、そういえば」
あの子は初対面なのに、何故俺の名前を知っているのだろう。しかもフルネームで。
一人ごちていると、学校の方から始業のベルがなった。
「また遅刻か……でも行くしかないか」
先生に怒られるのは慣れているとはいえ面倒くさいが、行く理由が出来てしまったので大介はとぼとぼと通学路を歩き出した。
◇◆◇◆◇◆
大介が教室に到着した時には朝のホームルームはもう終わっていたようで、担任は入学式に出席するからかいなかった。
「うぃーっす」挨拶しながら、ざわついた教室に入る。
「おせえよ!お前まさか本当に……」と、先ほど通学路で聞いた声。
「うるせえよ、何もねえから」
相変わらずこの手の事には鋭い黒ゴリラこと、サトシは俺が席に着くなりに食い入るように話しかけてくる。
「ただ、手紙を渡された」
「えっ!?マジかよ!?」
クラスの人気者であるエースピッチャーが大きい声を出せば、視線が一気にこちらに集まる。
「静かにしろ、もう話さねえぞ」
「へいへい悪うござんした。それで、なんて書いてあった?」
サトシが声をひそめると、教室はまた喧騒を取り戻す。俺は人付き合いが苦手なので、注目されるのはあまり好きではなかった。
友達といえば、嫌われ者の俺とは正反対のサトシただ一人だった。
何故俺なんかとは思うが、不思議とウマが合うのでこいつとはよくつるんでいる。
バカでゴリラだが正直でいいやつだ、本人には言えないが。
「体育館倉庫に来い、とだけ書いてあった。意図はわからん……」
ちょっと期待している、なんてコイツに言えば冷やかされるのはわかりきったことなので言わない。
「これってもしかして……」
サトシは顎に手をあて神妙な顔をしている。
「決闘か!?」
サトシが言い放った事が斜め上過ぎて思わずズッコケそうになる。
「んなわけねえし、いくらなんでも男の俺に挑むか?」
「いやお前不良だし、恨みを何処で買っているかわかんねえしよ」
「俺は不良じゃねえ、学校に行くのが面倒くさいだけだし、博愛主義者だ。全世界から戦争が無くなってしまえばいいと日々願っている」
冗談めかしたことを言ったが不良ってのには、納得がいかない。喧嘩は嫌いだし、毎日遅刻しているだけで学校には欠席したことは一度たりともなかった。
「大介、それを不良っていうんだよ。クラスのみんなは疎か、学校全体でそう思われてるよ。お前って有名なんだぜ」
サトシの言葉が俺の胸に突き刺さる。俺はちょっと変わってるから避けられていたと今の今まで思っていたので余計ショックだった。
「初めて知った……」
「それに神谷伝説ってのがあるんだぜ。一年から学校の裏番長だったとか、学校の女は全て喰ったとか。あ、喰ったってのはカニバリズムじゃなくて」
「もういい、よくわかった。とてもよくわかった」
俺はただサトシの口を遮る事しか出来なかった。
わりと楽しみにしていた高校生活。友達はもう諦めたが、何かの弾みで……曲がり角で食パンをくわえた女の子にぶつかってそこから恋に発展したりだとか。
そんな甘く切なくキラキラした思い出を残そうと、俺なりにもがきながら追いかけていたがそんなものは一年生の頃に終わっていたのだ
無残な事実を親友から告げられて、俺はただただ頭を抱えるしかなかった。