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サイコロダイス

 バス停には運よく誰もいなかった。気兼ねなくサイコロが振れる。赤が六、青が五だった。僕は静かにベンチに座り、予定時刻を過ぎてやってくるバスを待った。小さい頃は母親に「バスが来たら手を上げて停めるのよ」なんて言われた。立っていれば停まってくれることに気付いたのはいつだっただろう。

 乗ったバスの後ろに中高生がいて、騒いでいるのを不快に思いながら僕はバスを降りた。

 バスを降りてまず目に入ったのは、看板だった。看板はこの街の地図のようなもので、その看板によると、右(北になる)に一キロ程行くと図書館があるとのことだった。歩くのにも疲れ始めているし、今まで使ってきた足を休めつつ、何かの写真集や絵画集を見て落ち着こう。そう考え、僕は図書館に向かって歩き始めた。あまり休憩なしに頭を使いすぎるとパンクしてしまうし。

 図書館に着いて思ったのは、入りやすそう、ということだった。いかにもな無骨な建物ではなく、昔の金持ちが住んでいた屋敷を改築した、と言われれば実にしっくりくる外観だ。庭もあり、そこにはテーブルとガーデンチェアが置かれていた・今日は気持ちのいい日だから、庭を利用して読書をしている人もいる。それだけに入りやすそうだ。

 足が早く休ませろと言っているのを抑えて、中に入った。向かって右側が児童書コーナー。左が一般書。パソコンはなく、蔵書検索をする機械だけが二台ばかり置かれていた。正面に階段があって、ぶら下がっている看板には「←閲覧室、談話室、学習室、資料室」と書かれていた。僕は図書館に談話室があるのを初めて見たから驚いた。少し興味がわいたが、如何せん勝手がわからないので司書さんに尋ねることにした。図書館で声を出すのは憚られるが、仕方ない。

