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デスライフ

 出た目は赤が四、青が七の合計十一だった。この線は短く、それだけの数の停留所がないので、一旦終点に行って、残りは方角を変えて進むことにした。

 来たバスに乗って九つ先の終点へ。そしてそこで路線を変え、二つ進む。着いた先は先ほどまでとはがらりと変わって、街から少し外れた活気のある場所だった。民家というよりは商店が立ち並び、車通りもそれなりにある。

 時間は昼近くだった。ご飯を食べるにはいささか早いが、僕の腹はすでに警鐘を鳴らしていた。最悪コンビニで買おうと思いつつ、ご飯屋さんを探す。

 美容院、画材屋、古本屋など様々な店がある中に、少し寂れた(と言っては失礼だが)食堂があった。僕の持論では、食堂に間違いはない。食堂で出される、とてつもなくうまくはない安い定食の味が僕は大好きだった。それにメニューも豊富だしボリュームもある。

 僕は食堂ののれんをくぐり、中を見た。狭い店内に、まだご飯時ではないのに人が所狭しと座っている。カウンターはすべて埋まっているようだ。

「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」

 女将さんの元気のいい声がフライパンを動かす音に混じって店内に響く。

「はい」

「今カウンターが全部埋まってて、相席でもよろしいならご案内いたしますけど」

「構いません」

「あちらのテーブルへどうぞ」

 僕は指定されたテーブルについた。女将さんは水を置いて立ち去った。僕は少しでも胃に何かを入れるために、すぐその水を飲んだ。

僕の向かいには白髪の老人が座っていた。どう見ても外国人で、欧州系の顔に見えた。いかにもという紳士だけに、食堂という背景がミスマッチだ。まだ料理が来ず、待っているところらしい。僕が軽く会釈をすると、向こうもにこやかに返してくれた。

 日本人として、やはり外国人を見ると日本語が喋れるのか気になる。ハーフでもクォーターでもない生粋の外国人が日本語をしゃべっていると驚く。これは悪く言うと差別的な考え方かもしれない。もうこの世の中では、外国人は日本語が話せないとイコールで結べない。この古い差別的な固定概念は早く捨て去るべきだ。

 などと考えていたら、老人が僕を見ていた。後ろに窓はなく壁があるだけだから、彼が壁マニアでない限り、僕を見ていることになる。僕はその視線が気になったので、目を彼に向けた。彼はすぐに片手を上げて謝った。

「いや、すまない。悪気はないんだ」

 一片の違和感もない流暢な日本語だった。在日外国人だろうか。

「あ、いえ。不快には思っていないですから」

「この間見た映画の主人公に君が似ていたから、つい見てしまった」

 それで納得した。最近上映されて話題になっている映画の主人公が、僕と似ているのだ。その主人公の俳優を幼くすると僕にかなり近くなるらしい。自覚はあまりないが、周りがよく言う。その俳優は今まで全然知られておらず、故に今まで僕と似ていることも知らなかったのだけれど、映画の主人公に大抜擢されてその映画も好調となってから、似ていると言われる機会が増えた。

「最近よく言われます」

 その俳優は見る者全てが認めるイケメンではないので、喜んでいいのか微妙なところだ。

「あの映画は二回も見に行ってしまうほど良かったからね……本当にすまない」

「謝らないでください。僕も好きですからお気持ちはわかります」

「あの映画を見たのかい?」

「いえ、映画ではなく原作の小説を読みました。タイトルに惹かれて」

 その映画は小説を映像化したもので、たまたま僕は映像になる前にそれを読んでいた。あらすじは、好きだった女性がある日突然不慮の事故で亡くなってしまう。主人公はその彼女の幻を追い続け、幻想の中で結ばれるという、ある意味ハッピーエンドの恋愛小説なのだが、その内容は恋愛よりも死生観の描写を主としていて、それは映像化してもしっかり残しているとテレビで言っていた。

「私も似たような体験をしたことがあってね。死生観について考えさせられたよ」

「あれはきっと、何回見ても答えが変わる可能性があるでしょうね。そしてそれは人によって様々」

「若いのにしっかりとした言葉を使うね」

「そうですか?」

 自分が使っている言葉について考えたことなどあまりない。僕の住んでいる地域は方言もほとんどないし。

「ああ。自分の考えを言葉にすることに長けているようだ」

 長けている、なんて日本人でもなかなか使わない。彼の日本語のレベルが高いことがわかる。

「ありがとうございます」

 国語の成績はそこそこ、作文で褒められたことなんてまずない僕にとって、彼の言葉は素直に嬉しかった。

「君は、あの作品をどう思う?」

「僕は人に言えるような感想を持ち合わせていません。僕はそれほどまでに人を愛したことがないから、知ったかでものを言うのが失礼だと思うんです。だから、敢えて感想を持ち合わせていません」

