ロマンチスト
次の日、夜が明け始めたくらいの時間から僕は準備をしていた。準備と言っても、財布に中身を足したり、着替えたりと大したことはしていない。
太陽が「さぁ、今からてっぺん行くぜ」と意気込んでいるのを尻目に、僕は家を出た。
駅に行って、ポケットの中から赤と青色のサイコロを取り出した。さすがに人の真ん中でサイコロを振るのは抵抗があるので、少し離れた場所で振った。赤が一。一番乗り場へ行く。そこで青色のサイコロを振る。五が出た。五つ目のバス停で降りる。 五つ先の地名は聞いたことがなかったから、気にしてもしょうがない。
バスが来て、それに乗り込む。乗り放題切符だから、整理券を取る必要もカードをタッチする必要もない。降りる時に切符を見せればそれで万事解決。素晴らしい。
半分より後ろの窓際に座って、外の景色を見る。ビルや背の高い建物が並んでいる。朝だから静かだが、街の中心地だけあってそれなりに人はいる。
バスが走り出して、景色が次々変わる。幼稚園児や小学生のように、はしゃがずにはいられない無垢な心は失ったようだが、騒がずともなかなか楽しい。
バス停を数えて、五つ目でボタンを押した。正式名称は知らないけれど、「次停まりますボタン」と名付けているのは僕だけだろうか。
「ありがとうございました」
バスを降りると、田舎だった。
基本的に僕が住んでいるところは田舎だ。だから田舎者らしく東京に憧れたりするのだけれど、それにしても田舎だ。
畑が周りにいっぱいあって、早くもおじいさんおばあさんが農作業を始めている。
歩いてみても、やはり畑。道端にトラクターが停まっている。
「おはようございます」
ある畑にいたおばあさんと目があって、挨拶をする。
「おはよう。一人で何してるの?」
こうやって気軽に話しかけてくれるのは嬉しい。話好きな割に自分から声をかけられない自分は少し嫌い。
「特に用はないんですけど……散歩です」
「若いのに偉いね。車に気を付けて」
「はい。ありがとうございます」
再び会釈をして歩き出す。車は全然通っていないけれど、だからこそ気をつけろという意味かもしれない。
なんて考えていたら、前に一組の老夫婦がいることに気が付いた。こんな近い距離になって初めて気付くなんて、僕の神経は一体どこを彷徨っていたのだろうか。
それはともかくとして、僕が注目したのは二人の行為。太陽に向かって合掌していた姿が珍しかった。確かに太陽に神が宿るというのは様々な宗教や社会で信じられている信仰だ。だからおかしくはないのだが、実際に見るのは珍しかった。
老夫婦は特に礼をするわけでもなく、静かに腕を下げた。
「おはよう」
「おはようございます」
ぼうっと考えていたところで唐突に声をかけられたので、慌てて返事をした。声が少し上擦った気がする。
「毎朝、拝んでいるんですか?」
前述したとおり僕は話しけることが苦手だが、老夫婦への珍しさからか、気付いたら声に出ていた。話を聞きたかったという素直な理由だ。
「そうだねえ……かれこれずっとしているね」
「いつからだろうね。考えたことなかったね」
二人とも正確には覚えていないらしい。
「何を祈るんですか?」
言ってからしまったと思った。祈りの内容など、聞くものではない。
「すみません、少し気になっただけなので……」
僕の弁明を受け入れてくれたのか、元より怒っていなかったのか、二人はにこやかだった。
「特に何を祈るわけじゃないんだ。祈るというよりは、お礼をしているんだよ。手を合わせるのは日本人だから、やっぱりしてしまうんだろうね」
「と言うと?」
「君は、太陽を何だと思っている?」
「太陽?」
唐突な質問に僕の思考回路が若干止まる。太陽について本気で考えたことなんて、そういえばない。
「夏は疎まれて冬はありがたく思われるもの、です」
「なるほどね。面白い考え方だ。しかし、僕たちはそれとは少し違った考えを持っている」
「どのような?」
