悲恋
さっきもしたように、バス停でサイコロを振る。ここが田舎ということと、まだ朝と呼べる時間であることも相俟って、バス停とその付近に人影はまるでない。気兼ねなくサイコロを振れる。
赤が九、青が六だ。合わせて十五。結構進む。路線図を指でなぞりながら数えると、ちょうど終点だった。終点で終わりというルールは作っていないから、終点でも構わない。
バスの座席は前から二番目の左窓側。やはり、どうせ乗るなら窓側がいい。さすがに十五も進むとなると、景色は結構変わる。さっきは海だったけれど、今は山が見え始めている。終点は山に囲まれているかもしれない。
そんな予想に違わず、着いたところは山に囲まれていた。どこを見ても山肌が見える。
こんな山に囲まれた地では、下手に動くと迷子になりそうで怖い。が、迷子を恐れて旅ができるか、と自分を叱咤して、歩き出した。
昔ながらの建物が立ち並ぶ。タイムスリップした感じだ。僕の家や学校の周りにも古い建物はあるけれど、軒並みではお目にかかれない。
そんな風景を見ていると、せっかくだから迷子にならない程度山に登ってみようと思った。登山の用意なんてしていないから奥までは行けないが、スニーカーを履いているから少しは登れるだろう、と考える僕は素人。
山が手近にあるというのも変な話だけど、近くの山に登る。いつもはアスファルトや学校の校舎などの硬いところを歩いているので、土の柔らかさがよくわかる。気持ち良い。当たり前だが、やはりどうしても足場が悪いので疲れる。中学は運動部に入っていなかったから、体育の授業でしか体力を作る機会がなかった。それでも何とか登り続ける。山を登る前に自販機でお茶を買ったから、水分補給に困ることはない。ペットボトルを空にする前には下山を完了させるつもりだ。
しばらく歩いて、休憩をはさんでまた歩く。小学生の時に遠足で山登りをさせられたのを思い出した。あの時は水なんて滅多に飲ませてもらえなかった。そのおかげで口の中が本当にカラカラだったのを覚えている。今では自分でお茶を買って好きな時に飲めるのだから、成長したものだ。
木々は美しいから見ていて飽きることはない。ただ、疲れる。二度目の休憩を取ろうかと考えていると、目の前にも仲間がいた。
彼は木の上に腰を下ろしていた。土から木の根が飛び出て、少し腰かけるにはちょうどいい椅子になっていた。
「あの、よろしいですか?」
「ああ、どうぞ」
僕は彼の少し横に腰を下ろした。彼は二十歳くらいで、男性にしては高い声だった。
「君、一人で来たの?」
「はい」
「へぇ、すごいな。見たところまだ中学か高校くらいなのに。どうしてまたこんな何もない山に?ここら辺の子じゃないでしょ?」
「ただ、近くにあったので。ふと登りたくなって。お兄さんはこの辺の方なんですか?」
「うん。この山下りたところに家がある。本当は一人暮らしなんだけど、今帰省中」
「一人暮らしって、格好いいですね」
「そう?君くらいの子にしてみればそうなのかな」
彼は愉快そうに笑った。
「炊事洗濯は面倒だけどね」
そこで彼に、突如悲しみの影がふっと落ちた。理由がイマイチ分からないので黙っていると、彼は困ったように笑ってごめんごめんと謝った。
「一人暮らしも楽しいよ。……ここに戻ってきたのは理由があってさ」
その理由を聞いていいものか図りかねるためまた黙っていると、彼は静かに話した。
「付き合ってた彼女がいたんだけど、別れてね。傷心旅行じゃなくて傷心帰郷かな」
何て声を掛ければいいのか分からない。慰め下手だと中学時代女子に言われた言葉が浮かんだ。結構傷ついたのだけど、彼女は知る由もないだろう。
「彼女と出逢ったのは三年前なんだけど……」
「ちょっと待ってください」
そのまま話を続けようとする彼に、気付いたら僕は両の手の平を彼に向けて、話を止めていた。
「そんな大事な話、僕なんかにしていいんですか?僕お兄さんのこと全然知らないですよ?」
「ううん……君は、こういう話をしやすい子だと思うんだよね。本当、勝手に思うだけなんだけど。そう感じる。もっと言葉を並べると、君は感傷的になりにくい感じがする。だから、冷静に物事を見て、何らかの解決策を出してくれそうで……完全に個人的な意見だけどね。そういうことでまぁ、俺的には問題ない」
「……なら、僕的にも問題ありません」