「あの、すみません」

「はい、何でしょう」

 嫌そうな顔もせず、司書である女性は応対してくれた。

「談話室って、今でも開いてますか?」

「開いてますよ。二階に行って左側になります」

「具体的にはどんな部屋なんですか?」

「そうですね、皆さんが読んだ本の感想を話し合ったりする場、ですね。飲み物の持ち込みが許可されているので、好きなだけお話ができますよ」

 なかなかと素敵な部屋だ。より興味が深まった。

「わかりました。ありがとうございました」

 僕は一礼して階段を上った。彼女が言ったように左側に談話室があった。そこから時計回りに資料室、閲覧室、学習室となっていた。

 談話室は壁の半分がガラス張りになっていて、そこから幾人かのお年寄りと一人の若者が畳に座って話をしているのが見えた。

 僕は遠慮がちにドアを開けた。全員の視線が集中する。

「こんにちは」

「こんにちは。早く中に入っておいで」

「あ、はい」

 歓迎されていることに安堵しつつ、僕は敷居をまたいだ。

「こんにちは。談話室は初めて?」

 一人だけいる若者が気軽に話しかけてくれた。彼はとても若く、年は僕とそう大して変わらなそうだ。彼に促されて座って畳の床に腰を下ろした。どっと一気に疲れが足に来た。

「はい。この図書館に来るの自体初めてで」

「そうなんだ。どんな作家が好き?」

「ううん……僕は作家っていうよりも、その本自体を好きになるタイプだから、特別好きな人はいません。あ、でも、芥川龍之介の作品は好きです」

 僕より少し年上でまだ高校生くらいに見える若者は、少し表情を明るくした。

「ボクも好きだよ。『羅生門』とか『鼻』とか好き?」

「あとは『地獄変』とかも」

「そっか。昔の作家ばっかり?」

「いえ、有名なタイトルだったら読むので、新旧問わずですね。僕は決して熱心な読書家じゃないけど、だからこそこだわりがないのかもしれない」

「成程ね。ジャンルにもあまりこだわらない感じ?」

「はい。本当に好き嫌いっていうのがないので、ファンタジーも恋愛もミステリーも読みます」

「色んな人の世界観が取り込めるね」

「そう。僕は人の考えを受け入れやすいから、本とか漫画を読むたびに世界観が広がるようで、それがおもしろい」

 彼は僕の考えを飲み込むように、ゆっくり大きく頷いた。

「最近読んだ本は?」

「『梟の城』ですね。でも、僕にはまだ早かった」

 そこで彼は笑った。あれは中学生が読むにはまだ早い。

「そうだね。だって君、見たところボクより年下っぽいし」

「多分年下です。今十五歳」

「なら年下だ。ボクは十七だから。大差はないけどね。本は何か借りてないの?」

 彼は僕のショルダーバッグを指さした。

「いえ。ここにきて最初に談話室へ来たので」

「珍しいね。本より話を求めて図書館に来るのはボクら常連だけかと思っていたけど」

「図書館で談話室って初めて聞いたから、興味がわいて。本当は絵画集とか写真集を見るつもりで来たんですけど」

「絵や写真も好き?」

「どっちも好き。詳しくはないから専門的なことは言えないけど、見るのが好き。絵を描いたり写真を撮ったりするのも好き」

「つまり、こだわりがなく、ただ好き」

「そう」

 彼は物分りがいい。こだわりがないという、ある意味ではどうしようもない僕の性格を理解してくれた。

「本当はルーヴル美術館に行って絵を見たいけど、僕にはパスポートもお金もないから、近くの美術館で展示されている無名の人の絵や写真を見に行く」

「それはつまらない?」

「いや、つまらないどころかとても面白い。僕にとって非常に有益であると言える作品ばかり。無名だったり、若いからこそ表現できるものがあるっていうか。その人しか表せないものを間近で見られるというだけでも嬉しいし。やっぱり人間って十人十色っていう言葉があるくらい違っているから、その違いも楽しい。僕は音楽も好きで、よく聴く。ニルヴァーナやフリーの演奏を聴いて、その後に若いミュージシャンのギターやベースプレイを聴くと、『この人の弾き方はカートに似てるな』とか、『この曲の作りはレッチリに似てる』とか、リスペクトしてるミュージシャンが大体わかる。でも、やっぱりどこかにオリジナリティを持っているから、若いミュージシャンたちの曲はまた違う。絵のタッチとかもそう。そういうのがわかると、その人が表現したいことがわかって、僕の世界観の一部になる。それが嬉しい。僕は視野の広い人間になりたいんだ」

 彼は頷いて手に持っているブラックコーヒーを一口飲んだ。

「最近は何かの作品を間近で見た?」

「一週間前くらいに。若い無名のカメラマンの写真展を見ました。戦地の子供たちを写真に撮っていて、何て自分はちっぽけなのだろうと自分を恥じた。僕には戦地に赴く勇気も機会もない。日本のような先進国に生まれた最近の子供は、戦争なんて身近じゃない。話を聞いたり、そうやって写真を見て何かを感じることしかできない。それがひどく無力に思えた」

「そうだね。でも、そう思えるだけいいんだと思う。そう思えなくなったら、それこそ救いがなくなると思うんだ」

「僕もそう思います。僕は、そういった写真から何も感じられないような人間になりたくない。きっと、抵抗していたいんだ。世界への反抗期」

「ならボクも今は反抗期だな。この反抗期は終わらせたくないね」

「終わらせませんよ」

「お兄さん、アンタいい子だなぁ」

 突然僕たちの会話におじさんが介入してきた。おじさんというよりはとっくにおじいさんだ。

「そうですか?」

「そうやって平和を願うのはいいことだ。願う人が一人でも多ければいい。俺はね、まだちびの時に戦争を経験したんだ。姉ちゃんに手を引かれて一生懸命走って、防空壕に隠れた。あるところでは防空壕の上に爆弾が落っこちて、入ってたみんなが一瞬で死んだ。昔はまだこの辺に川が通っていてな、爆弾で燃えた家屋や木の熱さから逃れるために、そこへ入ったんだ。火っていうのは、近くで見るとものすごい熱いんだよ」