「成程」

 老人はフム、と考えて、自分のことを話し出した。

「私はイギリス人だ。以前はマンチェスターというところで暮らしていた。そこで好きだった人を亡くしてね」

 彼の目に、ふっと悲しみの色が落ちた。

「妻ではないんだ。私はずっと独身で、彼女もそうだった」

 彼はそこで一息ついた。それはまるで、押し寄せる悲しみを必死に外に出しているかのようだった。

「私のように年寄りが集まるパブで、彼女と出会った。土曜の夜はそこでギネスを飲みながら、彼女と話す。こんな老いて尚、生き甲斐を見つけられるとは思わなかったよ。彼女と話すことが生き甲斐だったんだ。……そんな週末が三年続いた。しかし、それは終わった。彼女は大きな病を持っていた。死ぬ年齢としては若かったが、そんなことを言ってもどうにもならない。私は絶望のどん底に投げ入れられた気持になった」

 そこで、彼は深く重い溜息をゆっくりと吐き出した。僕はただひたすら待っている。そうすることしかできない。

「元々日本語は勉強していたし、いずれ日本にも行って、良ければ住もうとも思っていた。だから傷心旅行も兼ねて日本に来た。結局十年も住みついてしまった。でもここはいい。どこかを歩いた時に見たきれいな景色から、ふと窓の外を見たとき目に映った青空まで、すべてを彼女に見せたいと思ったよ。そんな中で色々考えた。死とは、そして生とは何なのかを」

 彼はたくさん喋って渇いた口を水で潤した。僕も飲もうかと思ったが、どうにもそういう気持ちになれなかった。

「ご注文お決まりですか?」

 今までの話に水を差さまいと注文を取らずにいたのか、女将さんがタイミングよく現れた。

「じゃあ、塩バターラーメンください」

「塩バターラーメンですね、ありがとうございます。野菜炒め定食のお客様、もう少しお待ちくださいね」

「ええ。急いでませんから」

 老人が答えると、女将さんは笑顔で頭を下げて厨房に入っていった。

「いや、行きずりの少年にこんな話をして申し訳ない。忘れてくれ」

「忘れません」

 僕は間髪入れずに言った。

「忘れませんよ。覚えていれば得があるかもしれないけど、忘れたら損にしかならないでしょう?」

「君の言うとおりだ。その考え方は悪くないね。いつどこで見聞きしたかしれない情報が人生を左右させるかわからないからね」

 僕が頷いたのを見て、彼は一呼吸置いて僕に問うた。

「死とは、何かな」

 僕は一瞬動けなくなった。そんなスケールの大きいことを問うには、僕はまだ幼すぎる。

「こんな子供の考えがあなたに有益だとは思えません」

「言ってみなければわからない。それに、知っていて損はないと思うが?」

 やれやれだ。どうやら僕は舌戦が弱いらしい。

「これは僕個人の勝手な見解ですよ。それは先に言っておきます」

 僕は彼が頷くのを確認してから後を続けた。

「やはり人は弱い。だから、いつだって希望を持っていたいんです。僕は、人の終わりが死だとは思いたくありません。しかし、死んだ人間が目を覚まさないのは事実です。この矛盾した希望と事実を自分の良いように解釈しますから、人は死んでもそれは終わりではなく、その人にかかわった人間の中で生き続けると考えたいんです。そんな連鎖がある。従って、人の終わりは死ではない。そう思いたい。こんな子供らしい考えを、あなたはどう思いますか?」

 僕はやっとそこで水を飲んだ。渇いたのどに冷水が気持ちいい。

「人間らしい、いい考えだ。聞いてよかったよ。君のような子供だからこそ、そこまできっぱりとした死生観を持っているのかもしれない」

「そうですね。やはり大人やお年寄りから比べたら、子供は死なんて遠いものと思っていますから」

「だろうね。……では、生とは何かな?何を以って生きるという?」

「僕らのような学生は日々の勉強や部活に追われて忘れていますが、随分必死なんです。必死になって充実した日々を過ごすと、生きているなぁと感じます。更に、目にした自然の生命力を感じた時とかに生を感じます。ただ残念なことに、僕は日々や一時の中に生を見つけられるほど人生経験が深くありません。そこが本当にいただけない。本来、自分がここにいることに生を感じるべきなんでしょうけど」

 速くもなく遅くもないスピードで語られた僕の言葉を、彼は一つずつ噛み砕くように理解していた。

「つまり君は、例えば森林に生い茂っている一本若しくは何千本という木に対して生を感じる?」

「それも当てはまりますね。普段は生を感じる暇もないけれど、時間が取れて自然を目にした時なんかは、やはり生命力を感じます。それは一種の感動と言っても差し支えありません」

「だが、日々からは生を見つけられない」

「灯台下暗しってやつでしょうか、あまりに隣接しているから、見えないんです。視野が狭いのかな。学生なんて、勉強して遊んで友達がいればそれで満足なんですよ。できたら恋人もね」