乗りかかった船だ。対岸でもどこまででも行こう。僕が感傷的になりにくいという推論は、事実なのだから。
「きっかけは、友達の紹介だった」
彼の話を要約すると、三年前に友人の紹介で彼女と出逢い、一目惚れをしてしまった。何度か会って、思い切って告白したらオーケーしてくれた。相思相愛だったらしい。その後三年間付き合ったものの、俗に言うすれ違いがあり、溝が深まり、この間ついにフラれたそうだ。そんな経緯があり、彼はひどく落ち込んでいるらしい。本気で結婚を考えていたそうだから、無理もない。
帰郷して自分の家にいてもやはりそのことを考えてブルーな気分になってしまうため、運動不足解消を兼ねてここに来たのだとか。
「だから相当打ちのめされてるのが現状」
溜息を吐き出しながら、彼は項垂れた。
「僕はそこまで人を好きになったことがないし、好きになりたいと思ったこともありません。正直言って、お兄さんの気持ちなんて分からないです。でも少ない人生経験掘り起こして机上の空論で予想すると、それはすごい苦しくて辛くて、悲しいことだなって思います。まだ十五歳の子供が思うのは、僕だったらそんな悲しみ、耐えられない。僕が同じ立場になったら、愛を否定して、憂いて、蔑みます」
彼は嫌そうな顔をしなかった。それどころか、諦めたように笑った。
「その机上の空論、満更知ったかでもないな。……寧ろ、俺を以って証明できる」
彼は立ち上がり、木々の間から眼下に広がる町並みを見下ろした。尤も、見ているのは町並みを含めた世界という壮大なものかもしれない。
「まだ好きなのは嘘じゃない。未練たらたらなのも嘘じゃない。でも、何でだろうね。愛というものが、滑稽に感じられてしょうがない。愛を証明できる物が、者が、在るのなら証明してみせろと声を大にして言いたい。全てを皮肉り、憂いてやりたい。彼女に仕返しがしたいとか、そんな感情とは全く違う。彼女には幸せになって欲しいし、その幸せにする人が俺だったら尚更嬉しいっていう淡い期待もあるけど、それは見て見ぬ振りをする。ただ、愛を否定したい。厳密に言えば、信用できない。否定できれば、俺の心は楽になるだろう。この小さい心のために世の中の愛を消したいと願う俺はやはり最低だ。心同様小さい。そして、そんな現実に俺は耐え切れない」
長い独白を終えた彼は、僕を振り返った。
「どうすれば良いと思う?」
「違う所から見つめると道が拓けるって話はよく聞きますけどね」
「鉄棒があったら楽だろうな」
彼は首をできるだけ曲げて、視界の角度を変えた。
「どうですか?」
「空が青いよ。雲が流れて、他の山も見える。大自然だ」
大自然と聞くと世界遺産に登録されているようなものしか浮かばなかったが、成程ここも大自然だ。
「道は拓けました?」
彼は首を戻して、何回か回した。
「いや、よく分からない。首が結構痛くなるし。だけど、少し分かったこともある」
僕が片眉を上げると、彼は全てを蔑んだ表情で言った。
「どこからみても、世界は変わらない。つまり、この世界は下らない。価値を見つけられるか……疑問だな」
「僕も価値を見つけられるか疑問でならないです。それくらい、この世界は無秩序だ。案外、価値なんて見出そうとするだけ無駄かもしれないですね」
「上辺だけでも、そうでないことを祈っておこう。……これ結局期待してることになるな」
「それは割り切るしかないと思います。どれだけ世界を憎んで忌み嫌っても、どうせ世界に生かされていることを認めなきゃいけない。その事実は変えようがありませんから」
「なかなかとリアリストだね」
「リアリストとニヒリストを足して二で割るとこんな感じだと思います」
自嘲的な笑みを浮かべたのは、そんな僕はあまり好きではないから。もう少し夢持てよって自分でも思う。
「本当は忘れなきゃいけないんだ。恋愛を否定すれば忘れられる気がして、必死で愛の悪い所探してる。ああ、マジで格好悪い」
「別に忘れる必要ないんじゃないですか?」
「どうしてそう思う?」
彼の目に少し蔑みの色が混ざっている。恐らく子供の戯言だと思われているだろう。そう思うのなら、それはそれで構わない。僕でさえも戯言だと言われたら即座に首を横に振れない。
「僕、音楽好きなんですけど、やっぱ悲恋とか失恋ソングっていっぱいあるし。蔓延ってるって言っても良いくらい。そういうのって、別れを覚えてないと書けませんよね。少なくとも、想像ではリアルに書けないと思います。それに、別れて学ぶこともたくさんあるってよくある話ですしね」