 彼の話は衝撃的だった。僕はもちろん戦争のことなんか知らない。平成生まれの若輩者だ。けれどそれは現実にあったし、事実なのだ。

「俺の友達は八人兄弟だった。昔は兄弟が多かったからな。それで、空爆でまずその内の三人が死んだ。残った姉ちゃんたちでお骨を持って、逃げたんだ。そしたらまた爆撃が襲った。俺は一人、その時偶然にも姉ちゃんたちとは違う防空壕へ入った。そしたら、姉ちゃんたちが入った防空壕へ爆弾が落ちた。……飛行機が行ったあと、探しに行ったんだ。姉ちゃんたちは三人の遺骨を持ってたから、すぐにわかったよ。俺は茫然として、ただただ立ち尽くしたんだ。ある時は死体の山を見た。蓆で覆われた大きい山のようなものは何だろうと蓆を捲ったら、人が山積みになっていた。すぐに大人が来て、見るんじゃない、と言って俺をそこから離した、だから、平和を願うことは忘れないでくれ。絶対にだ」

 おじさんは涙を眼に浮かべて話していた。それだけ辛く、悲しい出来事だったのだ。

「はい、絶対に忘れません」

 僕はおじさんの目を真っ直ぐに見据えて、しっかりと返事をした。

「おじさんはね、よく戦争の話をしてくれるんだ。そうする度に、自分を見つめ直せられるんだ。やはり、人生の先輩には敵わないね」

「本当です」

 それだけ話すと、おじさんは「邪魔をして悪かった」と言って他の輪へ入っていった、


「話変わるけど、そういえば君は、旅をしているの?」

 ひとしきり話を終えた後、彼が例の如くコーヒーを飲んで言った。かなり唐突だ。

「どうしてそう思うんです?」

「ここの図書館に初めて来たってことは、この辺りの子じゃないってことでしょ?越して来たのかもしれないけれど、それなら少しはそのことに触れているだろう。君は自分のことについて語らない。そういうのって、その場限りの付き合いだとわかっているからじゃないの?あてもなく旅に出たとか」

「……シャーロック・ホームズに負けず劣らずの推理ですね」

「なんて、僕も君くらいの年に同じことをしたからわかるだけさ」

 彼は悪戯っぽく笑って、頭を掻いた。僕は彼に二つのサイコロを見せた。この旅で使い続けている、愛着がわいてきたサイコロたちだ。僕はこのサイコロたちを使って旅をしていること、そして自分探しをしていることを話した。

「サイコロを使うっていうのは思いつかなかったなぁ」

 彼は手でサイコロをいじりながら、しげしげとそれらを眺めた。

「このサイコロには名前とか付けないの?」

「名前?」

「うん。人間って、好きなものにはよく名前を付けるだろう?このサイコロは君の人生を左右する大切なものなのに、名前を付けてないのはかわいそうなんじゃない?」

 考えたこともなかった。そもそも僕は名前やタイトルの類を付けるのが苦手だ。自分の子供が産まれたら名付けは奥さんに頼もうか今から悩むくらいに。

だが言われてみれば、僕の人生を左右するというのはそうかもしれない。僕の旅はすべてサイコロたちに任せている。今この時間に彼と喋っているのも、このサイコロたちがなければ成し得なかったことなのだ。

「付けてみれば?」

 そう言われて、僕は彼にサイコロを返してもらった。赤と青の十面に白い数字が刻まれている。一日も使っていないのに随分と愛着がわいているサイコロたちだ。

「それを見て、何か思いつく名前はない?」

「……サイコロ」

 本当にそれしか思いつかなかったので素直に言ったら噴き出された。

「それは名称だよ」

 彼は笑いを堪えきれずに、言ってからまた笑った。確かにその通りだ。

「ううん……サイコロ、サイコロ……」

 あまりにも僕が唸っているので、彼はさすがに呆れた様子だった。

「じゃあ、仮に一つはサイコロにするとして、もう一つは?」

「ええと……ダイス?」

「英語にしただけじゃん」

 そう突っ込まれたら返す言葉がない。僕のネーミングセンスのなさは父母どちら譲りだっただろうか。

「でも、真っ先に思い付いて直感で決めたのなら、それもまたいいと思うよ」

 最早慰められていることを気にしつつ、僕は赤と青のサイコロを見た。赤が「サイコロ」で青が「ダイス」。音的にはいいじゃないか。

「でも、旅っていうのはいいね」

「旅っていうほど遠くまで来ていないですけど」

「だけど近くっていうほどの距離でもない」

「そう。中距離。でも、中距離くらいで良かった。あまりにも遠いと、構えちゃって行動を起こせなかったかも。……人って、こうやって自分の行動に正当性を持たせようとするんですよね」

