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黒いドレスを纏った女性

 バス停周辺にひとがいないことを確認してサイコロを振る。今回からは二つのサイコロの目を足した数を進む。赤が二、青がゼロだったから、二つ進む。バス停の路線図で確かめてみるが、やはり知らない地名だった。予定時刻を三分すぎてやってきたバスに乗り込んで、二つ先を目指す。

 やはり二つだとすぐに着いてしまったが、景色は少し変わった。降りて近くを歩くと、潮のにおいが鼻をくすぐった。耳を澄ませると、波が寄せては返している音も聞こえた。海が近い。

 音のする方へ足を向けると、潮のにおいが強くなった。アスファルトにも所々海岸の砂が落ちている。そのまままっすぐ進むと、防風林の松に挟まれた坂があった。そこを上ると、眼下に真っ青な海が広がった。

 海に来るのは久方ぶりで、僕はしばしの間圧倒された。砂があって青く光る水があって白い泡を立てる波があって灰色のテトラポットがあって。それらだけを見れば前回と変わっているところなんてないのに、なぜか感動する。せっかくだから浜を歩いてみる。

 靴に砂が入ってものすごく気持ち悪い。髪がべたつく。帽子をかぶってくれば良かったと思って後悔しても覆水盆に返らず。でも、海を見れただけでもいい。

 そうやって気分を盛り上げていると、打ち上げられた流木に腰掛けている女性がいた。波を立てている海は遠くだけれど、ここに木があるということは、ここまで波が寄せてきたことがあるということだと考えると鳥肌が立つ。今僕がいるところまで水が押し寄せるなんて、正直怖い。

 だけど、それよりもこの女性の目の方が僕には怖かった。じっと見ていると飲み込まれそうになる目だった。目の前に底なし沼があって、足を踏み入れなければ落ちることはないのに、やはり恐怖を感じる気持ちだった。

 サーファーでも釣り人でもないその人は、微動だにせず海を見ていた。

「こんにちは」

 相手が女性なこともあり声をかけようと迷っていると、彼女の方から声をかけてきた。

「あ、こんにちは。お一人ですか?」

「はい。少し来たくなって。何かあるとよく来るんです。近いので」

「何か……?あ、すみません。込み入ったこと聞いちゃって」

 彼女はそこでクスリと笑った。しかし目は変わらない。

「悩んでいるんです。どうすれば人を信じられるのか。どうすれば人を愛せるのか。どうすれば世界に希望を見いだせるのか。とりあえず、海に吐露しておきたかったんです。行きずりのあなたにも言ってますけど」

 その自嘲的な笑みすら深くて黒くて。太陽が眩しいはずなのに、それを感じられない。彼女も、僕も。

「何故、僕に話すんです?行きずりの人なのに」

「失礼なこと言ってもいいですか?」

「構いませんよ」

 そこで彼女は一呼吸置いて、視線を僕から海に移した。

「嬉しかったんです。私と同じ目を持っている人に出会えて。勝手な思い込みであることを先に断わっておきます。あなたも、信じてないですよね。人とか世界とか、色々」

 すごいことを言われた気がする。会って三分の人に言うことではないだろう。激怒されてもおかしくない内容だ。だから僕は、思ったことを言う。

「当たりです。目敏いってレベルじゃないですね。その観察眼、誇っていいと思います」

 僕も自嘲的な笑みを浮かべる。彼女は自嘲的な笑みに少し寂しさを混ぜ合わせた表情になった。

「どうすれば信じられるんでしょうね。好きや愛してるなんて言葉、安いと感じてしまうんです。やっぱり私っておかしいですよね。自分を愛してくれる人を探してるくせに」

 風で乱れた髪をかきあげながら彼女は言った。その行為には妖艶さが混ざっている気がした。

「きれいな人や物のことをよく『白』で表して、逆に『黒』で汚いとかを表す。それが定着しているから白はプラス、黒はマイナスをイメージさせると思うんです。でもそれって、黒を全否定してません?黒い服なんて大抵の人が持ってるのに」

「僕のシャツも黒ですしね」

「黒ってマイナスだと思いますか?」

「いいえ。きっと、黒を知らない人は本当にきれいなものを知らない。黒があるからこそ、他の色が映えるんです。だから、黒を知らないのは淋しいと思います。まぁ、卑屈が多少なりとも入ってますけど」

「それは私も思います。それに、白ってすごく脆いと感じるんですよ」

「絵の具がいい例ですね。白は他の色が入るとすぐに白でなくなる。入った色を淡くすることはできても、白にすることはできない」

「私の心が読めるんですか?」

「まさか。僕は自分が感じていることを言ったまでです。独り言のようなものですよ」

 そこで彼女は視線を動かして、首を動かして僕の全体を見た。

「何歳?」

「十五です」

「じゃあ、今年高校生?」

「はい。ちょうど一週間後に入学式があります」

「突っ込んで聞くから嫌だったら無視して構わないけど、好きな子はいるの?」

 この年頃はこういう系統の質問が付きまとうから困る。

「いませんよ。女の子に好かれようとすることをした覚えもありませんし」

「ダメよ、恋愛は若いうちにしておかないと」

「よく言われます」

 彼女はそこで身を少し乗り出してきた。やはり女性はこういう話が好きなのか。

「どういう恋愛がしたいの?」

「長くなりますよ?」

 彼女は微笑みながら頷いた。僕は相手に聞かせられるほどの立派な恋愛理想像は持っていないから、独り言のように海を見ながら言った。

「僕の色は黒だと自分で思う。だから、黒色の人を探す。みつけたら、関心を持つ。そこで見極めて、本当の色が黒だったら、それに気づいた時点で恋に落ちているでしょう。もし恋した人の色が本当は黒に近い灰色だったり、見極めているうちに僕含め色が変わっていったら、別れるか受け入れるかする。……そして僕は、この恋愛話に協力してくれた『色』という物質に敬意を表したうえで感謝したい」

 一応目の前の彼女に対する恋愛感情はないのだけれど、それはきっと察してくれるだろう。

「素敵な独り言」

「ありがとうございます」

「あなたは相手によって自分の色を変えることができるの?」

「詳しくは実際経験しないとわかりませんが、恋にはそれだけの魔力めいたものがあると思います」

「その時によって自分を変えるの?それはいい結果になる?」

「人間万事塞翁が馬」

 自分を変えることが幸か不幸かなんて、時が経たなければわからない。

 彼女はにこやかに笑って、腰を上げた。目が最初よりも澄んでいたと感じたのは一瞬だった。その一瞬がずっと続けばいいのに、と感じたのも一瞬だった。

「私の話に付き合ってくれてありがとう。君が運命の人に巡り合えるように願うよ、なんて陳腐かな」

「素敵な言葉をありがとうございます。僕も願っています」

 そして彼女は何も言わずに去った。

 物理的な時間にすれば十分程度なのに、僕にとって十分とは到底思えない濃密な時間だった。

 二つ目の停留所は「黒いドレスを纏った女性」。きれいなドレスだった。願わくば、再び出会えんことを。



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