興味がある。聞いてみたい。
おじいさんとおばあさんは停まっていた軽トラックの荷台に腰を下ろした。それがこれからの話を盛り上げる行為に見えて、僕は少しワクワクした。
「僕たちはね、朝日はきれいだと思う。今出ているような、ね」
おじいさんは僕の後ろに出ている太陽を指さして言った。
「残念なことに、人は真っ白じゃない。心のどこかに汚れを持っている。太陽は、そんな汚れを照らし出して持って行ってくれる。汚れているところを知らせてくれるんだ。時と場合にもよるけど、その汚れをさらって、心を軽く、そして白くしてくれる」
なかなかと独創的な考えだ。そういうのは結構好き。僕は早く話の続きを聞きたくて、頷いた。
「そんなことをみんなにし続けているから、落ちる前の夕日は汚い。人間の汚さを持っている」
「どうやってまたきれいになるんですか?」
僕の問いにおじいさんは待ってましたと言わんばかりに得意げになって、今後を盛り上げるため一時的に声を潜めた。
「洗われるんだよ」
予想外の答えに、僕の思考が一旦フリーズする。
「勿論、物理的な意味じゃない。夜っていう、広大で深い水に洗われるんだ。そこでピカピカになって、また朝日として僕たちの前に現れる。日々はその繰り返しだ」
「あの、聞いてもいいですか?」
「どうぞ」
「太陽を洗うのが夜なら、夜はどうなるんです?汚いままってことですか?」
「夜っていうのは、いぶし銀の王様なんだ」
再び僕の思考が止まる。夜といぶし銀という言葉はなかなか合致しないと思う。
「夜は洗われない。洗ってくれるものがないんだ。だから汚れている。だけど、夜は優しいからその汚れを見ないで、ないことにしてくれる。人は夜に泣きやすいだろう?それは、夜というすべてを包み込んでくれる優しさを感じるからさ。暗いという負の心象を人に持たれながら、憎まれ役、悪役を請け負っている。ただし、報酬はない。利がないのに憎まれてもいいなんて、人にはなかなか見つけにくい優しさだ」
つまり、自分が引き受けた他人の汚れから目を逸らしてくれるということか。僕のような若者が言うのもなんだが、夢がある。
「そう考えておいて感謝の念を示さないなんて、人として恥ずかしい。だから朝は出たばかりの朝日に『今日もよろしくお願いします』と言って、夕方は落ちる日と来る夜にありがとうございました。夜はこれからおねがいします』と言う。そうすると気分がいいんだ。手を合わせるのは、やはり日本人だからだろう。深く考えたことはないけれど」
そうやって繋がってくるのか。成程、納得がいく。
「君くらいの年にはわからないだろうが、年を取ると毎日が幸せなんだ。毎朝目が覚めて太陽が見えると、生きていると感じる。そして、生きていることが幸せなんだよ」
生きていることが幸せ。僕にはまだ理解できそうにない。生きていることが大前提で、その上で起こる出来事に幸せを感じるのが僕の感覚だ。でも、子供ながらに思うのは、生きているだけで幸せを感じられるような人間になりたい。憧れる。僕がこの域に達するまであとどのくらいかかるのだろう。
「僕、今の気持ちを言葉にできるほどの表現力は持ち合わせてませんけど、何か……良かったです。幼稚な言葉で申し訳ないんですけど」
言葉が足りなさすぎると若干自己嫌悪に陥りながらも、発言して良かったと思える。
「そうかい。君の悩みの助けになれば嬉しいよ」
「……僕が悩んでるって、どうしてわかったんですか?」
「顔見ればわかるよ。年取るとこんな余計なことまでわかるんだから不思議だなあ」
おじいさんは悪戯っぽく笑って、腰を上げた。
「さて、作業するか。お兄さん、がんばりな」
「はい、ありがとうございました」
僕は頭を下げて歩き出した。「がんばれ」なんて最高に無責任なきれいごとが何故か心地良かった。
一つ目の停留所は「ロマンチスト」。次の停留所は何て名前なのかまだわからない。サイコロに聞いてみよう。




