(8)
その日、井上はいつもより早く登校した。
靴を履き替えようと下足箱を開けると、上履きの上に一通の手紙が乗っているのに気がついた。
〝放課後にお話ししたいことがあります〟
他に手紙に書かれていたのは場所だけで、差出人の名前はなかった。
「……はぁ」
タイミングが悪い。そう思うと、溜め息がでた。
バレンタインデーに呼び出しといえば告白なのだろうが、今日の放課後は自分も佐藤へ告白しようと考えている。そんな時に他の人の相手をしていられるほど、心に余裕などなかった。
教室に入ると、数分で俺の手元は女子から貰ったチョコレートでいっぱいになった。
義理でもくれるのはありがたいが、今の自分には何の意味もないものだった。
朝早く来たのは、女子に周りを囲まれるためではない。
告白することで、本当に友達ですらなくなってしまうかもしれない佐藤と、一分一秒でも長く一緒にいたいと思ったのだ。
だがその思いもむなしく、彼と話す暇はほとんどなかった。
放課後、呼ばれた教室へ向かう。おそらく内容は告白だろう。しかし、この手紙の子とどうこうなることはない。
今の自分は佐藤のことで頭がいっぱいだった。
ここへ来る前、佐藤は担任に呼ばれて席を外していた。朝、一緒に帰ろうと言っておいたので、俺が教室にいなくても待っていてくれるだろうが、出来ることなら彼が戻ってくるまでに用件が済めばいいと思った。
手紙の差出人は細身で小さな女の子だった。
「急に呼び出してごめんね。……私、井上君のことが好き。今付き合ってる人いないって聞いたんだけど…もし、よかったら…私と付き合って下さい」
好きな人を目の前に上手く言葉が出てこない焦り、緊張感、どんな返事が返ってくるのか聞くのが怖いという気持ち、それが今の自分には痛いほど分かる気がした。
彼女もきっとこんな気持ちで返事を待っているだろう。
だが、その想いに応えることはできない。
「ごめん、君とは付き合えない。ずっと好きな奴がいるんだ」
それを言い終えると同時に、廊下の方で大きな物音がした。
音の鳴った方向に目を向けると、戸が少し開いていて、その隙間から一瞬ではあったが見えた気がした。
「佐藤?」
「え、何?どうしたの」
「悪い。俺もう行くわ」
勢いよく教室を出て、佐藤らしき人物が走って行く方向を見た。
やはりその後ろ姿は佐藤で、急いで後を追った。
戸の隙間から見えた彼は、今にも泣きそうな顔をしていたように見えた。
(何でお前がそんな顔すんだよ……)
「佐藤!待てよ……待てって、幸太!!」