 そこで彼は少し笑った。僕も少し顔の筋肉を緩める。

「学生とは、いいな。私にとってははるか昔のことだがね」

「まぁ、気は楽ですね」

 彼はそこで緩んだ顔を元の引き締まったものに戻して、膝の上で手を組んだ。

「正直言って、こんなに老いると死が怖くなくなるんだ。もう十分生きたから、いいだろうと思う。いつ死んでも悔いはないよ。悔いはないが……これは人間の本能的なものなのかな、死が隣接するとやはり怖くなってしまう。さっきと言っていることが矛盾しているのはわかっている。だが、事実だ。普段は恐ろしくないが、いざ病に臥すと、ね。私は去年風邪をこじらせて、それがひどい肺炎まで引き起こしてしまった。その時は息が苦しい中で死を恐れた。だがね、こうも思う。人は、本当に死ぬ時になったら、きっと死を恐れない。少なくとも、もう年老いて老衰や病気で亡くなる人は、そうだと思うんだ」

 僕が何故、と表情で訴えかけると、彼は再び話し出した。食堂の音は、気にならなかった。このテーブルだけ、まるで異世界へワープしたかと思える。

「君も十何年か生きていれば、誰かのお葬式やお通夜に出席したことがあるだろう」

 僕は頷いた。中学時代に遠い親戚の通夜に出たことがある。

「この国では死ぬことを『安らかに眠る』という。それは正しいと思う。亡骸は、安らかに眠っている。苦のない表情で眠っているだろう?だから最後の最期は、苦しくも辛くもないのさ」

 成程。一理ある。

「しかし、生がいまいちわからない。どうすれば生きたことになるのか。自分が生きた証を残したいとか、そんな贅沢を言うつもりはない。問題は、どうしたら自分が納得できるか、さ。どう生きれば生きたことになるのか、わからない。この年でこんなことを言うのもどうかとは思うがね」

 彼は最後の言葉で自嘲的に笑った後、両目の焦点を僕に合わせた。

「少年の君に老人の心はわからないとは思うが、生きていく上で、これほど不安なことはないよ」

 この人、僕に似ている、と思った。僕は「自分」を知りたい。そして彼は「生」を知りたい。この二つの行き着く先はひどく近いのではないかと感じる。

「あなたが、今、何を目的に生きているか」

「今、何を目的に生きているか?」

「はい。少なくとも今は、この食堂で昼食を取るためにここにいる。それは決して無為に過ごしているわけじゃありません。年を取っても、年を取ったからこそ抱く夢もあるでしょう?その実現のために生きることは、立派な生き甲斐だと、僕は思います」

「……やはり若者は思考が柔軟だな。そういう考え方もあるのか」

 顎に手を当ててしきりに頷いている彼を見ると、自分がとんでもないことを言ってしまったような気に駆られる。事実、彼の死生観に直接関わったわけだから、それも仕方ないだろう。今更ながら少し緊張してきた。

「老いてこそ抱く夢……か。私はね、日本に来た時から、この素晴らしい国を祖国の人々に紹介したいと思っていた。ここはぜひ知ってほしい場所だ。文化も芸術も世界的に誇っていいものを持っている。だから、イギリスで日本語を教えたいと、最近思っている。こんなのも、夢かな?」

「立派な夢だと思います」

 そう言うと、彼は笑った。晴れやかな表情をしていた。良かったと、心から思う。

「はあい、野菜炒め定食のお客様、おまちどおさまでした。ごゆっくりどうぞ」

 ここの女将さんは本当にタイミングがいい。

「塩バターラーメンのお客様、もうちょっと待ってくださいね」

「はい」

 彼女は戻っていった。彼女の機敏な動きを見ると、さっきまでワープしていた空間が現実の世界に戻ってきたような気がする。

「先に失礼」

「どうぞ」

 彼がわざわざ断ってくれたので、僕は腹の虫に静かにしろと心の中で言ってから軽く頷いた。


 程なくして僕のラーメンもやってきた。一口啜ると、バターの味と塩味が混ざっておいしかった。

 目の前の老人が食べ終わるのとほぼ同時に、僕も食べ終えた。ラーメンだから早く食べられるのに加え、僕はとにかくおなかがすいていた。当然と言えば当然の結果だ。

「益のある話をどうもありがとう。やるべきことを終えたらイギリスに帰って、また自分が活躍できる場を見つける。ギネスが楽しみだ」

「僕も成人したら行きたいです。飲みたいですね、ギネス」

「心から待っているよ、じゃあ」

「こちらこそありがとうございました。さようなら、またどこかで」

 一足先に会計を済ませた彼を見送り、僕も席を立った。

「ごちそうさまでした」

 お釣りを受け取って、僕は店を出た。車だったのか、彼の姿はどこにもない。

 どこまでも澄み渡る青空とキラキラ光る眩しい太陽が僕を迎えた。

 この駅は「デスライフ」だ。子供にしては少々大きすぎるテーマだったかもしれない。これは今後生きていく中でずっと自問自答を繰り返すだろう。




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