「そうすれば進めるからね。でも、そういう進み方もアリだ」

「自分を見つけるって、難しい」

「それはね、とても難しいことだ。でも誰しも通る。神様がいるのなら、彼は意地悪だね。こんな難しいことを若い内から体験させるんだから」

「本当に。……僕は、今まで『羅生門』を二回読んだことがある」

 彼は、その言葉がこの後どう続くのか興味深く聞いている。

「一回目は、大して何も考えなかった。『こういうのが書けるなんてすごい』くらい。『羅生門』の最後は、下人の行方を読者が自由に想像できるようになっているけれど、それを考えることすらしなかった。その半年後くらいに、もう一度読んだ。つい先日の話。一回目とは違って、色々考えながら読んだ。表現の仕方、倫理的な描写、他にも色々。そうしたら、感動が深まって、それを読んだことにとても意義を感じられた。きっとそれは素晴らしいことなんだと思う。だから、僕はそんな風に、色々なことから感動を受け取れるような人間になりたい」

 彼は唇を真一文字に結んで大きく頷いた。

「それはとてもいいことだと思う。君がそうなりたいと望むのなら、そうなれるように努力すればいい」

「良かった」

「何が?」

「そう言ってもらえると、なんだか自信が湧き出てくる」

「何よりだ」

 僕は立ち上がった。今までずっと座っていたから、血液が足に流れるのがよくわかる。

「下に行って、写真集でも見てきます。感受性を磨きたいから」

「そうするといい。そのまま、また旅に出るの?」

「はい」

「そうか。ここにはいつでも来るといいよ。ボクは休みの日はいるし、おじさんたちは毎日いる」

「ありがとう。またいつか来ます」

 出ていく間際におじさんたちとも挨拶を交わし、ドアを開けて部屋を出た。急にあたりがしんと静まり返って、耳が慣れるのに時間を要する。

 僕は階段を下りて、大型本コーナーへと足を運んだ。そこからアラスカとグランドキャニオンの写真集を選んで、椅子に座った。

 写真の色彩はどれも鮮やかで、惹きつけられる。森や川、木や水、そんな自分たちの周りにあるものが芸術的に表現されていることに、僕は眼福の思いだった。

 ページを捲っても大自然。僕の膝に収まらない大きさの本だから、そのサイズの写真が目に飛び込んでくるととても圧倒される。葉っぱ一枚見落とさないよう細部まで見つつ、それから全体を見て、その広大さを感じ取った。そしてその後には深い感動が僕を包む。何ともいい気分だ、と思いながら、僕はページを捲る動作を繰り返す。


 僕は感動の余韻に浸りながら図書館を出た。いい天気で、青空と相思相愛であろう太陽が目に痛かった。

 この停留所は「サイコロダイス」。サイコロたちの名前が決まった、記念すべき停留所だ。


 僕は、自分を見つけられたような気がする。勿論全てではなくて、一部だけれど。自然が好きで、話すのが好きで、感受性もそれなりに豊かだ。そして何より、人が好きだ。僕は色んな考え方を持つ人が大好きだ。

 この旅は色んなことを教えてくれた、様々な出会いをさせてくれたし、色々なことを僕に教えてくれた、ハンバーグが好きで、人が好きなのが僕。今、ようやく自分を見つけるために、自分のしっぽをつかんだ感じだ。後は手繰り寄せて、「おいで、自分」と言って本当の自分を受け入れるんだ。


 さぁ、せっかくの旅なんだからサイコロとダイスを使って家に帰ろう。夜中までにたどり着けるだろうか。僕はサイコロダイスを振った。


サイコロダイスを読んでいただき、ありがとうございました。

次の小説もできたら早めにアップしますので、そちらもよろしくお願いします。

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