「子供らしい解釈だけど、現実味があって的を射ている気がする」
そこで彼は自嘲を浮かべたから、僕の言ったことを認めてくれた証拠と見ていいだろう。
「人生経験が増えた……ってことで割り切ってみようかな。それが一番納得しやすいし」
表情が少し晴れた気がする。
「経験はいくらしても損にはなりませんからね」
「人生の先達者みたいだな」
くすっと吹き出した彼につられ、僕の頬も緩んだ。
「祖父の言葉を借りました。先達者に違いありません」
「そっか。お礼言っといて。後、良いお孫さんを持ちましたね、って」
「必ず伝えます」
僕が笑うと、彼も同じく笑った。ただ、あまり幸せな笑顔ではないことは否めない。事実、この笑いは「世界なんて下らない」と結論付けた後の笑顔なのだから。
「まぁ、都合の悪いことは忘れるとしようかな。……空が青くて澄んでるのに、綺麗と思えない。そればかりか可哀想に思えてくる。俺の心が汚い証拠かな」
「汚いからこそ綺麗の意味が分かるものでしょう。お兄さんの心は綺麗だと思いますよ」
「励ましてる?」
「どうでしょう」
「意地悪だね」
大してそれを気にしていないように言うと、彼は再び僕を見た。
「これからどうすんの?」
「さぁ?とりあえず下山してから考えます」
「そっか」
「お兄さんは?合コンでも行きますか?」
「最近の子供は平気でそういうこと言うから恐いんだよ、全く」
彼は一つ溜息を吐いた。これからに向かって勇気を固めているようにも見えた。
「当分恋愛はいらないな。一人でしか見えない世界を堪能して、それに飽きたらまた人を好きになってみる。まぁ、運命の人が現れたら胸を射抜かれるんだろうけどね」
表現が若干古い、と思ったがそれは胸の奥底に沈めておく。一人に飽きるか、運命の人を見付けたら恋愛の封印を解くらしい。それもまた一つの道なのだろう。
「君は恋愛しないの?今青春真っ只中だろ?」
だからこの年は嫌なんだ。
「女子にいじられるキャラで通ってるので、相手にされませんよ。好きな子もいないし」
「今まで一人も?」
「いましたけど、中学から学校分かれました。彼女頭が良かったので、有名な中高一貫校に」
「告った?」
それまで言わなければいけないのだろうか。
「告白はしてません。冷静に考えたら、一般的な、というか僕の理想の恋愛とは違う感情だったので。僕が彼女に抱いていた感情は、ある意味同情に似てました。彼女が笑って楽しそうにしていれば僕も嬉しいし、悲しそうにしていれば僕も悲しい。何ていうか、人間として興味があったんです。結構感情を表に出し易い人だったので、分かり易かったんです。人間観察が趣味って人いますけど、その部類に入るかな。恋愛感情の『好き』とはニュアンスが少し違うんです。それを恋愛だと偽って告白するなんて、失礼だと思ったんです。……なんて言い訳したら格好良いじゃないですか」
「何だ、結局勇気がなかっただけか」
今まで真剣に聞いてくれていたので申し訳ないが、つまりはそういうことだ。
「でも、嘘じゃないですよ。失礼に当たるとも思いましたし。結果から言えばそれに逃げたことになりますけど」
「へぇ。当時小学生にしては随分まとまった自己分析だな」
「自分の頭の中で考えるのが好きなんです。自他共に認める学者タイプです」
「そうらしい」
彼は水を一口含んで、力強く立ち上がった。眼下に広がる世界を見下ろしてから僕を振り返る。
「俺はとりあえず下山するよ。自分をよく見直して、変えなきゃ。君は下山してからこれからを決めるって言ってたけど、もう下山する?」
「うーん……まだここにいます。もう少し景色見たら下ります」
「迷わないように気を付けてな。話聞いてもらった上に付き合わせて悪かった。ありがと。それじゃ、縁があったらまた」
「さようなら」
なかなかと色の濃い人だった。少なくとも、僕は自分の深い恋愛を名前も知らない子供に話すなんてできない。さっき会った女性といい、今日はそういう話をよく聞く。
僕と会う人が偶然にも、そういうことを話しても構わない人なのか、それとも、僕の持つ「何か」が話させているのか。或いは両方か。
三つ目の停留所は「悲恋」。僕は眼下の景色をもう少し楽しむことにした。




